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聴いてない 第183回 ミッドナイト・オイル

シドニーオリンピックが13年前と気づいて愕然としている初老ブロガーのSYUNJIです。
なんか高橋尚子がサングラス投げ捨てたのなんてついこないだみたいに思ってたんですけど、あれから13年も経ってるんですね・・・

そんなじじいの昔話で始まる本日のお題はミッドナイト・オイル。
毎度のことながら聴いてないことには自信があるが、実はアルバムを1枚聴いたことはある。
しかも中古ではあるが本国オーストラリアのCD店で購入したのだった。

洋楽(死語)が好きなくせに英語は話せないという偏差値の低い自分はあまり海外に出ないほうだが、出た時には土産にCDを買うことにしてきた。
イギリスではビートルズの「サージェント・ペパーズ」、カナダではブライアン・アダムスのベスト盤を買ってきた。
香港に行った時はまだ返還前だったので、ムリヤリ「イギリス領だし!」とこじつけてフィル・コリンズの「But Seriously」をヤケクソ気味に購入。
で、オーストラリアに行った時は、当時流行っていたミッドナイト・オイルを買ったのだった。
なぜあの時エア・サプライにしなかったのか、今でもマジメに悔やまれるところだ。

従ってミッドナイト・オイル、聴いてない度は珍しく4。
でも残念ながらそのCDは手放してしまったので、記憶に残っている曲は「Beds Are Burning」くらいしかない。
正直、他の曲は好みからはかなり遠かったのだった。

ミッドナイト・オイルについて調べてみたが、頼りのウィキペディアは記述内容がずいぶん淡泊である。
なんとか他のサイトも参照してかき集めた情報は以下のとおり。

ミッドナイト・オイルはオーストラリアのシドニーで76年に結成。(72年結成と書いてあるサイトもあり)
そうだったんだ・・・
80年代半ばくらいに登場したバンドなのかと思っていた。

ボーカルのピーター・ギャレットを中心に活動を開始し、環境問題や核兵器廃絶などに関するメッセージを歌う社会派バンドとして実績を積んできた。
独立志向の強いバンドで、レーベルもブッキング・エージェントも自前で設立。
1983年のアルバム「Red Sails in theSunset」は日本でレコーディングされ、88年のアルバム「Diesel and Dust」はCDのインデックスに再生紙を使うなどで話題を呼んだ。
このアルバム収録の「Beds Are Burning」は先住民族アボリジニについて歌った曲で、本国オーストラリアで6位・全英6位・全米17位を獲得している。
ということは、結成から「Beds Are Burning」の大ヒットまで、結構な時間がかかっていることになる。

90年にはタンカーの石油流出事故を起こしたニューヨークのエクソン社前にトラックで乗り付け、エクソン社を批判するゲリラライブを敢行。
2000年のシドニーオリンピック閉会式では「Sorry」と書かれたシャツを着て「Beds Are Burning」を歌った。

2002年にバンドは解散。
その後ピーター・ギャレットは政治家に転身、2007年にオーストラリア芸術・環境大臣に就任した。
バンドはその後も地震や森林火災などの天災による被災者の救援コンサートで時々再結成されている。
2009年には、国連気候変動コペンハーゲン会議向けに「Beds Are Burning」の環境保護ヴァージョンを作り、多くのアーチストが賛同しレコーディングに参加したそうだ。
・・・やはり大半の情報が初めて知る内容である。
ピーター以外のメンバーは名前も全然知らない。

80年代末期に「Beds Are Burning」がヒットしていたので、バンド名を知ったのもその頃である。
当時の雑誌やテレビでも社会派バンドであることは報じていて、行動原理にU2に共通するものを感じていた。
で、90年にCDをシドニーにて購入し、日本に持ち帰って聴いてみたのだが・・・結果は思わしくなく、あまり聴くこともなく処分。

ピーター・ギャレットが政治家になる前から反捕鯨の立場をとっていたことは知ってはいた。
環境問題はどれもそうだと思うが、立場や見方によって意見は全く異なるのが難しいところだ。
日本人は長く捕鯨を行ってきた民族でもあり、外国の反捕鯨団体の過激な行動や主張にはどうも共感できない、というのが多くの日本人が持つ感覚ではないだろうか。
自分が子供の頃は鯨肉なんてふつうに食えていたし、むしろ学校給食にも出てくるような安めの食材だったと思う。
我が家では父親だけ牛肉を食い、自分と姉は鯨肉なんていうメニューはしょっちゅうだった。
それが80年代頃からあまり食卓にも上らなくなり、今ではもう何年も口にしていない状態である。
ムリに食いたいほうでもないが、日本の捕鯨がそんなに良くないことだったのか、今もよくわからない。

2000年のシドニーオリンピック開会式に登場した時のピーター・ギャレットの姿はよく覚えている。
背の高いスキンヘッドのおっさんが「Beds Are Burning」を歌っており、「このバンドまだ続いていたんだ・・」と感じたものだ。

ピーター・ギャレットはあまり歌はうまいと思えないし、聴いた範囲では楽曲もパンクやブルースっぽい粗野な香りに満ちたもので、それほど楽しい雰囲気ではないという記憶だけ残っている。
環境問題という人類の差し迫った重要な課題を歌ってんだから楽しいはずないやんけというのはあるかもしれないけど、楽器やコーラスで美しい調和を奏でる・・という感じのバンドではないと思う。
なじめなかった理由はこれしかない。
やはりミーハーな自分にはエア・サプライのほうが断然合っていたのだ。

というわけで、ミッドナイト・オイル。
残念ながら一度敗退してる形ですが、他のアルバムもやはり同じような雰囲気なのでしょうか?
みなさまの鑑賞履歴を教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第182回 アヴリル・ラヴィーン

場末の三流中年ブロガー(死語)のSYUNJIです。
今日はいきなり結論ですが、聴いてません、アヴリル・ラヴィーン。
そもそもこんな若い女性の歌を聴けるような歳でもないので当然かもしれませんが・・・

そのアヴリル・ラヴィーン。
存在自体はデビュー当時の10年以上前から知ってはいた。
最初に聴いたのが「Complicated」、次が「Girlfriend」だと思う。
他にもタイトルは知らないが聴いたことがある曲はいくつかあるような気がする。

こんな極東の中年おっさんが知ってるくらいだから、知名度は世界規模である。
たぶんMTVか何かのミュージック・ビデオを見ていて、印象的なメロディがアタマに残っていたのだろう。
その番組で「カナダからティーンの大型新人登場」みたいな紹介もしていたので、カナダ出身であることは知っていた。
その後図書館で借りたNOW系のオムニバスCDにも収録されていたような気もするが、定かではない。
若い頃はどの曲をどんなソースから最初に仕入れたかをムダに記憶していたもんだが(まあ大半は柏村武昭だけど)、歳とともにそんなことはどうでもよくなってしまった。

ということであらためてマジメにアヴリル・ラヴィーンの経歴を調べてみよう。

アヴリル・ラヴィーンは1984年カナダのオンタリオ州で生まれた。
従ってえなりかずきとは同い年である。(←今年一番のいらない情報)
苗字のラヴィーンとは「ぶどう園」を意味するらしい。
日本人だったら「葡萄園早苗」みたいな名前なんだろうか。
カナダでも珍しい名のような気もしますが・・

そんなぶどう園少女早苗ことアヴリル・ラヴィーンは、デビュー前の14歳の時にすでにシャナイア・トゥエインのコンサートツアーに参加し、ステージで歌ったりしたこともあったようだ。
2002年、16歳でデビューし、アルバム「Let Go」を発表。
このアルバムはアメリカでは2位、イギリスやオーストラリアや本国カナダでは1位を獲得している。
続いて2枚目の「Under My Skin」が2004年リリースされ、日本を含む世界各国で1位となった。

また女優として映画にも出演したり、オリンピック開会式でカナダ代表として歌うなど、活動の幅を広げた。
2007年には来日して小さな会場でライブも行っている。
以降は毎年のように来日し、日本のテレビ番組で歌を披露したりしている。
このあたりのマメな日本でのプロモ活動が、自分のようなおっさんにまで名前を覚えてもらえることにつながっているように思う。
確か「笑っていいとも!」にも出たことがあるような気がします。

私生活では2005年に20歳で「SUM41」というバンドのボーカルであるデリック・ウィブリーと結婚。
しかし2010年に離婚し、その後タレントのブロディ・ジェナーと交際したが破局。
2012年に今度はロックバンド「ニッケルバック」のチャド・クルーガーと婚約という、それなりに波のある人生のようだ。

聴いてないので音楽性について何も語れないのだが、ジャンルとしてはアヴリル・ラヴィーン本人はポップ・ロックに該当すると主張しているようだ。
最初に聴いた「Complicated」は、メロディはなかなか味わい深く、どこかカントリーの香りもするような気がした。
ただ歌詞の内容はわりと神経質でメロディほど楽しい印象ではない。
「Girlfriend」はもっとパンクで元気のいい曲である。

今年発表した新曲「Here's To Never Growing Up」は、チャドとの共作。
歌詞には「レディオヘッドの歌を大声で歌う」というフレーズが繰り返し出てくる。
オトナになりきれない愛すべきバカな人々を讃えるという内容らしい。
レディオヘッドはそういう人々が聴くような音楽という位置づけなんだろうか?

またアヴリルはキティちゃんが大好きで、キティについて日本語で歌った曲を発表する予定もあるらしい。
うーん・・・キティちゃんが好きなのは構わないが、日本語でそんな歌を歌うとたぶんかなり脱力なことになるんじゃないかと思うのだが・・・
ちなみにアヴリル・ラヴィーンの曲を、日本のアーチストが歌ったコンピレーションアルバムもあるそうだ。
「Complicated」はmisonoが歌っているとのこと。

小柄で活発なイメージのアヴリル・ラヴィーンだが、デビュー当時からアイメイクはかなり特徴的で、すでに彫りの深い顔立ちなんだからそこまでいらんやろと思うほど濃い時もあって、しかも最新のプロモ・ビデオではそれが一段と加速している感じがする。
あーいうメイクはむしろレディー・ガガみたいなキャラの芸能人がするもんではないのか?
まあエンターテインメントの世界に生きる人だし、本人が気に入っているなら構わないんですけど、極東の中年としてはもうちょっと考えた方がええんちゃう・・・?と余計なお世話クソじじいコメントを思い浮かべたりしました。

というわけで、アヴリル・ラヴィーン。
ムリして聴くと若い人たちから「おっさんマジキモイんですけど」とケツ上げで言われそうな気もしますが、おすすめのアルバムがあれば教えていただけたらと思います。
ただし聴くとしたらこっそり聴いてみたいと思いますので、「聴いてみたシリーズ」でも報告しないつもりです・・・(勝手にしろよ)

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行ってみた 第37回 潮来・鹿島・佐原

関東甲信越徘徊目眩小食芸人のSYUNJIです。
カネもないのに今年も性懲りもなく連休に出かけることにしました。
今回の行き先候補には静岡・掛川方面もあったのですが、やはり東名の渋滞は相当キツイものがあると判断し、千葉・茨城方面を選択。

4日の朝、クルマでムダに朝早く家を出発。
都心環状線は混雑していましたが、わりと早めに東関東道に出られました。
まず最初に水郷佐原水生植物園に行ってみました。

Syokubutuen1

Syokubutuen2

あやめは咲いていましたが、かきつばた・花しょうぶには早すぎるという状態。
それぞれの違いもよくわからず来てしまいましたが、雑に言うと畑のような乾燥土に植えられて咲くのがあやめ、湿地や水田のように水辺に咲くのがかきつばた、その中間あたりに位置する(どっちでも咲く)のが花しょうぶだそうです。

かきつばた・花しょうぶがまだ咲いていないので、全体的にはやや地味で物足りない時期です。
ちなみに菖蒲湯に入れるしょうぶはサトイモ科で、花しょうぶとは全然別の植物とのことです。
あっそう・・・全然知らなかった・・・
ということは、葛飾の堀切菖蒲園に咲いてるのは花しょうぶなので、正確には「堀切花菖蒲園」ですかね。(適当)

Syokubutuen3

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藤は見頃でした。
これもこの歳になるまで全然知りませんでしたが(植物全般にうとい)、藤にも八重咲きのものがあるようです。
長さはふつう(一重)の花より短めですが、ボリュームがあってゴージャスに見えます。
園内のあちこちでカエルが鳴いていました。

Itako1

この後潮来の中心地へ移動。
潮来は初めて来る場所です。
橋幸夫の「潮来笠」という歌で有名ですけど、この歌も出だしのところしか実は知りません。
(ぼんちおさむのモノマネで覚えたクチ)

潮来には水路にかかる十二の橋があり、舟からその橋をながめるというアトラクションが人気、という話らしいので舟に乗ってみました。
ただしこの日はそもそもの人出が少なく、舟に乗る観光客もそれほど多くはないようでした。

Itako2

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当たり前ですが橋も都市化のため鉄製やコンクリート製のものが多く、形もそれほど印象的ではありません。
舟によっては船頭さんがマイクで橋の由来や町の歴史などを語りながら進むようですが、自分が乗った舟では船頭さんはところどころ橋の名前を告げる程度で、復路はほぼ沈黙していました。
笑えないダジャレなんかをカマされるよりは静かでありがたかったですけど、観光乗り物としては少々地味な感じです。
桜の季節や花嫁を乗せるイベントの時はもう少し盛り上がるんでしょうかね?

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舟を下りて町の中を散策。
潮来にはあやめ園がいくつかありますが、やはり早咲きのあやめしか咲いておらず風景としてはインパクトがもうひとつ。
あやめまつりは6月1日からだそうです。

昼になったので、潮来駅前の「とん平」というとんかつ屋に入りました。
名前も構えもよくある地方のとんかつ屋といった趣です。

Tonpei1

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しかし。
このとんかつは非常にうまかったです。
ごくふつうのとんかつなのですが、揚げ加減や柔らかさが絶妙。
量も小食の自分にはやや多いレベルでしたが、食った後もたれたりすることもありませんでした。
肉と油がきっといいんでしょうね。
最近あまりとんかつなんて食べないせいかもしれませんが、この店で食べることができて幸運でした。

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続いて鹿島神宮へ。
大きな神社で、参道は新緑が繁っていて荘厳な雰囲気です。

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境内には鹿がいますが、奈良公園のような放し飼いではなく、囲いの中にいる動物園形式です。
池にオタマジャクシが大量発生していました。

この後雲井岬つつじ公園に行ってみました。

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岬と名がついていますが、海には面していません。
高台からはるか下に広がる水田を見ることができるため、岬と呼ばれるようです。
ここからの眺めは確かになかなか見られない絶景。
送電線の鉄塔がなければもっといい風景だと思います。

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つつじの木はそれほど多くありませんし、周辺に見所もないので観光客は全然いませんでした。
地元の人たちの憩いの場という風情です。

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この日の宿は成田空港そばの東横インです。
潮来や佐原は宿そのものが少なく、すでに連休も後半の土曜なので、これから海外に行くというような人はそう多くないやろと考えて成田空港周辺のホテルを検索したのです。
予想どおり空港周辺のホテルはどこも空室がありました。

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Hotel3

さらに。
この東横イン、むやみに安いです。
安宿は日本中にたくさんあると思いますが、安さに比例して部屋のレベルもサービスの質も落ちるのが当然です。
しかしこの東横インは部屋もやけに広く、朝食は無料、Wi-Fiも無料で使用可、空港までの送迎も無料です。
こんだけのサービスがあって連休中の土曜1泊が9000円弱。
1人分ではなく1室(2名)で9000円です。
予約サイトのポイントも使いましたので、ほぼ8000円となりました。
連休中のツインで1部屋8000円は相当安いんじゃないでしょうか。
倍の値段取られてもおかしくないと思います。

というわけでホテルの送迎バスで久しぶりに成田空港に行ってみました。
しばらく海外にも出ておらず、成田空港も16年ぶりくらいです。

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帰国ラッシュにはまだ早く、空港内は特に混雑もしていません。
羽田や新千歳やセントレアといった最新の空港ほどのハデさはなく、日本を代表する国際空港にしては少し地味に思えるほどでした。
自分は空港も飛行機もかなり好きな中年なので、空港については少しスレているのかもしれません。(いまいち意味不明)

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で、空港内でお茶漬けを食って帰るというさらに地味な展開に。
でもこのお茶漬け「えん」は渋谷や新丸ビルや六本木ヒルズなどにも店があって、どれも実にうまいです。

翌日は佐原に行きました。
川越や栃木のように古い町並みが残る場所です。

Sawara1

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伊能忠敬記念館を見学。
クルマも新幹線もGoogleも回転寿司もない時代に、実踏実測で全国地図を作る偉業を成し遂げたとんでもない人です。
忠敬の出身地佐原では、没後200年にあたる2018年に忠敬の大河ドラマ放送実現に向けて運動を展開しているそうです。
確かに大河ドラマになってもおかしくない偉人ですね。
最近かなりネタ枯れっぽい大河ドラマですけど、あたしも伊能忠敬だったらマジメに見ると思います。

Sawara3

Sawara4

今回の旅で以前にも来たことがあったのはこの佐原だけです。
しかも仕事で20年くらい前に一度来ただけなので、記憶はほとんど残っていません。
佐原も水路を舟で案内する町です。

Sawara5

町の中心部にある「いなえ」という店でうどんを食べました。
昨年できた店のようで、甘味喫茶ですがうどんやしぐれ煮丼なども食べられます。
ギャラリーやショップも隣接していました。
食べ終わって気づいたのですが、佐原の町は人出に対して飲食店がやや少ないようで、昼時にはあちこちの店で行列ができていました。

Katori1

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Katori3

佐原の町からクルマで5分くらいの香取神宮に行ってみました。
鹿島神宮と神栖市の息栖神社と香取神宮で「東国三社」だそうです。
香取神宮は鹿島神宮よりも参道の店が多く、やや大衆的な印象です。

最後に成田山新勝寺をたずねました。
今回の旅で一番人出が多かったのがこの新勝寺でした。
初詣の参拝客数ランキングで必ず上位に登場する有名な寺ですが、来たのは初めてです。

Sinsyoji1

Sinsyoji2

Sinsyoji3

境内も広く、塔や伽藍もでかくてスケールの大きな寺院です。
駅からの参道にも店がたくさんあり、清水寺のような雰囲気。

Sinsyoji4

Sinsyoji5

なごみの米屋」の喫茶コーナーで休憩。
「よねや」と読みますが、たぶん成田山では一番でかい和菓子店です。
ようかんが有名らしく、店に来た客のほとんどがようかんを買っているように見えました。
自分も土産に小さなようかんセットを買いましたが、確かにこのようかんはうまいです。

成田から都内を通って帰宅。
首都高湾岸線が渋滞していたので、久しぶりに横羽線を使いましたが、相変わらず道幅が狭く圧迫感があり、非常に緊張しました。
首都高の中では苦手な路線です。

というわけで関東甲信越水郷の旅も終了。
潮来も鹿島も佐原も成田も、以前から行ってみたいと思っていた町であり、天気もよく宿も安く満足しました。
次にまた行く時は、銚子か大洗あたりまで足を延ばすコースを画策しようと思います。

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やってない 第23回 村上春樹を読む

聴いてない・見ていない・やってないといった実体験の乏しさを世界に捧ぐ愚かなBLOGを長く続けているが、今回はその未体験告白の中でも現代社会に生きる一人の日本人として最大級に罪深いレベルではないかとおびえている。
自分は村上春樹の著作を読む、ということを全然していない。(場内騒然)

村上春樹については、ここでいちいち薄い略歴紹介をするなど不要だろう。
今の日本において、また世界においても、最も版元と取次と書店と読者を動かすチカラを持っている作家である。
今年も新作の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売され、各地の書店でタワー積みしたり徹夜で並んで買う人がいたり中学生が本買ったあとで不良に狩られたり、というすごいことが起こっている。(適当)
発売後7日で100万部突破?
いいなぁ文藝春秋。(ド本音)

そんな村上春樹の著作について、自分は今まで全然読んでいないのだった。
「少し読んでみたけどちょっとオレには合わなかったな」というレベルではない。
今の日本にそんなダラでタワケではんかくさいヤツがいるのか・・と新鮮に驚いている方も多いとは思うが、事実なので仕方がない。

直球で言うと「興味がない」ということになる。
誰でも「存在は当然知っているが全く興味がない」という分野はあるだろう。
自分の場合、村上春樹の小説もそういう位置にあるだけの話だ。

当然「なぜ読まない?」という疑問が生じるところだが、基本的に自分は小説全般を読まない変わり者なのである。
なので村上春樹に限らず、村上龍も夏目漱石も長塚正も北方謙三もモブ・ノリオも高見広春も松本伊代も全っ然読んでいないのだった。
「それにしたって村上春樹くらいはふつう読むやろ」となるだろうが、そこまでには全く至っていないし、意欲も情動もなぜか起こらない。

小説全般が苦手な理由として、根本的に飽きっぽいというのがある。
長編小説は読んでいる途中でいつも投げ出したくなるし、束を見た時点で「ムリだ・・」と思ってしまう。
またこれはおそらく伝わらないとは思うが、読んだ後に「腑に落ちない」感覚にさせられるのがイヤだ、という子供っぽい理由もある。
小説なんてものは全てに解があるわけではもちろんないのだが、読み終えた時にどこか「置いていかれた」感が残るのが嫌いなのである。
楽しみ方が根本的に間違っているとは思うけど。

従って読む本のジャンルは必然的にエッセイやルポなどノンフィクションに偏る。
小説なんて年に1作読むかどうか程度だ。
こんな恥ずべき日本の珍中年も実在するのです。

村上春樹について言えば、妻はそのほとんどの著作を読んでいる(と思う)。
家にも村上本はたくさんあるし、「1Q84」なんかは発売と同時にAmazonに注文したりしていた。
「ハルキスト」と呼んでいいのかどうかは不明だが、ファンであることは確かだ。
自分もその気になればすぐにでも村上春樹作品にふれることが可能な環境に生きてはいる。
「もったいない・・バカじゃないの?」ってところだとは思うけど、家にある村上本そのものを手に取ったことも全然ない。

こんな自分だが、村上春樹の著作を読んだことが(ほんの少しだが)ある。
ひとつは「アンダーグラウンド」だ。
これは小説ではなく、地下鉄サリン事件の被害者への取材を記録したノンフィクションである。
村上春樹の作品の中で、これだけ読んでいないという人もいるのではないだろうか。
筆者自身の強い主張やワイドショー的なアオリなどはなく、多くの被害者の証言をシンプルに記述してあり、それがゆえに非常に臨場感のある内容だ。
実は読んだのは数年前である。
これも村上春樹だからというよりは、地下鉄サリン事件のルポルタージュとして興味があったから書店で探してみたのだった。
ちなみにオウム関連ルポとしては森達也の「A」「A2」が有名だが、「アンダーグラウンド」もこれらの森作品と並ぶ秀作だと思う。

もうひとつは「やがて悲しき外国語」というエッセイである。
これも2年くらい前に読んだのだが、正直あまり印象には残っていない。

小説を含む文化芸術全般は、親しむに越したことはないが、もちろん義務ではない。
自分という人間は、どうやらノンフィクションの臨場感に強く興味を抱く傾向にあるようだ。
これもまた伝わらないとは思うんだが、臨場感ある表現にふれた時には、座っている座布団の四隅を持ち上げられて移動させられるような、カラダが持っていかれるような浮遊感にも似た感覚があるのだ。
この感覚が、小説というファンタジックな分野においてはなかなか得ることがない。
というより、浮遊感を伴う小説にまだ出会っていないのだろう。

村上春樹作品には、小説以外にもエッセイや紀行や写真集などもあるようだ。
いきなり自分にとってハードルの高い小説に挑む(大げさ)よりも、こうしたノンフィクションから作品になじんでいくという手段がいいのかもしれない。

というわけで、村上春樹。
質問自体が脱力なことだと思いますけど、みなさんはどれくらい読まれていますでしょうか?
また自分と同じように読んでいない方はおられるでしょうか?

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