読んでみた 第38回 傷だらけの店長
今回読んでみたのは雑誌ではなく、「傷だらけの店長」という単行本である。
書店の店長が書いたエッセイなんだが、そんな気安い内容ではない。
文字どおり傷だらけのドキュメンタリーである。
著者は伊達雅彦、版元はパルコ出版。
価格は1365円、発行は2010年8月。
版元のサイトでは「カリスマ書店員の話でもなくかしこまった書店論でもない、ただ実直にただ本が好きな一書店店長の不器用な生き方をリアルに描いた自伝的連作短編」などと紹介されている。
業界紙「新文化」に連載されていたエッセイが書籍化されたものだ。
どうでもいいが版元のアオリがなんかダサイのはどうにかならないもんだろうか。
実は発行当時から存在は知っていたのだが、読むのを避けていた。
読まなくても過酷な内容であることはわかっていたからだ。
読んだら確実に気分が沈んでしまうことを確信していたので、自分はこの本から逃げていたのである。
しかしつい先日、図書館の新刊コーナーに置いてあるのを発見してしまった。
大げさだが、「もう逃げられない」と思い借りることにした。
買ってないから逃げてることに変わりはないだろうが、覚悟を決めて読むことにした。
・・・・・読んでみた。
予想どおりの展開である。
書店の店長である主人公は、本が好きという自らの志向と、職業としての書店員の過酷な業務実情との乖離にひたすら悩んでいる。
働く書店はチェーン展開する中規模店舗のようだが、明るく楽しい話題がほとんど出てこない。
売り上げは下がり続け、本部は的はずれな指示ばかり、バイトの管理は不必要に面倒であり、客からの問い合わせはいつも具体性に欠けて時間ばかり取られ、万引きはいっこうに減らず、近所にでかいライバル店ができたことが決定打となり本部からは閉店を告げられる・・・
書いてて泣きそうである。
なんだこの本は。
しかしだ。
ただの愚痴や文句だったら、泣きそうになんかならない。
この文体というか筆致がくせ者なのだ。
単なる書店の店長の不満タラタラな愚痴の連続ではなく、なんつうか非常に繊細で叙情的な描写なのである。
それでいてイヤミがなく、どこかでとても醒めた目で情景を表現している。
なので余計にダメージを受ける。
ありきたりの言い方だが、「リアル」な文章だ。
もしこれが作家によるフィクションであれば、まあこれくらいの表現はできて当然であろう。
しかし、もしこれが本当に書店の店長が書いたドキュメンタリーであれば、文章が情念的でうますぎる。
そんな本なのだ。
自身と同じように本が好きな大学生の甥っ子が、同じように書店で働くことを希望していることを知った店長。
当然だが全否定する。
現状を知らない甥っ子に、書店と業界の過酷な実情を話し、あきらめるよう説得する。
ところが話を聞き終わった甥から「なんで書店に勤めているのか」と逆に問われ、迷った末に「そりゃ本が好きだから」というド正直な答えをしてしまい、甥っ子からは勝ち誇ったような笑みが返される。
著者プロフィールを見て「やっぱり」と勝手に思ったが、自分と同世代だ。
バブルの頃のウソみたいな景気を知っているからこそ、余計に今の不況がキツイと感じているのだろう。
それ以上に思うのは、この店長が不器用で純粋すぎることだ。
会ったこともない人を分析するのは失礼だけど、おそらくどんな職業についてもこの人は必要以上に真面目に取り組んでしまい、それがゆえに深く悩んでしまうのではないかと思う。
自分は版元の人間であり、書店で働いた経験はない。
しかし思い入れはやはりある。
なぜかというと、会社に入って最初に仕事を覚えた現場が、会社の中でなく書店だったからだ。
ただの新人研修なんだが、それまで客として訪れていた書店を、文字通り裏から入ってのぞき、非常に多くの発見をさせてもらった。
番線・スリップ・帳合・取次・直納・掛け・平台・面陳・・・
専門用語も全て書店で教わった。
都内のいろいろな書店のいろいろな人に出会い、その多くの書店で自分の会社の出版物が驚くほど大量に売れていった。
学校出たばかりの新人にはその適正な物量が全くわからず、連休明けの自分の注文の少なさで「オマエ棚がガタガタじゃねえかよ」と先輩から叱られた。
これはたまたまだったが研修期間中担当した書店が、なじみのあった新宿や世田谷にあったことも研修を楽しくした。
新宿は大学2年から卒業までずっとアルバイトしていた土地であり、世田谷は大学があった場所だ。
大学のすぐそばの書店で研修し、その帰りに用もないのに大学に寄り、教授に「営業の帰りにちょっと寄りました」と誇らしげに挨拶したりした。
大げさに言うと、自分の社会人としての原点は書店にあるのだ。
冒頭に紹介したとおり、「傷だらけの店長」の店は、近所にできた大型書店の影響もあって本部から閉店を告げられる。
店長が若い頃から棚を作ってきた、思い入れのある大事な店。
大型書店側からの転職の誘いも断り、閉店前日の夜中に一人残務処理を行う店長。
店の床に寝ころんで、店に謝る店長。
自分は通勤電車の中で音楽を聴きながら本を読むのだが、この描写を読んでいた時、聞こえてきたのがイーグルスの「ならず者」だった。
やばい。
できすぎである。
こんな展開の時にこのメロディは、そしてこの歌詞はあまりにも切ないだろうが・・
かくしてクソ混雑する殺風景な通勤電車の中で朝から音楽を聴きながら本を読んで泣いている、とても気持ちの悪い中年ができあがったのだった。
というわけで、「傷だらけの店長」。
個人的には読後の清涼感などは全然ないし、そういう性質の本ではない。
だけど、やはり読まなければいけなかった本だったと思う。
その後この店長はどうしているのかわからないが、書店という業界からこうした才覚が一人分失われているとしたら、その損失は非常に大きいものだ。
この本が出てこなくても業界をとりまく状況が厳しいことに変わりはないし、それは書店だけでなく版元の問題でもある。
(いえ、版元だけの問題かもしれませんけど・・)
三流版元リストラ最有力候補生の自分には何のチカラもないけど、これ以上このような本を書店の人に書かせないためにも、なんとかして事態を打開していかなければいけない・・とヤケクソ気味に思った、そんな本です。
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コメント
午前中に、今日は映画でも見ながらゆったり過ごすか、、と書いておきながら、結局はネットで様々なテキスト、ニュースを読んでいる、、だいまつです。
自分は、遠出するときには、先に大きい書店があるということが第一理由になる感じなんですが、中堅書店は厳しいでしょうね、、。
本を読むという楽しみが、本当に今後3年でどれだけ変化するのか、自分でも分からないですね。
アマゾンのキンドルの日本版もどうなるのか、スマートフォンでの電子書籍の動きもありますし、、。
先の記事でも書きましたが、例えばリストラなうの人だって、最初はブログで火がつくというように、ウェブの補完的な意味合いに本のポジションが変わっていくのかな、、と思ったりもします。
本にはない、リアルタイム感がウェブを読んでいて「おもしろく」感じて、更新を待つ、、。そんな感覚が本には無いのが、娯楽としてやはり求めるべくもない、、そんな印象です。
投稿: だいまつ | 2011.06.05 13:14
だいまつさん、コメント感謝です。
>本を読むという楽しみが、本当に今後3年でどれだけ変化するのか、自分でも分からないですね。
自分は出版社にいながら驚くほど本を読みませんが、確かに今後の変化は1年後でも想像は難しいです。
ケータイでテレビを見る人が珍しくなくなってきましたので、本も時間の問題だとは思います。
>例えばリストラなうの人だって、最初はブログで火がつくというように、ウェブの補完的な意味合いに本のポジションが変わっていくのかな、、と思ったりもします。
その通りですね。
「電車男」や最近のケータイ小説なんかはそうでしたし、出版社側もネットでヒットしたものを書籍化するという安直企画しか出せなくなっていると思います。
>本にはない、リアルタイム感がウェブを読んでいて「おもしろく」感じて、更新を待つ、、。
かつては子供向け科学雑誌や漫画雑誌がそういうノリだったんですけどね。
今や書籍で読者が「待っている」のは村上春樹くらいではないでしょうか。
投稿: SYUNJI | 2011.06.05 20:49