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聴いてない 第188回 スレイド

大ヒット曲が実は他の人のカバーだったことを後から知った、というパターンは誰でもあるだろう。
オリジナルのほうを後から聴いて違和感を覚えた、なんてことも多いと思う。
今回採り上げるスレイドも、自分にとってはそのパターンの典型バンドである。

まずスレイドについて。
1曲しか聴いてないので、聴いてない度は2。
聴いたのは「Cum On Feel The Noize」。
83年にクワイエット・ライオットがカバーして大ヒットした、あの曲である。
スレイドはその10年前に発表して全英1位を記録している。

オリジナルを聴いたのはたぶん90年代になってからだ。
しかもスレイドのアルバムではなく、当時流行っていた「NOW」系のオムニバス盤に収録されていたものだったと思う。
この時初めてスレイドのほうがオリジナルであることを知った次第。
またクワイエット・ライオットは「「Mama Weer All Crazee Now」もカバーしているが、こちらはスレイドのオリジナルを聴いていない。

クワイエット・ライオットの巻でも書いたが、「Cum On Feel The Noize」はかなり好きである。
オリジナルも悪くないが、クワイエット・ライオットのケヴィン・ダブロウのヤケクソなボーカルのほうがずっといい。
イントロの「どんぱん・どぱん・どんぱん・どぱん」というドラムとケヴィンの絶叫が壮絶なサウンドを構成している。
で、後からスレイド版を聴いた時は「なんか迫力ないなぁ」と感じたものだ。
ケヴィン・ダブロウほど絶叫系でなく、ガヤガヤと歌う様子はなんか昔のアイドル親衛隊みたいな感じに聞こえる。

なのでスレイドのことは「オリジナルを歌った人たち」ということしか知らない。
まあクワイエット・ライオットも同じようなレベルでしか知らないのだが、この機会にスレイドも一応薄く調べることにした。

スレイドは1966年にイギリスで結成。
メンバーはノディ・ホルダー(V/G)、デイヴ・ヒル(G)、ジム・リー(B)、ドン・パウウェル(D)。
1969年にデビュー。
当初「アンブロージア・スレイド」というやや長いバンド名だったが、2枚目のアルバム作成以降はただの「スレイド」に改名。
この時バンドを強力にサポートしたプロデューサーが、アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーで、バンド名をただのスレイドにしたのもチャスの発案らしい。

このバンド、70年代前半が黄金期と呼ばれる。
シングル「Coz I Luv You」「Take Me Bak 'Ome(恋のバックホーム)」「Mama Weer All Crazee Now(クレイジー・ママ)」「Cum On Feel The Noize」「Skweeze Me, Pleeze Me」などが全英チャート1位となった。
アルバムでも72年の「Slade Alive」が2位、「Slayed?」「Sladest」が1位を記録している。
「Sladest」はベスト盤だそうだが、69年デビューのバンドが4年くらいの間にベスト盤まで出して1位も獲得したというのはすごい話だと思う。
74年には中野サンプラザで日本公演も行っている。

ちなみに彼らの曲名には「Love」を「Luv」、「Night」を「Nite」、「Goodby」を「Gudbuy」、「Crazy」を「Crazee」と表記を変えているものがある。
もちろん正しくない英語表記なのだが、こうしたおフザケも当時のイギリスの若者には受けていたようである。
ニュアンスはあまりよくわからないが、「夜露死苦」みたいなもんだろうか。(違うと思う)

グラムロックの人気とともにあったスレイドは、70年代後半から徐々に勢いを失っていき、チャートにも登場しなくなる。
復活のきっかけとなったのが、前述のとおり83年クワイエット・ライオットによる「Cum On Feel The Noize」の大ヒットであった。
まさにコロッケが売れて再評価された美川憲一のような状態。(この例えも乱用しすぎだなぁ・・)
本家スレイドは同年アルバム「The Amazing Kamikaze Syndrome」をリリース。
これがうまいこと再評価の波に乗り、シングル「Run Run Away」も含めイギリスとアメリカで大ヒットを記録した。
しかし極東の貧乏学生だった自分は、当時のスレイドのヒットを全く知らない。

さらにあのオアシスも「Cum On Feel The Noize」をカバーしている。(聴いてないけど)
ノエル・ギャラガーはどうやらスレイドではなくクワイエット・ライオットを聴いてカバーしたくなったのではないかという話だが・・
ちなみにクワイエット・ライオットだが、日本では「メタル・ヘルス」を含む2枚のアルバムをリリースしているが、アメリカではこの2枚は発売されなかったそうだ。
なぜ?

90年代に入り、ノディ・ホルダーとジム・リーが引退という形でバンドを去り、残ったデイヴ・ヒルとドン・パウウェルは「スレイドII」というバンド名で活動を継続。
その後2002年になって再びノディとジムが戻り、スレイドとしてアルバム「Cum on Let's Party」を発表している。

一時的に脱退はあったものの、メンバーはこの4人で変わらないというのは、ロックバンドにしては非常に珍しいケースである。
「不動の4人」と呼ばれるバンドにU2があるが、スレイドの歴史はU2よりも長い。
最近はそれぞれ個別に音楽や芸能活動をしてるそうだが、バンドとしては解散したわけではないようだ。

というわけで、スレイド。
「Cum On Feel The Noize」だけではどんなバンドなのか全然わかりません。
日本での知名度はそれほど高くはないようにも思いますが、おすすめのアルバムなどあればご指導ください。

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聴いてみた 第110回 ディープ・パープル その8

最近ペイジ周辺の学習に忙しく、ついサボリがちだったリッチー外為投資講座。
宿命のライバルの間を行ったり来たりウロウロする自分ですが、今日はリッチー方面へクロス円が大きく反発。
パープル第3期最後のアルバム「Stormbringer(嵐の使者)」を聴いてみました。

第2期は全盤制覇したので、正直それほど第3期以降に学習意欲はなかったのだが、ギランよりはカバのボーカルのほうが好きなので、やはり聴いておくことにした。(偉そう)

Stormbringer

「Stormbringer」は74年発表。
メンバーは「Burn」と同じく、リッチー・ブラックモア、ジョン・ロード、デビッド・カバーディル、グレン・ヒューズ、イアン・ペイス。
それまでのパープルのクラシカルでハードロックな路線とは異なり、ボーカル二人のファンクやソウル趣味をふんだんに採り入れた異色の作品らしい。
なのでリッチーはこのアルバムを「最低」と評しており、セールス的にもいまいち芳しくない結果となったそうだ。

バンド内の人間関係は相変わらず悪く、リッチーとしてはギランとロジャーを追い出してこれで安泰やれうれしや第3期かと思いきや、バンドの方向性を巡ってリッチーとジョンの関係は悪化するばかり。
アルバム制作中にリッチーは曲づくりの意欲もどんどんなくなっていったようだ。
ではカバとグレンのボーカル二人くらいは仲良しかと思うとやっぱしそうでもなく、どっちがどのパートを歌うのかでしょっちゅうモメていたらしい。
ああ楽しい・・

結局リッチーは作品にもバンドにも愛想が尽きてしまい、住み慣れたパープルを脱退。
新団体「ブラックモアズ・レインボー」を旗揚げし、聖地後楽園ホールで旗揚げ興行を行い、最後はランニング・ネックブリーカードロップでハリー・レイスからNWA王座を奪還したのは周知のとおり。(デタラメ)

パープル最大のターニングポイントに位置する「Stormbringer」。
果たしてあたしはカバとグレンが巻き起こす嵐に耐えて、バナメイエビと芝エビの違いを見分けることができるのでしょうか。(意味不明)

・・・・・聴いてみた。

1.Stormbringer(嵐の使者)
ベスト盤などで聴いていたのはこの「Stormbringer」くらい。
いわゆるハードロックの雄たるパープルのストレートなサウンドからは少し離れた印象である。
もわもわと鳴るキーボードもちょっと変な感じだが、トータルな印象はそれほど悪くはない。
リッチーとカバの共作で、歌詞は特撮ヒーローの主題歌みたいな内容。
カバの歌唱力が光る一曲である。

2.Love Don't Mean a Thing(愛は何よりも強く)
これもハードロックとはほど遠い、ファンクなナンバー。
カバがじれったく歌い、グレン・ヒューズが甲高く歌う。
ただ二人の歌い分けは「Burn」ほど効果的とも思えない。
全部カバでいいんじゃないかと思う。

3.Holy Man(愛人)
言われなければパープルの曲だと気づかないような音がする。
80年代のアメリカン・ロックバンドがたまにやるバラードみたいな雰囲気だが、これは悪くない。
こういう曲ならボーカルはグレンのほうが向いている。
パープルだと思って聴くと「なんか変・・」と感じるのだろうけど、曲そのものはいいと思う。

4.Hold On
これもパープルにしてはずいぶんウキウキとした楽しそうなサウンドだ。
このあたりはボーカル二人の趣味なのだろうか。
なんとなくストーンズみたいな楽曲。
間奏ではリッチーとジョンのソロパートの分け合いもあるが、少し短く物足りない。

5.Lady Double Dealer(嵐の女)
ようやく正調パープル節の登場。
疾走感に満ちたリズム、カバのシャウト、リッチーのテンポの速いギターはいつもの通り。
ただパープルお得意のド突き合いサウンドではなく、楽しくやろうぜ的な妙な協調感がある。

6.You Can Do It Hight
再びファンクなリズムにカバとグレンのソウルフルなボーカル。
キーボードの音がかなりいじられており、やや耳障りな感じ。

7.High Ball Shooter
後のレインボーやホワイトスネイクにつながるサウンドの原点がここにある、という感じの曲。
カバの本領発揮とも言えるソウルフルなナンバー。
グレンとのツインボーカルも歌い分けだけでなくコーラスでもハモっており、これはいい感じ。
第2期ではなかなか聴けない「明るさ」がある。
ようやくジョン・ロードのまともなソロが聴ける。
というか楽曲全体を支配しているのはジョンのキーボードサウンドである。

8.The Gypsy
カバとグレンが歌い分けやメインとバックといった住み分けをせず、ほぼ全ての歌詞を同時にそれぞれ歌う、まさにツインボーカルな合唱曲。

9.Soldier Of Fortune(幸運な兵士)
ラストは哀愁に満ち満ちた演歌路線。
パープルっぽくはないけど楽曲としてはいいと思う。
歌詞ももの悲しい男の心情を歌った内容となっている。
こういう曲を聴くとボーカリストとしてのカバの器用な面がよくわかる。

ネットで見てきた評価のとおり、ディープ・パープルのパブリックなイメージからは少しはずれた変わったアルバムである。
楽曲としてはどれも決して悪くなく、80年代っぽいサウンドは聴いていてふつうに楽しめる。
何より二人のボーカルが楽しそうだし、明るいし、のびのび歌っている。
グレン・ヒューズの出番も「Burn」よりは多い。
ハードロックが苦手な女性を助手席に乗せていても、このアルバムならクルマの中でかけてもあまり問題はなさそうな、そんな感じ。
(たとえ話が80年代っぽくてダサイ)

ただし。
ハードロックバンドとしてのパープルを評価するとなれば話は変わってくる。
やはり気になるのはサウンドの大きな変化だ。
とにかくジョン・ロードの出番がなんとなく少ないように聞こえるし、これはこの後の「Come Taste The Band」にも感じたことだが、第2期ほどリッチーのギターとの対立構造がなくなって来ている。
ギランのボーカルはあんまし好みじゃないんだが、それでも第2期のボーカル対ギター対キーボードという緊張感にあふれた関節技の応酬が味わえないのはやはりどこか物足りない。
その後のレインボーの三頭体制を見れば、リッチーの当時やりたかったことはやっぱり各パート同士のガチなド突き合いだったんだろうなと思う。

この後パープルはリッチーの後任として富墓林ことトミー・ボーリンを加入させてアルバムを作る。
しかし評判はさらに悪く、コンサートでもトミーは全然評価されず、結局パープルは解散。
トミーは精神的にも深いダメージを負い、やがて非業の死をとげるという、パープル史上最も不幸な結末をたどったメンバーとなってしまった。
リッチー脱退からパープル解散・トミーの死までは、パープルの歴史の中でも悲しき負の連鎖期間だったのだろう。
ちなみにリッチー自身はトミーのことを高く評価していて、テレビでトミーの演奏を見て「彼は大物になる」とインタビューで語ったことがあるそうだ。

第3期のパープルは、ギランがいなくなったが故にリッチーの不満をまともに受け止めるのがジョンだけになってしまい、メンバー間のパワーバランスが崩れてしまったんじゃないかとも思う。
いずれにせよ、このアルバムは「カバとグレンによる方向転換」「リッチー在籍最後の作品」というのが付加価値であるようだ。

なお「Stormbringer」のアルバムジャケットはパープルにしては珍しく?メンバーの姿がない。
農地で炎上して立ち上る煙が上空に伸びて、それをペガサスが飛び越えようとしているイラストである。
これはタイトルナンバーである「Stormbringer」のイメージを表現したものだろうか?
歴代のポンチなジャケットに比べて非常にセンスの良い作品だと思う。(上から目線)

というわけで、「Stormbringer」。
パープルというバンドの作品としてはややイメージと違いましたが、楽曲そのものは良かったと思います。
また第3期も制覇した達成感もありました。
ただ、パープルについてはもう他の未聴盤を聴く意欲はほとんどありませんが、もし次に聴くとしたら第1期の作品になるような気がします。

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やってない 第25回 園芸

趣味も特技も資格も貯金もあまり持たず地味に生息する自分ですが、趣味の範疇に全く入ってこないジャンルに園芸があります。
園芸の定義や範囲を語るのは難しいが、花や草木や野菜なんかを植えたり育てたり、いわゆる「土に親しむ」といった行為全般をイメージしている。
で、そうした意味での園芸は全然やっていない。
農業や畜産に従事したことももちろんないが、ガーデニングや庭木の手入れや花を生けることも全くしない。

園芸をやらない理由は「面倒だから」である。(直球)
植物の世話ですら面倒という救いようのないモノグサだが、これが一番大きな理由だ。
時々旅行で数日家を空けることもあるので、基本的にいきものの世話はあまり向いていないのよね、という言い訳もある。
ただし興味はほとんどないが、「嫌い」という感覚もあまりない。
別の世界の文化みたいなとらえ方をしている感じに近い。

決して自慢できる話ではないので、育った家庭環境のせいにしたいところだったんだが、実は我が家はこの点はむしろ近所のお宅よりもハデに活動していたほうだ。
父親は生前庭いじりや鉢植えの花を育てるのがかなり好きで、材木でひな壇をこしらえて植木を並べたり、道路に面したフェンスにバラの生け垣をこさえたり、当時よその家ではあまり見たことのないような黄色っぽい玉砂利を庭に敷き詰めて手入れしたりしていた。

また家庭菜園もけっこうチカラを入れていて、自前の肥料までこしらえてスイカやナスやキュウリを作ったりもしていたのだ。
いったい何を原料に肥料を作っていたのかわからないが、父親が肥料をまく度に家の周りがやたら臭かったことは覚えている。

なお我が家は昭和の新興住宅地にあり、決して農家のような広い土地や家があったわけではない。
「家庭菜園」と書いたが、実はそれは我が家の敷地の外にあったのである。
当時家の裏は空き地で塀などもなく出入りが自由にできたため、父親も含めて近所の住民は地主に無断で空き地にそれぞれ菜園を勝手に作ったりしていた、というのどかな時代であった。
今近所でそんなことをする変人は誰もいない。

いずれにしろ成果は素人の域を出なかったが、父親は間違いなく趣味のひとつに園芸があったのだ。
母親は父親の趣味については「水道代がかかる」という貧乏くさい理由で批判的だったが・・・
で、そんな父親に育てられた姉は、趣味というほどの気合いはないが、今も観葉植物を置いたりベランダでゴーヤを育てたりといった、まあふつうの主婦が手がける程度のレベルで園芸を楽しんでいる。
また習い事で生け花を多少経験しているので、花についての知識や技術も人並みにはあるようだ。

しかし。
弟の自分は中年になった今もなおとりたてて園芸に興味はない。
我が家のベランダには妻が世話する植木がいくつかはあるのだが、自分の役目は毛虫を取ることくらいで、季節の花々がいったいいつ咲いていたのか気づかないような生活を送っている。

小学校の理科の授業でアサガオやヒマワリを育てるなどといった園芸体験もあるにはあったが、特にその後才能が開花したり趣味に発展したり、という展開は全然なかった。
桜や菊など花を観賞すること自体は嫌いではないが、自ら育て慈しむという発想には全然ならない。
草木や花は自分にとって山や海と同じく「風景」の要素なのだ。

まあ都市近郊のサラリーマン家庭で育った男の場合、若い頃から園芸大好きという人もそんなにいないような気もするけど、ある程度年齢を重ねると土への回帰が始まり、突然庭に木を植えてみたり近所で畑をレンタルしてパプリカあたりを作ってみたり、なんてことが起こるのだろうか。
都内に住む会社の同僚は、最近御殿場あたりにけっこう広い土地を借りて週末菜園を楽しんでいるらしい。
平日は土地を貸している農家の人が管理してくれるので、週末だけ世話する方法でも枯れたりせず菜園として成り立っているんだそうだ。
近郊の農家ではこのように休耕地を活用するビジネスとして発展させてるケースも増えているとのこと。

先のことはわからないが、もし自分が園芸デビューするとしたら、候補にあがるのは菊の花である。(変?)
なぜか若い頃から菊の花は好きで、笠間や小田原など菊まつりに行ったりすることもある。
「オマエは菊をなめているのう。そんな簡単な花じゃないぞよ」などと菊愛好会の古参に叱られたりするのかもしれないけど、そんなデタラメな発想をぬるく持ちつつ、実際には何もせずにムダに歳を重ねている。

というわけで、園芸。
それなりの年齢になれば園芸のひとつもたしなむくらいの度量や余裕がほしいとは思いますけど、今のところ全く興味もなく何もしていない状態です。
みなさんの園芸活動はいかがでしょうか?

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