聴いてない 第180回 エイジア(90年代以降)
これまで「すいません70年代は聴いてないんです」というのはジャーニーやスティクスやホール&オーツなどいくつかあったが、エイジアはその「70年代聴いてない芸人でーす」というくくりにはあてはまらない。
結成が82年だから当然ではある。
で、エイジアの場合「90年代以降を聴いてない」というパターンである。
そもそもエイジア自体が、60年代70年代のコアなプログレファンからは全く無視されてもおかしくないとはわかってるつもりなんだけど、さらにそのエイジアの90年代以降なんて渋谷陽一的には全然いらん情報だったりするんだろうなぁ。
相変わらずプログレに対して大いに引け目を感じているのだが、洋楽の裂け目のような90年代エイジアについて記事にしてみようと思う。
さてエイジア。
やってる音楽は評判悪かろうが、プログレ好きな人々にとってはイヤでも知っておかねばならないユニットではある。
なんたってメンバーは元イエスと元クリムゾンと元ELP。
今さら紹介するまでもないが、ジョン・ウェットン、ジェフリー・ダウンズ、スティーブ・ハウ、カール・パーマーが結成時の顔ぶれである。
しかし実態はご存じのとおり80年代特有の大衆迎合全米重視的オカネもうけ好きよキラキラサウンド。
花の80年代にまみれた自分の耳には笑ってしまうほど適合し、ウェットン期の3枚のアルバムはとても気に入ってよく聴いた。
特にセカンドの「Alpha」は好きで、CDも持っている。
自分はエイジア結成を当時の雑誌などで知ったのだが、実はその母校たる3大バンドの音楽を一切聴いてなかったので、どんだけすんごい集団なのか具体的には理解しておらず、わりと純粋にあのミーハー楽曲を楽しんでいたクチである。
「キューピー3分間プログレ」「産業プログレ」などと呼ばれていたことも、FMで渋谷陽一がものすごくイヤそうに「Go」「After The War」を紹介していたこともよく覚えている。
3枚目の「Astra」でスティーブ・ハウが脱退してしまい、マンディ・メイヤーというギタリストが加入したこと、このアルバム名は最初「Arcadia」の予定だったが例のデュラン分裂時にできたバンド名とかぶってしまい「Astra」に変えたことなど、まつわる情報もムダに覚えたものだ。
メンバーとしてはまさにプログレ界のドリームチーム。
しかしドリームチームがゆえの宿命のため、結成直後から内紛が絶えず、83年の日本公演直前にジョン・ウェットンが脱退。
代役をグレッグ・レイクが務めたが当時の大ヒット曲「Don't Cry」を演奏せず、ファンをがっかりさせた。
85年頃ジョン・ウェットンが本格的に脱退し、その後ジョン・ペインが加入してジェフリー・ダウンズとともにバンドを牽引していくのだが、自分の鑑賞履歴はここから全く切れてしまっている。
ジョン・ペインが何者なのか今もよく知らないし、90年代以降のエイジアは1曲も聴いていない。
まあペイン期(と呼ばれてもいないんだろうけど)エイジアにそんなに人気があったとも思えないし、自分と同じように90年代以降は聴かなくなった人も結構いるんじゃないかと思っている。
ジョン・ウェットン脱退の大きな理由として、3枚目のアルバム「Astra」がセールス的に伸び悩んだこともあるらしい。
路線として特に転換したわけでもないが、なぜか1枚目2枚目ほどには売れず、ウェットンは創作意欲を失ってしまったという話。
ジョン・ペインについてネットで調べてもあまり情報が集まらない。
元ELOという肩書きはわかったが、エイジアに加入した後は基本的にジェフリー・ダウンズのいいなりだったそうで、実権はほぼジェフリーが握っていたようだ。
2000年に入ってジェフリー・ダウンズとジョン・ウェットンが再接近し、ジェフはジョン・ペインとの協業解消を宣言。
このあたりの展開は80年代後半のパープルによく似ている。
21世紀になってもエイジアは活動してはいるが、基本的には懐メロ同窓会バンドと化していて70年代のイエスやクリムゾンやELPの曲もいい感じに披露して、オールドファンからの熱い拍手を受けるのが商売の姿勢のようだ。
まあこんなのはシカゴやホワイトスネイクやデフ・レパードなどにも共通する傾向らしいが。
2012年にはオリジナルメンバー4人で来日し、東京・大阪・名古屋でライブを行っている。
2013年現在のエイジアにはスティーブ・ハウがおらず、サム・クールソンという人が加入しているそうだ。
ジェフとペインのエイジアは「Aqua」「Aria」「Arena」の3枚の作品を残している。
日本ではたぶん全然売れていなかったと思うが、サイモン・フィリップスやスコット・ゴーハム、布袋寅泰などの豪華なゲストが参加したりしており、質の高い仕上がりだそうだ。
ジョン・ウェットンよりはペインのほうが歌がうまいらしく、「音楽性の幅は狭いが高品質な楽曲をやれる人」というのが大まかなペイン評のようだ。
この頃のエイジアってのはもしかするとプログレファンからの評価はむしろ80年代よりも高いのかもしれない。
というわけで、90年代エイジア。
果たして日本で聴いてる方がどれだけいたのか全然わかりませんが、みなさまの鑑賞実績や評価のほどはいかがでしょうか?
| 固定リンク | 0
コメント
SYUNJIさん、おはようございます。
10年以上前に、普通のCD店で(つまり海賊盤の販売は
なし)、90年代エイジアのライブ盤を発見。スティーヴ・
ハウもゲスト参加とありましたので喜んで買いましたら、
いわゆる「ハーフオフィシャル盤」のようで音質が
最悪でした(というか客席録音でした)。
ハウも1、2曲に参加したくらいのようでした。ついでに
演奏の質も低そうで、一度聞いてそれっきりでした。
90年代以降のエイジアといえば、これだけです。
>>代役をグレッグ・レイクが務めたが
うろ覚えですが、これは関東のみでテレビ放送があって
関西ではなかったのでがっかりした記憶があります。
その積年の恨みをはらすべく、懲りずにタワーレコード
そのときの模様を収録したハーフオフィシャル盤を
買ったことがあります。
レイクは2週間?で演奏曲を覚えたそうですが、正直な
ところ音質の悪さも手伝って、これまたよい演奏では
なかったと思うのです。
以上のように個人的にエイジアにはよいライブ盤に巡り
会えませんでしたので、ほとんど聞くことがありません
でした。「ライブ盤基準」というのもどうかと
思いますが(^^;)。
投稿: モンスリー | 2013.04.07 09:23
モンスリーさん、コメントありがとうございます。
>スティーヴ・ハウもゲスト参加とありましたので喜んで買いましたら、いわゆる「ハーフオフィシャル盤」のようで音質が最悪でした(というか客席録音でした)。
ハーフオフィシャルってのがあるんですか?
位置づけがよくわかりませんが・・
いずれにしても90年代のスタジオ盤は聴かれてないんですよね。
自分も以前横浜の中古CD店で、エイジア結成当時のイタリアでのライブCDを入手したのですが、音質は最悪で水中みたいな音しかしませんでした・・
>うろ覚えですが、これは関東のみでテレビ放送があって関西ではなかったのでがっかりした記憶があります。
ご指摘のとおり、当時テレビ神奈川で特別番組としてコンサートの生中継があったようです。
でも昼間だったんで自分も見ることはできなかったですが・・
番組そのものは画期的な企画だったとは思いますが、ジョン・ウェットンは来ないし内容も今ひとつだったみたいですね。
投稿: SYUNJI | 2013.04.07 18:59
はじめまして、welakeと申します。
2ヵ月近く前の貴ブログの記事に、遅いコメントで大変失礼とは存じますが、大変興味深く拝読しました。長く拙ない文面になりますが、ご容赦くださいませ。
先程までyoutubeにアップされている1983年に行われたエイジアの日本武道館公演を視聴していました。助っ人のレイクもバンドに溶け込んでいたと感じましたね。
私がリアルタイムで接した洋楽はウェットンが中心になって結成したU.K.からです。1979年の来日公演、大阪厚生年金会館に行ったのがいい思い出です。凄い大音響で、翌朝まで耳鳴りが止まらず(笑)、本場の一流ロックバンドの迫力を思い知りました。
エイジアは事前の情報として、当時あったFM雑誌に、『ジョン・ウェットンとカール・パーマーがスーパーバンド結成準備、その名も「アジア」!(爆)』と掲載されていたのを覚えています。
エイジアの1stは貸レコード屋(ご存じですか?)で借りてきてカセットに録音してよく聴いていましたが、2枚目からは就職したこともあって音楽とは疎遠になり、聴いていません。ジョン・ペインという人も存じませんでした。ウェットンより歌が上手いのですか、探して聴いてみよう。エイジアの初期までのウェットンのボーカルが大好きなんですよ。
私にとっては、親しんだ洋楽はビートルズから始まって、ホール&オーツ、そしてエイジアの1stまでです。
エマーソン・レイク&パーマーの"展覧会の絵"に収録されている"The Sage(邦題:賢人)"やポール・マッカートニーの"Junk"を中古のアコギで完コピしようと必死になっていた頃もありましたが。
エイジアもU.K.も近年来日しましたね。(来月はグレッグ・レイクが来るとのことです。)演奏内容も外見も全盛期には程遠いですが、これも万事は諸行無常、人間である限り当然です。
それでは失礼します。興味ある記事にはまたコメントさせて頂こうと思います。
投稿: welake | 2013.05.27 00:27
welakeさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
>私がリアルタイムで接した洋楽はウェットンが中心になって結成したU.K.からです。
なるほど、そうでしたか。
自分も最初に洋楽に接した時期は同じような頃ですが、U.K.は3年前に初めて聴きました。
エイジアとはだいぶ違いましたね。
>その名も「アジア」!(爆)』と掲載されていたのを覚えています。
ははは!ASIAというスペルなら「アジア」と表記されるのもムリはないですね。
今思うとよく「エイジア」で定着したもんですね。
>エイジアの1stは貸レコード屋(ご存じですか?)で借りてきてカセットに録音してよく聴いていましたが、2枚目からは就職したこともあって音楽とは疎遠になり、聴いていません。
そうですか。
貸しレコードはもちろんよく利用していました。
というよりエアチェックと貸しレコードという徹底した低コストな洋楽ライフでした・・
エイジアの2枚目は一番聴いたアルバムですね。
この頃のジョン・ウェットンのボーカルは自分も好きでしたね。
>私にとっては、親しんだ洋楽はビートルズから始まって、ホール&オーツ、そしてエイジアの1stまでです。
自分も入口はビートルズでした。
その後クイーンやポリスなどいろいろ聴くようになり、エイジアは3rdまで聴いています。
聴いてない音楽を延々発信し続けている変なBLOGですが、他にもご興味のあるアーチストについて、コメントいただけたらと思います。
投稿: SYUNJI | 2013.05.27 23:04
皆さんこんニチワーです。
たいへん懐かしい話で、ついつい参加してしまいました。
少し長くなることをお許しください。
私はリアルタイムでは、ELPの「恐怖の頭脳改革」から、
イエス、クリムゾン、UK、エイジアと聞いてまいりました。
エイジアの結成当初は、それはもう大変期待してのですか、
あまりにも軽いサウンドに拍子抜けしてしまいました。
ファーストアルバムはイマイチだったと思いますが、
2ndアルバムの「アルファー」は、大変気に入りました。
壮麗で華麗そして叙情的。今までのプログレにはない
新しいサウンドでした。良い意味で軽くそして美しかったです。
この時にジョンのボーカルが大変好きになり、
後追いでUK ,King Crimsonを聞くことになりました。
そしてこの時に天才ギタリスト,アランホールズワースを知ることと
なりました。
エイジア初来日の公演も見に行きました。
初めて勤めた会社の時にクビを覚悟で大雪の中大阪まで行きました。
お目当ては、もちろんジョンウェットンボーカルでした。
ところが皆さんもご存じのように信じられないようなことがきました!
なななんとそこに現れたのは、ELPグレイクレイクではありませか!??
正直ものすごく驚きました!!サプライズ50% !!
オーマイゴッド!200パーセントでした。
やはりエイジアのボーカルはジョンウエットが
歌ってナンボのものでしょう。。。
このようにして私の首をかけたエイジア大阪ツアー
終わったのでした。
悲惨という言葉が脳裏をかすめました。
ご清聴ありがとうございました。。
投稿: ミルミル | 2013.07.22 21:27
ミルミルさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
自分もエイジアの2枚目は一番気に入ってます。
エイジアの大阪コンサート、行かれたんですね。
ジョン・ウェットンの代わりにグレッグ・レイクが出るというのは、ファンには事前に知らされていなかったんでしょうか?
ジョンを見に行ったらグレッグ・レイクが出てきた、というのは確かに驚きでしょうけど・・
>やはりエイジアのボーカルはジョンウエットが
歌ってナンボのものでしょう。。。
同感ですね。
というかグレッグのボーカルでエイジアの曲を歌うとどんな感じになるんでしょうね?
イエス、クリムゾン、UKなどプログレはどれも中途半端な鑑賞で終わっている愚かなBLOGですが、またお好きなアーチストについてコメントいただければと思います。
投稿: SYUNJI | 2013.07.23 22:40