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2009年の終わりに

三流ブロガーのSYUNJIです。
BLOGを始めて丸6年が過ぎた。
すでにエントリは350回を超え、ありがたいことに今年もほぼ全てのエントリにコメントがついた。
しかしながら今年になって自分は特に何かが変わったわけでもなく、相変わらず生涯永久初心者リスナーのままなのだが、今年起こったBLOG関連のできごとの中で印象に残るものをあげてみようと思う。
・・・って文章の形が毎年末ほぼ同じなんですけど。

ちなみに今年も番号は時系列順序であって、順位ではありませんので、あしからず。

1.ツェッペリン全盤制覇

本来自分のBLOGの目的は、聴いてない音楽を公表して聴いてる人からアドバイスを受ける、というものである。
さらに実際に聴いてみて、「おすすめにそって聴いてみました」という成果報告をもって完了ということになる。
今年はツェッペリンのスタジオ盤を全て聴くことができた。
ふつうそんなもんは若い頃に終わっていないといけない通過儀礼だろうが、万年ド素人の自分にとっては大きな出来事なのだ。
自分の場合、全盤制覇したアーチストなんてのはほとんどなく、ポリスクイーン・ボストンなど数える程度だ。
BLOGをやっていなかったら、ツェッペリン全盤制覇は絶対になかったと確信している。
特に後期のアルバムにおいてアドバイスをしていただいたみなさまに感謝いたします。
一方でパープルについてはなぜかほとんど学習意欲がわかないのは自分でも不思議であるが・・

2.買ってみた KOHJINSHA SC3WP06A

ここまで5年の間BLOGを書くために使ってきた「シグマリオンII」が2台目も壊れ、工人舎のSC3WP06Aを買ってみた。
その後の展開はどうなったかと言うと、実はSC3WP06Aはもう手元にない。
・・・すいません、先週16400円で売り飛ばしてしまいました・・

いや、工人舎のSCシリーズ自体はサイズ的には気に入ってるんで、買いなおしたんです。
今度のはSC3WX06GAという機種で、サイズは全く同じ、ただしOSはXP。
そう、Vistaがダメだったんスよ。
どーにも使いづらくて、特にファイル管理。
フォルダごと上書きとかするとファイルの数だけ「上書きする?」とか聞いてきやがって、きぃー!!
解除する方法もあるとは思うが、ネットでいろいろ探してみたが見つからず・・・
加えて、これは個体の問題だと思うが、キーボードがまー言うことをきかない。
押してもいないのにシフトキーがロックされた状態に不定期になりやがるし、再起動しても解除できないことも多く、きぃいー!!
またそれほどのスピードでパンチしていないのにすぐ打ち込み不能になりくさって(下品)、きぃいいーー!!
こんな調子で電車の中で毎日きぃーきぃーキレまくっていて、ゲッツさんにも現物を見ていただいて「それは故障では・・」とも言われたのだが、これを直したところで結局Vistaだしなぁ・・と思って、結局再び秋葉原で工人舎SCシリーズのXP機種を中古で見つけて購入。
SC3WP06Aは半年しか使わなかった。
今この記事はSC3WX06GAで書いてますが、まあ快調である。
何やってんだか・・・

3.getsmart0086氏との会見

自分とほぼ同時期にココログでBLOGを始めた「同期生」、getsmart0086さんと今年もお会いすることができました。
出張で東京に来られたゲッツさんと新宿で会食させていただいたのですが、音楽だけでなく車や格闘技やサッカーの話題までいろいろ話ができて楽しかったです。
店は自分が適当にチョイスした能登の郷土料理屋だったのですが、料理もおいしく、我ながらなかなかよい接待ができたと思います。(本当か?)
ただ各個室になぜか自由に使えるテレビモニターが設置されていたのが不思議な点でしたが・・
次回は銀座でぷく先輩をまじえての豪遊ということで合意しました。

4.モンスリー氏との会見

モンスリー師匠とはあたしがBLOGを始めた頃からのおつきあいで、今回は2年ぶり4度目になります。
以前も記事中で書きましたが、師匠もあたしも酒を飲まないので、梅田の地下街で甘味などいただきながら、様々な話題で盛り上がるという渋い状態での歓談です。
クラプトンスティーブ・ミラーからぷく先輩まで、いろいろなテーマでお話しいただけました。
次回は東京でお会いできたらいいなと思います。

5.「使っていた」シリーズ開始

ネタ枯渇のための苦し紛れ企画ですが、以前から書いておきたいと思っていた「使っていた」シリーズ。
主に80年代に自分が洋楽を聴くために使っていた道具やアイテムなどについて書きたいと考えています。
まだ「ラテカセ」の記事1回しか書けてませんが、今後もみなさまとともに思い出など共有できたらと思います。

ということで今年も多くの方からいろいろなアドバイスやコメントをいただきました。
こんな三流BLOGにコメントいただいたみなさま、ありがとうございました。
まだ聴いてない音楽はたくさんありますので、みなさまの教えに支えられながら、今後もBLOGを続けていきたいと思います。
みなさま良いお年を。

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聴いてない 第140回 ウルトラボックス

伝説の「ウルトラSYUNJI」シリーズの思い出を胸に、三流ブロガー街道を一人行くSYUNJIといいます。
少し前の記事で報告しましたが、10月にココログ同期生のgetsmart0086さんと1年ぶりにお会いする機会がありました。
東京出張に来られたゲッツさんと夕方新宿の懐石料理店で会食だったのですが、完全個室でしかもなぜかテレビモニター付き。
モニターはご自由にお使い下さい状態だったんですが、特に使いませんでした。
つーかあれ、他の客はどういう使い方してるんでしょうか?
悪くないけど不思議なサービスです・・

そんな個室マニアのあたしが本日チョイスしたのは、ウルトラボックス。
個室からボックス席を連想しただけのムリめな展開ですが、ウルトラボックスのボックスは「VOX」なのでした。

ウルトラボックス、一切聴いていないので聴いてない度は1。
いわゆるニューロマ系・テクノ系などに分類されるバンドだと思うが、曲は全く知らない。
ABCとかジャパンとかヒューマン・リーグなどが近いイメージがあるのだが、当たっているだろうか?
聴いてないくせにジョン・フォックスとミッジ・ユーロの名前だけは知っている。
どこで覚えたのか定かでないが、おそらくミュージック・ライフだと思う。

もともとはジョン・フォックスが作ったバンドだが、78年にソロ転向につき脱退。
後からミッジが加入し、以来ミッジがバンドを仕切ることとなる。
ちなみに結成当時のバンド名には「Ultravox!」と"!"記号がついていたらしい。
バンド・エイド、ライブ・エイドにも参加したが、80年代後半はほとんど活動していない。
今年に入ってミッジ時代の4人でイギリス国内ツアーが行われた。

・・・以上がウルトラボックスの概略だが、中途半端に知っているところもある。
ジョン・フォックスは顔は四角いがいかにもニューロマ系の風貌である。
その昔雑誌についていたカセットインデックス用ページに写真が載っていたのだ。
実は今でもその写真をなぜか持っている。

Johnfoxx

ジョン・フォックスは70年代当時イギリスでも流行っていたアメリカン・ロックに違和感を覚え、ヨーロッパの音楽性を追求すべくウルトラボックス結成を決意したそうだ。
ただし影響を受けたアーチストにはロキシー・ミュージック(ブライアン・イーノ)やビートルズやクラフトワークの他、ボブ・ディランやベルベット・アンダーグラウンドの名前もあげており、アメリカの音楽家を拒絶していたわけではないらしい。
バンドを脱退したのは、ウルトラボックスとジョン・フォックスを同一視されることがイヤだったから、という理由とのこと。

ミッジ・ユーロはジョンよりも若干さばけた業界風の印象である。
バンド・エイドはボブ・ゲルドフが発起人だが、実際スタジオで録音現場を主導していたのはミッジだった。
この時の映像を昔NHKで見たことがある。
「Do They Know It's Christmas Time?」のメドレーを歌う各アーチストをコントロール室から仕切るミッジは、かなりのやり手に見えた。
ミッジ自身の歌う姿はこの映像には出てこなかったと思う。

今回ウルトラボックスを調べていて驚いたのは、ミッジがシン・リジィに参加していた経歴を持つことだった。
イメージ的に全く別の分野だと勝手に思っていたのだが、実はミッジはシン・リジィのギタリスト(しかもゲイリー・ムーアの後任)として日本公演にも参加したこともあるそうだ。
シン・リジィは「Chinatown」という曲だけ当時から知っているのだが、この曲にもバックのボーカルでミッジが参加しているとのこと。
フィル・リノットのソロアルバムにも、ミッジとの共作があるらしく、かなりハードロック寄りなミュージシャンであるようだ。
そうだったんだ・・

ウルトラボックス、とにかく1曲も聴いてないのだが、日本のFMではそんなにオンエアされてなかったんじゃないだろうか。
録音していない時も含め、80年代にFMで「では次はウルトラボックスの・・」といった紹介を聴いた記憶が全然ない。
まあ当時から聴いていた番組は「サンスイ・ベストリクエスト」なんかに限られてはいたんですけど。
チャートアクションとしての実績はどうだったんだろうか?

というわけで、ウルトラボックス。
日本での評判もさっぱり見当がつきませんが、ジョン政権・ミッジ政権それぞれの時代でおすすめアルバムがあれば教えていただきたいと思います。

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読んでみた 第32回 Sportiva

スポーツ情報についての自分の取り組みは、同世代の男性に比べれば相当淡泊なほうではないかと分析している。
スポーツ新聞はほとんど買わないし、特定の競技雑誌などもあまり読んだりはしない。
プロ野球のペナントレースの順位やK-1グランプリの組み合わせや長谷川穂積の破壊力、岡崎朋美のオリンピック出場や浅尾美和と安藤美姫の新しいコスチュームなんかは気になるけど、デビスカップの結果やマスターズの予選状況やイブラヒモビッチの動向などは全く追いかけていない。

そんなスポーツ情報にも疎い三流中年のあたしが今回読んでみたのは「Sportiva」。
イタリア語で「スポーツ好き」を意味する、集英社発行の月刊誌である。

創刊は2002年。
日韓共催ワールドカップに合わせての創刊だったとのこと。
判型はA4変型判、発行平均部数は40000部。
2006年の資料では60000部以上は刷っていたので、やはり最近は部数を落としているようだ。
これはこの雑誌に限った話ではないけど・・・
40000部刷って実売はどれくらいなのだろうか。

Sportiva

2010年1月号は定価600円。
表紙は特集でもある松井秀喜である。

「Sportiva」、書名は知ってはいたが、読むのは初めてだ。
今後の松井のエンゼルスでの活躍も気になるところだが、果たしてこの雑誌はどんな切り口なのだろうか。

・・・・・読んでみた。

1月号目次はこんな感じである。


松井秀喜ヤンキース伝説
 ・独占メッセージ 長嶋茂雄 「愛弟子・松井へ贈る言葉」
 ・松井秀喜名場面集 「ゴジラ伝説2003~2009」
 ・Wシリーズ翌日インタビュー
  松井秀喜 「試合に出続けられれば、40本打てる可能性はある」
 ・ヤンキース関係者が語る
  オレたちが松井を好きな理由
   デレク・ジーター/マリアノ・リベラ
   C.C.サバシア/レジー・ジャクソン ほか
 ・[データ] 最強スラッガー メジャー7年間の足跡
 ・元同僚が語る「ゴジラ松井の真実」 広澤克実&槙原寛己
 ・各界著名人が語る「親愛なるゴジラ松井様」
  亀梨和也/テリー伊藤 大友康平/大橋未歩
 ・祝・世界一! ものまね 「ゴジラ松井とゆかいな仲間たち」
 
TOYOTAクラブW杯
 ・「バルセロナは磐石か」
  1.指揮官グアルディオラのサッカー論
  2.イブラヒモビッチ&メッシ・インタビュー
  3.南米王者エストゥディアンテスとベロンの野望
  4.[検証]Jクラブはなぜ負けたのか?
 
涌井秀章vs江夏 豊
 「エースの自覚―僕の試合でリリーフはいらない」
 
イビツァ・オシム「蹴球原論」
 「オシムジャパンが目指していたもの」
 
月刊・浅尾美和&菅山かおる

公式サイトには「20代後半~30代の男性を中心に幅広い層の読者を獲得。スーパープレイヤーへのインタビュー、鋭く深い競技分析などはスポーツ誌として当然のこと。本誌はさらにスポーツにまつわるサブカルチャーやエンターテインメントを追求する総合スポーツ誌です。」などと書いてある。
まあウソではないだろうが、表現としては若干誇張気味に思う。

読んでみてところどころ感じたのは「軽さ」である。
編集サイドとしてはそう受け取られるのは不本意かもしれないが、この雑誌を読むにあたって意識せざるを得ない存在が「Number」だ。(版元は文芸春秋)
説明不要の総合スポーツ雑誌だが、すでにその地位やイメージを確立して久しく、ここに切り込んで勝負するのも相当に根性のいる話だと思う。
ちなみに10年ほど前に同じ路線で「ゼッケン」という雑誌があったが、こちらは早々と廃刊になっている。
そういう意味で、「Number」と比較すると「Sportiva」の軽さは、わずかなものではあるがすぐにわかる。

具体的には記事やページ内容に顕著だ。
「Number」にもライトなページがないわけではないが、たとえば1月号の松井秀喜特集にしても、「ゴジラ松井ナイスガイ語録」「祝・世界一! ものまね ゴジラ松井とゆかいな仲間たち」「ゴジラ松井4コマ漫画 風間やんわり・作」といった週刊SPA!みたいな記事が並んでいる。
「ナイスガイ」というリスキーな表現もあまり構わず使っているフシがあり、しかも記事の中身は東スポが出典である。
キライではないが、やや脱力な路線でもある。

「祝・世界一! ものまね ゴジラ松井とゆかいな仲間たち」はちょっと痛いページだ。
ものまね芸人?によるヤンキースのメンバーのものまねのコラージュだが、題材がマニアックなわりにその点を感心させるような企画でもない。
昭和の小学生向け学習雑誌のノリであり、これで喜ぶ20代30代読者ってのもあまりいないだろう。

江夏と西武の涌井との対談は、組み合わせとしては興味深いが、中身はわりと平坦である。
これは二人の対談そのものがつまらないということではない。
優勝請負人・江夏と、沢村賞投手・涌井である。
この組み合わせであれば、企画も構成も「Number」では全く違うものになっているはずである。
世代を超えた投手論を盛り立てるような編集になっていないのだ。

オシムのインタビュー記事もあるが、ふつうにインタビューしてるやりとりが記述されているだけで、さほど内容の濃いものではない。
記者の視点とか感想とか、そういうこの雑誌を読んだ人だけが得られるようなものを置いておく姿勢は、やはり編集方針として必要ではないかと思う。
ふだんのマスコミで知ることのできるオシムがそこにいてしゃべっているだけで、意外性も何もなかったのは残念である。

「月刊・浅尾美和&菅山かおる」は連名タイトルにはなっているが、写真は浅尾美和が2ページと1/4、かおる姫は1/4ページしかない。
人気でもビーチバレー選手としてのキャリアの点でも浅尾美和のほうが上なのは明らかで、どうしても扱われ方はこうならざるを得ないのがかおる姫のつらいところかもしれないけど、この差はやはり露骨だよなぁ。

総合スポーツ雑誌ではあるが、記事の二大潮流はやはりサッカーと野球だ。
バックナンバーの見出しを見ても、他の競技はこの二つに比べると少ない。
競技の人気度から言えば当然ではあるが、どうもこの雑誌は最近はプロ格闘技にはあまりページを割かない姿勢のようだ。
ネットで調べたところ、以前は亀田一家にかなり肩入れしていたが、その後のバッシング騒動で後退せざるを得なかったらしい。
気の毒な話である。

「Number」の話ばかりで恐縮だが、その編集方針にも直結する工夫であると確信しているのが、書体である。
記事に重みとリアリティを持たせることを、「Number」は明朝体で表現している。
もし全ページがゴシックだったら、今の「Number」の持つジャーナルな雰囲気は半減するはずだ。(そうでもない?)
一方「Sportiva」にはこの点にいっさいのこだわりはない。
総合スポーツ雑誌として、記事構成に合わせて書体を変えているだけで、インタビュー記事では記者と選手の発言で書体が違うという、古典的ながら配慮の効いた編集方針である。
この方針に何ら間違ったところはない。
むしろ明朝体のページは非常に読みやすく、紙色も明るいので好感が持てる。

お気づきの方も多いと思うが、実は「Number」という雑誌は、この体裁面においてはかなり読みにくい。
特に明朝体はヤケに細い書体だし、黒いページに白文字で載せると見づらいし、紙質も湿り気が多いわりに光沢があり、またコシがないので持ちにくい。
それでも格闘技や野球の記事であれば読んでしまうのは、文章にチカラがあるからだ。

「Sportiva」でもそうしたチカラのある書き手が時々登場してくるが、ツッコミのゆるい編集や合間に差し込まれている軽いページが、それをうち消すような感じなのだ。
こうしてトータルでは平坦な雰囲気となっており、ちょっともったいない。
「Number」「Sportiva」とも、なんとなく版元に対する世間のイメージがほぼそのまま投影されてるような気がするのだが、どうでしょうか?

というわけで、「Sportiva」。
雑誌として決して低い水準の編集ではないのですが、偉大な先輩である「Number」と比較してしまうと、どうしても相対的に軽い部分が浮いて見えるのが惜しいところです。
軽さを払拭して正攻法で勝負するか、むしろ軽さを武器に独自の路線を切り開いていくか、空前の雑誌不況のさなか岐路に立っているように感じました。
個人的には、K-1やプロレスも積極的に採り上げて、軽さ強調戦術で他誌と対戦してほしいと思います。(←無責任)

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行ってみた 第15回 京都 泉涌寺・南禅寺・京都タワー

Esaka

もはや誰も期待していない三流旅芸人の京都シリーズ3日目、ホテルの窓からは霧にむせぶ江坂の街並みが広がります。
今日で旅も終わりかと思うともの悲しい気分。
そんなサザエさん症候群のような感情のまま、この日はまず光明院に行くことにしました。
前の日に行った光明寺とは別の寺で、場所は伏見稲荷と東福寺の間あたりです。

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所属?としては東福寺の塔頭のひとつで、「虹の苔寺」とも呼ばれるそうです。
初めて行く寺でしたが、思ったより観光客が多いです。
普段は拝観料を取らないようですが、紅葉の時期だけ有料でした。

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ここも紅葉と広い庭が美しく、この「波心庭」は東福寺の庭を手がけた重森三玲の作品です。
雪見障子から見た庭も、一枚の絵のようで見応えがあります。

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この寺も丸窓があり、紅葉をながめることができます。
格子がはまっているため源光庵のような鮮やかな紅葉ではありませんが、他人のアタマしか写せないような混雑もなく、落ち着いて紅葉を鑑賞できるいいところです。

さて光明院から東福寺は歩いて3分くらいの距離です。
今日は東福寺に立ち寄る予定はありません。
4年前に来てるし、とにかく紅葉で有名すぎるため、もんのすごく混雑してることがわかっているので、予定には入れていませんでした。

ただし、次の見学予定地である泉涌寺に行くには、東福寺の境内と参道を通らねばなりません。
やむを得ず南の山門より東福寺に入りました。
でかい観光バスがどっかんどっかん乗り付け、台本どおりの強烈な人出です。

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東福寺の紅葉をながめる最大のポイントが通天橋という橋の上なのですが、遠くからでもその混雑ぶりがわかります。
北側の門を抜けて参道を逆行しましたが、まさに初詣のような行列ができています。
通天橋の上までたどりつくのに1時間以上はかかりそうな状態。
予定からはずしておいて正解でした。

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東福寺の参道を出て東に折れて住宅街の中を複雑に進むと、泉涌寺の参道に出ます。
この寺も初めてですが、参道がやたら長いし、門から本堂までもかなり遠いビッグなところです。

Sennyuji2

Sennyuji3

泉涌寺は皇室と縁の深い寺でもあり、またJR東海のポスターには「開創以来700年以上もの間、固く門が閉ざされていた」というようなことが書いてありました。
紅葉はそれほど多くなく、また境内や本堂の大きさのわりには庭がこぢんまりとしています。
以前から来てみたい場所だったので、インパクトは強くはなかったですが、満足しました。

午後は南禅寺に行きました。
もう何度となく来ていますが、実は周辺の塔頭や方丈庭園を見ていませんでした。

まずは塔頭のひとつ、天授庵。
東庭はかなり奥行きのある庭ですが、雰囲気はけっこう現代的です。
紅葉はいまいち赤くなく、どちらかというと黄色の葉が多い庭です。

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南庭は池泉回遊式庭園で、池の周りをめぐりながら紅葉をながめることができます。

Nanzenji2

Nanzenji3

南禅寺の近くに金地院という別の寺があり、珍しく案内する人の説明を聞いてみました。
木と石で表現された「鶴亀の庭」が見事です。

Kontiin1

Kontiin2

ここには桃山時代の絵師、長谷川等伯の描いたテナガザルのふすま絵があります。
撮影禁止なので写真がないのですが、猿の毛並みが見事に表現された絵で、これは見応えがありました。

最後に方丈庭園を見学。
観光客は多いですが、この庭がむしろ一番落ち着くような気がします。

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Hojoteien3

ちなみに南禅寺と言えば水路閣が有名ですが、正直あの組み合わせはあまり好きではありません。
アーチ橋の水路閣は明治以降の西洋風デザインですが、南禅寺の様式とは全く関係のないものです。
例えて言えば上にぎり寿司に1つだけピザが乗ってるような・・・(いまいち伝わらない)

Suirokaku

観光客はみんなありがたがって写真なんか撮ってますけど、作る時に反対運動とかなかったんですかね?
水路を通す橋であれば、山門や本堂に合わせた和風建築でよかったのではないかと、見る度に思います。

南禅寺界隈をうろうろしていたら夕方になりました。
今回は新幹線もやたら遅い時間の便を予約したので、まだ時間があります。
四条通りのイノダコーヒで夕飯を食べることにしました。

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京都では有名なコーヒー店(の支店)ですが、実は入るのは初めてです。
夕飯には少し早かったせいか、客はまばらでした。

Inoda1

Inoda2

コロッケ定食のようなものを食べましたが、食後のコーヒーはさすがにうまかったです。
コーヒーは体に合わないのであまり喫茶店でも頼まないのですが、ここのコーヒーは飲んでよかったと思いました。
ただやはり帰りの新幹線で体調が若干おかしくなりましたが・・・

飯を食っても新幹線の時間までまだ余裕があります。
いろいろ考えましたが、京都タワーに登ることにしました。(ド観光客)
いつも京都駅につくとどおおーんとそびえるタワーを見ながら「ああ京都に来たなぁ」と感慨無量なのですが、実はタワーには一度も登ったことがありません。
地元の方々の評判はあまりよろしくないという話ですが、観光客にとっては目印にもなるし便利な建物だと思います。

Kyototower0

さて、初めて登った夜のタワーですが、ムダに高いところが好きなあたしとしては、非常に楽しいスポットでした。
タワーの展望台には思ったよりたくさんの人が来ています。
清水寺や東寺はライトアップしているので夜でもよくわかります。

Kyototower1

Kyototower2

Kyototower3

キャラクターの「たわわちゃん」も筋弛緩系でファンクです。(どうでもいい評論)
こんな楽しいところならもっと早くから来ればよかった・・と後悔。
今度から毎回必ず登るようにしようかと本気で思います。

というわけで、京都・大阪の旅も無事終了。
毎日気温がかなり低く、そのわりに紅葉は今ひとつ赤くありませんでしたが、今回は初めて行くところばかりだったので新鮮でよかったです。
来年の桜の時期には再び参上したいと思います。

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行ってみた 第14回 京都 善峯寺・光明寺・長岡天満宮

京都紅葉の旅の2日目、この日は京都市内には行かず、郊外の大原野というところに行く計画です。
目的地は勝持寺・大原野神社です。
まず阪急東向日駅からバスで大原野方面に向かうことにしました。

65系統が大原野方面ということでバスに乗りましたが、調べていた発車時刻よりも早くバスが動き出しました。
変だなと思って行き先を見ると、「JR向日町駅」となっています。
65系統は合っていましたが、方向が逆だったのです。
気づいた時にはすでに遅く、バスは2分くらいで終点のJR向日町駅に着いてしまいました。
ここからの大原野方面行きのバスは45分後です。しまった・・・
あまりこういう間違いはしないほうですが、駅前でしばし呆然。
濁った目でバス停に目を向けると、別の場所にある善峯寺行きのバスが停まっており、こっちはすぐに出発するようです。
やむを得ず急遽行き先を変更し、善峯寺に向かうことにしました。

結果的にはこの投げやり判断は正解でした。
というのも善峯寺行きのバスはJR向日町駅が始発です。
次のバス停である阪急東向日駅ではすでに善峯寺を目指す観光客が行列しており、ここからでは座っていくことは不可能でした。
行き先を間違えたおかげで、始発のバスに乗れて座っていくことができた、というわけです。

混雑したバスで立っていくことなど京都観光ではいくらでも経験します。
が、善峯寺までは山道もあり、また道路も渋滞していて、結局1時間近くバスに乗っていたので、やはり座れたのは非常にラッキーでした。

Yosiminedera1

Yosiminedera3

善峯寺はバス停から階段や坂道をかなり登った山の上にあります。
標高が京都市内よりも高いせいか、紅葉の色もやや赤く感じます。
ただそれでもやはり時期としては若干早かったようで、まだ青いもみじもたくさん残っています。
もしかしてもみじの品種が違うのか?

Yosiminedera2

Yosiminedera4

この日あまり天気はよくなかったのですが、晴れていれば京都市内まで見渡せる好展望地です。
肉眼でも京都タワーや東寺はよくわかります。
ここは枝垂れ桜で有名だそうですが、桜の時期はもっと混雑しそうです。

Yosiminedera5

善峯寺できつい上り下りにぐらぐらしながら歩いていると、元気なおばあちゃんが話しかけてきました。
90歳を超えているとの告白に驚愕しました。
言葉もしっかりしていて、どう見ても70歳くらいにしか見えません。
おばあちゃんによるとアロエをすりおろしたものを毎日飲んでるそうで、それが若さの秘訣のようです。
握手してもらいましたが、90歳を超えた老人の握力とは思えないほど強い力でした。

午後は長岡京市にある光明寺に行ってみました。
ここも京都市内ではない隠れた紅葉の名所とのことですが、長岡天神駅から臨時バスも出ているので、あんまし隠れてもいないようです。
バスは駅からしばらく田園風景を走り、10分くらいで光明寺に着きました。

Komyoji1

Komyoji2

参道や本堂手前の紅葉は見事でした。
今回の旅で一番赤かったのはここだったと思います。
寺には白砂の庭もあり、境内は思ったより広く見応えがあります。
参道は行きと帰りでルートが少し違うので、紅葉も風景が変わって二度楽しめます。

Komyoji3

Komyoji4

Komyoji5

長岡天満宮にも行ってみました。
桜とキリシマツツジで有名な神社で、一度来てみたかったところです。
が、もみじはあまりなく、ここだけは人もほとんどいませんでした。

Tenmangu1

Tenmangu2

雨が降り始めたので、この日の紅葉観光は切り上げて大阪に戻ることにしました。
なんばをうろうろしているうちにたどりついたのが「なんばパークス」。
なんとなく横浜のららぽーととか錦糸町オリナスのような雰囲気です。
ここはその昔大阪球場があった場所ですが、すでに球場は跡形もなく、オシャレなショッピングゾーンに変貌していました。

夕食はせっかく大阪なんやから粉モンを・・とも一瞬考えましたが、かなり歩いていて探すのもおっくうになっていたので、「なんばパークス」内の京風茶漬け屋「金の穂銀の水」で食べました。
目の前にあったんで飛び込みで入ったのですが、いろいろな味の茶漬けが楽しめてうまかったです。
ちなみに「なんばパークス」、各階通路に外を眺めることができる椅子があるのですが、数が少なくてほとんどの階で埋まっていました。
今後の高齢化社会に向けて、関係者の方に再考をお願いしたいところです。(虚弱体質)

さてこの日はモンスリー師匠と2年ぶりの再会です。
二人とも酒を飲まないので、梅田の地下街の甘味処で抹茶と菓子を食いながら談笑という、毎度のことながらシニアな展開になりました。
今回もモンスリーさんはあたしの「聴いてないアーチスト」をよく覚えていて、いろいろ説明してくれました。
また昨年ぷく先輩と衝撃の邂逅を果たした時の印象を、沈痛な面もちで低い声で語っていました。(相当脚色)

というわけで、旅はもう1日続きます。

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