聴いてない 第172回 グロリア・エステファン
前回のノラ・ジョーンズ同様、ロックとは少しジャンルの異なるグロリア・エステファン。
当然ですけど全然聴いてません。
聴いたのは大ヒット曲「Conga」と、あとは「Coming Out Of The Dark」という曲を聴いているだけ。
よって聴いてない度は3。
ラテン系ミュージシャンという程度の知識しかなかったのだが、調べてみるとかなり苦労している人のようだ。
グロリアはキューバで生まれ、幼い頃にアメリカのマイアミに家族で移住。
マイアミ大学在学中にエミリオ・エステファンと出会い、彼のバンドにボーカリストとして参加する。
卒業後グロリアはエミリオと結婚し、マイアミ・サウンド・マシーンが音楽活動の中心となる。
84年アルバム「Eyes Of Innocence(ドクター・ビート)」、85年には「Conga」収録の「Primitive Love」が世界中で大ヒット。
86年には日本各地で公演も行い、87年のアルバム「Let It Loose」は全米1位を獲得、600万枚のセールスを記録した。
グロリアは89年からソロとして活動を開始し、90年のソロアルバム「Cuts Both Ways」も大ヒット。
名実ともに全米を代表するスターとなった。
しかし、その90年に人生最大の危機がおとずれる。
ツアーのためトレーラーに乗っていたグロリアは、ペンシルバニア州で停車中にトラックに追突され、脊椎骨折の重傷を負ってしまう。
ここから1年に渡る闘病とリハビリの日々が続くのだが、彼女が当時どれほどのスターだったかを示すエピソードがたくさんあるようだ。
事故の前日、グロリアはホワイトハウスでブッシュ大統領(オヤジのほう)と会見していた。
事故を知ったブッシュ大統領は直接グロリアの病室に電話で見舞いのメッセージを入れている。
またエルトン・ジョンやマドンナからも花やメッセージが届き、ファンからの手紙は2週間で3万通にものぼったとのこと。
再起不能かとまで言われたグロリアだが、91年2月にステージに立ち、奇跡の復活を果たす。
年末には来日もしており、翌92年にはベスト・アルバムも発表した。
93年にはアメリカン・ポップスのカバー集「Hold Me,Thrill Me,Kiss Me」を発表する。
これはキューバ出身のミュージシャンとしては非常に政治的な意志表示となる行為にあたるそうで、反カストロ・親米のスタンスを明確にすることの表れとのこと。
96年のアトランタ・オリンピックでは閉会式で歌い、2003年のメジャーリーグのワールドシリーズでも国歌を熱唱。
こうした場面で歌うにふさわしい国民的な歌手であるということだろう。
その後も映画出演や全曲スペイン語のアルバムを出すなど活動を続け、2011年には4年ぶりの新作アルバム「Miss Little Havana」を発表。
親日家としても知られ、新婚旅行は熱海温泉・・・って本当なの?
ということで、事故で重傷を負った話だけしか知らなかったのだが、想像以上に偉大な、そして非常に政治的宿命を背負った大スターである。
グロリアの父親はキューバで政治犯として2年以上投獄された経験を持ち、その後アメリカでは陸軍へ入隊するが、ベトナム戦争で枯葉剤を浴びてしまい、帰還後に長く闘病することとなる、というすさまじい経歴を持っている。
またマイアミという土地は、キューバを脱出してきた人が多く暮らすところであり、カストロ政権には反対するが、一方で帰ることのできない祖国を思う気持ちも強く、それが故に独自の文化を生み出してきたという背景もある。
キューバは今もアメリカと正式な国交はないし、キューバでアメリカのミュージシャンが自由に歌える状況にはない。
グロリア・エステファンは95年にキューバにあるグアンタナモ米軍基地で兵士のためのコンサートを行っている。
このこと自体が二つの国の極めて複雑な事情を物語っていると思う。
そもそも国交のないキューバになんで米軍基地があるのか、という不可解な状況の中で、その基地内でしか歌えない元キューバ人のグロリア・エステファン。
グロリアの歌や曲が支持される理由には、歌や曲そのものの良さの他に、彼女の生き方や思想に共感する人たちも多いことがきっとあるはずだ。
このあたりは表層的にアメリカとキューバの歴史をなぞる程度の、極東の平和ボケ小国民の自分には到底理解できないものだろう。
というわけで、グロリア・エステファン。
音楽性としては陽気で楽しいラテンのリズム・・といったステレオタイプなイメージしか持っていないのだが、おすすめのアルバムがあれば教えていただきたいと思います。
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コメント
SYUNJIさん、お邪魔します。
グロリア・エステファンとは、懐かしいですね。
マイアミ・サウンド・マシーン時代の曲しか知りませんが、インパクトは強かった方です。
しかし、代表曲とも言える「コンガ」の印象がめちゃくちゃ薄く、その前のアルバムの「ドクター・ビート」とか、その後のアルバムからの「リズムでゲット・ユー」「1-2-3」の方が印象深く、かつけっこうお気に入りの曲だったりする自分です。
もっとも、アルバムを聴いた事が無いので、ヒットチャートを賑わした楽曲以外は全く知りません・・・。(汗)
確かに、聴いていて陽気で楽しいサウンドですね。
彼女、美人だし。
>96年のアトランタ・オリンピックでは閉会式で歌い、2003年のメジャーリーグのワールドシリーズでも国歌を熱唱。
へー、そうなんですか。知りませんでした。
今でもそれなりに人気があるのですね。
投稿: まったり男 | 2012.08.19 17:26
まったりさん、コメント感謝です。
自分はようやく夏バテから脱出できそうな感じです。
>しかし、代表曲とも言える「コンガ」の印象がめちゃくちゃ薄く、その前のアルバムの「ドクター・ビート」とか、その後のアルバムからの「リズムでゲット・ユー」「1-2-3」の方が印象深く、かつけっこうお気に入りの曲だったりする自分です。
そうでしたか。
あ、そういえば「1-2-3」はかすかに聴いたような記憶がありますね。
これもラテンの陽気な(こればっか)楽しそうな曲でしたね。
>へー、そうなんですか。知りませんでした。
>今でもそれなりに人気があるのですね。
自分も調べてみて初めて知りました。
国家的行事・世界規模のイベントで熱唱できるクラスの人だったというのが、正直驚きでした。
投稿: SYUNJI | 2012.08.19 22:11
グロリア・エステファンは、スペイン語で歌ったアルバムを2枚ほど持ってます。結構好きなので、車などでたまに聴いています。
この人は英語の歌よりスペイン語の歌の方が実力が発揮できると思っています。アメリカはラテン系住民が増えたので、この人の歌の需要が高くなったんでしょうね。
僕はこの人に、「アメリカのテレサ・テン」というイメージを持っています。
投稿: getsmart0086 | 2012.09.08 23:27
ゲッツさん、コメントありがとうございます。
ゲッツさんは確かBLOGを始めた頃にグロリア・エステファンに関する記事も書いておられましたよね。
>この人は英語の歌よりスペイン語の歌の方が実力が発揮できると思っています。アメリカはラテン系住民が増えたので、この人の歌の需要が高くなったんでしょうね。
なるほど・・
でもグロリアのような存在こそが、政治を超えて各国間の文化交流に貢献しているんでしょうね。
テレサ・テンという表現もわかる気がします。
(テレサ・テンのことをあまりよくわかってませんけど・・)
投稿: SYUNJI | 2012.09.09 09:13
古い記事のこと忘れてました。
せっかくなのでTBしてみました。
投稿: getsmart0086 | 2012.09.09 15:08
ゲッツさん、TBありがとうございます。
機会があったらこのスペイン語アルバムも聴いてみようと思います。
自分もTBを投げ返してみました。
というかTBなんてもう何年ぶりかわからない状態なので、やり方を思い出すまでけっこう時間がかかりました・・・
そのうちこんな機能も「懐かしい」ものになってしまうんでしょうね。
投稿: SYUNJI | 2012.09.09 20:35
こんにちは。
90年代によく聴きましたよグロリア。
スペイン語アルバムでは"Mi Tierra"(1993)がサイコーです。
こんな感じです。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=l6LjNOYvhMk&feature=relmfu
英語アルバムでは"Cuts Both Way"(1989)が一番好き。
こんなのです。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=sgzguCY79bA
投稿: 木曽のあばら屋 | 2012.09.09 21:12
木曽のあばら屋さん、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
おすすめの映像見てみました。
どちらも初めて聴く曲です。
「Mi Tierra」の映像では、グロリアはなんだかマドンナみたいな雰囲気ですね。
「Cuts Both Way」はいかにもラテンのノリという感じですね。
自分の場合はどちらかというとこちらのほうが好みですね。
投稿: SYUNJI | 2012.09.09 21:28