« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

行ってみた 第25回 湯布院・日田・柳川

毎年神々の国へ約束の地を求めて終わりなき旅を続ける三流人見知り旅芸人のSYUNJIといいます。
ようやく遅い夏休みがとれたので、今回は唐突に九州方面に行くことにしました。
九州に行くのは9年ぶりです。

新幹線開通で盛り上がる九州ですが、自分は飛行機で九州入り。
思い切って熊本まで新幹線で行ってみようかとかいろいろ考えたのですが、やはり時間と旅費の圧縮が必要なため、飛行機にしました。
飛行機は乗り物の中で一番好きですが、特に東京-福岡の航路は大好きです。
なぜかというと眼下に日本各地の町並みや山々がよく見えるからです。
あたしは少し大きめの都市であれば、上空から見える道路や鉄道や海岸線の形状からだいたい場所が特定できるという少し気持ち悪い特技?を持つ中年なのですが、今回は右側の窓席だったので、甲府や近江八幡や松江などの各都市が上空からよく見えました。

さて福岡空港前でレンタカーを借り、最初に向かったのは大分県の湯布院です。

Yuhuin1

Yuhuin2

湯布院に来たのは20年ぶり。
ただ20年前は駅前に少し立ち寄った程度だったので、街を歩くのはほぼ初めてです。
街の雰囲気は馬籠に近い感じ。

Yuhuin3

Yuhuin4

マルク・シャガールゆふいん金鱗湖美術館」という長い名前の美術館に併設されたカフェで休憩。
ここにいる間に大雨となりました。

Yamanami

「やまなみハイウェイ」を通ってこの日の宿である小田温泉に向かいます。
小田温泉は、最近非常に人気の高い黒川温泉のすぐそばにあり、とても静かなところです。
黒川温泉も行ったことはないのですが、あまのじゃくな自分はなぜか黒川温泉から車で5分ほどの小田温泉を選択しました。
宿は小田温泉の中程にある「山しのぶ」という旅館です。

Yamasinobu1

Yamasinobu2

Yamasinobu3

ここの旅館はとてもよかったです。
山深い温泉宿だと、建物や設備があまりにも古すぎたりして痛い思いをすることもあるのですが、ここは素朴さの中にも適度なセンスが感じられ、新しすぎず古すぎず、温泉や食事もレベルの高いところでした。
食事をする場所も半個室のような造りで、落ち着いて料理を楽しむことができます。

Yamasinobu4

Yamasinobu5

Yamasinobu6

また当日は中秋の名月ということで、敷地内にある「天文館」というテラスのようなところで旅館の方が天体望遠鏡を使って月や星を見せてくれたりしました。
望遠鏡も手で持つような細長いものではなく、ダイソンの掃除機くらいあるようなでかいもの(MEADE LX200だと思います)で、自動で星の動きを追尾する機能が付いていました。

Meigetu1

Meigetu2

残念ながら月の観察中に雲が出てしまい、デジカメではこの程度しか撮れませんでした。

Hita1

Hita2

翌日、日田市に立ち寄りました。
日田の豆田町は古い街並みが残るところで、雰囲気は滋賀の長浜にも似ています。

Hita3

日田醤油をみやげに買うことにしました。
店で味を確かめてみましたが、関東の醤油に比べてやはり甘いです。
日田醤油とは違いますが、我が家ではここ10年ほどずっと鹿児島の甘い醤油を使っており、この味に慣れてしまっているので、たぶんこれからも死ぬまで醤油は九州のものを使うと思います。

午後は吉井という街にも寄ってみました。

Yosii1

Yosii2

行政名でいうと福岡県うきは市ですが、日田と同じように古い街並みが残っています。
ただし街の規模は日田ほど大きくはなく、観光客もほとんどいませんでした。

しかしこのうきは市には、「ぶどうのたね」というナゾの?施設がありました。
もともと博多で呉服商を営んでいた田中家が、うきは市にオープンさせた集合施設とのことなのですが、地元はもとより全国各地の女性に非常に人気があるようです。

Budounotane1

手工芸作品を展示するギャラリー「ギャラリーぶどうのたね」、ランチも食べられるカフェ「たねの隣」、オリジナルの和菓子が買える「葡萄家」などで構成されています。
各店舗は畑の上の高台にあり、駅や幹線道路からもかなり離れていて立地条件としては便利とは言い難い場所だと思うのですが、カフェの駐車場は平日の午後なのに満車でした。
少しわかりにくいですが、この写真はカフェの入り口です。

Budounotane2

カフェは混雑していて入れなかったので、和菓子店でみやげにオリジナルの「楠森棒茶」を買いました。

夕方、柳川にも行ってみました。
城下町柳川は街の中にお堀が残っており、そこを舟でめぐるというアトラクション?が人気です。

Yanagawa1

Yanagawa2

Yanagawa3

残念ながら時間がなかったため、お堀めぐりはできませんでしたが、街の中を歩いていると船頭さんの歌う童謡などが聞こえてきて、情緒あふれる風景です。

この日は柳川の少し北にある久留米に泊まりました。

Kurume1

久留米のグリーンリッチホテルは部屋が広く、非常に快適でした。
ただ街中の暑さはハンパでなく、夜になっても気温が全然下がりませんでした・・・

ということで、旅はもう少し続きます。

| | | コメント (4) | トラックバック (0)

やってない 第14回 入院

常日頃からカラダが弱いことをハナにかけて自慢し続けているので、もはや誰からも同情されていないSYUNJIといいます。
そんな筋金入りのキョジャッキー(ねえよそんな言葉)なあたしですが、実は入院したことは一度もありません。

人生には病気やケガはつきものだし、虚弱なので大ケガとか大ゲリとか大頭痛とかすぐしそうなタイプではあるのだが、幸いなことに今まで一度も入院するほどの事態になったことがない。
まあ自慢するほどのことではないが、入院なんかしないに越したことはないので、幸せなほうなんだろう。
骨折も手術も経験はありません。
パトカーに乗せられたことはあるけど、救急車はない。(どうでもいい)

ケガで一番大きかったのは、高校生の時に柔道で股関節を挫傷し歩行も困難になったことだったが、学校は数日休んだものの、骨折や脱臼ではなかったので入院するほどではなかった。
近所の外科でデタラメなほど湿布薬を大量にもらい、1ヶ月くらいで全快した。

小学生の時には自転車に乗っていてクルマにはねられたことがあったが、クルマ側がそれほどスピードが出ていなかったため、額に擦り傷程度で済んだ。(自転車は大破した)
病気ではインフルエンザくらいかな。
15年くらい前の話だが、高熱は出たが3日くらいでなんとか回復して会社に行った程度だった。

実は今も持病はいろいろあるが、クスリでなんとかふつうに生活はできている状態だ。
変な話だが、若い頃からホントに体力がないので、加齢による衰えというのを感じることはまだ全くない。
(せいぜい老眼くらいである)
というか、若い頃のほうが今よりもずっと虚弱で、風邪なんか年に何度もムダにひいていたのだ。
25歳くらいの時、10月にひいた風邪が、年明けまで治らなかったこともあった。
さすがにふつうの人はそんなことはあまりないだろう。

今年の夏はずっと体調が良くないのだが、これも加齢によるものとは全然思っていない。
28歳の時にはもっとひどい夏バテを経験している。
あんまりひどかったので当時の年齢もよく覚えているのだった。
とにかく食えず・起きられず・寝られず・働けずというのが夏の間ずっと続いた。
会社も8月は半分くらいしか行けず、医者も数件行ったが、あんまし真剣に取り合ってもらえず、胃腸薬ばかり飲んでいた。
よくクビにならなかったもんだと今さらだがマジメに思う。
法律上は病気を理由とした解雇はいけないとされているが、実態はそうではないことはご存じのとおりだ。

多少マシに働ける体力がついたのは30代後半以降である。
ここ10年くらいは、風邪など病気で仕事を休むのは年に1~2日だ。
有給休暇の理由が「免許書き換え」とか「東京地裁で債権者集会出席」とか、夢のないものばかり。
病欠は全くなかった年もある。
病気になるほどマジメに仕事をしてないだけでしょうけど・・

なので検査入院も含め、病院で寝泊まりという経験は一度もない。
病棟には見舞いでしか入ったことがないので、あそこで生活するというのがあまりイメージできない。
病気やケガの程度にもよるだろうが、治療の苦痛以外ではやはりメシがまずいとか消灯がやたら早いといったところが不満の対象になることが多いようだ。
同部屋のおっさんがカタギじゃない人だったりとか、主治医が妙にチャラいヤツだったりとか、病気そのもの以外の問題で悩んでいる患者さんも多いんじゃないだろうか。
もちろん入院したいとも思わないし、治療は苦痛で不自由で退屈だろうし、このまま一生入院しないでタタミの上で死にたい・・と真剣に思うよ。

だからある日パンチパーマのおっさんが運転するスモガラのアメ車に追突されて大ケガして突然入院とか、路上で突然痴話げんかが刃傷沙汰に発展して大ケガして入院とか、予期せぬ事態になったらきっとあわてるだろうなぁ。
あわてる余裕があるくらいならマシなのかもしれないが・・・
なんとかこのまま入院せずに逃げ切って生涯を終えようと思いますが、それでもいきなり入院することになってもオロオロしないような、患者としての心構えみたいなものがもしあるなら、教えてほしいと思います。
でもせっかく教わっても自分の場合、やっぱりムダにオロオロすると思いますが・・・

| | | コメント (4) | トラックバック (0)

聴いてない 第160回 ユーライア・ヒープ

世間でいう「普通」が、自分の場合全然当てはまらなくて苦労することもそれなりに多いSYUNJIといいます。
ここ1ヶ月くらい夏バテで体調がずっと悪いのだが、医者から「何か思い当たることは?」と聞かれて「いや、暑くて寝られなかったので・・」と言うと「去年はもっと暑かったじゃないですか」とも言われたのだった。
「1ヶ月も夏バテしてる人なんか普通いませんよ」などと言われる始末。
あのねえ、そりゃ1ヶ月間夏バテで同じ医者に延々通い続ける患者もそんなにいないとは思うよ。
どうも医者ってのは「発泡酒飲みすぎ」「銀座で接待続き」「ショートホープを1日3箱」「毎晩シメに豚骨ラーメン」「今日は吉原・堀之内、中洲・ススキノ・ニューヨーク」など、わかりやすいサラリーマン的原因と当然の結末を求めたがっているよなぁ。
どれもねえよ先生!
世の中いろんなヤツがいるってことを、お医者さんももう少し知るべきだね。(上から目線)

そんなナゾの体調の中で続ける冤罪バンドシリーズ、今日はユーライア・ヒープの巻。
当然1曲も聴いてないしバンド名しか知らない。

例によってネットでユーライア・ヒープを調べたのだが、サイトによってカテゴリーというか分類分けが微妙に異なる。
「ハードロック」が多いようだが、「プログレ」「ハード・ロック・プログレッシブ」「ヘヴィ・メタル」などと記述するサイトもあり、ドリムシのようにどの要素も多分に含んでいるようである。
でもって引き合いに出されているのはたいがいツェッペリンパープルサバス。(全部ケツ上げでお読み下さい)
しかもどこのサイトでも「ハードロックのパイオニア」「元祖ブリティッシュハードロック」「不死鳥のごとく甦るロックバンド」「ブリティッシュ・ハード・プログレ最後の生き残り」「大英帝国ハードロック歴史絵巻」「長州藤波名勝負数え歌」「ひとり民族大移動」「アックス・ボンバー三つ又の槍」「ノーロープ有刺鉄線電流爆破」など、とても大げさなアオリがいっぱい書いてあるのだった。
しかしプログレと言われるわりにはイエスフロイドとの比較はあまりないようだ。

なんでハードロックともプログレとも言われるのかというと、やっぱりメンバーチェンジがむやみに多いからだろう。(違うと思う)
だってウィキペディア見ると楽器のパートごとに歴代のメンバーがぞろぞろ書いてあるような状態だよ。
ギターだけがミック・ボックスという人で、他はキーボードもドラムもベースもボーカルも数人ずつ書いてあるのだ。

この歴代メンバーに登場する中で、名前を知っている人が二人いた。
レインボーのボブ・ディズリーと、あのジョン・ウェットンである。
ボブ・ディズリーは三頭体制の頃、ロジャー爺さんが加入するまでベースを務めていた人である。
ボブ・ディズリーとジョン・ウェットンの職歴を考えると、ユーライア・ヒープがハードロックともプログレとも言われる方向性を持っていたことがなんとなくわかるような気もする。(知ったかぶり)

ジョン・ウェットンがユーライア・ヒープに在籍していたことは、実は全く知らなかった。
でもウェットンさんはユーライア・ヒープには1年くらいしかいなかったとのこと。
ジョン・ウェットンの転職経歴としては、クリムゾン→ロキシー・ミュージック→ユーライア・ヒープ→ブライアン・フェリー・バンドU.K.→ウィッシュボーン・アッシュ→エイジアとなるようだ。
これはおそらくジョン・ウェットン検定3級試験では鉄板問題なんですかね、ぷく先輩?

さてユーライア・ヒープがビッグネームとなったきっかけが、アルバム「対自核」だった。
原題が「Look At Yourself」なので「己を見つめよ」とか「我がふり直せ」とか「自分探しの旅に出たらどうかね」とかいろいろあっても良さそうだけど(全部適当)、ここはあえて日本語でも意味不明の「対自核」。
フロイドの「原子心母」にも匹敵する名邦題である。
高校生の頃「ユーライア・ヒープ:大痔核」と書いては一人でウケていたアホウな友人がいた。
ヤツが中年となった今、大痔核で苦しんでいないことを祈るばかりだ。
なおアルバムタイトルでもある「対自核」という曲は、あのザ・ピーナッツがカバーしたこともあるそうだ。

会社に入ったばかりの頃、飲み会の席で当時の上司が「オレはその昔ユーライア・ヒープというバンドの対自核というアルバムをよく聴いたもんだ・・」と遠い目をして言ったことがある。
自分はその上司とはどうもソリが合わなかったので、「あーあーそうスか。じゃ次参りましょう」と藤本義一のようにあしらって話題を変えてしまい、以来人生の中でユーライア・ヒープにふれることは一切なかった、というバカな話。
あの発言が上司ではなく同僚の若い女性のものだったとしたら、その後の人生も大きく変わっていたに違いない・・

彼らのアルバムはタイトル(邦題)もジャケットもなんとなく怖いものが多い。
ファーストアルバムのジャケットはかなり気持ち悪いし、「対自核」は目玉が不気味だし、「悪魔と魔法使い」「魔の饗宴」「罪なきいけにえ」「魔界再来」など、タイトルも古い怪奇映画みたいな感じだ。
まあジャケットにはそれなりに力を入れているらしく、パープルのようなポンコツジャケットは見当たらないようですけど・・
かと思うと98年の作品には「SONIC ORIGAMI」というのがある。
「ORIGAMI」は折り紙のことだが、あまり深い意味はないらしい。

というわけで、やっぱりあまりよくわかっていないユーライア・ヒープ。
ハードロックなところにわずかな期待はあるのですが、まずは「対自核」の評価などから教えていただけたらと思います。

| | | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »