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聴いてない 第155回 カーディガンズ

90年代のムーブメントといえばオルタナ・グランジだと思うが(知ったかぶり)、その少し後にちょっとした盛り上がりを見せていたのがスウェディッシュ・ポップである。
などと断言してるけど、実態はグランジ同様ほとんど知らない。
スウェーデンと言われて思い浮かぶのは鉄板のアバと、後は「11PM」や「金曜スペシャル」の北欧性風俗特集・・(大貧困)
そんな知識の乾燥の中で90年代中盤でNOW系のCDなんか聴いたりすると、クラウドベリー・ジャム、メイヤ、ソフィー・ゼルマーニなどスウェーデンのアーチストが時々混じったりしていて、テレビCMなどで使われたりもしていた曲もあった。
そのスウェディッシュの中でおそらく最もヒットしていたと思われるのがカーディガンズである。

カーディガンズ、聴いてる曲は「Carnival」「Lovefool」の2曲だけ。
アルバムは聴いてないので、聴いてない度3。
どちらもMTVの音声だけをテープに録音している。
「Lovefool」は日本でも森永カフェラッテのCMに使われた。
なおこのCMにはジョディ・フォスターが出ていたはずである。

カーディガンズというバンド名もどこかオシャレではある。
流行ったのが21世紀だったら「フリースズ」とかになるんだろうか。(適当)
もし「セーターズ」「ジャンパーズ」「パーカーズ」「トレーナーズ」「チョッキーズ」だったらどれもなんかとても野暮ったい。(どうでもいい)

そんなオシャレなカーディガンズについて、ネットで市場調査実施。
元々はメタル系ミュージシャンのピーター(G)とマグナス(B)が中心となって結成された5人組バンドで、紅一点のニーナ・パーションがボーカル。
カテゴリーとしてはオルタナティブ・ロックとなっているようだが、日本では「渋谷系」と評する人もいるらしい。
どっちもよくわかりませんけど。
たまたま同じような時期によくテレビで目にしたからだろうか、自分の中では彼らとピチカート・ファイブがなんとなくセットになっている。

カーディガンズを発掘したのは、スウェーデンのプロデューサー、トーレ・ヨハンソン。
この人の名前もなんだかあちこちで目にするなぁと思っていたら、日本のBONNIE PINKやカジヒデキ・つじあやの・レミオロメンなどのプロデュースもしてた人なんだそうだ。

95年に大ヒットした「Carnival」は2枚目のアルバム「Life」に収録されており、「Lovefool」はその翌年発表のアルバム「First Band on the Moon」からのシングルカットである。
この曲は映画「ロミオとジュリエット」にも使われたとのこと。

90年代末にいったんバンドとしての活動は停止したが、2003年再開。
2005年まではアルバムを発表している。
98年以降の活動はアメリカや日本ではあまり評価されていないが、本国スウェーデンでは今も人気は高いようである。

2曲しか聴いてないけど、サウンドはフォークに70年代のサイケを混ぜたような雰囲気だととらえている。
激しいギターワークとか重いドラミングとかステージで火を噴くとか生きたコウモリを食べるとか仔牛の焼き印押しなんてのはなく、どこかくもったベースラインと乾いたドラム、びろびろしたキーボードでスピーカーを安っぽく震わせながら物憂げに女性ボーカルが歌う・・・という構成。
ボーカルのニーナさんも、ジャケットで笑顔を見せているんだけど好みと聞かれればそうでもなく、「ブスかわいさ」などといったシャープな表現をしてるサイトもあって、どうなんだろう・・という感じ。
この人は「Life」のジャケット写真と、ソロアルバム「A Camp」のジャケットではかなり雰囲気が違う。
「A Camp」のほうは写真でなく絵ではあるが、眼光鋭い活動家のような感じですけど・・

「Carnival」「Lovefool」のサウンドやニーナの声・歌い方は悪くないと思う。
歌詞は英語なのだが、どう聴いてもあんましきちんと発音していないところがかえって雰囲気を作り出している。
「Carnival」は「Come on and love me now」という言葉を連呼するのだが、最後のほうは滑舌がとても適当。
鼻歌寸前のような歌い方である。
かと思うと同じ言葉をコブシをきかせて歌ってみたり、不思議なボーカルだ。
バンドのメンバーがもともとメタル系なこともあってか、サバスオジー・オズボーンなどの曲をライブで演奏することがあるそうだ。
ニーナ・パーションはあの「胸いっぱいの愛を」を、元祖のペイジ・プラント・ジョーンジーの前で歌ったこともあるらしい。

ということで、いまいちよくわからなかったカーディガンズ。
だいたい90年代以降のアーチストについてはわかっていないことだらけなのですが、カーディガンズについておすすめの情報があれば教えていただきたいと思います。

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やってない 第13回 サッカー観戦

サッカー観戦もしたことがないなんて・・と刑事告発されて非国民扱いされてBLOGもツイッターも炎上するのを恐れながら生きているSYUNJIといいます。
「観戦」と付けましたが、サッカー実戦も当然ナシに等しい状態。
まあ柔道や鉄棒同様、学校の体育授業でやった程度で、成人してからは一度もピッチに立ったことがありません。(やってないくせに選手っぽい物言い)

観戦のほうだが、試合場で見たことは一度もない。
もともと人混みが苦手なので、人が集まる場所に行ってスポーツを観戦するという習慣はない。
カネ払って見に行ったスポーツは野球とK-1くらいなのだ。
その野球もK-1も、最後に見たのがどのくらい前だったかはっきりしないという有様である。

テレビで見てると、当たり前だが野球とサッカーは観戦スタイルがかなり違う。
野球も席の位置によっては鳴り物や旗など派手な応援をしている人たちがいるが、サッカーの場合観客席全体がそんな感じに見える。
顔にペイントしたり歌を歌ったりでかい旗を振り回したり・・といったサポーターのまねごとをする自分、というのが全く想像できないのだ。
サッカーは席に座って見てはいけないのでしょうか?
観客席でゆっくりビールでも飲んでサッカー観戦してるおっさんてのはいるんだろうか。
というか、サッカー場ではビールって売りに来るの?(ド素人)

そもそもテレビで見るのもワールドカップの日本チームの試合くらいだ。
日韓共催の時の決勝戦だって、試合場に向かう電車に乗ってはいたけど、それはたまたま別の用事があったからで、ドイツとブラジルのサポーターが全員降りるのを呆然とながめていたのだ。
選手の名前も日本代表メンバーは多少知っているが、今のJリーグ選手となるともうほとんどわからない。

こんな自分だが、Jリーグ発足の頃は、マスコミも派手に採り上げていたこともあって、今よりも多少は試合をテレビで見たり選手の名前を覚えたりしていた。
最初に応援していたのはアントラーズ。
もちろんジーコがいたからだ。

ド素人の自分だが、ジーコがどれほどスーパースターだったかは日本に来る前から知ってはいた。
高校の同級生にサッカーマニアがいて、当時の日本ではあまり話題になっていなかったワールドカップ(スペイン大会)について詳細に教えてくれたのだ。
その情報の大半は忘れてしまったんだが、「ブラジルには"白いペレ"と呼ばれるすごい選手がいる」ということだけ覚えていた。
それがジーコである。

ジーコに限らず、Jリーグ発足当時はどこのチームも外国人選手がやたら目立っていたと思う。
あの頃はそれだけ日本人選手との間に力の差がまだまだあったということかもしれないが、試合を見ていてもやはり彼らは動きが違っていた。
ジーコ、アルシンド、ディアス、ビスマルク、レオナルド、エドゥー、ペレイラ、オッツェ、リトバルスキー、ストイコビッチ、スキラッチ、シジマール・・・
今でもこれくらいの選手の名前はすぐに出てくる。
本国や世界レベルでの人気と実力は様々だったろうが、ともかく彼らなしでは初期のJリーグの盛り上がりはあり得なかったのだ。
エドゥーのフリーキックなんて誰もマネできないすんごい軌道だなぁ・・とド素人の自分は思ってしまった。

アントラーズの次に応援しようと決めたのはフリューゲルス。
エドゥーのフリーキックがすごかったからという、サッカーをロクにわかってないおばはんのような理由からだが、加えてどっちかっつうと同じ横浜でもマリノスよりも地味だったんで応援したろと思ったのだった。
しかしながら盛り上がる前になぜかフリューゲルスはマリノスに吸収されて無くなってしまった。
このあたりから急速にJリーグに対する興味が失われていく。
にわかファンなんてこんなもんである。

最近Jリーグに世界のスーパースターが来なくなったのは、日本が不況で運営企業側が資金的に厳しいということもあるが、ヨーロッパの各リーグのテレビ放映権料が高騰してしまったことが大きいそうだ。
ヨーロッパの各チームの用意するギャラに、Jリーグ側が全く太刀打ちできなくなった、ということらしい。
そう考えると、ピークは過ぎていたかもしれないけど、Jリーグの試合でジーコやディアスやスキラッチのプレーが見られたなんてのは、とてもいい時代だったのだろう。

その後のドーハの悲劇やジョホールバルの歓喜などはニュースでもちろん見たが、試合そのものは生放送では見ていない。
サッカーの国際試合って時差の関係で夜中にやったりするが、寝ないで見たことは一度もない。

職場にはサッカーファンはそれなりにいる。
ワールドカップ日韓共催大会で日本チームの試合が平日午後に行われた時、一部の社員は異様に盛り上がっていて、仕事もそっちのけでユニフォームに着替え、ラジオを聴いて大騒ぎしていた。
(この頃まだ携帯でテレビを見るという環境はなかった)
その情熱を仕事に向けたらいいのに・・とまでは思わなかったけど、いっしょになって騒ぐことはしなかった。
また先輩社員で、ワールドカップのフランス大会を見に行くため会社に長い休みを申請したが却下されたので、そのまま会社をやめてしまった人がいた。
テレビで見りゃあいいのに・・という理屈は、その人には全く通用しなかった。
見る人の人生をも変えてしまうスポーツ、それがサッカーなのだ。

というわけで、素人のくせに哲学っぽいセリフで締めてみましたサッカー。
今後も知り合いがJリーガーにでもならない限り試合場まで足を運ぶことはなさそうな気がしますが、一度見てみたら考えは変わるかもしれませんね。
観客席での過ごし方など、「観戦」における心構えなど教えていただけたらと思います。

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食べてみた 第13回 栃木焼きそば

時々思い出したように麺類ブロガーを名乗り誰からも信用されないSYUNJIといいます。
先月栃木市に行ったのですが、ここのご当地焼きそばを食べる機会がありました。
焼きそば目当ての旅だったわけではないのですが、事前に栃木市の観光ポイントを調査中に焼きそばが名物であることを知ったので、リサーチを敢行。

ここ数年、B級グルメは空前のブームです。
ホントにご当地で人気なのか怪しい食べ物もあるようですが、まあ観光客にとってはうまけりゃなんでもいいんです。
中でも焼きそばは元祖富士宮を筆頭に、横手・黒石・太田など全国各地の都市が日本一を競って血みどろの抗争を繰り広げているようです。(誇張)
そんな戦いの焼きそばワンダーランドに三つ又の槍を携えて満を持して登場した海の神ネプチューンこと栃木焼きそば。
全然説明になってませんが、とにかく食べてみることにしました。

栃木市では「じゃがいも入り栃木やきそば会」が結成され、市内の食堂やレストランで栃木焼きそばを出しているそうです。
そう、この焼きそばはじゃがいも入りです。
もちろん食ったことはありません。
本来は持ち帰りが主流であり、食事というよりおやつとかファストフードのノリで親しまれてきたとのこと。

Sizuka

今回食べたのは「四次元ポケット静」というちょっと変わった名前の店。
のび太やジャイアンがいそうな感じですが、そういうノリの店ではないようです。
さっそく栃木焼きそばを注文してみました。

Totigiyakisoba

やがてじゃがいも入り焼きそばが登場。
見た感じ、じゃがいも以外は普通のソース焼きそばです。
果たしてどんな味なのでしょうか。

・・・・・食べてみた。

うまいです。
ふつうに。
これはアリだと思います。
というか、なんで今まで焼きそばにじゃがいも入れてなかったんだろう。
特にマイナスポイントは何も感じません。
じゃがいもが苦手でなければ、この味でダメ出しする人もいないと思います。
実はじゃがいもの粉っぽい食感がそれほど好きではないのですが、焼きそばに入れてしまうとあまり気になりませんでした。

じゃがいもは揚げてあり、多少下味がついているような気がしました。
キャベツやもやし同様、野菜なんで思ったほどの違和感はありません。
これ、たぶんさつまいもだったら甘みがソースにバッティングしてダメなのかもしれないですね。

栃木焼きそばも店によって味は様々らしいですが、あまりにも違和感がなかったんでインパクトもそれほど強くはありません。
家で作るのも簡単でしょうし、もっと全国に広まってよさそうな味です。
なので味の比較ではなく衝撃度としての比較ではやはり富士宮のほうが強いです。
ちなみにじゃがいもを入れる文化は栃木市だけでなく、足利市や群馬県桐生市などにもあるようです。

あたしは全然見てなかったのですが、名作ドラマ「ロングバケーション」で、山口智子と木村拓哉が「焼きそばにじゃがいもを入れるか」をやりとりする場面があるそうです。
キムタクが「ふつう焼きそばにじゃがいもなんて入れないでしょ」と言うと山口智子が「あたしは入れるもんね」と返す・・というシーンだそうですが、山口智子はこの栃木市出身なのでした。
セリフはもちろん劇中のものですが、山口智子はきっと本音を込めてキムタクに反論したんでしょうね。

というわけで、栃木焼きそば。
味に不満は全くありませんでした。
家で作ってもよさそうですし、もっと県外で食べられる店が増えてもいいと思います。
ただ最近どのB級グルメもかなりヒネリを意識してるような気もしますので、そんな中でこの至極まっとうな味で全国大会などでトップをとるとなると、むしろ厳しいのかも・・と三流評論家のような感想を抱きました。
今後も全国各地のご当地B級グルメを求めて徘徊しようと思います。

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読んでみた 第38回 傷だらけの店長

今回読んでみたのは雑誌ではなく、「傷だらけの店長」という単行本である。
書店の店長が書いたエッセイなんだが、そんな気安い内容ではない。
文字どおり傷だらけのドキュメンタリーである。

Tencho

著者は伊達雅彦、版元はパルコ出版
価格は1365円、発行は2010年8月。
版元のサイトでは「カリスマ書店員の話でもなくかしこまった書店論でもない、ただ実直にただ本が好きな一書店店長の不器用な生き方をリアルに描いた自伝的連作短編」などと紹介されている。
業界紙「新文化」に連載されていたエッセイが書籍化されたものだ。
どうでもいいが版元のアオリがなんかダサイのはどうにかならないもんだろうか。

実は発行当時から存在は知っていたのだが、読むのを避けていた。
読まなくても過酷な内容であることはわかっていたからだ。
読んだら確実に気分が沈んでしまうことを確信していたので、自分はこの本から逃げていたのである。

しかしつい先日、図書館の新刊コーナーに置いてあるのを発見してしまった。
大げさだが、「もう逃げられない」と思い借りることにした。
買ってないから逃げてることに変わりはないだろうが、覚悟を決めて読むことにした。

・・・・・読んでみた。

予想どおりの展開である。
書店の店長である主人公は、本が好きという自らの志向と、職業としての書店員の過酷な業務実情との乖離にひたすら悩んでいる。
働く書店はチェーン展開する中規模店舗のようだが、明るく楽しい話題がほとんど出てこない。
売り上げは下がり続け、本部は的はずれな指示ばかり、バイトの管理は不必要に面倒であり、客からの問い合わせはいつも具体性に欠けて時間ばかり取られ、万引きはいっこうに減らず、近所にでかいライバル店ができたことが決定打となり本部からは閉店を告げられる・・・
書いてて泣きそうである。
なんだこの本は。

しかしだ。
ただの愚痴や文句だったら、泣きそうになんかならない。
この文体というか筆致がくせ者なのだ。
単なる書店の店長の不満タラタラな愚痴の連続ではなく、なんつうか非常に繊細で叙情的な描写なのである。
それでいてイヤミがなく、どこかでとても醒めた目で情景を表現している。
なので余計にダメージを受ける。
ありきたりの言い方だが、「リアル」な文章だ。
もしこれが作家によるフィクションであれば、まあこれくらいの表現はできて当然であろう。
しかし、もしこれが本当に書店の店長が書いたドキュメンタリーであれば、文章が情念的でうますぎる。
そんな本なのだ。

自身と同じように本が好きな大学生の甥っ子が、同じように書店で働くことを希望していることを知った店長。
当然だが全否定する。
現状を知らない甥っ子に、書店と業界の過酷な実情を話し、あきらめるよう説得する。
ところが話を聞き終わった甥から「なんで書店に勤めているのか」と逆に問われ、迷った末に「そりゃ本が好きだから」というド正直な答えをしてしまい、甥っ子からは勝ち誇ったような笑みが返される。

著者プロフィールを見て「やっぱり」と勝手に思ったが、自分と同世代だ。
バブルの頃のウソみたいな景気を知っているからこそ、余計に今の不況がキツイと感じているのだろう。
それ以上に思うのは、この店長が不器用で純粋すぎることだ。
会ったこともない人を分析するのは失礼だけど、おそらくどんな職業についてもこの人は必要以上に真面目に取り組んでしまい、それがゆえに深く悩んでしまうのではないかと思う。

自分は版元の人間であり、書店で働いた経験はない。
しかし思い入れはやはりある。
なぜかというと、会社に入って最初に仕事を覚えた現場が、会社の中でなく書店だったからだ。
ただの新人研修なんだが、それまで客として訪れていた書店を、文字通り裏から入ってのぞき、非常に多くの発見をさせてもらった。
番線・スリップ・帳合・取次・直納・掛け・平台・面陳・・・
専門用語も全て書店で教わった。

都内のいろいろな書店のいろいろな人に出会い、その多くの書店で自分の会社の出版物が驚くほど大量に売れていった。
学校出たばかりの新人にはその適正な物量が全くわからず、連休明けの自分の注文の少なさで「オマエ棚がガタガタじゃねえかよ」と先輩から叱られた。
これはたまたまだったが研修期間中担当した書店が、なじみのあった新宿や世田谷にあったことも研修を楽しくした。
新宿は大学2年から卒業までずっとアルバイトしていた土地であり、世田谷は大学があった場所だ。
大学のすぐそばの書店で研修し、その帰りに用もないのに大学に寄り、教授に「営業の帰りにちょっと寄りました」と誇らしげに挨拶したりした。

大げさに言うと、自分の社会人としての原点は書店にあるのだ。

冒頭に紹介したとおり、「傷だらけの店長」の店は、近所にできた大型書店の影響もあって本部から閉店を告げられる。
店長が若い頃から棚を作ってきた、思い入れのある大事な店。
大型書店側からの転職の誘いも断り、閉店前日の夜中に一人残務処理を行う店長。
店の床に寝ころんで、店に謝る店長。
自分は通勤電車の中で音楽を聴きながら本を読むのだが、この描写を読んでいた時、聞こえてきたのがイーグルスの「ならず者」だった。

やばい。
できすぎである。
こんな展開の時にこのメロディは、そしてこの歌詞はあまりにも切ないだろうが・・
かくしてクソ混雑する殺風景な通勤電車の中で朝から音楽を聴きながら本を読んで泣いている、とても気持ちの悪い中年ができあがったのだった。

というわけで、「傷だらけの店長」。
個人的には読後の清涼感などは全然ないし、そういう性質の本ではない。
だけど、やはり読まなければいけなかった本だったと思う。
その後この店長はどうしているのかわからないが、書店という業界からこうした才覚が一人分失われているとしたら、その損失は非常に大きいものだ。
この本が出てこなくても業界をとりまく状況が厳しいことに変わりはないし、それは書店だけでなく版元の問題でもある。
(いえ、版元だけの問題かもしれませんけど・・)
三流版元リストラ最有力候補生の自分には何のチカラもないけど、これ以上このような本を書店の人に書かせないためにも、なんとかして事態を打開していかなければいけない・・とヤケクソ気味に思った、そんな本です。

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