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聴いてない 第169回 ベン・フォールズ

90年代といえば、自分にとっては新しい音楽をほとんど受け入れることがなかった暗黒の時代である。
2012年の今も状況はさして変わっていないのだが、2003年末からBLOGを始め、自分にとっては「新しい=聴いていなかった」音楽をたくさん聴くようになった。
聴くようになったと言っても定着したのは、世間では全然新しくもないツェッペリンレインボーといった一部の懐かしき音楽に限られるのだが。

そんな暗黒の90年代にあって、80年代同様軽い気持ちで聴いて返り討ちにあったのが、ベン・フォールズ・ファイブである。
CDを借りて聴いてみたのだが、どこがどう合わなかったのか今もあまりよくわかっていない。
とにかく数回聴いてどうしてもなじめず、CDはテープにも録音せずそのまま返却してしまった。
しかもそれがどのアルバムだったのか、もう記憶があやふやである。
聴いていてもなんかこう楽しくなかったことだけが頭に残ったという不幸な結果となった。

さらに。
これも記憶がそれほど鮮明ではないが、数年前に懲りずに中古でCDを購入。
この時はベン・フォールズのソロだった。
そして以前と同様にやはりどうしてもなじめず、結局全く定着せず終了。
CDは売り飛ばしてしまい、手元には残っていない。
さすがに3度目に挑戦する根性はもうない。
ということで、ベン・フォールズについてはバンドもソロも聴いてない度は4だが、寄りつきのなさ加減はニール・ヤング並みである。

取り急ぎベン・フォールズ関連情報をネットでかき集めてみた。
まずベン・フォールズ・ファイブだが、1993年にノース・キャロライナ州で結成。
名前はファイブだが3人組バンドである。
95年にデビュー・アルバムを発表。
ピアノでパンクを奏でるバンドとして人気が高まり、「ニルヴァーナとビリー・ジョエルの合体バンド」などと評されることもあったようだ。
97年セカンドアルバム「Whatever and Ever Amen」がアメリカや日本で大ヒット。
その後2枚のアルバムをリリースするが、バンドは99年解散する。

2001年にベン・フォールズはソロアルバム「Rockin' The Suburbs」を発表。
バンド時代にはなかったギターを含め、全ての楽器をベン本人が担当。
2002年にはピアノ1台のみのライブを日本で行っている。
この後もコンスタントにアルバム制作を重ね、また他のアーチストのプロデュースやゲスト参加など活動を続けてきた。
2008年にはアンジェラ・アキとの共作も発表。
同年には故郷の大学でのライブ出演のため限定的にベン・フォールズ・ファイブを再結成。
2012年にも再結成するという話も出ているらしく、本人もツイッターで実現をほのめかしている。

ベン・フォールズはカバーが結構好きで、ライブでも披露することが多く、ビートルズやジミ・ヘンドリックス、オアシス、バグルススティーリー・ダンなど多岐に渡るそうである。
ジャパンツアーで広島でライブを行った際、ステージから落下して流血したり、またその話を「ヒロシマ」という曲にしちゃったり、私生活では4回も結婚するなど、生き方も相応にパンクなヒトのようだ。

・・・というのが、集めてみたベン・フォールズ関連情報だが、知らない話がほとんどである。
バンドとソロのCDをそれぞれ1枚ずつ聴いてはみたが、タイトルもジャケットも覚えていないし、曲の脳内再生ももう不可能だ。
自分にとっては印象も薄いし定着もしなかったというひどい扱いのミュージシャンなのだった。

ベン・フォールズ・ファイブはピアノとベースとドラムのバンドで、ギターがいない。
それが合わなかった理由かというと、そうでもない気がする。
たぶんピアノの音とリズムとボーカルが、自分の好む調和とは異なっていたのだろう。
叩きつけるピアノやパンク系ボーカルなど、彼の魅力そのものが自分の好みではなかったのだと思う。

パンクは苦手なジャンルだが、激しいロックは嫌いではなく、むしろ好きなほうだ。
が、それをピアノを叩いてシャウトで表現する楽曲には違和感を覚えるのだ。
自分がピアノに期待するのは、やはり流れるようなおだやかなメロディだったり、じっくり聴かせるバラードサウンドだ。
ベン・フォールズはバンドも含め、そうした音が中心のサウンドとは少し違っていたはずである。
ギター参加の曲を聴けば解決する、というような簡単な問題ではない。

というわけで、かなり難しいベン・フォールズ。
今後の鑑賞については極めてハードルの高い状態にある。
3度目の挑戦をしても玉砕する可能性は相当高いと思う。
・・・などとインチキ政治評論家の政府批判みたいな論調で締めくくってしまいましたが、みなさまの鑑賞履歴や評価はどんな感じでしょうか?

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やってない 第17回 お料理

自称「全日本使えない中年連合関東支部初代名誉総帥」のSYUNJIといいます。
今回は世間一般からその手の団体まで含めて総攻撃に遭いそうな話になりますが、お料理。
全然やってません。
というかできません。
使えない昭和の男そのもののあたし。
作れる料理というのが基本的にない状態です。

料理をやらない理由は「やらなくても生きて来られた」からだ。
一人暮らしの経験は大学を卒業して働き始めた時の2年間しかなく、それ以外の時期は基本的に母や姉や妻と暮らしており、料理を作ってもらっている。
いろいろご批判はあろうかと思うが、自分の生きてきた環境はこういう状態なのである。

料理の腕前は人によって実はかなり違いがある、という当たり前のことに気づいたのは高校生の頃である。
中学生くらいまで母親の作るごはんを父親や姉とともにふつうに食べていたのだが、基本的に食が細い子供で食べることにさほど興味もなく、とりたてて裕福でもなかったので、味に不満は感じていなかった。

しかし高校2年の時に父親が病に倒れて長期入院となり、完全看護のため母親も付き添って病室で暮らすようになった。
ここから食事は姉(当時20歳)の担当となったのだが、なんか姉の作るごはんは妙にうまいのである。
これって、母親はもしかしてヘタだったってこと?
そう、姉はとっくに母親の料理の腕に見切りをつけており、自分が食いたいメニューや味付けを考え、プレ主婦としての才能を発揮しだしたのである。
ちなみに姉はその後洋裁学校に進み、料理・裁縫といった主婦の本業に特化した才能を開花させ、現在も無事に専業主婦として生きている。

で、この時自分は姉から料理の手ほどきを受けることもなく、毎日皿洗いばかりしていた。
なので男子高校生なのに合成洗剤による手荒れがひどく、今でも手のひらや指には手相とは関係ない無数の傷跡が残っている。
手荒れを経験した方ならおわかりかと思うが、指の腹に対して横に亀裂が入るようなことになるんですよね。
指が切れてしょっちゅう血をだしていたなぁ。

大学に進んでからは夜中に新宿で働いたりして家にいない時間も増え、姉や母親の手料理を食べる時間もどんどん減っていった。
姉が結婚して家を出ていった後、腕も味も落ちた母親の料理を再びいただく日々となった。
しかしながらふつうの料理もイマイチな母親は、ときどきおかしなことをやらかす。
生涯で最もイカレたメニューは、おはぎをバラしてチャーハンにしたものだ。(実話)
あんこのついたおはぎが余ってしまい、少し日が経ってきたので、外側のあんこをはいで昼飯のチャーハンにまぜて来たのである。
別にボケでもギャグでもなく、息子は抵抗なく食べるだろうと思って作ったらしい。
しかし。
あんこをはいだところで甘い味が払拭されるはずもなく、そもそもおはぎはモチ米が混ざっている。
元おはぎの部分だけが最も重要なパラパラ感とは正反対のダマになってしまい、見た目にも無残なチャーハンとなって目の前に登場。
さすがにこの時はキレた。

一人暮らしの時は、カネもなかったので実はわりとマジメに自炊をしていたほうだ。
初心者向けお料理本を買い、みそ汁や餃子など誰でもできそうな料理をつましく一人分作ったりしながら、小岩のアパートで細々と生きていた。
会社にも弁当を作って持っていったくらいだ。
元祖弁当男子である。
そんだけやれる根性があったなら、料理の腕も上達してもよさそうなものだが、煮物や揚げ物といった次なるステップには進めず、仕事もやたら忙しくなってきたため、徐々に自炊の頻度も下がってしまったのだ。

そのうち結婚してしまい、しかも結婚当初は母や姉夫婦と同居もしており、家に主婦が3人もいる状態(母親は主婦引退同然ではあったが)だったので、料理なんて全然やらなくなってしまった。
そのまま成長して(成長じゃねえよ)料理のできない使えない昭和の中年が完成したのである。

昭和ヒト桁世代の父親は、生前料理のできる人ではあったが、そもそもゲテもの食いの傾向があり、デンマークで土産に買った「絶対に腐っている」何かの肉の缶詰を開けて家中を腐敗臭だらけにしたり、カビで真っ青になったファンクなミカンを好んで食べるなど、正直言って変人の領域にいる人間だった。

たまに母親が家を空ける時など、父親は張り切って夕飯のしたくをするのだが、誰も買わないような南国のフルーツが入ったサラダとか、どこから調達したのかわからない国籍不明な調味料で味付けする魚料理をこしらえるなど、腕の落ちる母親よりももっとタチの悪い展開となることが多かった。
母親不在の環境は、どこの家でもそうだと思うが、父親にとってムダに解放感をもたらすものらしく、わざわざ子供の前で「今日は父ちゃんが夕飯作るぞ!」とハイテンションで宣言をするのだ。
そんな楽しそうな父親の前ではこっちも仕方なく「わーい!やったー!」などと言って喜ぶ純朴な子供を演じつつ、心の中では「あーあ・・・ふつうのメシが食いてぇな・・・」と落胆していたのだった。

簡単に言えば、我が家は両親とも料理の腕前は大したことはなかったんですね。
「育ててもらっていながらその言いぐさはなんだ」という教育的見地からの批判はあろうが、これが自分の偽らざる感想である。
それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるのだ。
なお自分は食の好みにおいても父親には全く似ていない。

妻は結婚するまで親元で暮らしていて、料理の経験はほとんどなかったようだが、夫である自分は味の落ちる料理で育ってきたため、妻の手料理がマズイと思ったことは全然ない。
要するに自分はいわゆる「オフクロの味」なるものをいっさい持たずに結婚したのだ。
まあこれで良かったんだろう。
もし自分が「お料理上手な日本のよきお母さん」に育てられた舌の肥えたヤツだったら、かえって難しいことになっていたかもしれない・・・

料理に関しては結局こうしてずうっと家族に依存して生きているので、もし妻に先立たれたらたぶん栄養が偏って死ぬんだろうなぁ・・・などと情けないことを考えたりする。
ビリヤード美容院と違って、そろそろマジメに取り組まなければいけない課題であることは間違いなさそうである。
「あきれました。こんな役立たず、早く死んでください」などといったコメントが来てもおかしくない有様ですけど。

というわけで、お料理。
みなさんはお料理、されてますか?
得意なメニューやお料理に関するご自慢など、お寄せいただけたら幸いです。

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聴いてみた 第91回 ローリング・ストーンズ その5

前回60年代のアルバム「12×5」を聴いてけっこう気をよくしたあたし。
調子に乗ってさらにストーンズ教室中級コースを受けることにしました。
今度は70年代の作品「山羊の頭のスープ」(紙ジャケット盤)をチョイス。
大阪でモンスリー師匠に案内されて立ち寄った中古CD店で見つけ、オーバースロー気味に購入。
ただしそれほど深い意味はない選択で、たまたまつかんだ程度の話です。

Goatshead

「山羊の頭のスープ」は73年発表。
録音はジャマイカで行われ、全10曲ともジャガー&リチャーズの作詞作曲。
(ただしキースのほうはクレジットでは当時の名乗りのとおり「K.Richard」表記となっている)
メンバーはこの二人と、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマン、ミック・テイラーの5人。
ブライアン・ジョーンズはすでに故人となっており、ロン・ウッドはまだいない。

ビリー・プレストン、ニッキー・ホプキンス、イアン・スチュアートが参加。
ビリー・プレストンといえば末期ビートルズのレコーディングにも参加して、「Get Back」の間奏で軽快なピアノを弾き、屋上ライブの映像にも登場しているミュージシャンである。
またイアン・スチュアートはもともとストーンズの結成当時からピアノを担当していた人物だが、プロデューサーから「顔がバンドの雰囲気に合ってない」という気の毒な理由でオリジナルメンバーとなり得なかった。
イアンの画像をネットで見てみたが、まあ確かにザキヤマと安岡力也を混ぜたような面相ではある・・

さて、ネットでいろいろこの「山羊の頭のスープ」の評論を読んだが、ミック・テイラーのパフォーマンスが非常に重要という点では多くのファンの意見が一致するようだ。
「ミック・テイラーがいたからこそストーンズがおかしな方向に進まずに済んだ」といった評価もあり、彼の貢献はこのアルバムにとどまらず、バンドの歴史を確実に支えてきたことは間違いないようである。
ということでミック・テイラーのプレイに着目(着耳?)して聴いてみる。
果たしてあたしは、無事に山羊の頭のスープを飲み干すことができるでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1, Dancing With Mr. D.
どこか粘着系のメロディでスタート。
リズムが思ったより取りづらく、ついていくのが難しい。(ド素人)
ミスターDとはドラキュラ伯爵のことだそうだ。
この調子で続くとなると先行き不安な気がする。

2, 100 Years Ago
比較的おだやかなイントロ。
中盤で雰囲気が大きく変わり、ゆったりしたバラードになったかと思うと再び激しいミックのシャウト。
これもどうも難しいなぁ。

3, Coming Down Again
今度こそゆったりしたバラード。
この曲はキースのボーカル。
表現力ではやはりミックよりもインパクトには欠けるが、こういう曲ならむしろキースの声のほうが合っている。
間奏ではサックスやキーボードの音が聞こえ、壮大なイメージだ。
6分くらいあり、歌詞も同じフレーズの繰り返しが多いので長く感じるかと思ったが、意外にそうでもない。

4, Doo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)
この曲はベスト盤で聴いている。
自分もどうやらミックの声に徐々に慣れつつあるようで、初めて聴いた頃よりもいいと感じる。
ギターはミック・テイラーで、キースはこの曲ではベース担当とのこと。
歌詞はニューヨークの警察官による誤射殺人や退廃した若者たちを採り上げた社会派な内容。

5, Angie
これもベスト盤で聴いた名曲。
前の曲との対比でよりいっそうはかなく感じる。
古くからのファンの間では賛否両論だそうだが、やはり後世に残る名曲ではないだろうか。
自分のような初心者にとっては、こうして安心して聴ける曲があったほうがありがたい。

6, Silver Train
LPだとここからB面。
楽しそうなサウンドがタイトルにマッチしている。
中盤からエンディングまでミックはシャウトしっぱなし。
びよよよーんとはじけた演出を盛り立てるギターがいい。

7, Hide Your Love
若干ゆるめの宴会調リズムだが、ピアノとギターの主張が強く、なんとなくジャズっぽい曲だ。
楽しい印象はないが、楽曲のまとまりはタイトなものがある。
「セッション風」という評価があるようだが、まさしくその通りだと思う。

8, Winter
奥行きが深く、映画のエンディングのような広がりのある音がする。
雰囲気は「Coming Down Again」にも似ている。
ストリングスも使った高級感漂う一曲。

9, Can You Hear the Music
民族楽器のような変わった音で始まる。
一瞬プログレのような難解さを思わせるが、根幹には「Winter」同様壮大なバラードがあるようだ。
いろいろな楽器の音がして悪くはないが、ちょっと雑然とした感じ。
タイトルコールも繰り返しが長く、ラストも少し中途半端な印象。

10, Star Star
最後はノリのいいロックを持ってきている。
グルーピーのことを歌った、ストーンズお得意のお下品な歌。
もともと「Starfucker」という曲名だったが、レコード会社の意向で変更になったそうだ。
リードの派手なギターサウンドもいいが、左でずっとリズムを刻むギターがこの曲のキモだと感じる。
のちの80年代洋楽にも通じるお手本のような構成はさすがストーンズである。
ライナーには「ジョーン・ジェットがカバーしている」と書いてある。

曲単位では多少好みに合わないところもあるが、全体を通じてはそれほど拒絶感はなく、安心して楽しめるアルバムであると感じる。
タイトルやジャケットの気味悪さから、もっとキツイ音楽を想像していたのだが、ロックからバラードまで取りそろえたバラエティパックな内容だ。
すでにA面B面の文化はCDにはないんだが、それぞれのラストにちゃんと目玉な曲をセットしている企画は秀逸だと思う。

楽曲としては「Doo Doo Doo Doo Doo」「Angie」「Silver Train」「Star Star」が好みだ。
初心者なんでおそらくベタでダサいチョイスかもしれないが、このあたりからどんどんストーンズに入っていけたらいいと勝手に思っている。

ストーンズの経歴的には「メインストリートのならず者」と「イッツ・オンリー・ロックンロール」の間にあたる作品である。
それぞれの音楽性はけっこう違いがあるようだが、なんとなく傑作の2枚にはさまれた佳作というイメージがある。
「山羊の頭のスープ」はファンの間での人気度としては中くらいに位置するのだろうか?
なお曲名や歌詞に山羊だのスープだのといった言葉はいっさい出てこないんだけど、なんで山羊の頭のスープなんだろう?

ジャケットはスープ漬けのようになったメンバーの顔写真で、黄色っぽいビニール?越しに見える半笑いのミックがとても不気味。
CD買ってみて初めて知ったのだが、タイトルどおりのヤギの頭のスープの写真が中に入っている。
これも相当に気持ち悪い。
というかもはや食い物には見えず、ヤギが温泉につかって「あーあったけえ」とうなってるような絵になっている。
こういうアートはビートルズはついにやらなかった領域だ。
実際にヤギの頭のスープを飲んだことはないけど、まあ間違いなくマズイんだろう。

ということで、「山羊の頭のスープ」。
今回も出だしは少々不安でしたが、全体としてはかなりよかったです。
このトシになってようやくストーンズが聴けるようになったのは誠に喜ばしい限り。
次回はもう少し時代を下ってみたいと思います。

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行ってない 第4回 鳥取砂丘

この「行ってないシリーズ」は5年半前くらいから始めたのだが、結局国内で「まだ行ってない県」が2つほど残っている。
「行ってない」とは「一度も足を踏み入れたこともなく、鉄道や車で通過したことすらない」という意味である。
それが福井県と鳥取県。
その中でも鳥取県には申し訳ないが「近寄ったこともない」という状態である。
従って当然鳥取砂丘にも行ったことがない。

その鳥取砂丘。
その名のとおり鳥取市の海岸に広がる砂丘で、山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、国の天然記念物でもある。
「ただ砂があるだけ」という身も蓋もない感想もあるようだが、県や周辺の市町村は観光名所として力を入れているらしく、毎年「ゆるキャラカップin鳥取砂丘」も開催されている。
鳥取砂丘での開催意義はよくわかりませんけど。
日本で最も有名な砂丘で、規模も最大・・・と思ったら、厳密には「海岸砂丘としては最大」という条件付き。
内陸にある砂丘も含めると、青森県の猿ヶ森砂丘が最大とのこと。

特殊地形であるため、文学や絵画や写真など様々な芸術のモチーフとなっている。
鳥取砂丘を撮影した写真作品は数多く、また山下清も砂丘を描いた作品を残している。
映画やドラマの舞台にもたくさん使われており、寅さんシリーズやサスペンスドラマや時代劇にも何度も登場している。

日本の砂丘は降水量が多く砂漠ではないので、放置すると雑草が繁殖して緑化してしまうらしい。
鳥取砂丘には乾燥地研究所というものがあり、砂丘の生態系維持のため外来種の除草を行うそうだ。
日本の山林なんかはほとんどそうだが、人の手を加えないと維持できない状態にあるのは鳥取砂丘も同じだ。

観光名所ではあるが、天然記念物でもあるので、いろいろと規則がある。
砂の持ち帰りは禁止。
あるテレビ番組で砂の持ち帰りが発覚し、その後のDVD化が見送りになったこともあるらしい。
また観光客による砂への落書きがあまりにひどいため、2009年に条例が定められ、ひどい落書きの場合は5万円以下の罰金となる。
砂丘って文化財じゃないし広いからつい書きたくなるんだろうなぁ。
「風や雨でそのうち消えるだろ」という考えも落書きを後押ししていそうな感じだ。
行ったことはないけど、「○○参上」「喧嘩上等」「全開バリバリ」「夜露死苦」(全部死語)などの痛い中二っぽい落書きが必ずやあるであろう。
以前イタリアで大聖堂に落書きしちゃって騒ぎになってしまい、謝罪しに行った女子学生がニュースになったことを思い出した。

これまであまり行く意欲がわかなかったのだが、特に理由はない。
まあ基本的に砂丘に行ってラクダに乗るとか、砂を見ながら鳥取の地酒を飲む・・という行動にそれほど興味がないというのもあるが(発想が貧困)、周辺の観光施設も含めてあまり現地事情をよく知らないというのもある。
砂丘は天然記念物だけど、砂に落ちてる貝も持って帰ることは禁止なのかな?
自分は南の島の貝を拾い集める趣味を持っているのだが、貝殻も持ち帰り禁止だと、ますます自分にとって旅の目的地にするには厳しい場所になってしまう。

出雲大社もそうだが、首都圏からはやはり遠い。
遠いのは距離だけでなく移動時間も含めてだ。
たとえば福岡や札幌は距離的には遠いが、飛行機を使えばおそらく鳥取砂丘よりは早く到達できるはずだ。
鉄道で行くとしたら新幹線で岡山まで行って・・というコースだろうか。
でも岡山から鳥取まで特急で2時間はかかるらしい。
出雲大社と鳥取砂丘の両方を採り入れた観光コースというのもアリだと思うけど、この2つの観光地間の距離感が全然わからない。
一日で両方を巡ることは可能なのだろうか?

というわけで、鳥取砂丘。
思い浮かべただけでなんとなく口の中がじゃりっとなるような気がするんですけど、実際のところどうなんでしょうか?
行ったことのある方がおられましたら、周辺の観光情報も含め、ご感想をお聞かせいただけたらと思います。

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