« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

聴いてない 第154回 ヒューバート・カー

ヒューバート・カーと書いて、果たしてどれほどの方が反応されるであろうか。
自分はもちろん聴いてないのだが、おそらく「え、誰それ?全然知らない」か「おおーいたいた、懐かしいねえ」の2種類に反応は分かれるのではないでしょうか。

ヒューバート・カー、聴いてる曲はもちろん「エンジェル07」だけ。
従って聴いてない度は2。
そもそもこれ以外の曲が日本でヒットした記憶はないし、一発屋と思っている人も多いはずである。

ヒューバート・カーはドイツ出身の3人組バンドである。
メンバーはリーダーでボーカルのヒューバート・ケムラー、キーボードのマルクス・レール、ベースのクラウス・ヒルシュブルガーで、ドラムはいない。
カテゴリーとしては当時流行のニューロマとかエレポップに該当し、a-haやスパンダー・バレエなんかと同じククリにされることも多いようだ。
メンバーの中には後にエニグマに参加した人もいるらしい。
というかエニグマはマイケル・クレトゥという人のソロ・ユニットだが、このマイケルさんが「エンジェル07」のプロデューサーもしてた、という話。

「エンジェル07」は84年にヒットした曲で、歌詞の一部がドイツ語である。
タイトルを「エンゲル・オー・ズィーベン」と連呼しているが、ここがドイツ語のはず。
ただし歌詞の内容は何を歌っているのか全く知らない。
「エンジェル07」ってそもそも何?

曲調はどこかうら寂しい曇った雰囲気で、なかなか味わい深いサウンドだ。
日本ではソニーのCMでも使われたため、ヒューバート・カーの名前は知らなくとも、この曲なら覚えている人も多いかもしれない。
でもソニーのCMは全く記憶にない。
たまたまエアチェックで録音したのがクリスマスの頃だったので、自分としてはこの曲には冬のイメージがある。
なお同時にエアチェックしたのはハニー・ドリッパーズの「シー・オブ・ラブ」だった。

ヒューバート・カーについて自分が当時雑誌で仕入れたのは「ドイツの3人組」という情報だけだ。
あ、80年代だから「西ドイツの3人組」ですね。
本国では他にヒット曲もあり、活動自体は今も続けているようだ。
イケメンで鳴らしたメンバーもさすがにすっかり歳をとってしまったらしいが・・

ということで、ヒューバート・カーに関してはこれくらいしか書けないのだが、もうひとつだけ思い出がある。
それは90年代半ばのパソコン通信時代にさかのぼる。
当時ニフティ・サーブには今で言う掲示板みたいな「フォーラム」と呼ばれるサービスがあり、自分も「ロック・リスナーズ・フォーラム(FROCKL)」という音楽を聴く人たちが集まるフォーラムに出入りしていた。
フォーラムはカテゴリー別に10程度の「部屋」に分かれており、自分が主に読んだり書いたりしていたのは「チャートポップス部屋」である。
実はここで一時期ヒューバート・カーの話題で異様に盛り上がっている人たちがいたのである。
話題の内容はもちろん自分のような素人にはわからなかったし、もはやどんな内容で盛り上がっていたのかすら覚えていないが、スレッドのタイトルには間違いなく「ヒューバート・カー」とあり、数人ではあったが結構長いツリーもできていたのだ。

今でこそヒューバート・カーをネットで検索すればそれなりの情報を得ることはたやすいが、当時はまずこうしたコアなバンドの話題を共有できる場が世の中にあること自体が驚きだった。
ヒューバート・カーの名前はもちろん知ってはいたが、このバンドにそんなに多くのファンがいたんだ・・というのが失礼ながら正直な感想だった。
まだフォーラムの存在を知ったばかりの頃で、話題はもちろん多岐にわたっていたのだが、チャートポップス部屋なので有名どころのアーチストやヒットチャートを賑わせた曲が中心ではあった。
しかしパソ通の世界が実に奥深くコアな趣味にも門戸が開かれているものだということを、ヒューバート・カーによって知ったのだ。
ファンの方には申し訳ないが、自分のような凡人の感覚ではそんなもんだった。

フォーラムは自分にとって非常に有意義な情報源であることが判明し、それ以降は長年不明だったことを質問しては答えてもらうという甘えた利用を続けた。
ヒューバート・カーの質問はしなかったけど、ブルース・ウーリーとかザ・ロード・オブ・ニュー・チャーチとかゴッドハードとか、スキマな質問をしてはその都度丁寧な回答をもらえた。
今はYahoo!でも質問箱といったサービスがあるが、ノリはあれと同じだ。
きっと今でもヒューバート・カーについて質問箱に投稿すれば、難なくベストアンサーが得られるだろう。

さてヒューバート・カー。
その後の日本でどういう評価になってるのか全くわかりませんし、アルバムが手に入るのかどうかも不明ですが、もし聴いておられた方がおられましたら、おすすめなど教えていただけたらと思います。
あと90年代当時、ニフティのフォーラムに参加されていたかどうかもおたずねしたいところです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

やってない 第12回 ビリヤード

今さらですがビリヤード。
2011年現在流行っているのか廃れているのかすらわかりませんが、生涯で一度もやったことがありません。

ビリヤードとは、キューと呼ばれる長い棒で台上の玉をつついてポケットに入れたり相手と争ったりする遊び・・のはずだけど、具体的に何番の玉がどうなったら勝ちなのか、どの玉がポケットに入ったら負けなのか全然わかっておりません。
起源は中近東にあった遊びで、ヨーロッパ人が持ち帰って盛んになったという説が有力らしい。
明治の初めには「西洋画引節用集」という英和辞典と図鑑の混合のような書物に、「ビリヤルヅ」という名で紹介されている。
雰囲気的にはオトナの社交であり、子供はあまりやらないと思うけど、小学生大会なんてのはあるんだろうか?

70年代にビリヤードが流行っていた頃、自分はまだ子供だった。
ホントに流行っていたかどうかはよく知らないが、この頃一度だけビリヤード場に入ったことがある。
母親に命令されて父親を夜のビリヤード場まで呼びに行ったのだ。
母親にしてみれば「遊んでないで早く帰ってきなさい」と父親に言いたかったのだろう。
自分で呼びに行けばいいのに・・と子供心に母親に対してやや不満ではあったが、一方でオトナの遊び場に入れるという好奇心めいた感覚も多少あり、近所の商店街にあったビリヤード場に父親を呼びに行った。

実際のビリヤード場の様子はほとんど覚えていないが、薄暗い店内で会社の人たち数人と楽しそうに遊んでいた父親の姿は記憶に残っている。
ゲームの途中だったようで、タバコや酒のニオイが充満する清潔とは言えない店内でしばらく待たされた。
父親が勝っていたのかどうかはわからないままだった。
ビリヤード場に足を踏み入れたのはこれが最初で最後である。
オトナになってからも遊んだことはもちろんなく、2回店内に入ったことがあるパチンコよりも遠い存在である。(どっちもやってないことに変わりはないけど)

この10年くらい後、世間で再びビリヤードのブームが起きた。
映画「ハスラー2」の日本公開(86年)がきっかけのようだが、都内ではそれより少し前から「プールバー」なる遊技場が流行り始めていたような気がする。
「ハスラー2」はもちろん見ていない。
友人の中にはブーム前からビリヤードにはまっていたヤツもいて、「時代がオレ様に追いついた」などとほざくようなイカれた世の中だった。
で、その友人からもいろいろビリヤードの楽しさなど聞かされたのだが、なぜかさほど興味がわかず、誘いにも応じなかった。
御茶ノ水に「淡路亭」というビリヤード場があるのだが、ここは開いた窓が中央線の線路やホームに面していて、店の中がよく見える。
当時開いた窓から台の周りで動いている客の姿を毎日電車に乗って見ていたのだが、それを見ても「ようしオレもやったろ」とは思わなかった。

やってない理由は特にないんだが、たぶん流行っていた80年代当時の自分の興味対象が圧倒的に麻雀や女の子に傾いていたのだと思う。
まあどの時代でも高校生大学生あたりは徐々にオトナの社交に興味を覚えて酒やら単車やらタバコやら薬やらお灸やら11PMやらとムリ目なことをしたがるもんだが、あたしの場合それが麻雀だったわけですね。
なのでビリヤードにはまった可能性もあったとは思うんだが、どこかスカしたチャラい印象でとらえていたかもしれない。
マジメか。(そうでもないんだが・・)

ちなみにたぶん「タモリ倶楽部」だったと思うが、ビリヤードブームの最中に「プールバーの次に来るのは何か」というテーマで「ピンポンバー」を紹介していた。
酒を飲みながら卓球したり競技を見物したり・・という店のことである。
ただ玉が床に落ちる音が若干騒々しいのと、上級者ほどゆったり酒を飲むバーの雰囲気から浮いてしまうという難点があり、「プールバーの次」には来なかった・・・と思う。
しかし21世紀の今、ネットで検索すると全国でいくつか営業中の「ピンポンバー」が見つかる。
実際には普通の卓球場ですけどドリンクも出してますよというところだったり、いちおう飲食店で酒も出すけど店の奥に卓球台もありますよみたいなスタイルだったりするようだ。

というわけで、ビリヤード。
80年代に都内各地の台で「中野のルド」「ジョージ(死語)のナオ」「国立のぷく」「小岩の俊」などと異名をとどろかせたナウいヤングハスラーもいたことと思いますが(全部適当)、みなさまの戦績はいかがだったでしょうか?
あと2011年の今、「今どきビリヤード?」なのか、「今どきビリヤードもやらないなんて・・」なのか、いったいどちらなのか教えていただけたらと思います。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

読んでいた 第2回 男組

シリーズ2回目は「男組」。
検索するとそっち系のお店やジャニーズグループに関するサイトもたくさん表示されますけど、漫画のほうです。

「男組」は70年代に少年サンデーに連載された学園ドラマ漫画・・・なのだが、いわゆる青春恋愛ものとは違い、主人公の流全次郎とその仲間が巨大な悪に立ち向かう様を描いたシリアスな劇画(死語)である。

原作は雁屋哲、作画は池上遼一。
雁屋哲は「美味しんぼ」の原作者としても有名だが、「美味しんぼ」は描き手の個性が極限までつぶされている珍しい漫画だ。
「男組」は作画者の池上遼一の画力により、それなりのバランスが保たれていると思う。

その「男組」。
舞台は青雲学園という名前こそ青春ドラマど真ん中な学校なのだが、出てくる学生たちはほとんどがとてもカタギとは言えないようなキャラクターばかり。
主人公の流全次郎は父親殺しの罪状を背負った少年刑務所所属?の学生で、手錠をはめて登校し中国拳法を使って不良学生と戦う・・という話で始まるのだが、敵役は神竜剛次という闇組織の長の息子で、警察すらも自由に扱い、政界の黒幕である「影の総理」を後見人に持つという、もはや学生同士の対決でもなんでもない対立構造。
これに流の少年刑務所仲間や、神竜側の朽木威作や桜魔子や鳥川といった毒キノコっぽい手下どもが加わり、組織的な全面抗争を繰り広げる。
設定としては同じく青春漫画の名作「愛と誠」に通じるものもあり、70年代特有の左寄りな思想が色濃く投影された作品である。
「大衆は豚だ!」という神竜の名セリフは、後に様々な漫画でオマージュやパロディの対象となっている。

連載当時も読んでいたが、読み始めたのは終盤になってからで、連載が終わって数年経った頃、神田の古本屋で単行本25巻を数回に分けて購入した。
今は処分してしまい手元には残っていないが、「アストロ球団」同様、ほとんどの場面やセリフを覚えてしまうほど読んだ。

この漫画の良さはストーリー展開の巧みさと画力の高さにある。
前半こそ正義の流と悪の神竜というわかりやすい対立構造だが、次第に彼らを覆う巨悪の構造が明らかになり、それはやがて二人の共通の敵になっていく。

ターニングポイントは流が神竜によって(実は影の総理の指示)軍艦島刑務所という最果ての地の収容施設に送られるあたりからである。
ここで流は父親の親友南条に出会い、新しい拳法の必殺技を伝授され、南条の死を乗り越えて軍艦島を脱出する。
一方神竜は影の総理から、流の軍艦島脱出を「失態」と取られてしまい、伊豆の山荘に幽閉されてしまう。
だが神竜も影の総理の命に背き、山荘支配人の怪人・伝場を始末し、朽木の助けにより山荘を脱出する。

この時点から二人は全く異なるベクトルではあるが、影の総理という巨大な悪にそれぞれ立ち向かって戦うことになっていく。
しかし理念が全く相容れない二人は、影の総理を倒す前に結局対決せざるを得なくなる。
対決の最中に、流は父親を影の総理の放った刺客によって殺され、神竜は母親が影の総理の裏切りにあって自殺したことを互いに告白。
最後は神竜の突き出す刀を肩で受け止めた流が、南条直伝の必殺技で神竜を倒す。
力尽きた神竜の短刀を譲り受けた流は、神竜との約束を果たすため、影の総理主催の園遊会会場に一人乗り込む・・・

漫画は流が神竜の短刀を手に、影の総理めがけて突っ込んでいくカットで終わっている。
ここで使われた詩は「ワルシャワ労働歌」とのこと。
兄弟と書いて「はらから」と読ませる、この言葉をこの漫画で知った次第。

作品やテーマの評価については個々の判断に譲るが、個人的に秀逸だと思うのは登場人物が死ぬシーンにあると確信する。
若干趣味の悪い見方ではあるのだが、後半から終盤にかけて多くの流の仲間や神竜の子分が死んでいく。
このシーンがどれも非常に読み手の心を打つのである。

特にページを割いているのが、流の腹心の弟分である高柳と少年刑務所仲間5人の死。
影の総理の放った特別戦闘機動隊と下水道の中で戦い、5人が次々に命を落とし、最後は高柳が立ったまま絶命。

主人公側の流の仲間が次々と死ぬという設定は、こうした少年漫画にもストーリー展開としてよくある手法なんだが、一方で敵役の神竜も影の総理との戦いにより朽木という副官を失う。
この朽木が死ぬシーンも実に壮絶で、映画のような高度な描写なのである。
詳細はぜひ作品を読んでいただきたいのだが、影の総理軍団と朽木組の銃撃戦の中、味方が全滅し最後に残った朽木が全身に銃弾を浴びるコマがあり、血潮を吹きながら空中をさまよう朽木、背景に薄雲がかかった太陽・・・という、ジョン・ウーばりのスローモーションがページ上に見事に表現されている。

こうして流・神竜双方に感情移入させてから二人の対決を見せ、最後は主人公が巨悪にむかって玉砕?という持っていき方は、当時の少年漫画の中でも非常に精度の高いものだったと思う。
まあ「アストロ球団」も展開中に死人の出る物騒な漫画だったけど、やはり少年漫画でも人が死ぬシーンは記憶に残るものだ。
そうやって70年代の少年は命の大切さを漫画から学んでいたのね。(そうか?)

で、今回「男組」を調べたら、なんと映画化もされていたのだった。
一作目は主演星正人、ヒロイン山際涼子役はなんと山口智子!・・・と思ったが、発表は75年。
唐沢寿明の妻であるほうの山口智子は当時11歳なので、これは別人である。
ちなみに星正人はあの「刑事くん」の主演俳優。
二作目は「男組 少年刑務所」というタイトル、主演舘ひろし、山際涼子役は竹井みどり。
76年の作品なので舘ひろしはすでに26歳なのだが「少年」を演じていたことになる。
まあこの手の映画は原作を超えるような評価になることはあまりないようで・・

というわけで、「男組」。
この漫画はおそらく元少年にほぼ限定でしょうけど、読んでおられた方のご感想などお聞かせいただければと思います。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

聴いてない 第153回 ザ・バンド

古き良き70年代の音楽をさまよい歩く放浪の三流リスナーSYUNJIです。
今日採り上げるのは、ザ・バンド。
個性のカケラもないバンド名が逆説的にこれ以上ない固有名詞となっているというグループだが、残念ながら全く聴いていない。

ザ・バンド、1曲も聴いてないので聴いてない度は1。
おそらくリアルタイムで聴いていた世代よりも自分はやや若かったということもあるかもしれないが、バンドの知識も情報も全然持っていない。
新年度スタートにあたり、ザ・バンドの基礎情報についてまずはオリエンテーション開始。

ザ・バンドの原点は50年代末期に始まる。
ロニー・ホーキンスのバックバンドが原型で、当時は「ホークス」というバンド名だった。
このホークスに在籍していたレヴォン・ヘルムがカナダでメンバーを集めてホークスを継続。
この時のメンバーが後のザ・バンドとなる。

レヴォン&ホークスはボブ・ディランのバックバンドとしてアメリカやヨーロッパで演奏していたが、ちょうどディランのエレキ転換期とも重なり、評判は二極化し、ブーイングにヘコんだレヴォンは一時期脱退。
ディランの交通事故により仕事もなくなった彼らは、ニューヨーク郊外でセッションを始め、やがてこれがデビューにつながる活動となる。

レヴォンが復帰し、ザ・バンドとしてデビューしたのは68年。
メンバーはレヴォン・ヘルム、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン。
カントリーやリズム&ブルースやフォークなど様々な要素を採り入れた音楽性は高い評価を受け、ウッドストックやワイト島フェスティバルにも出演。
70年代中盤にはディランとのツアーが成功をおさめ、クラプトンリンゴ・スターのアルバムにも参加。
しかしメンバー間の力関係は徐々に変わっていき、ツアーをやめて解散を希望するロビーと、バンド継続を望むレヴォンとの対立が激しくなる。

76年サンフランシスコで行われたコンサートには、ディランやクラプトンの他、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・モリソン、リンゴ・スター、ニール・ヤングなどビッグネームが多数参加した。
結果的にこれが解散コンサートとなり、映画「ラスト・ワルツ」として公開された。

ザ・バンドとしての活動は80年代以降も続き、83年にロビー以外の4人で再結成。
その後も数年ごとにメンバーを変えながら99年まで活動したが、リック・ダンコの死によってザ・バンドは完全に停止した。
なおリチャード・マニュエルは86年に自殺している。
「ラスト・ワルツ」以降のザ・バンドには、ロビー・ロバートソンは一度も参加していない。

・・・・うーん・・なるほど・・
なんだか壮絶な歴史小説を読み終えたような感覚だが、やはり全然知らないことばかり。
80年代以降も活動はしてたんですね。

メンバーで名前を知っているのはレヴォン・ヘルム、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコの3人だが、レヴォン以外は全員カナダ人だということも今回初めて知った。
かなり前だが、友人の知人という人が飲み会の席で「仕事でレヴォン・ヘルムに会った」と話してくれたことがある。
その人がどういう仕事をしていてどんな経緯でレヴォンに会ったのかは忘れてしまったが、なによりその話をしてくれた時には自分はまだレヴォン・ヘルムを知らなかったのだった。
その人が多少酔っていたせいもあってか、何度名前を聞いても「レモン・ヘルプ」としか聞こえず、友人も自分も「そんなミュージシャンいたかなぁ?」という程度にしか反応できなかった。
今考えるとその人もきっと「こいつらレヴォン・ヘルムも知らないのかよ」という思いだったろう。(すいません・・)
ウィキペディアで初めてレヴォンの顔を見たが、どこかジンジャー・ベイカーに似ている気がする。

映画「ラスト・ワルツ」は少しだけ見たことがある。
これもずいぶん前になるが、会社の年末納会を社内でやった時に、当時の上司がBGVとして「ラスト・ワルツ」を流したのだ。
ただし記憶にあるのはジョニ・ミッチェルとクラプトンが出てきた場面である。
この時もザ・バンドの偉大さをほとんど知らず(今もそうだけど)、特に画面にかじりつくようなこともなく、「ラスト・ワルツ」が流れる中で飲み食いしながらバカ話をしていただけだった。
だいたい「ラスト・ワルツ」に登場するミュージシャンも「そうそうたる顔ぶれ」などと表現されることが多いが、自分は聴いてない人ばかりなのだ。(すいません・・)
ちなみにこの上司は、日本のある有名なバンドの元メンバーである。

「ラスト・ワルツ」コンサートはそうそうたる顔ぶれではあるが、映画・ライブ記録としての出来はそれほど高い評価ばかりではないようで、2002年には「完全版」というボックスセットも発売になったが、曲順が実際とは違っていたり、映像と音が合っていない箇所があるなど、アラがそれなりにあるそうだ。
ちなみになんで「ラスト・ワルツ」なのか、というと、当日は感謝祭で演奏前にはみんなでワルツを踊ったから、ということらしい。

というわけで、ザ・バンド。
やはり彼らの栄光は70年代にあると思われますが、おすすめのアルバムを教えていただけたらと思います。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »