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読んでみた 第39回 オルタモントの真実

今日読んでみたのは、「ザ・ローリング・ストーンズ オルタモントの真実」。
この本は事件当時ローリング・ストーンズのツアーマネージャーをしていたサム・カトラーというイギリス人によって書かれたドキュメンタリーだ。

発行はマーブルトロン、発売は中央公論新社、2011年06月発行。
判型は四六変型、349ページ、1575円。
翻訳は川田志津、副題は「メレディス・ハンターはなぜ殺されたのか!?」、原題は「You Can't Always Get What You Want」である。

Altamont

目次はこんな感じ。

・ サム・カトラーの幼少年期
・ 急激な変容を遂げる’68~’69ロンドンのポップ・カルチャー
・ フリーコンサートの意義
・ ストーンズ、’69全米ツアーに向けて、ロサンゼルスに。
・ 暗躍する謎の人物たち
・ フリーコンサート、2日前に決まったオルタモント
・ めった刺しにされ殺されたメレディス・ハンター
・ グレイトフル・デッドのツアーマネージャーに
・ FBIにもマークされていたフリーコンサートの責任者

オルタモントとはカリフォルニアのサンフランシスコ郊外にあるレース場のことだが、「オルタモントの悲劇」については、ストーンズの演奏中に殺人が起きたということしか知らなかった。
事件に至るまでの経緯や事件の詳細は、おそらくこれまで多くのメディアによって記されてきたのだろうが、読んだことは全くない。
なので自分にとってはこの本が事件を知る最初の書物になる。

・・・・・読んでみた。

事件は1969年12月6日にオルタモントで起こった。
ローリング・ストーンズは1969年の全米ツアーの最後をフリーコンサートとすることを企画。
同じ69年の8月にはあの「ウッドストック」がすでに成功をおさめていたが、ストーンズは「ウッドストック」には「混乱を招く」という理由で呼ばれておらず、一方でライバルでもあったザ・フーは「ウッドストック」に出演しており、対抗意識もあったのだろう。
また世界中をツアーして大金をかせぐストーンズに対して、「自由」を理由にフリーコンサートを求めるヒッピーたちからは批判が浴びせられていた。
こうした批判をかわす目的もあり、ストーンズはフリーコンサート開催を思い立ったようだ。
コンサートは「ウッドストック」のわずか4ヶ月後に開催され、映像の映画化は「ウッドストック」よりも早かったとのこと。

しかし。
この本によれば、準備の段階ですでに問題は数多く噴出している。
コンサート運営や警備を仕切ろうとする得体の知れない人物が次々に登場。
しかもそいつら同士がどうもお互いを非常に悪く思っているようで、それぞれが「なぜあんなヤツが出入りしているのか」とカトラー氏に忠告するような状態。
カトラー氏自身が呼んだわけでもないのに、事態はどんどん良くないほうに展開していく。

自分のようなストーンズもロクに聴いてない極東の小国民には、当時の米英の世相やヒッピー文化なんかはもちろん理解できないのだが、それにしても不思議な話が多い。
コンサート警備をヘルズ・エンジェルズに依頼したのは有名な話だが、これはグレイトフル・デッドのリーダーであるジェリー・ガルシアのアドバイスによるものだった。
しかも警備のギャラは500ドル分のビール代だったとのことだが、カトラー氏によれば、警備を仕切るジョン・ジェイムスという男が全く信頼できず、ビール代すらきちんとヘルズ側に渡ったのかどうかも不明だったようだ。
500ドル相当のビール代という時点で、ヘルズ側がまっとうなビジネスとして警備担当を請け負うつもりはなさそうな話だと思うんだが、なぜか話はそう決まっていく。

のちにジェリー・ガルシアは、自らのアドバイスが結果的に事件につながり責任を感じていることをしぶしぶ認めている。
しかも現場で混乱が発生したと知ったグレイトフル・デッドは、危険を感じて結局コンサートには出演していない。
こうしたことがジェリー・ガルシアの「負い目」になってしまったのだろう。
カトラー氏は事件後はストーンズから離れ、グレイトフル・デッドのマネージャーとなったため、ガルシアやデッドの話もたくさん出てくるが、デッドはストーンズとはある意味対極に位置するようなバンドで、世俗的な商業ベースでの音楽活動などを超越した考えを持っていたようだ。(実際その後デッドは金銭的に窮地に陥り、カトラー氏の努力によって再起する)
なのでフリーコンサート+ストーンズ+ヒッピー+ドラッグという見るからにヤバそうな図式に、ヘルズ・エンジェルズを加えることへのリスク意識などはあんましなかったのだと思う。

ところがもっと不思議なのは、ストーンズのメンバーも事態を全く深刻に考えていなかったことだ。
カトラー氏は続々登場する謎の人物と不穏な動きに不安を抱き、ミック・ジャガーに何度も相談する。
ところがミックはその都度「心配ない。彼らに任せておけば大丈夫だ」「気にしすぎだ。冷静になれ」などとカトラー氏の訴えを聞き入れない。
ヘルズ・エンジェルズの警備についても、カトラー氏の話を退屈そうに聞いては「問題ない」と一蹴。
さすがは大物ミック・・・とも言えなくもないが、結果的にカトラー氏の不安はことごとく的中しており、ミックは当日混乱した会場の異常さは感じたものの、目の前で殺人が起きたことにも気づかなかったようだ。
またキース・リチャーズは日々いいドラッグといい酒のありかだけを気にしているような感じで、カトラー氏の不安など相談できるレベルではなかったらしい。
カトラー氏自身はもしものために、ブーツにデリンジャー(手のひらサイズ拳銃)を仕込んでいたことが書かれている。
結局使うことはなかったそうだが・・・

この本を読んだ後、オルタモントの映像をネットで見た。
映画「ギミー・シェルター」の一部の映像だが、観客数30万人とか50万人とか言われている数字のわりに、ステージ周辺がかなり貧相だ。
ステージは最前列観客の腰の高さくらいしかないし、距離もやたら近い。
おまけに照明鉄塔に登ってカラダをゆらすデブのおっさんとか(どうやって登ったの?)、歌うミックの前をとっとっとっと横切る犬とか(誰の犬?)、ステージの上にもヘルズ・エンジェルズがうようよいて歌うミックにガンを飛ばしたり観客を殴ったりとか、なんだかちょっと偏差値がアレな高校の文化祭みたいな騒乱状態である。

暴れる観客に対してのミックとキースの反応の違いが興味深い。
ミックは「みんな冷静になるんだ!」「誰が何のために暴力をふるうんだ?」という呼びかけを繰り返すが、キースは「暴れるのをやめないなら演奏をやめるぞコラ!」と叫んでおり、二人はけっこう対照的な態度をとっている。
結局この後メレディス・ハンターという黒人の若者が、ストーンズに銃を向けたところをヘルズ・エンジェルズによって背中を刺され殺されてしまう。
カトラー氏の描写でも、誰かがメレディスについて「あいつ銃を持ってる!」と叫ぶ場面になっているが、映像で見る限りでは、この混乱の中でステージから、暗い客席でメレディスが銃を持ってることがホントにわかったのか?と疑問は残る。
メレディスは会場に白人のガールフレンドを伴って来ており、これがヘルズの反感を買ったという見方もあるようだ。
刺した側のヘルズ・エンジェルズの誰も罪に問われていない。

この当時ストーンズを包んでいたのは「万能感」ではなかったかと思う。
現場は確かに混乱していたが、「オレたちが演奏を始めればみんなついてくるだろう」「ウッドストックにオレたちを呼ばなかった連中を後悔させてやる」と思っていたのではないだろうか?
ミックはストーンズの演奏開始時刻になっても、あえてすぐにステージには登場せず、観客を待たせてじらすなどの演出を考えていたようだが、これがさらに騒動を増幅させることにもなっている。
残念ながらこのコンサートは「オルタモントの悲劇」として長く語り継がれる「ロックの歴史上の汚点」とまでなってしまうのだが・・・

観客が暴れていた原因のひとつに、粗悪なクスリがあったのではないかとカトラー氏は分析している。
当時ヒッピーたちに支持されていたのは「高品質なクスリを作る人・売る人」であり、そういう人たちは粗悪なものを作るなんてことはプライドが許さないし、多くのヒッピーたちはより高品質なクスリでトリップすることがイケていることだと信じていた。
従って明らかに悪意を持って粗悪品を会場でばらまいていた人間がおり、それと符合する話があちこちにあったとカトラー氏は書いている。

カトラー氏は事件後、ストーンズ側代表としてヘルズ・エンジェルズとの極めて面倒くさそうな交渉に呼び出されたり、裁判に出席したりするが、あまり詳しいことは書かれていない。
それより驚くのは、事件以降ストーンズのメンバーと接触すらしておらず、そのまま西海岸に残りデッドの世話になりマネージャーを始めてしまい、ストーンズのメンバーと再会するのは何十年も後になる、という話だ。
関係者それぞれに言い分はあるだろうが、この状況ではカトラー氏に対して何らかの力が働き、ストーンズから遠ざけられたとしか思えない。
結局殺人事件そのものは偶発的だったのかもしれないが、コンサート前後の混乱はどうやら意図的に作られたものであるというのが、この本の主張のように読める。
おそらく当のストーンズたちは何も知らずステージの騒乱に直面しただけだったのだろう。

事件とは何の関係もないが、ビル・ワイマンはストーンズ在籍中10年以上もキースと会話したことがなかった、という話が書かれている。
ビルが勝手に「オレはキースに嫌われているんだ」と思っていたらしいんだけど、それでバンドのコミュニケーションが成立するのがストーンズなのである、とのこと。
有名な話のようだが、ホンマかいな?
ネットで探すと「二人は犬猿の仲だった」とか「同じ女をめぐってトラブル」とか「7年以上口もきかない」とか、案外いろいろ出てくるので、どれかは本当なのかもしれない。

2003年ようやくカトラー氏はオーストラリアでツアー中のメンバーと再会。
チャーリー・ワッツが電話をくれたことがきっかけだったと書いてある。
再会の時のキースの言葉がイメージどおりである。

「サム・カトラーじゃねえか!それともクソ野郎のほうが合ってるか?」

会ったこともないけど、まさにキース・リチャーズそのもののセリフだ。
この本はこうした翻訳表現がかなりこなれていて、セリフの端々で非常にいい感じの?日本語になっている。

というわけで、「オルタモントの真実」。
ストーンズに関する本そのものを初めて読んだ状態ですが、当時のストーンズとコンサートについて一番よく知る人の話なので、非常に臨場感がありました。
これまで語られてきた「オルタモントの悲劇」についての話とどこが食い違っているのか、調べてみたい気がします。

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聴いてない 第159回 エコー&ザ・バニーメン

これまで「いや、あのへんは70年代だから」「うーん・・プログレだしね」「ほら、ボクってメタル聴かない人じゃないですか」(知らねーよ)など、濁った言い訳をまき散らしながら「聴いてない」ことを延々世界中に公表しとるわけですが、上記のどれにも当てはまらないのに、ほーらやっぱり聴いてないというのもあったりする。
まあそんなの不思議でもなんでもないんですが。
その昔「ビールは飲めませんので」と言って上司のついだビールを拒否したら「じゃあ焼酎なら飲めるだろ」と言われて押し問答になったことがあります。
「じゃあ焼酎」って言われても・・
アメトーークでもやってたけど、飲める人は必ず「こんなん水みたいなもんやで」って言いますよね。
それが水だったためしもないんですけど。
そんな誰しもが聴いているであろう水みたいな?バンド、それがエコー&ザ・バニーメンである。
さすがに最近「知らない」シリーズ化してるので、マクラもとても適当。

エコー&ザ・バニーメン、聴いてない度は1。
全く聴いていないし、1曲も知らない。
知っているのはバンド名と「やまあらし」というアルバムがあることくらいだ。
ファンの間では「エコバニ」と呼ばれるそうです。
まあそのまんまだけど、「ドリムシ」よりは定着してそうな略称。

仕方がないので水のようにエコバニの歴史をさらっとおさらい。
1978年イギリスはリヴァプールにて結成。
中心メンバーはイアン・マッカロクとウィル・サージャント。
80年に「Crocodiles」というアルバムでエコー&ザ・バニーメンとしてデビュー。
彼らはネオ・サイケと呼ばれ、ドアーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響を受けたと思われるサウンドで一躍有名になる。

83年にアルバム「Porcupine(やまあらし)」をリリースし、全英2位を記録。
87年にバンドと同名のアルバムを発表するが、その後イアンがバンドを脱退し、ドラムのピートが交通事故により死亡する。
この時点でバンドは解散同然となり、90年にはバンドが「Reverberation」というアルバムを出し、イアンはソロを発表するなど分裂した活動が続く。

97年にピート以外のメンバーで再結成。
その名も「Evergreen」というアルバムを発表。
リアム・ギャラガーも参加したそうだが、評判は今ひとつ。
サウンドもかつての攻撃的な印象は薄れていき、99年にはアコースティック中心の「What Are You Going To Do With Your Life」を発表。
2005年まではオリジナル盤を出している。
現在はイアンとウィルの二人でイギリス国内やアメリカ各地をツアーしたり、地道に活動を続けているそうだ。

・・・ということで今回も全然知らない話だらけ。
なぜか「やまあらし」というアルバムは知っているが、中身は聴いていない。
この情報は雑誌かなにかで仕入れたのだろう。

エコバニを語るサイトには、「ネオ・サイケデリック」「暗い」「陰鬱」「洗練」「美しいメロディ」「渦を巻くサウンド」などのいまいち整合してない表現が並ぶ。
そう言われても全然想像がつかないんだが、時期やアルバムごとにサウンドはけっこう違うらしい。
1・2枚目まではかなり暗いサウンドだっだのが、3枚目からポップありロックありの多様性を見せ、4枚目ではバラードやオーケストラなどにも拡張していった、という展開のようだ。

聴いてない理由を少し考えたのだが、特にない。
というか、80年にデビューして83年全英2位という経歴なのに、どうして聴いてないのか不思議である。
ただ当時のFMではあまり流れていなかったのではないかとは思う。
サンスイ・ベストリクエスト」でオンエアされた記憶は全くない。
いや、実際にはあったのかもしれないけど、自分が聴いていた範囲では、柏村武昭が「では続いてエコー&ザ・バニーメンです」などと紹介した記憶は全然ないのである。
いずれにしても1000曲以上のエアチェックをこなしてきた中で、エコバニの曲はひとつも録音していないのだった。

同時期に活躍したバンドとしてはU2やザ・キュアー、ニュー・オーダーがあがることが多いようだが、その中では自分が聴いてるのはU2だけだ。
いろいろ調べてみたらなんとなくわかってきたんだが、エコバニはどうやら当時の流行にはあえて乗ることを拒否していたらしい。
そのためセールス的には80年代半ばで失速することになったのだろう。

「Ocean Rain」は84年の作品だが、録音はパリで行っているそうだ。
イアン・マッカロクによれば、「イギリスで録音したらカルチャー・クラブのような音にされそうだったから」とのこと。
当時カルチャー・クラブはおろか、あのイエスまでもがダンス・ミュージックに傾倒してたんまりオカネをかせいでいたはずなのだが、そういう音にはしたくなかったのだね。
そういう意味では相当頑固な人たちなのかもしれない。
あるサイトでは「ベストヒットUSA」で採り上げられるようなバンドではない、という評価?もあったが、そうなると自分が全く聴いてないのもなんとなくわかる気がしてきた。
玄人受けするタイプのバンドってことですかね?

というわけで、エコー&ザ・バニーメン。
当時まさにカルチャー・クラブなんか好んで聴いていたので、ハードルはたぶんそれなりに高いだろうなと覚悟はしているのですが、そんな軽薄なあたしでも聴けそうな音楽なんでしょうか?
とりあえず「やまあらし」の評価だけでも教えていただけたらと思います。

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買ってみた その4 SONY VAIO Eシリーズ

家でパソコンを使うようになってから10年以上経つが、ここまで基本的にノートPCを使っている。
理由は簡単で場所をとらないからである。
家の外に持ち出したりはしないので、デスクトップでも構わないのだが、やはりモニターやら本体やらと机に乗せていくとあっという間に狭くなってしまう。

実はデスクトップも1年ほど使っていたことがある。
機種は驚きのMac。
当時最新鋭のPower Mac 7200だったが、MacOSの操作や機能にどうしてもなじめず、挫折敗退。
知り合いに売り飛ばしてしまい、以来Macは買っていない。
こうして世にも珍しいMac挫折ユーザーとなった。

その後会社で使用していた東芝Dynabookの下取り品などを経て、新品のノートPCを購入。
この時はNECのバリュースターだった。
同時に通信回線をADSLに変更し、本格的にネットを利用することになる。
その後は富士通FMV・シャープのメビウス・東芝Dynabookなど5~6台を乗り換えてきた。
以前は値段もけっこう高かったので、1年くらいですぐ売り飛ばしては最新機種に変えたりしていたが、ここ5年くらいは東芝Dynabookを使い続けている。

その間OSではVistaが登場したんだが、あまり使う意欲がわかなかった。
モバイルとして使用する工人舎PCで半年くらいVistaを使ってみたが、あまりの使いにくさに辟易。
なのでここまでずっとXpマシンを使用してきたのである。

さてそのDynabookがいよいよ言うことをきかなくなってきた。
起動に5分くらい平気でかかるし、1クリックで反応に1分くらいかかることもしょっちゅう。
再インストールしても状況は変わらず、ついに買い換えを決意。

立川の量販店で物色してみたが、今は圧倒的にノートPCが主流だ。
デスクトップはあまり売っておらず、あるのはだいたいがモニター一体型のビジュアル系?である。
タワー型なんてのは一般向けにはもう全然作ってない、という感じのようだ。
かつてノートPCは、小さな筐体に部品を収める技術と液晶の高額さのためか、同性能のデスクトップPCに比べてどうしても割高という現象が続いていた。
しばらく新品を購入していなかったので知らなかったが、最近そうした傾向はなくなっているようである。

機能にさほどこだわりはないので、「いっちゃん安いヤツ」から順番にながめていたら、SONYの兄さんが来ていろいろ説明してくれた。
聞けば今見ている店頭ものよりも性能が上で値段も安いという組み合わせがあるとのこと。
ただし注文販売なので持ち帰りができない、という説明。
条件は悪くなかったので、すすめに従って注文することにした。
それがVAIOのEシリーズである。

Vaio2

SONYのパソコンを買うのは初めてである。
オーディオのようにわりとメーカーにこだわる人は多いようだが、ここまで使ってこなかった理由は特にない。
おそらく他のメーカーのものが安かっただけだろう。

Vaio1

Vaio3

色はブルー(濃紺)にしてみました。
今まで白や銀ばかりだったので、この色はけっこう新鮮。
まあ機械を変えたところで書いてる文章が劇的にうまくなったりはしないので、ムダづかいとも言えますが・・・

ということで、この記事はそのVaioで作っています。
スピードがやたら早いかというとそれほどでもないが、キーボードの感触はけっこういい感じです。
相変わらず偏差値の低いバカなBLOGですが、Vaioでもう少し続けてみようと思います。

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