聴いてみた 第81回 ブラー
今日聴いてみたのはブラーの「Parklife」。
聴いてないことを地球上のみなさんに白状してから比較的早く聴く機会に恵まれました。
普段から生返事の多い自分にしては珍しく早めの対応。
やっぱ仕事の基本はPDCAサイクルですよ、ぷく先輩。(意味不明)
「Parklife」は94年の作品。
ブラーにとっては3枚目のアルバムであり、今なお彼らの最高傑作と絶賛される名盤らしい。
またオアシスとの死闘の果てに95年のブリット・アワードで最優秀アルバムに選ばれ、全英チャート1位の座にもついた、執念の結晶である。
そんな不滅の金字塔を新宿のユニオンでなんとなくゆるい精神状態のまま購入。
「ブリットポップは死んだ」とはデーモンの名言だが、果たしてこのアルバムで彼らは「そのへんの死んでるようなブリットポップの連中といっしょにすんなよ」と主張しているのでしょうか。
・・・・・聴いてみた。
・・・・・(50秒ほど沈黙)
・・・・・(2分22秒ほど沈黙)
・・・・・(14分30秒ほど沈黙)
・・・・・厳しいです。
これ、ムリっぽい。
半分くらい聴いたあたりで結論が出てしまったが、自分の好みの音楽とはどうもほど遠い。
聴いていて「おっ」とか「悪くないね」という感情の浮上や高揚が全然ない。
楽曲の水準はそれなりに高いとは思うんだが、どこか自分の好きな音からワザとはずされている感じがする。
ピアノの達人が、美しいけどものすごく弾くのが難しい曲で、あえてはずした音を出して笑いをとってるような・・・
そんな感覚。
音の種類はいろいろあるのだが、気になるのは不協和音スレスレの組み合わせや、あえてポップの基盤的音階から半音ずらしたような旋律である。
コーラスを当てた部分でも、その重ね方は違うだろうが・・というアマっぽいハーモニーが多い。
ボーカルもそれほど歌唱力を全面に押すようなものではなく、ノリでがやがやと歌うような、コミックバンドのような雰囲気だ。
うーん・・・
ブラー、こういう音楽だったのか・・・
今まで「聴いてみた」シリーズでいろいろ聴いてみてわかってきたのだが、自分の場合、音楽に「調和」を求める部分がかなり強いようだ。
楽曲全体の場合もあるし、ボーカルと楽器、コーラスの美しさなど、組み合わせの良さが最大限に生きるような音楽を好んでいると思う。
ビートルズやクイーンが好きなのはおそらくこの理由だろうし、ボストンやジャーニーもそうだろう。
ツェッペリンやレインボーやポリスはそれぞれが全く違った音楽性を持っているが、組み合わせの美学においてはやはり好みにきちんと符合するのである。
で、ブラーである。
「Parklife」においては、残念ながら自分の好きな調和を再現してくれていないようだ。
観賞後の感覚はXTCの「ホワイト・ミュージック」やレディオヘッドの「OKコンピューター」に近い。
「Girls & Boys」だけ知っていたのだが、この曲ももともとそれほどいいとは思っていなかった。
比較は無意味だけど、やはり自分はベタなオアシスのほうが好きなようだ。
タイトル曲「Parklife」の訳詞を見てみたが、何を歌っているのかはよくわからない。
そもそもこの言葉自体が彼らの造語らしいのだが、イギリスにもアメリカにかぶれた人たちが一定の割合で存在するらしく、そういう人たちを批判しているのではないか、とのこと。
歌詞の中に「porklife」という言葉も出てくるが、これはアメリカ人的な生活を送る肥満な人を揶揄するダジャレみたいなものらしい。
おそらくどの曲でも歌詞にはイギリス特有の皮肉っぽいセンスが充満しとるのではないかと思うが、ホントのところは不明。
ジャケットはこれまたパークなライフとどう関係があるのか見当もつかない犬の写真。
しかもかわいいわんちゃんではなく、荒っぽいドッグレースでのコーナーを疾走する犬。
左側の黒い犬はかなり怖い。
犬は苦手なので、あまり好きなジャケットではない。
というわけで、ブラーの「Parklife」。
ロクに練習もしないでリングに上がったら秒殺どころかヒザ十字くらって靱帯損傷の大けがまでしてしまったような状態。
ああああ・・・
想像以上に厳しい結果となってしまいました。
このままだとおそらくブラー鑑賞はこれっきりとなる可能性が非常に高いです。
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