聴いてない 第142回 ドノヴァン
BLOGを始めて6年以上になるが、全く聴いてないアーチストというものはやはりなかなか減らない。
さほど興味のないものにそう簡単にアプローチするはずがないのだ。
しかもいよいよ聴いてないだけでなく「全然知らない」領域に踏み込む状況となってきました。
そんな白紙アーチストのひとり、ドノヴァン。
どのばん?
実は長いことバンドかピン芸人かすらあまりよくわかってなかったのだが、こんな状態で続きが書けるのか不安のカタマリである。
まず。
ドノヴァン、曲は当然全く聴いていない。
顔もわからないしレコードジャケットも全く思い浮かばない。
知っているのは名前だけ。
うん、ヴァン・モリソンを聴いてドノヴァンの名前を思い出しただけなんだよ。
そんなヴァンつながりのドノヴァン(つながってねーよ)、しかたがないので略歴を調査。
本名はドノヴァン・フィリップス・レイッチ。
1946年イギリスの造船の町グラスゴーに生まれた。
フォーク歌手としてのデビューは64年。
その後「サンシャイン・スーパーマン」という曲をヒットさせ、ヒッピー文化にも傾倒し、サイケやジャズなど様々な音楽を採り入れたスタイルを確立。
80年代以降いったんは隠居生活となるが、96年アルバム「スートラ」で復活をとげ、2004年にも「ビート・カフェ」というアルバムを発表している。
娘は女優のアイオン・スカイ。
・・・・残念ながら全然かすりもしない状態だ。
80年代に隠居してたというのがやはり自分にとっては痛い。
せめてバンド・エイドとかイベントにでも参加してくれていたら、少しは違ったかもしれないが・・
ぷく先輩、アイオン・スカイって、誰?
ちなみにチャボこと仲井戸麗市はドノヴァンのファンだったので、レイッチを「麗市」と表記して名乗っているそうだ。
ドノヴァン本人は「イギリスのディラン」とも呼ばれているそうだが、そうなるとまたハードルが高い気がするなぁ・・
あ!思い出した、ひとつだけエピソードを知っているよ。
ビートルズがインドに傾倒した時、ドノヴァンもマハリシのもとでともに修行やら瞑想やらを行ったことがあるはずだ。
ドノヴァンの顔は覚えていないが、その時の写真を本で見たことがあり、キャプションに「ビートルズとドノヴァン」のような説明があった。
このインドでの活動中、ドノヴァンはジョン・レノンにギターのテクニックを教えたことがあるそうだ。
ジョンは早々とマハリシに見切りをつけてイギリスに戻ったのだが、ドノヴァンはもうちょっと長くインドにいたらしい。
いずれにしてもビートルズとはいろいろ交流があった人のようで、「リボルバー」の頃はビートルズのスタジオにもよく登場していたそうだ。
ネットでいろいろ検索すると、どうやらもっとも評価が高いのが「サンシャイン・スーパーマン」という特撮ヒーローみたいな名前のアルバム。
ジミー・ペイジが参加しており、フォークから脱皮したドノヴァンがそのスタイルを確立した・・とされている。
シタールを使った曲もあるので、ビートルズと同様にインドで活動したこと・会得したことがサウンドにも反映されている、ということだろう。
ところでビートルズの「リボルバー」、個人的にはわりと最近までランク的には真ん中あたりだった。
やはり「アビー・ロード」「サージェント・ペパーズ」がどうしても上位に来てしまい、「リボルバー」は「ラバー・ソウル」よりも下だと思っていたのだが、あらためて聴いてみるとかなり鋭いアルバムである。
特に「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」なんてのは若い頃はずっと「変な曲だなぁ」としか感じなかったんだが、最近はジョンの繰り出す様々なサウンドやリンゴのドラミングがけっこう気に入ってたりするのだ。
ドノヴァンのサウンドは全く想像がつかないのだが、もし「リボルバー」に通じる何かがあるなら、少しは聴けるのだろうか・・
というわけで、ドノヴァン。
素人が手を出すようなアーチストではないように感じてますが、実際のところどんな音なんでしょうか?
「○○が聴けるならドノヴァンも大丈夫!」みたいな比較論でのご説明がありがたいのですが・・
あたしの場合、その○○が全滅である可能性も相当高いですが、ヒントになるような情報をいただければ幸いです。
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