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見ていない 第35回 連続テレビ小説

番組自体は半年で終わるが、枠としては50年以上(!)の歴史を誇る日本の伝統芸能文化、正調テレビドラマシリーズ、NHK連続テレビ小説。
いつから見ていないのかすら思い出せないくらい見てません。
最近は初回から最終回まで一度も見ないまま終了してることがとても多い。
「梅ちゃん先生」も一度も見ないままだったし、今の「あまちゃん」も全く見たことがない。
「じぇじぇ!」ってなんのこと?

こんなんでは話にならないので、連続テレビ小説について緊急学習。
NHK連続テレビ小説は昭和36年の「娘と私」が最初のシリーズで、以来52年間に88作品が放送されている。
(現在放送中の「あまちゃん」が88作目)
ほとんどの地区で同じ時間帯に放送されてると思うが、基本的には地上波では朝の8時15分から30分まで、再放送が同じ日の12時45分から13時まで。
74年の「鳩子の海」までは1年間1作品だったが、75年以降は前期をNHK東京、後期をNHK大阪が制作という1年2作品となっている。
ただし83年の「おしん」や94年の「春よ、来い」など1年間続いた例外もある。

50年以上なので様々な作品があるが、基盤的な特徴として以下がある。
・主人公は女性。
・若手女優・新人女優の登竜門的存在。
・おおむねハッピーエンド。
・ほとんどが現代劇。

作品名リストを確認すると、どうやら見なくなったのは「澪つくし(昭和60年)」あたりと判明。
タイトル以外記憶にないし、これ以降どの作品についても主演女優や舞台をまともに答えられない。
それ以前も親が見ていた時に横にいたという程度で、マジメに正座して1年間視聴した作品はない。

ぼんやりと記憶にある作品は「虹(昭和45年)」「繭子ひとり(昭和46年)」「鳩子の海(昭和49年)」「雲のじゅうたん(昭和51年)」「マー姉ちゃん(昭和54年)」「おしん(昭和58年)」あたり。
自分の年齢的にはだいたい小中学生の頃の作品だ。

たぶん最もたくさんの回を見たのは「おしん」である。
おしんの息子役が山下真司だったはず。
「おしんのしんは辛抱のしん」という名セリフがあるが、学校では友達と「おしんのしんはタイガー・ジェット・シン」などと言って大笑いしていたなぁ。(くだらねぇ・・)

その「おしん」は関東での年間平均視聴率が歴代最高の52.6%。
それに続くのは「繭子ひとり」の47.4%、「藍より青く」47.3%、「鳩子の海」47.2%といった作品だそうだ。
ここ10年くらいは20%を超えることはあまりなく、「梅ちゃん先生」がかろうじて20.7%を記録している。
今後も「おしん」を超える視聴率を記録することはないだろう。

見なくなった理由はわりと明確で、高校生の頃は「放送時間に家にいなかった」、大学生になると「寝てた」、社会人となってからは再び「家にいなかった」である。
録画して見るという意欲や根性はなく、最近では半年間タイトルすら知らずに終了してた、ということもかなりある。
過去の放送作品一覧表を見ても、タイトルもヒロインも全く知らない作品がいくつも出てくる。
ちなみに今後の予定もすでに決まっており、今年の10月からは杏主演の「ごちそうさん」、来年4月は吉高由里子主演で「花子とアン」だそうだ。

まあそもそもどのドラマもターゲットが男子学生や中年サラリーマンではないだろうし、ワシは50年かかさず見てきましたけどねという男性もあまり多くはいないだろう。
特定のヒロイン女優を鑑賞する目的で見ているという動機はありそうだが・・・

ちなみに自分は実は山口智子の古くからのファンだ。(場内騒然?)
まだモデルをしていたり酒屋に置いてある生ビールの看板になったりしてた頃から応援していて(場内騒然)、誕生日とか青山短大在学とか栃木の旅館の娘とか細かい情報も有名になる前からムダに覚えたものである。(場内引きまくり)
なので連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌(昭和63年)」のヒロインに抜擢された時は「今頃気づいたかNHK!この子はワシが育てたんや」という大錯覚に陥ったものだ。(バカ)
でも番組は全然見なかった。
どうせ見ても山口智子ばかり追ってしまい、ストーリーなんかアタマに入らなかったはずである。
もっと言うと実はその後の「ダブル・キッチン」「ロング・バケーション」など代表的な出演ドラマも全然見ていないのだった。(ホントにファンなのか?)
最近はたまにしかテレビに出ず、出たら出たでなんかイタイ感じの女優さんになってしまったが・・・

というわけで、連続テレビ小説。
とりあえずこれからもあまり見る予定はないんですけど、みなさんは連続テレビ小説って見てますか?
また過去の作品でよく見ていたものなど、教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第184回 スキッド・ロウ

スキッド・ロウは自分の貧弱な洋楽鑑賞歴の中で全くかすりもしなかったバンドである。
1曲も聴いていないのは不思議でもなんでもないのだが、時期的にはどこかで1曲くらい出会っていてもおかしくはない気もしていた。
遠ざけたという感覚も特になく、クラスもクラブも全く違うけど名前だけ知っていてやっぱり話したことはない同窓生のような位置づけである。

いずれにしても聴いてない度は手堅く1。
1曲も知らないし、アルバムのタイトルやジャケットも全然知らない。
知っているのはバンド名とセバスチャン・バックだけ。
そのセバスチャンにしても顔まではっきりとはわからない。
柏村武昭津嘉山正種ウィリアム・ジャクソンも石田豊も小林克也も、スキッド・ロウについては何も教えてくれなかった。

彼らのプロフィールを調べてみた。
スキッド・ロウは1986年、アメリカのニュー・ジャージー州で結成された。
結成当時のメンバーはデイブ・スネイク・セイボ(G)、レイチェル・ボラン(B)、スコッティ・ヒル(G)、ロブ・アフューソ(d)、マット・ファローン(Vo)。
その後ボーカルがセバスチャン・バックに代わり、1989年にデビュー。
ふーん・・・
セバスチャン・バックって結成当時のはえぬきどまんなかメンバーではなかったんだね。
デビューまでにジョン・ボン・ジョビやリッチー・サンボラのサポートを受けていたこともあり、「ボン・ジョビの弟分」というキャッチも付けられていたようだ。
このキャッチはかすかに覚えている。

スキッド・ロウとはどういう意味か?
調べてみたら、そもそもskidとは「木材を滑らせて運搬するための枕木」のことで、さらにその枕木が敷き詰められた道をスキッド・ロード、そんな道がある土地や地区のことをスキッド・ロウと呼ぶそうである。
アメリカのあちこちにあるらしいが、一番有名なのはロサンゼルス内の地区名とのこと。
ダウンタウン中心部に位置するが、貧困層が多く住み、犯罪も多発していてあまり安全な場所ではなさそうである。
で、バンド名のスキッド・ロウの由来がどこの都市にある枕木なのかは不明。
というか枕木由来なのかどうかもわからなかった。

デビューアルバム「Skid Row」は全米6位の大ヒットを記録。
91年に2枚目のアルバム「Slave To The Grind」をリリースし、全米チャート初登場1位を獲得。
これはHM/HR史上初の快挙だそうだ。
98年にセバスチャン・バックがバンドを脱退。
バンドは一時解散状態となるが、2003年にボーカルのジョニー・ソリンジャーが加入し再結成された。
この間セバスチャンは離婚したりハリケーンで自宅が壊滅したりとかなり気の毒な展開に。

バンドは2006年にもアルバムを発表しているが、ファンの間ではセバスチャン待望論が根強い。
わいては消える復帰の噂に、セバスチャン本人も「スキッド・ロウは高校の卒業アルバムみたいなもの」と復帰を否定し続けてきた。
ところが昨年セバスチャンはファンの復帰の可能性の質問に答える形で「メンバー5人のうち4人は(復帰に)賛成している」とツィッターで発言。
これには「あれはセバスチャンの宣伝」と現ボーカルのジョニーが反論した。
結局2013年の今もセバスチャン復帰は実現していない。

どれも全く知らない話だが、どうやらセバスチャン・バックが今も重要な人物であることは間違いなさそうだ。
セバスチャン復帰に4人がホントに賛成してるのかなんとなく疑わしいが、あっさり話がまとまってしまうかもしれない。

89年デビューで大ヒット・・という歴史は、自分にとってはかなり微妙な時期だ。
もちろんこの頃もチャートをMTVなどで多少追ってはいたが、すでにFMによるエアチェックやミュージックライフ購読などからは遠ざかりつつあったため、新しい音楽情報を仕入れる物量も確実に減っていた。
スキッド・ロウの登場がもう3年早かったら、おそらくは1曲くらいは聴いていたんじゃないだろうか。

音楽性としてはボン・ジョビの弟っぽいサウンド・・・なのかはわからないが、カテゴリーとしてはメタル芸人にくくられることが多いようだ。
しかしながら聴きやすいメロディとリズム、適度にハード&メロウといった、ボン・ジョビ風の評価があちこちで見つかる。
それゆえ女性ファンも多く、この点はむしろコアなメタルファンからは「軟弱」と厳しく見られていることもあるようだ。
セバスチャン・バックのボーカルはがなり系だそうだが、バラードも器用に歌いこなす人らしく、曲により声の質をかなり変えて歌っているとのこと。
ということはミーハーな自分にも聴きやすいのだろうか?

ということでスキッド・ロウ。
いいトシして今さらスキッド・ロウでもないかもしれませんけど、もしボン・ジョビに近い音なのであればなんとか聴けそうな希望がわいてきました。(ボン・ジョビもあまりマジメに聴いてませんが・・・)
聴くなら当然セバスチャン在籍時のアルバムからとなるでしょうけど、おすすめのアルバムがあればご指導いただきたいと思います。

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やってない 第24回 囲碁

今日のお題目はかなり渋めの選択ですが、囲碁。
生涯で一度もやったことがありません。
当然ルールは全くわからないし、碁盤とか碁石もさわったことすらない。
将棋もそうだと思うが、子供の頃に始めた人がそのまま続けている、ということが多いのではないかと思う。

やってない理由としては特に強力なものはないが、やはり父親がやっていなかったことは大きいだろう。
父親は将棋や麻雀は教えてくれたが、囲碁はおそらくルールもよくわからなかったレベルだったと思う。
これまでの人生で周囲に囲碁をやる人がいたのかどうか、気にしたこともない。
母方の叔父が確か囲碁もやってたような記憶はかすかにあるが、自分みたいな偏差値の低いクソガキにはムリと判断してたんだろうか、教わったことは全くなかった。
友だちに囲碁をやるヤツがいたという記憶もないし、学校のクラブにも囲碁部はなかった(と思う)。
なお将棋はルールはいちおうわかるが、マジメに取り組んだことは全然ないので、レベルは極めて低い。

囲碁について、生まれて初めて能動的に調べてみた。(ウィキペディアで・・・)
概要としては以下のようなことが書いてある。

・2人のプレイヤーが、碁石と呼ばれる白黒の石を、通常19×19の格子が描かれた碁盤と呼ばれる板へ交互に配置する。
・一度置かれた石は、相手の石に全周を取り囲まれない限り、取り除いたり移動することはできない。
・ゲームの目的は、自分の色の石によって盤面のより広い領域を確保する(囲う)ことである。

うーん・・・これだけでは全然わからないが、要するに碁盤の上で黒白の石を互いに置いたり取ったりして勝敗を争う、ということだね?(雑すぎ)
日本では愛好家は推定200万人。
中国発祥のゲームで、韓国や台湾でも盛んらしい。
なお90年代末から少年ジャンプに連載された「ヒカルの碁」という漫画が人気を呼び、当時の子供たちの間で碁がブームになったこともあるそうだ。

プロ棋士が争うタイトルもいろいろあり、主催者と優勝賞金がそれぞれ異なっている。
棋聖  読売新聞社   4500万円
名人  朝日新聞社   3700万円
本因坊 毎日新聞社   3200万円
天元  新聞3社連合   1400万円
王座  日本経済新聞社 1400万円
碁聖  新聞囲碁連盟  800万円
十段  産経新聞社   750万円

げぇー知らなかった・・・囲碁のタイトルって優勝するとこんなにもらえるの??(下世話)
で、「棋聖」「名人」「本因坊」が「三大タイトル」と呼ばれ、七番勝負で争われるのだが、この3つを一人の棋士が同時に保持することを「大三冠」と言う。
じゃあ7つ全部同時にとったら「大七冠」だよな・・と思ったら、それは「グランドスラム」だそうです。(なぜそこは英語?)
これまで「グランドスラム」達成者は趙治勲、張栩、井山裕太の3人だけ。
しかも趙治勲が87年に達成した後、張栩が2010年に達成するまで20年以上かかっている。(井山がグランドスラムを達成したのは今年の3月)
いかに「グランドスラム」達成が難しいかがわかるという話。
ちなみに趙治勲は自分が名前を知っている唯一の棋士なのだが、上記のタイトルを通算42回も獲得している偉人である。
どうしてそんな話になったのか全然覚えていないが、本因坊を獲得した時になぜか学校で話題になったのだった。

さて一般人が実際に碁を打つ場所として碁会所という施設?が全国各地にあり、席料を払って碁を打ったり教わったりすることができる。
昔近所に碁会所があったような気もするが、「碁」という看板が出ていたことしか覚えておらず、いつの間にかなくなっていた。
席料は場所によって様々なのは雀荘と同じ。(比較にムリがあるけど)
ネットで碁会所の案内ページを見てみると、500円から1000円前後のところが多いようである。
格式高い碁会所になるともっと高いんだろうね。
あのーすいません、碁会所ってのは出前取ったりタバコを買ったりはできるんでしょうか?
というかそもそも碁を打ちながら物を食うって行為はアリなのか?
・・・と思ったら、ある碁会所のサイトには「喫茶・軽食など豊富なメニュー取りそろえております」などと書いてあるので、飲食厳禁というようなものではないみたいです。
あと夜中に営業してて警察から電話かかってきて店長が始末書書かされたりとかあるんですかね?(質問が下品)

若い競技者の中には囲碁をスーパーファミコンで覚えた、なんて人も多いらしい。
21世紀の今では将棋や麻雀と同様に、囲碁もネット上で対戦ができる。
碁会所に行かずにネットで学んで強くなる、というコースもあるのだろうか。
コンピューターと対戦できる囲碁ソフトももちろんあるが、将棋と違ってパターンが多く複雑なゲームのため、まだトップの人間に勝てるようなレベルにはないらしい。
また将棋には「大道将棋」という文化?があるが、まさか大道囲碁はないやろと思ったらそうでもないようだ。
全国津々浦々・・というほどではないが、商店街のイベントとしての企画で実施されてるところもあるらしい。

調べてみて初めて気がついたのは、囲碁を語源とする言い回しや慣用句が多いことだ。
「岡目八目」なんてのは囲碁から来てる言葉だとは知っていたが、「駄目押し」「八百長」「死活問題」「結局」などもそうだったんスね。
将棋から来ていると思われる言葉も「高飛車」「成金」などがあるが、一般に通用している語句の数は囲碁が語源のほうが多いようだ。
昔はそれだけ囲碁が多くの人々にとって身近なものだったということだろうか?
また麻雀の話ですいませんけど、麻雀から来てる言葉は「チョンボ」「安牌」「テンパってる」などなんか下品なものが多いですね・・・
10年くらい前、会社で若い女性アルバイトが電話を取り次ぐ時に「なんかテンパってる人から電話です」と言っていて驚いたことがあったなぁ。

というわけで、囲碁。
調べてみていろいろ勉強にはなったんですけど、「じゃあ始めてみようか」というような意欲まではわいてこないのが実情です。
まあこのトシで今から高度な頭脳ゲームを始めてどうすんねん的な話ではあるんですけど・・・
みなさん、囲碁ってやりますか?
戦績や名勝負?など、囲碁にまつわるお話など教えていただけたらと思います。

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聴いてみた 第106回 ディープ・パープル その7

東洋で二番目くらいにダサイあたしのBLOG。
その中の「聴いてみた」シリーズにおいて、ここ2~3年はストーンズジェフ・ベックレインボーなんかを学習することが多く、ふと気づけばパープルはすっかり放置状態。
もう有名なアルバムはだいたい聴いたよなという思い上がりなスタンスでいたのだが、実は第2期の作品でまだ聴いていないものが残っていた。
「紫の肖像」である。

Syouzou

「紫の肖像」は原題が「Who Do We Think We Are」という73年のアルバム。
メンバーは世界の御大リッチー・ブラックモア、代表取締役兼鍵盤執行役員ジョン・ロード、放浪の宿敵イアン・ギラン、サウンド編集の鬼ロジャー・グローバー、経済評論家ドラマーのイアン・ペイス。
リッチーとギランの仲が最悪な状態となり、リッチーのギランに対する「オレはオマエのかませ犬じゃない!」という歴史的発言と、ギランの「こんな会社やめてやる!」と叫んで雪の札幌をさまよった事件に象徴される第2期最後のアルバムである。(全部適当)

このアルバムについて、実は自分の認識もかなり適当だった。
第2期と言えばパープル黄金期名勝負数え歌ひとり民族大移動時代であり、多くのヒット曲はこの時期に生み出されている。
またアルバムでは「Machine Head」「Fireball」「In Rock」はタイトルもジャケットもすぐに思い浮かぶのだが、この「紫の肖像」は「そういやこれもあったんだっけ」程度のレベルでしか記憶していない。
やはり第2期作品は全盤聴き倒さねば真のパープル者とは言えないのだ。
なぜか突然マジメにそう考えたあたしは、ストーンズの「It's Only Rock'n Roll」とともにユニオンで「紫の肖像」を800円で購入。

パープル学習をさぼってた間にジョン・ロードは亡くなってしまった。
ささやかながらジョン追悼の念もこめて「紫の肖像」を聴くことにする。(遅い)

・・・・・聴いてみた。

1.Woman From Tokyo
ご存じ「オレの彼女は東京出身」。
どっちかっつうとカッコイイというより垢抜けないというかダサめのメロディなのだが、それでも聴いてると楽しくなるから不思議だ。
パープルのヒット曲ってどれもそうだけど。
東京で女を引っかけた実話が元になっている・・・ということでもなく、ギランは「別に東京でもモスクワでも同じだろ」と言ったとか。
日本では大ヒットかと思いきやそうでもなく、メンバーにもそれほど思い入れがあったわけでもなさそうで、なんとなく事務所の熱意が空回りしたような曲になってしまった感じ。

2.Mary Long
こっちのほうがパープルの王道サウンドだと思う。
リッチーのギターは少しカタイ気もするが、ジョンのびりびりキーボードとの対決姿勢もわりと明確で良い。
終盤テンポがスローダウンするが、この演出はなくてもいいかなぁ。

3.Super Trouper
ゆがんでくもった変な音。
ちなみに同名の曲はアバにもある。
意味は「特別な役者」「頼りになる仲間」、または「スポットライト」ということらしいけど、この曲の場合はどれ?
訳詞を見ても「スーパー・トゥルーパー」としか書いてないんですけど・・・

4.Smooth Dancer
アップテンポでファンクなナンバー。
後のレインボーの路線がこんな感じだ。
リッチーのギターよりもジョンのキーボードが前に出ているからだろうか。

5.Rat Bat Blue
お得意の疾走感に満ちたロックなのだが、少しリズムにクセがあり、各パートの急ぎ方に多少差があるように聞こえる。
思ったより難しい曲だ。
中盤のジョンのキーボードも変な音がする。

6.Place In Line
一転どっぷりのったりの重いブルース。
パープルにしては珍しい入り方だと思う。。
中盤以降はリズムも持ち直し、リッチーとジョンの長いソロもある。
ギランがいろんなキーで歌うので別人のように聞こえたりする。
この人の声をテープの回転数を少しだけ落として聴くとデイヴ・リー・ロスになる。
全体としてはいまひとつまとまりに欠ける。

7.Our Lady
ラストは壮大なイメージの大げさな曲。
土台にバラードがあり、それをサイケやプログレ風にアレンジしているようなサウンド。
あまりパープルに似合っているとは思えないが、意外に悪くはない。
アルバムの最後を飾るにふさわしい曲である。

印象としてはやはり今ひとつ力強さが足りない。
リッチーの見せ場(聴かせ場)が思ったよりも少ないからだ。
「その代わりジョンが大活躍だよ!」というご意見もあろうが、やはりリッチーあってのパープルであることは否定のしようがない。
トータル35分弱の中で、「Woman From Tokyo」だけ華やかで、他は悪くはないがあまり脳内にも残らない。
他の2期作品に比べると残念ながら物足りない・・・というのが率直な感想である。

確かにジョンのアーティスティックなシンセやキーボードは、バンドの音楽性に多面的な彩りをもたらしたかもしれないが、リッチーのギターとギランのシャウトとのガチなドツキ合いが少ない分、魅力も薄まってしまったような感じなのだ。

ロックバンドにおいて、メンバー間の不和と作品の質は必ずしも整合するわけではない。
むしろ仲が悪い状態でも後世に残る名盤が生まれた事例はたくさんある。
「紫の肖像」は72年から録音が始まっていたらしいが、リッチーも今ひとつテンションが上がらず、メンバー間の意志疎通が不足したままアルバム制作は進行。
ただ同時期に発売された「Live In Japan」は初来日公演の伝説的な名盤とされており、この影響もあって「紫の肖像」もチャート的には好成績を残している。

「紫の肖像」が発表された直後、リッチーはジョンに脱退をほのめかす。
ジョンは脱退を引き留めるためリッチーを説得したが、これに対するリッチーの提案は「だったらギランとロジャーを追い出せ」だったそうだ・・・

73年の2度目の来日公演ではギランはもう脱退を決意しており、他のメンバーにもやる気のなさが伝染し、6月25日の日本武道館公演ではアンコールもやらず、観客が暴動を起こすという新日本プロレスっぽい騒動に発展。
結局リッチーのギラン問責決議案が通り、ギランとロジャーは離党。
パープルはデビカバとグレン・ヒューズを迎えて第3期に入る。(楽しい・・)
ちなみに昨年ジョン・ロードが亡くなった直後、カバはキャンディス・ナイトを通じて何十年かぶりにリッチーと連絡を取り合い、交流が復活したそうだ。
パープル再結成の話は全く出なかったらしいけど。

第2期から6期?あたりまでのパープルのアルバムをいろいろ聴いてみたのだが、自分なりの失礼な結論としてはっきりしたのは「申し訳ないけどレインボーのほうがずうっと楽しい」ことだ。
そもそもギランのボーカルがそれほど好みでもない、という時点でパープルのリスナーとして致命的なんだが、こればかりは個人の感覚なので「クソド素人が何をほざいてやがる」と言われても変更のしようがない。
レインボーはボーカルが誰であろうと全部のアルバムが聴きどころ満載で、リッチーのプレイも楽曲の華やかさもパープルよりは上回っていると思う。

というわけで、「紫の肖像」。
残念ながら物足りなさが残る結果となりました。
今さらだけど、パープルというバンドを自分は思っていた以上に曲単位で評価していたんだと気づいた。
この点はツェッペリンともレインボーとも明確に違うのだが、理由はよくわからない。
聴いてないパープルのアルバムはまだ残っているが、正直学習意欲はもうほとんどない。
第3期「Stormbringer(嵐の使者)」、第7期「The Battle Rages On(紫の聖戦)」あたりは気にはなるけど。
聴いてないのに言うのもナンだが、どれも第2期を超える内容だとも思えないし・・・
バンドのモメごとをなぞるのは相変わらず楽しくてしかたがないのですが。
なので次の未聴アルバム鑑賞は当面行わないと思います。

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聴いてみた 第105回 ローリング・ストーンズ その11

とうとうアルバム鑑賞枚数も二桁めに突入したストーンズ
しかし何枚聴いても「いやあオレも詳しくなったもんだ」感がやって来ず、相変わらず資産運用を外資系証券会社のチャラい担当者に任せっぱなしのヘタクソ素人投資家みたいな感覚で聴いている。(伝わらない)
それほど好みの音楽とも言えないこともだいたいわかってしまったんだが、意外にもまだ学習意欲は衰えないようだ。
自分にこんな向学心や向上心が残っていたとは驚きである。
そういう意欲はもう少し若い頃にお勉強やお仕事に向けて欲しかったとおじさんは思うなぁ。(腕組み)
でもいったい自分はストーンズに何を求めているのだろうか。(知らねーよ)

そんなデタラメなストーンズ株式投資必勝セミナーで見つけた次の講義は「It's Only Rock'n Roll」。
74年の作品で、ミック・テイラーが在籍した最後のアルバムである。
順序で言うと「山羊の頭のスープ」の次で、「ブラック・アンド・ブルー」の前となる。

Itsonlyrocknroll

バンドの状況は決していいとは言えず、プロデューサーのジミー・ミラーは解雇され、キースは麻薬から抜け出せず、ミック・テイラーはバンド内の自分の立ち位置を決めかねていた、そんな状態だったらしい。
まああまりマトモな状況が多くない人たちであるような気もするが、60年代にすでに人気と音楽性を確立させたストーンズは、多様化が進む70年代の音楽界に対して、暗中模索で試行錯誤な感じだったようだ。
そこで出したひとつの結論が、「It's Only Rock'n Roll」だった。

方向性としてはタイトルどおりロック色を前面に出した直球な内容で、また「It's Only Rock'n Roll」という題名は、フェイセズのドラマーのケニー・ジョーンズとミック・ジャガーの口論から生まれたという話。
ミックにしてみれば「うるせえなケニー!いいんだよオレはこういうの好きなの!」ってなところだったんでしょうか。

自分としてはどっちかっつうとブルースやソウル路線よりはロックで押してくれたほうがありがたいストーンズ。
果たしてあたしはグリマー・ツインズのロック路線に投資して日経平均株価を超える運用をすることができるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.If You Can't Rock Me
スタートはいかにもストーンズらしいサウンド。
ハデな曲だが、思いの外ベースラインが目立つ。
あまりハモっていないボーカルやノリの部分が、後のエアロスミスなどに受け継がれている気がする。

2.Ain't Too Proud To Beg
引き続きノリのいい曲。
これもベースの音がよく聞こえる。
途中のギターはカキカキしてやや濁った音だが、全体としてはピアノがある分サウンドが締まった感じがする。

3.It's Only Rock'n Roll(But I Like It)
アルバムタイトルにもなっている名曲。
ベスト盤ですでに聴いていたので、あまり発見はないが、ガヤっぽいノリは好みかと言われると相変わらず微妙。
だいぶ慣れてきましたけど。
アルバムのほとんどの曲がジャガー&リチャードの作品となっているが、この曲は作詞がミック・ジャガーで作曲はロン・ウッドだそうだ。
元はロンのソロ作品用セッションでミックとロンが共作したもので、ドラムはケニー・ジョーンズ。
チャーリー・ワッツとビル・ワイマンは参加していない。
えっそうなの?
権利関係でロンともめたりしなかったんだろうか?

4.Till The Next Goodbye
一転アコースティックなカントリー調のバラード。
実はミック・ジャガーはバラードになると全然歌うまくないんだけど、こういう展開の演出がやはり効くよなぁ。
この曲はラストでも良かったと思う。

5.Time Waits For No One
悲しい調べだがあちこちに80年代を予感させるような華やかな装飾がある。
猥雑で野蛮なストーンズのイメージとはやや異なる。
後半はボーカルが途絶えジャズのような展開。
長く鳴り続ける南国っぽいミック・テイラーのギター。

6.Luxury(快楽の奴隷)
これもどこかストーンズらしくないような不思議な曲。
雰囲気は前の曲に近く、これもなんとなく80年代を思わせる。
キースのレゲエ志向が反映された曲のようだが、発表当時は新境地と評価されたらしい。
歌詞は邦題のイメージとは異なり、家族や会社のために働くヤケクソかつ誇り高き男の歌である。
日本のサラリーマンの大半が共感するところだろう。

7.Dance Little Sister
この曲もベスト盤で聴いている。
教科書どおりのストーンズ楽曲。
ドラムがバラエティに富んだ拍でかなりいい。

8.If You Really Want To Be My Friend
壮大なバラードが再び登場。
ピアノとオルガンの異なるキーボードサウンドで広がりを持たせ、コーラスとの掛け合いもソウルやゴスペルのようで立体的な構成になっている。
うーん・・これもラストに持ってきてもいい曲だ。

9.Short And Curlies
コミカルではねるようなテンポのいい曲だが、意外にいろいろな音がする。
後のクイーンを思わせるような、ゴージャスなイメージだ。

10.Fingerprint File
ラストはディスコくさいダンサボーなリズムに、ギターがキツくカッティングしてくるかっこいいサウンド。
エンディングは徐々に楽器が鳴りやんでいき、ベースラインに短いシャウトで終わる。
このベースはミック・テイラーが弾いているとのこと。

いろいろな曲があるが、どれも楽曲として完成度が高く、聴き応えのあるアルバムである。
それに大きく貢献しているのがミック・テイラーの存在である、というのが定説。
残念ながらミック・テイラーはこのアルバムを最後にストーンズをやめてしまう。
貢献度のわりに世間のテイラーに対する評価の低さや、グループ内での意見の通りにくさなんかが積み重なっての脱退行動らしい。
ただし解雇や決裂といった深刻な分離ではなく、脱退後もキースやストーンズの活動にはテイラーも協力的だったらしい。
ジャック・ブルースと行動を共にするための脱退という話もあったようだが、新バンド結成などには至っていない。

「Time Waits For No One」については曲のほとんどをミック・テイラーが作ったのだが、クレジットはされていない。
やはりミック・ジャガーとキース・リチャーズという特殊な人たちといっしょにやっていくには、相当過酷なハードルがたくさんあったのだろうか。
年齢もミック・テイラーはグリマーの2人より5歳くらい年下だし、後輩芸人としてのストレスも多かったに違いない・・・(知り合いかよ)
テイラーさんの本音のところはどうなのか聞いてみたいですけど。

前述のとおりこの後バンドのメンバーとして参加するロン・ウッドとの交流も、このアルバムを作る過程ですでに始まっている。
ロンのソロアルバムにキースやミック・テイラーが参加したり、ロンが作り始めた曲がいつの間にかストーンズのアルバムに収録されたりという感じで、徐々につながりは強固なものになっていったようだ。
でもロン・ウッドとしては、自分が作った曲がいつの間にかストーンズのアルバムタイトルにもなるような扱いで取り込まれたことについては、どういう心境だったのだろうか?

いずれにしてもサウンドはソリッドで締まった雰囲気があり、飽きの来ない構成になっていると思う。
トータルなインパクトはそれほど強くない気もするが、全体としては聴きやすく悪くない。
他のアルバムと具体的にどう違うのか的確に言えないのだが、「山羊の頭のスープ」「Black And Blue」よりも好みには合っている。
好みのレベルとしては前回聴いた「Beggars Banquet」と同じくらいだ。
うまく表現できないが、こういった実直にロックするストーンズはわりと素直に聴けるようだ。

ジャケットはCDだと少しわかりにくいが、メンバーが劇場の階段を下りてきて、周りの古代のような装いの人たちが大喝采・・という、宗教画風イラスト。
最近の携帯電話のCMみたいな絵だが、ストーンズにしては珍しいタイプのジャケットではないだろうか。

というわけで、「It's Only Rock'n Roll」。
まだどのアルバムも特徴を把握できたわけではありませんけど、ここまで聴いたストーンズのアルバムの中ではかなり良かったと思います。
全盤制覇などといった野望も特にありませんが、残っている未聴盤のうち「Sticky Fingers」「メイン・ストリートのならず者」は聴いておきたいと考えています。

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