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聴いてない 第177回 ハート(70年代)

80年代洋楽黄金期にはそれなりにいろいろな音楽を聴いていたつもりの自分だが、それをきっかけに70年代を掘り下げて聴いてみたアーチストというのは意外に少ない。
ストーンズなんて最近ようやく学習してる状態なのでそもそも聴き方が抜本的に間違っているのだが、ジャーニースティクスREOスピードワゴンJ.ガイルズ・バンドなど、70年代から実績を作ってきたバンドについても、知っているのはほぼ80年代の曲限定だったりする。

今日採り上げてみるハートもまさにそんな位置づけである。
70年代と書いたが、厳密に言うと聴いたのは80年代後半、「Heart」「Bad Animals」「Brigade」の3作である。
結成以来83年までに7枚、また93年以降も4枚のスタジオ盤を発表しているが、これらは全く聴いていない。
要するに日本でやたら売れていた頃のハートしか聴いてないのだった。
83年以前の曲はライブでしか知らない。
自分にしてはよく聴いてたほうだという思い上がった自覚があったが、そうでもないよなぁ。

ご存じのとおりハートはアンとナンシーのウィルソン姉妹が中心のレディースバンドである。
少なくとも自分が聴いてた頃の印象は「ウィルソン姉妹のバンド」でしかない。
ジョーン・ジェットの時にも書いたが、ハートもそうだしブロンディにしてもプリテンダーズにしても、とにかく男どもが全然目立たない。
なお85年から90年にかけてのハートの姉妹以外のメンバーは以下の人たちである。
申し訳ないけど全員知らない。
 ハワード・リース(g・k)
 マーク・アンデス(b)
 デニー・カーマッシ(d)

ちなみにデニー・カーマッシはあのカバーディル・ペイジに参加、その後ホワイトスネイクにも加入したドラマーだそうです。
この他にバンドの歴史の中でメンバーだった男は10人以上いるみたいだが、やっぱり誰も知らないのだった。

なのでてっきり姉妹が結成したバンドなのかと思っていたが、実は最初は男4人のアーミーというバンドがルーツで、その後71年にホーカス・ボーカスと名前を変え、オーディションでアンが参加。
72年にハートと改名、ナンシーが参加したのは75年だそうだ。
結成はカナダだったが姉妹はアメリカ人である。
日本公演でも「合衆国から来ましたハートです」と自己紹介している。

85年の「Heart」はハート復活の名盤と呼ばれる。
当時も雑誌ではそういう扱いだったので、83年までは一時期低迷していたことは一応知ってはいた。
これも80年代の特徴だと思うが、「プロデューサーにロン・ネヴィソンを起用」という情報も、このアルバムには必ず付帯する重要なファクターである。
それ以前のアルバムを誰がプロデュースしてたのか知らないけど、80年代リスナーにとっては「サバイバーキッスのプロデュースで実績のあるロン・ネヴィソンのチカラで大ヒット」という図式は、実はほとんど知ったかぶりなんだけど納得できる話なのだった。
ベタな表現だが、ハード&メロウでポップなサウンドと、姉妹が織りなす華麗でゴージャスなボーカルがマッチしたのが「Heart」だったということだろう。

続く「Bad Animals」「Brigade」も同じような路線であり、この頃はアルバム発表後にしっかり日本にも来てコンサートを行いがっちり稼いで帰る、という展開だった。
86年のNHKホールでのライブはFMで録音したが、今もたまに聴くことがある。
でもハートは低迷していた79年にも来日していて、その時は江ノ島特設会場や伏見桃山城キャッスルランドといった場所で歌って帰ったそうだ。

ネットでハートを調べると、あちこちのサイトで「美貌のウィルソン姉妹」「アン・ウィルソンは女ロバート・プラントと呼ばれる」などという表現が見つかる。
確かにアン・ウィルソンの歌い方は非凡なものがあり、他のどのレディース系バンドよりもボーカルがしっかりしていると思う。
あまりプラントを思わせるとは考えていなかったが、日本公演でもエンディングにツェッペリンの「Rock'n Roll」を歌ったりしていたので、アン本人はきっとプラントのような歌い方や楽曲は好きなのだろう。

また美貌の姉妹であることにも異論はない。
二人は顔も似ているけど、髪の色が違うので見分けはつきやすい。
ただアンは90年頃からとても太ってしまい、体重は100kgを超えた時期もあったらしい。

ナンシーは声がアンには似ているが、アンほどの力強さはなく、バラードで魅力を発揮するタイプである。
80年代後半の黄金期には曲ごとに二人の特徴をうまく使い分けていたと思う。
なお全米1位となった「These Dreams」はナンシーのボーカルである。
当時の雑誌でアンがインタビューに答えていたが、ウィルソン家は代々軍人の家系だったとのこと。

さて肝心の音楽性だが、聴いてない83年以前と90年代以降は、聴いてる80年代後半とは少し雰囲気は異なるらしい。
83年までのハートはややアコースティック寄りで、90年代以降も多少それに戻した感じのようで、このあたり80年代後半のグラマラスなハートに慣れてる自分としてはわずかに不安はある。
ただ94年のカナダでのアンプラグド・ライブはCDで聴いており、これはなかなか良かった。
彼女らの原点をあらためて聴いてみるのもいいかもしれない。

ということでハート。
聴いてなかった後ろめたさはあるものの、それほど危機感はないと楽観視していますので、特に70年代でおすすめのアルバムがあればご指導くださいませ。

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聴いてない 第176回 キャロル・キング

以前三軒茶屋の中古CD店ぷく先輩に「キャロル・キングを聴いてない」ことを告白したら「それはまずい。このままでは何も聴かないうちに人生が終わります」と死の宣告をされた経験を持つSYUNJIといいます。(実話)
ついでに言うとルドルフ編集長にも「キャロル・キングがジェームス・テイラーに曲を提供して大ヒットしたことを知らない」と告白したら「それは鉄板。ロック検定3級保持者の名が泣きます」と叱責されました・・

そんな愛と説教と叱責のシンガーソングライター、キャロル・キング。
実はアルバム「つづれおり」だけは聴いたことがあるので、聴いてない度は4。
しかし記憶に残っているのは「It's Too Late」だけなので、実質聴いているのは1曲だけと言って差し支えない。
ジェームス・テイラーがヒットさせた「You've Got a Friend」もどんな曲だったか思い出せない。
ついでに言うと実は顔もあまりはっきりとは認識できていない。
キャロル・キングとカーリー・サイモンとローラ・ニーロの写真を並べられて、「キャロル・キングはどれ?」と聞かれたらたぶん当てられないです。

このまま何も聴かないうちに人生が終わるのも寂しいので、ぷく先輩にはナイショでキャロル・キングについて内偵を開始。(意味不明)

キャロル・キングは1942年ニューヨークに生まれる。
ハイスクール時代にデビューを果たし、大学時代にはニール・セダカやポール・サイモンにも出会って様々なフォローを受けていたらしい。
62年には「It Might As Well Rain Until September」がヒット。
また当時の夫であったジェリー・ゴフィンとの共作を多くのアーチスト(シュレルズ、ボビー・ヴィー、リトル・エヴァ、エヴァリー・ブラザーズ、ドリフターズ、ライチャス・ブラザーズ、モンキーズなど)に提供し、それがまたヒットしている。

67年にはジェリー・ゴフィンと離婚し、音楽活動も一時停止したが、その後再開。
70年にソロデビューアルバム「Writer」を発表する。
71年には「Tapestry(つづれおり)」をリリース。
このアルバムは世界中で2000万枚以上の売り上げを記録し、300週以上にもわたってチャートに登場するという歴史に残る名盤となった。

これ以降は「つづれおり」を超えるヒットは出ていないが、コンスタントに10枚以上のアルバムを作成している。
昨年もクリスマス企画アルバム「Holiday Carole」(日本盤名は「クリスマス・キャロル」)を出したり、今年は昔のデモテープ音源を使った「Legendary Demos」というアルバムを発表するなど、現在も活動中である。

初来日公演は意外に遅く、1990年。
それほど来日の回数は多くはないミュージシャンだが、2010年には日本でジェームス・テイラーとのジョイントコンサートも行っている。

以上が簡単なキャロル・キング内偵報告だが、やはり知っている話は全然ない。
80年代にチャートに頻繁に登場したり「サンスイ・ベストリクエスト」でオンエアされた記憶もないので、聴く機会がなかったという状態。
アルバムジャケットもどれも見覚えはない。
しかし毎回こうして聴いてないアーチストを調べるたびに、自分の音楽鑑賞履歴は基本的にかなりの部分を柏村武昭に支配されてきたことを痛感するなぁ。
後援会でもないのに。

冒頭で述べたとおり、自分の鑑賞履歴はアルバム「つづれおり」1枚のみである。
三軒茶屋事変の直後にぷく先輩からの報復(なんで?)を恐れ、あわてて図書館でCDを借りて聴いたのだ。
こんな自分でも「It's Too Late」だけは知ってはいたが、あらためて聴いてみると声のトーンが思ったよりも低く、自分の好みからはかなり離れていた。
その時点で「聴いてみたシリーズ」の記事を書いてもよかったのだが、あまり気が乗らずCDは3回ほど聴いてそのまま返却。
ライナーはボロボロでケースもかなり劣化しており、人気のほどがうかがえたという情けない思い出だけが残った。
ジェームス・テイラーとのジョイントコンサートも新聞で知ったが、ジェームス・テイラーもやっぱり聴いてないので全く興味はわかなかった。

そんな栄光の経歴を持つキャロル・キングだが、今年になって音楽界からの引退を口にしているそうだ。
「もうこれ以上、新曲を書いたり録音することはたぶんない」「ジェームス・テイラーとのツアーが最後の活動となると思う」「望んだことは全てやりつくしたと言える」といったコメントをしたとのこと。
このままだと自分が聴いてないうちに引退してしまいそうだ。
自分があせっても仕方がない話だけど。

というわけで、キャロル・キング。
先輩から忠告を受けていながら結局未だにまともに取り組んでいないという国会議員定数削減問題みたいな状態ですが、「つづれおり」以外にもおすすめのアルバムがあればご指導いただけたらと思います。

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やってない 第20回 登山

日々最小限の力で生きるエコな人間のSYUNJIといいます。
基本的に体力勝負な趣味をいっさい持たないあたしですが、もちろん登山もやってません。
旅行はわりと好きなほうだが、昔から行程に登山を組み入れたりはしないし、トレッキングやハイキングというレベルですら全くやらない。

生涯で自分の足で山頂に立ったことがある山なんて本当にわずかしかない。
小学校の遠足で行った大山(雨降山)と大野山、あとは高尾山くらい。
山小屋に泊まったこともないし、もちろん富士山頂にも登ってない。
富士山は五合目までクルマで行ったことがあるだけだ。
家族の誰も登山をしないし、子供の頃に親と登山した経験もない。

登山をやらない理由は、当然それだけの体力も根性もないからである。
苦労して登ったら山頂に素晴らしい景色が広がっていますのよ、というお誘い文句はわからなくもないけど、その苦労の過程でまず挫折するだろうことは明らかなので、やってみようという気にならないのである。
「そこに山があるから」という哲学的な理由で登る人もいるそうだが、そこに山があってもあたしは登れません。
駅の階段ですら息が切れるし。

景色や植物、連帯感や達成感など、山の魅力はいろいろあると思うが、少しだけ興味がわくのは眺望である。
バカなので高いところは好きであり、タワーや高層ビルから見下ろす風景はとても好きだ。
観光地に行くと賛否両論なタワーがあったりするが、よほど高額でなければ原則として上ってしまう。
なのでクルマやケーブルカーといった動力で行ける山頂には躊躇せず行ったりする。
単純な話、自分は登山のプロセスが耐えられないというただのヘタレなのである。

職場には登山をやるヤツがわりと多い。
それほど強固な組織ではないが、同好会のようなものもあって休日には連れ立って登山をしているようだ。
中には日本百名山を全て登った者もいるし、昨今の山ガールブームで女子社員の会員も増えている。
ちなみに若い女性の間では、経験により呼称が変わるそうで、「山ガール」がビギナー、少し慣れてくると「山ノボラー」、本格的な登山をする人は「山屋」だそうです。
自分は見た目にもとても山なんかやれそうもないので、誰も誘いに来ないけど。
あとさすがにウチの会社でも接待登山てのもたぶんないと思う。

登山で怖いのはやはり事故や遭難だ。
などと登山してもいないうちから言うのも変だが、中高年の無謀な登山で遭難が増えているという話はよく聞くので、それだけ山というのは危険なことが多い、というイメージだけがますます強くなっていくばかり。
冬山なんてわざわざ寒い上に滑ったり転んだりするような場所をなぜ登るのだろうか・・
以前に丹沢山系で沢から滑落して下半身に重傷を負い、以降登山どころか普通に歩くこともできなくなった人の書いた本を読んだことがあるが、読み終えたあとあまりのハードな話にぐったりしてしまった。
そういう危険と隣り合わせなのが登山である、ということはもちろんみんな知っていて、それなりに装備や練習をして山に臨むんだろうけど、登る前は「このあと自分は事故に遭うんだ・・」とは誰も思わないよね。
まあこの理屈はドライブでも鉄道旅行でも同じなんだろうけど。

それでも世間の山ブームはすごいらしい。
富士山の場合、8月は登山道で渋滞がおきるし、山小屋は常に満員。
あとテレビで見たけど、毎年園児全員が富士山頂に登るのが恒例行事になってる幼稚園があるそうだ。
挫折する子は全然いないそうです。
また登山というレベルではないが、高尾山はミシュラン以降毎週末には信じられないほどの混雑。
みんなそんなに山が好きだったっけ?

というわけで、登山。
みなさんは登山の経験はおありでしょうか?
自分はこのまま美容院ビリヤード同様、今後もやらずに死をむかえる可能性は極めて高いんですけど、せめてこの山を登ってから死んでください、というような名山があれば教えていただけたらと思います。

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聴いてない 第175回 スマッシング・パンプキンズ

先日風呂に入っていたら突然左後頭部をハリセンではたかれたような衝撃を感じた。
これは脳内で何か大変な事態が起こったに違いない・・・と薄れゆく意識の中で懸命に風呂場を這い出て、電話をかけようとして玄関で力尽きて画面は暗転、気がつくと病院で麻酔からさめた状態。
・・・というような火曜サスペンスみたいな展開じゃなかったんですけど、突然の頭痛にたじろいだあたしは、とりあえず普通に手足や口が動くことを確認してその日は寝ました。
しかしながら翌日も頭痛が治まらず、二日後に以前脳ドックを受けた脳外科に行ってMRIも受けてみました。
結果は異常なし。
じゃああのハリセンはいったいなんだったのか、かえってわからなくなって不安な年頃のSYUNJIといいます。(長い)

ちなみにクモ膜下出血はよく「頭を鈍器で殴られたような衝撃が・・」などと表現される病気ですけど、実際に鈍器並みに痛い状態になるのは4人に1人くらいらしいです。

そんなクモ膜よわよわハリセン芸人の自分にとって、90年代は新しい音楽を聴く機会が劇的に減少した暗黒の時代である。
80年代末期からエアチェックという行為もしなくなり、柏村武昭津嘉山正種や石田豊や渋谷陽一やセーラ・ロウウェルやロイ・ジェームスとも疎遠になった。
当然この時期に台頭した音楽には極端に疎い。
今日採り上げるスマッシング・パンプキンズも、申し訳ないけどまさにこの暗黒の時代ど真ん中のバンドである。

スマッシング・パンプキンズ、一切聴いておらず1曲も知らない。
聴いてない度は鉄板の1。
そもそもさっきまで「スマッシュ・パンプキン」だと思ってました・・・

ということでスマッシング・パンプキンズの正しい基礎知識を学ぶとしよう。
結成は1988年。
シカゴでビリー・コーガンと日系三世のジェームス・イハが出会ったことがバンド発足につながる。
女性ベーシストのダーシー・レッキー、ドラマーのジミー・チェンバレンを加えて91年にファーストアルバム「ギッシュ」をリリース。
93年のアルバム「サイアミーズ・ドリーム」、95年の「メロン・コリー・アンド・ザ・インフィニティ・サッドネス」がいずれも大ヒットとなり、高い評価を得る。
しかし96年にジミー・チェンバレンが薬物中毒で逮捕・解雇され、ここからバンドは下り始める。
セールスとしても停滞し、メンバーチェンジが行われたが良い方向に作用せず、2000年にバンドは一度解散する。

ビリーとジミーの二人はスマパンとは別のユニット「ズワン」を結成するが、こっちもあまり芳しい実績が残せずアルバム一枚発表して解散。
その後一時的な再結成や新メンバー加入などがあり、アルバムも作成されている。
2010年のサマーソニックにも参加し、東京でも公演が行われた。

2012年現在のメンバーはビリー・コーガン、ジェフ・シュローダー、二コール・フィオレンティーノ、マイク・バーンの4人。
ニコールは女性メンバーであり、マイクはまだ22歳の若者である。
6月にはアルバム「オセアニア」を発表している。

・・・ということで、メンバーの名前もアルバムタイトルも全く知らない。
わずかに「メロン・コリー・アンド・ザ・インフィニティ・サッドネス」のジャケットに見覚えがあるくらいだ。

スマッシング・パンプキンズはニルヴァーナと同様にグランジやオルタナといったジャンルにくくられることが多いようだ。
しかしビリー・コーガン自身はグランジ芸人にくくられることをあまり良く思っていないらしい。
音楽性は時代やアルバムによって様々らしいが、特徴はビリー・コーガンの中性的な甲高い声にある、という話。
初期の頃はアングラ調ハードロックといった趣の音楽だったが、その後サウンドの幅が広がりオーケストラを起用したり多面的な展開を見せる。
しかし98年にドラマーが抜け、打ち込みによるエレクトロなサウンドに転じたため評価は落ちてしまい、やがて解散につながっていく。

バンドはビリー・コーガンのワンマン経営とされるようだが、本人は「解散の原因は自分ではなくジェームズ・イハにある」と発言したり、薬物中毒になったメンバーをクビにしたり、自分自身も精神を病んだりと、なかなか大変そうな感じ。
このあたりはロックバンドの正しい経歴を教科書どおりなぞっていて大変よろしい。

グランジ・オルタナの一大ムーブメントは、スマパンやニルヴァーナに商業的成功をもたらしたが、一方でその成功が彼らの芸術的感覚を失わせたという評価もやっぱり多いらしい。
そもそもあまり美しくないかっこうでどろどろな歌を歌う退廃的なミュージシャンに、大金持たせるとロクなことがない、というのはわかりやすい図式ではある。
まあこれはグランジに限らず70年代からあった固定的なものの見方かもしれないけど。

ビリー・コーガンはアルバムというパッケージでの曲発表手段を時代遅れと感じているようで、最近はネットで40曲以上ものリリースを行うなど、なかなか興味深い行動を起こしている。
またレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドについて「態度がでかくてムカツク」などと発言している。
雑誌「ローリング・ストーン」で「歴史上最も偉大なギタリスト100人」でジョニーが48位、リッチー・ブラックモアが50位となったことも気に入らなかったらしい。
ビリー・コーガンはリッチーのファンなのかな?
なおビリー・コーガン本人は残念ながら100位以内に入っていない。

かと思うと昨年ビリーはプロレス団体を旗揚げという行動に出て、レスラーの舞台裏を映像化してみたり、一方でシカゴに喫茶店をオープンする準備を始めたりと、実業家なのか目立ちたがり屋なのかわからないけどいろいろ手がけている人みたいです。

さらにビリー・コーガンは今年10月に隣人である俳優のエリック・デインという人から訴えられている。
ビリーの家の敷地の木が強風で倒れ、その影響でエリックの家が浸水したり高圧電線がエリックの家にせまってきたりして、エリック家が避難を余儀なくされたという、アメリカの安いドラマみたいな展開。
「木を切るよう再三注意した」というエリックの主張と、「注意なんか受けたことがない」というビリーの言い分は全く整合せず、エリックが訴訟を起こすという事態に発展。
なんだか音楽活動よりもこうした東スポっぽいネタのほうが話題になってしまっているようだ。

というわけで、スマッシング・パンプキンズ。
結局ネットでの情報だけではどんな音楽なのか全然わからないんですけど、おすすめのアルバムがあれば教えていただければと思います。

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