« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

買ってみた その5 スマートフォン

知り合いの間でも極めて評判のよくないあたしのケータイライフ。
なにしろ自分が発信する時以外に電源を入れないという公衆電話以下の使い方で、家族からも「迷惑」とまで言われる始末。
いったん充電すると1ヶ月くらいは電池がもってしまう状態です。
だったら携帯なんか持つのをやめちまえばいいんですけど、まあ地震があったり電車止まったり遅刻の連絡したりで何かと便利なものであることも否定はしません。

そんな迷惑中年のあたしに、最近あるクライシスが近づきつつあることが判明。
実は使っている携帯はいわゆるガラケーなのですが、ガラの悪さがハンパではなく、2005年製です。(購入は2006年)
CASIOのW31CAという機種なのですが、赤外線通信もおサイフ機能もありません。
個人的にはそんな機能なんか不要なので全く不便を感じてないのですが、周波数の関係で今年7月で使用できなくなるとのこと。
昨年の地デジ対応が関連しているようで、その1年後には携帯も使えなくなることが決まっていたのでした。

なので昨年後半からキャリアによる機種変更依頼営業攻勢が始まりました。
携帯にメールが届くことはおろか、電話も郵便も何度も来ます。
家の固定電話にまでかかってくることもあり、相手するのもかったりぃので全て着信拒否。
しかし敵も番号を何度も変えては再度営業を何度もかけて来て、その都度キレ気味に対応しては着拒の連続となりました。

一方でスマートフォンが今後の日本のビジネスにとって無視できないアイテムであることもわかってはいました。
実際の普及率はメーカーやキャリアが言うほどでもないようですけど、スマホを前提とした市場が様々な業界で徐々に形成されていく様は感じていました。

どんなにがんばったところで7月には電話機能すら使えなくなるあたしのガラケー。
いいかげんキャリアの営業攻勢にも疲れてきたので、ヤケクソでスマートフォンを買ってやる(巨泉調)ことにしました。
まあ現状の利用形態からすれば、あたしみたいな人種はらくらくホンでも充分なんですけど・・・

さてそんならくらくのスマートフォン、略してスマホ。
ナウいヤングの間では「マホ」、業界の人達からは「マホスー」とも呼ばれるそうですが(適当)、そのマホスーを購入する準備を開始しました。
といってもパンフレットをあらためて見直したりネットで調べただけですけど。

自分の場合キャリアはauなので、かの有名なiPhoneも選択肢に入れることは可能です。
しかし。
わたくしは東洋一アップル社製品とソリが合わない低レベルサラリーマンなので、iPhoneはまずムリだと勝手に認定。
ロクに調べもせず早々に検討対象外としてしまいました。

Androidでは5機種ほど検討しましたが、富士通のArrowsZと、京セラのDIGNOが良さそうだと判断し、量販店に出かけました。
2つの機種は値段も機能もだいたい同じ。
あとはデザインなど好みの問題です。
ところが在庫を聞いてみるとDIGNOの黒しかないとのこと。
お取り寄せも面倒なので即決しました。

Digno

機種変更手続きを待つ間、店内で周辺グッズを物色。
本体を保護するカバー類は大半がiPhone用です。
この状況からもスマホのシェアにおいてiPhoneが大きな割合を占めていることがわかります。
DIGNO用なんて地味な黒のシリコンカバーしか売ってません。
カバーなしのムキ身で使うのも怖いので、しかたなく黒シリコンカバーを購入。

さらに機種変更でもっと困った事態が発覚。
古いガラケーではメディアがminiSDカードだったりメールの形式が異なるなどで、データ移植も完全にはできないとのこと。
高いスマホを買ってやったのに!きぃーー!・・・と店内で暴れそうになりましたが、売り場の姉ちゃんもイマイチ要領が悪そうでこれ以上の要求はムリだとあきらめ、データ移植は自前でやることにしました。

で、おうちに帰って移植にトライ。
・・・・・しかし。
画像や住所録は移動できましたが、メールはやはりダメです。
とりあえずPC上では確認できるメールファイルに変換しましたが、スマホでは読み込み不可のまま。
たぶんスマホで読める形式に変換する方法はあるんだと思いますが、調べるのも面倒なのでそのままにしました。

まだ使い始めたばかりなので、何をするにも非常に時間がかかっています。
文字入力も「?」がどうやったら入力できるのか3分くらい探したりする有様。
壁紙を変える・メールを読むといった基本動作すら手順がなかなか覚えられません。
当たり前ですけどキーボタンが全て画面の中なので、押し間違いが多いです。
自分は成人男性にしては指が細いほうですが、それでも狙ったボタンを正確に押せないこともまだ多いので、指が太い人はもっと大変なんじゃないですかね。

あといろいろアプリが装備されてるんですけど、感覚的に「閉じる=終了する」という状態になっているのかがわかりにくいです。
Wi-Fiと3Gがどこで切り替わるのかもイマイチわからないし、ブラウザ閉じたら通信も切れるのかどうか、仕組みもわかってません。(じじい)

おサイフケータイ機能はこれまで全く使ったことがありません。
ガラケーが非対応機種だったので当然なのですが、こんなん使ったら口座ごとがばぁぁぁーっっと持ってかれるんちゃうかとか、いらんことをいろいろ悩んだりしてる三流中年。
まあこの機能は特に急いで使うアテもありませんが。

買ってから気づいたのですが、フィルターカメラという機能がついていました。
線画風やミニチュア風といった写真が撮れるようです。
試してみました。

線画風というのは撮影した画像を線で描いた絵のように調整して保存する機能です。
これで撮影すると、コーヒーやパンを写したなんでもない画像が・・・

Senga1

このようになります。

Senga2

風景の画像もこんな感じに。

Senga3

どこか80年代っぽい雰囲気。

また流行のミニチュア風はこんな感じに写ります。
ちょっと被写体や構図がシロウトで申し訳ありませんが・・・

Miniature

これはおもしろいですね。
携帯電話のカメラ機能なんて全然期待してなかったのですが、パソコンでレタッチするのではなく、撮影の時点でこうしたアレンジが効くというのは良いと思います。

またこれも買ってから気づいたのですが、DIGNOにはiPhoneのようなイヤホンジャックがありません。
音楽を聴くau共通のLISMOというアプリは標準装備ですが、イヤホンで聴くにはUSBポートに別売アダプタを付ける必要があります。
大した手間じゃないとは思うけど、この点はやはりiPhoneが優れてますね。

ということで、スマホ。
ガラにもなく買ってしまいましたが、使いこなせるようになるまで相当時間がかかりそうです。
みなさんはスマホ、お持ちでしょうか?
ご自慢の機種や独自の使い方などご披露いただければ幸甚です。

| | | コメント (8) | トラックバック (0)

聴いてない 第165回 ポール・ヤング

1984年の歴史的ユニット「バンド・エイド」の「Do They Know It's Chiristmas?」。
ご存じの通りこの曲は当時のイギリスの著名なアーチストがメドレーで歌うものだが、その中でトップバッターとして登場するのがポール・ヤングである。
しかしポール・ヤングの曲は全然聴いていない。
聴いているのは大ヒット曲「Everytime You Go Away」と、86年の「Between Two Fires」のみ。
従って聴いてない度は3。

というわけでまずは恒例のウィキペディア確認・・・と思ってポール・ヤングのページを見たら、ちょっと驚くような内容だった。
情報がほとんど書かれていない。
聴いてはいないが、日本でもそれなりに知られているアーチストだと思っていたし、略歴や細かいエピソードくらいはあるやろと考えていたが、ツイッターで収まる程度の文字数でしか説明されていない。
まあウィキペディアがどのアーチストにおいても最高のソースであるわけではないけど、それにしても情報が少なすぎではないのか?

しかたがないので他のサイトやBLOGも必死に探し、かき集めた略歴は以下のとおり。
ポール・ヤングは1956年にイギリスのベッドフォードシャーに生まれた。
78年にQ・ティップスというソウルバンドを結成するが、3年程度で解散。
82年にソロ・デビュー。
マーヴィン・ゲイのカバー「Wherever I Lay My Hat(愛の放浪者)」が全英1位を獲得。
デビュー・アルバム「No Parlez」もミリオン・セラーを記録。
84年にバンド・エイドに参加し、翌85年にはホール&オーツのカバー曲「Everytime You Go Away」が世界的なヒットを記録した。
またライブ・エイドではアリソン・モイエとともに、マーヴィン・ゲイの「That's The Way Love Is」を歌っている。
89年にはネルソン・マンデラのトリビュート・コンサートに参加。
しかし90年以降はアルバムの売り上げも思わしくなくなり、チャートにも登場しなくなった。
現在も本国で活動中ではあるが、それほど目立ったものではない。

なおウィキペディアにも書いてあるが、マイク&ザ・メカニックスのボーカリストもポール・ヤングである。
こっちのポールは2000年に亡くなっており、新聞記事で知った時は「バンド・エイドのポール・ヤングが死んだのか・・」と見事に勘違いしてしまった。
ちなみにポール・ヤングとニック・カーショウとハワード・ジョーンズの3人は、80年代当時は英国若手シンガー御三家とか三羽烏などと称されていたらしい。
そうだっけ?
すいません、全部聴いてないですけど・・・

冒頭に書いたとおりバンド・エイドの「Do They Know It's Chiristmas?」では最初に歌い出すポール・ヤングだが、予定ではデビッド・ボウイがトップを務めることになっていたそうだ。
バンド・エイドのメイキング映像は当時NHKで放送されたのを見たのだが、ポール・ヤングの歌う場面は実はあまり覚えていない。
ボウイが都合で参加できなくなったためにトップ役がポール・ヤングに回ってきたということになるが、この順番決める時にもめたりしなかったんですかね?
当時ポール・ヤングよりも実績のあるアーチストばかりが集まっていたはずだし、ボウイの代わりという役割がすんなり承認されたものなのだろうか?
ミッジ・ユーロのお気に入りだったのか?(勝手な推測)
なおボウイは結局歌っておらず、間奏の部分でポール・マッカートニーらとともにメッセージでの参加という形になっている。

さて「Everytime You Go Away」のヒットは説明不要の不滅の金字塔だとは思うが、これがホール&オーツのカバー曲だということもよく知られた話だ。
当時のFM雑誌でホール&オーツのインタビュー記事を読んだが、ポール・ヤングの大ヒットにあせりを感じたのか、「あれは僕たちの曲だ」と強調していた。
ダリル・ホールはライブでこの曲を歌う前に「イギリス人歌手が歌ってるけどこれは僕たちの曲です」などと断りを入れていたそうだ。
ダリル・ホールにそう言わせてしまうほどのヒットだったのだが、ホール&オーツ側も想定外だったということだろう。
どちらのバージョンも聴いているが、ホール&オーツのほうが少し落ち着いた印象だ。

ポール・ヤングはわりとカバーが好きなようで、ホール&オーツやマーヴィン・ゲイの他にもシャイ・ライツ、トム・ウェイツ、クラウディッド・ハウスのカバー曲もあるらしい。
クラウデッド・ハウスの「Don't Dream It's Over」は名曲だが、ポール・ヤング版も聴いてみたいと思う。
本人はマーヴィン・ゲイのほかポール・ロジャースも憧れの対象と発言しているそうだ。

また変わったところでは91年に鈴木雅之とのデュエットで「Come On In」という曲を発表している。
どういう経緯で実現したのかは不明だが、この二人は同い年だそうだ。
ポールの「From Time To Time」というベスト盤に収録されているとのこと。

ということで、ポール・ヤング。
正直好みかどうかすら意識したことのないアーチストですけど、拒絶するような要素も特にありません。
アルバムの数もそれほど多くはないようですが、その中でも「聴くんだったらまずはコレ」というのがあれば、ご指定いただきたいと思います。

| | | コメント (12) | トラックバック (0)

聴いてない 第164回 ジェスロ・タル

映画「アルマゲドン」で町工場芸人?出身の宇宙飛行士の一人が、「ジェスロ・タルを誰も知らないのは我慢ならねえ」と言うシーンがあるそうです。
ロックファンの間でも有名なセリフだそうですが、あたしがその場にいたら「いや、だから知らないんですけど、それが何か?」と素で言ってしまい、その宇宙飛行士と小ぜりあいになりそうです。

そんな小ぜりあいのバンド、ジェスロ・タル。
全く知りません。
1曲も聴いてないしメンバーの誰も知らない。
知っているのはバンド名だけ。
以上、ジェスロ・タルを聴いてない件。
・・・・これだとツイッターで充分な文字数にしかならないので、渋々調査を開始。

ジェスロ・タルについてネットで調べてみたが、基軸というかカテゴリからしてかなり幅広い表現に彩られている。
信頼できる情報筋であるウィキペディアによると、「イギリス出身のプログレッシブ・ロック・バンド」となっているので、基本はプログレに分類されるようだ。
しかし読み進むと「ブルース・ロックの範疇に収まらないジャズ感覚を持ったハードなサウンドは、他のブルース・ロック・バンドとは一線を画するものであった」などと書いてあって早くもよくわからない。
他のサイトでも「ハードなギターサウンド」「ヘヴィなギターリフ」などといった勇ましい評価もあれば、「英国トラッドフォーク」「カントリー・フレーバーな作品」「ルーラルなボーカル」「クールなフルート」って意味も全くわからないんですけど的表現が並ぶ。

取り急ぎジェスロ・タル検討委員会アジェンダをまとめる。
どうでもいいけど「アジェンダ」「スキーム」「タスク」「アサイン」とかコンサルに影響されて好んで使うのはやめようよ。(誰に言ってんだ)

ジェスロ・タルは1967年にイアン・アンダーソンを中心に結成。
アルバム「日曜日の印象」で68年デビューし、70年代には全米1位となる「ジェラルドの汚れなき世界」「パッション・プレイ」などを発表した。
イアンの個性的なボーカルとフルートがサウンドの特徴。
今も現役で活動中。
89年にはなぜかヘヴィメタル・ハードロック部門でグラミー賞を受賞。
公式メンバーではないが、ライブのサポートとしてトニー・アイオミやスティーヴ・ハウが参加したこともある。
・・・なんだかひとつのバンドの説明とは思えないんですけど、そういうことのようです。
プログレでメタルでハードロックってことは、ドリーム・シアターみたいな感じなんですかね?

バンド名は18世紀のイギリスの農学者の名前に由来。
売れない頃に多くの変名で別のバンドのふりをして各地のクラブで演奏していて、たまたまあるクラブの支配人に気に入られた時の名前がジェスロ・タルだった、という。
日本で言うと「青木昆陽」ってバンド名、みたいなもんかな?(適当)
ファンの間では「タル」と略して呼ばれるらしい。
これ、発音は「樽」だと通っぽいスけど、そう呼ぶんでしょうか?

日本での人気は他のプログレバンドに比べて今ひとつという評価が多いが、その個性が必要以上に際だっているからであると分析するサイトもあった。
リーダーでボーカル&フルート担当のイアン氏は、ビジュアルが地下道っぽい上にフラミンゴのような姿勢でフルートを演奏するという、他にそんな人は見あたらないよスタイルのミュージシャンだそうだ。
しかもフルートのサウンドは一般人の想定する美しくはかない音色ではなく、ハードロックの楽曲に充分耐えうるヘヴィなもので、フルートを吹きながら叫んだりすることもあり、キャッチは「狂気のフラミンゴ」。
なんだかインディーズ団体のマスクマンレスラーみたいだが、クリムゾンイエスといった正調本流プログレとは決定的に違うらしい。
そのファイトスタイル?のあまりの変わり様に、フォロワーも今んとこ現れてないようである。

なおイアン・アンダーソンは意外にも東京タワーの蝋人形館にいるとのこと。
まあここは都民にとってもナゾの施設なんだが、ロバート・フリップやザッパやペイジに混じってイアンさんの人形が置いてあるそうです。
あまり興味はわきませんが・・

今も現役で活動中と書いたが、最新の情報によるとバンドとしては2011年から無期限の活動停止状態にあるそうだ。
イアンとギターのマーティン・バレがそれぞれジェスロ・タルの曲を演奏するライブの予定があり、どっちかっつうとマーティン側にジェスロ・タルの元メンバーがつく形で分裂しているような状態らしい。
このあたりはさすがにプログレでメタルでハードロックな様相をちゃんと呈している。

というわけで、ジェスロ・タル。
かなり個性的なバンドだということはうっすらわかりましたが、どんなサウンドなのかは全然想像できません。
入門編として適切なアルバムがあれば、ご紹介いただきたいと思います。

| | | コメント (6) | トラックバック (0)

やってない 第15回 楽器

8年も音楽BLOGを続けていながら未だに初心者リスナーから脱却できていないあたしですが、実は楽器も全くできません。
楽器も英語もできないくせに、よく洋楽BLOGなんかやってるよなぁ。
カナさんV.J.若YAGI節さんのように、リンク先のブロガーさんには楽器のできる方が多いし、友人にはミュージシャンもいたりするのですが、あたし自身はできる楽器というのが一切ない状態です。

自分の場合、小中学校の授業でやった以外、楽器を習ったり演奏したりした経験はない。
音楽の成績はとりたてて素晴らしいものでもなく、高校では美術を選択したので、自分の音楽活動は義務教育とともにあっさり終了している。

BLOGをやっていてミュージシャンの略歴をネットで調べることがあるが、さすがに世界規模で有名なアーチストの場合「両親ともミュージシャン」などといった事例はやはり多いと感じる。
楽器は値のはるものも多いし、親や家族の影響は非常に強い趣味なのだろう。
まあこのあたりは他の趣味やスポーツでも同じかもしれないが。

で、あたしも音楽とは無縁の家庭環境で育ちましたので・・・と言い訳したいところだが、実はそうでもない。
親は特に楽器を趣味とはしていなかったが、3歳上の姉は幼少の頃よりけっこういろいろな楽器に親しんでいる。
(たぶん)3歳くらいからオルガンを始め、中学生の頃はクラシックギター、高校に入るとフルートやクラリネットをやり始めた。
学校で吹奏楽部に入ったり、卒業後に市民吹奏楽団に入ったりしており、今の旦那ともそれが縁で知り合ったりしている。
今はどれもやめてしまっているが、初めてさわる楽器を持たせても、半日くらいでそれなりの音が出せる程度の技量はあるんじゃないかと思う。

なので弟の自分も「オレもやる!」と親に宣言さえすれば、それほどの障壁もなくやらせてもらえた可能性もなくはないが、まず基本的に楽器に興味がわかなかった。
仮に姉の後を追ってオルガンでもギターでも始めたとしても、年齢も実績も上の姉が弟を懇切丁寧に指導、なんて図式は我が家ではありえない。
間違いなく弟の才能をつぶすような底意地の悪いレッスンのまねごとを日々強行するに決まっているのだ。
そうした流れは簡単に想定できたため、家庭平和のためにも弟の私は楽器など始めるべきではない、と幼い心で結論を出したのだろう。(ホントかよ)
だったら姉のやってない楽器をチョイスするという考えもあって良さそうだけど、まあ基本的に親がオカネかけるのってだいたい上の子だしね。(卑屈)
もし小学生のあたしが「バイオリンを習いたい」と主張しても、経済的に却下だったと思います。

自分の場合、絵を描くことについては多少手が動くので、楽器をやらなかった理由としてこれも大きかったと思う。
絵を本格的に習ったことはないけど、高校の時は美術部(!)に入って漫画描いたり拙いアニメーション作ったりしていた。
楽器はできなくても絵は描ける、というのが幼い自分のプライドだったのだ。
今はもう絵を描く機会も全然ないんだが、突然画用紙と鉛筆を渡されて「じゃあ馬の絵を描いてください」と命令されても、たぶん何も見ずにそれほど苦労せず馬が描ける自信はある。
なお姉は基本的に絵心ない芸人の部類である。

高校の芸術の授業では音楽か美術かという大胆な選択を強いられるが、絵なら多少描けるのでこの選択も苦労しなかった。
今も高校生の芸術授業って音楽か美術かのどちらかを選択なんですかね?
どっちも得意ではない高校生だっているだろうし、もう少しバラエティがあってもよいのではないだろうか。

あと楽器は基本的に一定量の練習をこなさないとできないものだが、絵の場合は突然紙に描き始めてもそれなりのものは作れたりするので、モノグサな自分にはますます楽器が向いていなかったのだった。
要は楽器の練習のプロセスがイヤだったんですね。
練習もしないで音が出せるなら誰も苦労しない。
もちろん油絵とか日本画とか、絵画だってきちんとやる場合には当然一定量の鍛錬が必要なことは言うまでもないが。

ちなみに自分は絵はまあ描けるが、彫刻とか彫塑など立体は全くダメである。
学校の授業でも木彫や石彫刻や紙粘土なんかがあったけど、満足のいく作品になったことがない。
立体の場合、たいていクラスに一人くらい超人的な才能を発揮するヤツがいて、その他大勢とのレベルの差がものすごく大きい、なんてこともありましたよね。
不思議なもので立体が得意なヤツはたいてい絵もうまいんだが、絵のうまいヤツは立体が得意とは限らないのだった。

楽器をやらなかったこと自体にそれほどの後悔はないけど、ギター弾けたりブルースハープが吹けたりするのはやはりカッコいいとは思う。
誰もが知っている有名なメロディを颯爽と弾いてみせる、なんてことができたらいいなぁとは思うが、いかんせんすでに歳をとりすぎているし、楽器できなくても今のところ困ってないので、たぶんこのまま一切の楽器を手にしないまま死んでいくのだろう。
なのである日先輩筋の方から「今度バンドやるからな。名前はキング・ぷくリムゾンだ。オマエはベースだから練習しとけ」なんて言われたらどうしよう・・・とか考えると夜も眠れない。

ということで、楽器。
みなさん、どんな楽器ができますか?
楽器ができてよかったこと、苦労したことなど、語っていただけたらと思います。

| | | コメント (9) | トラックバック (0)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »