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行ってみた 第10回 京都 仁和寺・平野神社

でたらめ京都桜満開追跡の旅、二日目。
最初に仁和寺に行きました。
ここも御室(おむろ)桜が満開です。
さすがにかなりの人出。

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ソメイヨシノに比べて背が低く開花が遅い桜で有名です。
仁和寺も2回目ですが満開は初めてでした。
入り口の山門付近に「御室桜満開」というでかい看板が立っているので、文字通り桜が看板のお寺だということがよくわかります。

Ninnnaji2

Ninnnaji3

ここも向こうが見えないほどのオラオラな根性満開です。
御室桜は花びらが八重咲きなのでよけいに盛り上がって見えます。
ここもヒッピーでサイケなクスリっぽい雰囲気が漂うパラダイスです。
木の下に花見用の有料席が設置されていますが、早い時間のせいかあまり埋まっていませんでした。
桜の周りをでかい熊蜂がぶんぶん飛んでいるのがちょっと怖いんですが・・

熊蜂にびびりながら仁和寺の喧噪を離れ、徒歩で妙心寺へ。
禅宗のお寺ですが、広大な敷地にたくさんの寺院が集まっており、お寺の団地のようなところです。(稚拙な説明)

この日はご開山(初代住職)さまの650回忌大法要があり、寺の関係者や檀家と思われる方々が集まっていました。
境内で坊さんが思いっきり大声で携帯を使っていたのはやや興ざめな感じでしたが・・
観光客はあまり多くないようですが、敷地の南端の退蔵院はしだれ桜や庭が美しいことで有名とのことです。
ここのしだれ桜も申し訳ないほどに満開。

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抹茶と和菓子をいただきながら桜を観賞。
ただし堅苦しさは全くなく、茶店の人も気さくで、久しぶりに訪ねた親戚の家でくつろいで桜を見ているような感覚です。

退蔵院
退蔵院:京都市右京区花園妙心寺町35

昼食は北野天満宮そばの豆腐カフェ「TO-FU CAFE FUJINO」でとりました。

Touhu

豆腐料理なんて普段はあまり食べないしそれほど好きでもないのですが、京都に来ると豆腐や湯葉などを食べないといけない使命感や軽い強迫観念?にとらわれるもんです。

TO-FU CAFE FUJINO
TO-FU CAFE FUJINO:京都市上京区今小路通御前通西入ル

午後は平野神社に行ってみました。

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この神社も桜で有名ですが、敷地内のエリアによって雰囲気が全然違うという不思議な神社です。
東の鳥居から神殿までの参道にもいくつか桜があります。
ここまではふつうの神社とあまり変わりません。

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敷地の南側には種類の違う桜の木が植わっている見本林のような区画があります。
木の種類で咲く時期が違うため、一斉に咲くような派手さはありませんが、長い期間楽しめるはずです。
ここの桜は背が高いものが多いです。
あまり派手さはなく、林というより木立のイメージです。

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ところが隣接する西側エリアはものすごく下町です。
桜の下に紅白の幕が張られた花見スペースが設けられ、人々は大笑いしながら酒を飲み、たくさんの露店が出ています。
東京で言うと隅田川とか上野のようなノリ。(あそこまで猥雑ではないが・・)
神社の入り口は東西にあるのですが、同じ神社とは思えないほど風景が違います。
まあでも神社の祭りの時期としてはよくある風景でしょうけど。
この極端な展開は桜の時期特有のもののようで、以前秋に訪ねた時は、観光客も含めて人がほとんどいませんでした。
こんな対照的な光景が同居してる神社があるのも京都のおもしろいところです。
平野神社は3回目ですが、好きな神社のひとつです。

さて旅もそろそろ終盤です。
最後に向かったのは鴨川沿い、半木(なからぎ)の道。

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鴨川はあちこちに桜並木がありますが、木の種類も咲く時期も様々です。
北山の植物園の脇に位置する区間を半木の道といい、しだれ桜が続く歩道となっています。
ほぼ満開ですが、平安神宮や養源院の桜よりも色が薄いです。

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ソメイヨシノに比べて小さい木なので、相対的に迫力はありませんが、この時期には来てみたいと思っていた場所です。
ここにも露店が出ていたり、若者が自作の歌を披露したり、なかなかにぎやかな通りになっていました。

半木の道
半木の道:京都市左京区下鴨半木町

夕方の新幹線で帰ることになりました。
京都から帰る時はいつもデパ地下で京都ならではのお弁当を買って新幹線に乗ることにしています。
ただし京都駅直結の伊勢丹は夕方には床が見えないほどの混雑で、ゆっくり弁当を買うこともままなりません。
そこで最近はもう伊勢丹を利用せず、四条の大丸高島屋で弁当を買うようにしています。
四条烏丸から地下鉄を使えば京都駅まで15分くらいですし、デパ地下の広さは伊勢丹も大丸もあまり変わりません。
地下鉄の一日乗車券などフリーパスをお持ちの場合は、ぜひこの方法をおすすめします。
(バスは日曜の夕方は四条から京都駅まで渋滞が多いのでおすすめできません)

今回は京都の料亭「六盛」のお弁当です。

Rokusei

というわけで、二日間満開の桜を堪能しました。
ずっと天気がよくてなによりだったのですが、ひとつだけ困ったことがありました。
花粉症がひどかったのです。
首都圏ではもうスギ花粉のピークは終わっており、マスクなしでも野外を歩けるくらいなのですが、京都にはどうやら自分にとって非常にタチの悪い花粉が蔓延していたようで、宿に帰ってからも鼻づまりが治らず、帰りの新幹線の中でも症状が治まることがありませんでした。
花粉症歴はそれなりに長いですが、もともと鼻よりも目にくるタイプで、症状もそれほど重症ではないと思っていますが、今回の京都ではちょっと勝手が違いました。
夏のような気温だったので当然花粉なんか終わっているもんだと思っていたんですが・・・
この二日間の京都では、ピークの頃の首都圏よりもマスク姿の人の数はずっと少なかったので、スギではなかったのかもしれません。

花粉以外は全てが盤石だった今年の京都の桜。
町全体がテーマパークのような京都ですが、まだ鞍馬や大原、保津峡や長岡京などには行ったことがありませんので、次回はもう少し郊外に足をのばそうかと考えております。

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行ってみた 第9回 京都 平安神宮・銀閣寺

日本一腰のひけたでたらめ旅人のSYUNJIといいます。
唐突な旅が多いあたしですが、ここ数年で繰り返し訪れているのが京都です。
神社仏閣を見てまわるベタな旅ですが、歴史や建築には全然詳しくなく、漫然と庭や花なんかをながめることが多いです。

そんな無学無教養な偏差値の低いあたしですが、桜の季節だけは別。
この時期京都に行かずして男か!きぃー!・・・などと誤った使命感にとらわれ、つい行ってしまいます。
なぜか京都に目覚めたのは5年前ですが、以来4月には今回を含めて4回行きました。

しかし桜の咲く時期にうまいこと合わせて京都に行けるかどうかは、サラリーマンのあたしには案外難しいものです。
なにしろ今年は2月が異様な暖かさで、桜の開花も全国でやたら早く、満開の時期はヘタすると3月中になってしまうのではないかと思われました。
あせったあたしは宿と新幹線の予約をしようと旅行代理店へ。
しかしながら最初の週末の4・5日はすでにいっぱいでとれませんでした。
しかたがないので1週間ずらして11・12日に決定。
この日だと例年でも京都のソメイヨシノにはやや遅い時期ですが、まあ紅しだれとか八重桜とか、遅咲きの桜はいろいろあるので、なんとかなるだろう。
幸い首都圏は3月末に寒の戻りがあり、開花の期間がかなり長かったので、入学式に桜吹雪という光景が正しく展開したところが多かったようです。
そこで毎日ネットで京都市内の開花情報をチェックしてましたが、意外にも京都でもソメイヨシノが長持ちしてるらしい。
ラッキー!石原良純万歳!(意味不明)
勝利を確信したあたしは、11日朝のやたら早い時間の新幹線に乗り込みました。

・・・・・行ってみた。

まず向かったのが平安神宮
ここは2年前にも行ったのですが、目当ての紅しだれには早すぎて、しかも雨で全然おもろないやんけな思い出が残ったのでした。(でたらめ関西弁)

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巨大な鳥居をくぐると、もう神殿の向こうにしだれ桜がにじみでています。
神社なので本来はきちんとお参りしてからなのでしょうが、もう参拝もすっ飛ばして桜に直行。(バチあたり)

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ぐああぁぁぁあああ咲いてます。
わーはははもうこれ以上咲けるかよというくらいのヤケクソ出血満開。
優雅というより正直オラオラ状態です。
そこかしこにフラワーでクスリっぽいオーラが充満していて、パラダイスです。

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いやあ来てよかったわぁ。(←京都弁でお読み下さい)
こういうヤケクソな紅しだれ桜って、関東にはあまりないんです。(知らないだけか?)
すっかり脳味噌も真っ赤にしだれたところで、続いてバスで銀閣寺に移動。
銀閣寺についたのは11時過ぎでしたが、朝がやたら早かったので、近くの「銀福」という店で先に昼食をとることにしました。

Ginhuku2

「錦弁当」を注文。
これはうまかったです。
自分は関東の人間にしては相当薄味好みなほうですが、想像していたよりも薄味だったので、自分にとってはありがたい味でした。
さすがは京都です。(←安い性格)

さて銀閣寺。
訪れるのは4年ぶりくらいでしょうか。
ただ、なんか銀閣の様子が変です。

Ginkaku2

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なんと一階部分の壁が抜けていて柱がムキ身です。
銀閣は改装中だったのでした。

Ginkaku3

もう少し寄ってみました。
これは・・・もはや「大改造!!劇的ビフォーアフター」のような非常に大胆なリフォームです。
いえ、まだアフターじゃないんですけど。
もともと地味なたたずまいなのですが、この日の銀閣はカチコミや打ち壊しにあった古い寺のようで、こうなると国宝の威厳も東山文化のわびさびも何もありません。
ブルーシートがかかってないだけマシかもしれませんが・・・
改装が終わった後は、サザエさんの声で「なんということでしょう。大容量の収納スペースを確保。」などとナレーションしていただきたいところです。(何言ってるかわからない)

どうも銀閣寺はここ数年ずうっとあちこち工事しているようで、4年前にはなかった立派な白砂のお庭とかおみやげショップなんかができていて、路線が少し変わってきてるようです。
金閣寺のクレイジーさとは対照的な地味さが銀閣寺の持ち味?だったと思うのですが・・・
義政公はどう思っておるのだろうか・・・

どこか俗っぽくなった銀閣寺を後にして、これまた桜の名所である「哲学の道」へ。
4年前に来た時は夏でしたので、春の「哲学の道」は初めてです。

Tetugaku1

ここの桜は大半がソメイヨシノですが、さすがにかなり散っています。
京都では桜吹雪の風景も、なぜか観光客をムダに興奮させるようです。
それなりの人出でしたが、満開ではないせいか、思ったほどの混雑ではありませんでした。

Tetugaku2

そのまま哲学の道を全線踏破し、南禅寺を通過して平安神宮に戻ってきました。
今年はインクラインは橋の上から見るだけでしたが、やはり桜はもうかなり散っていました。

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次に向かったのは養源院
三十三間堂の向かいにある小さな寺ですが、しだれ桜の隠れた名所です。
2年前にも訪れましたが、桜はまだつぼみだったのでした。
今年は幸運なことに満開です。

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また養源院にはもうひとつ有名なものがあります。
歴史の好きな方なら、この寺にある「血天井」もご存じかと思います。
徳川家康の家臣である鳥居元忠らが、伏見城において豊臣軍に攻められて自刃したのですが、その時に流れ出た血の跡がついた床板が、供養の意味で養源院の天井に使われているのです。
お寺の人が竹竿で天井を指しながら「ここが頭。これが腕。ここに足跡」と説明してくれますが、400年以上前のものでも腕の形や足跡はかなりリアルです。(撮影禁止)
惨劇の跡ではありますが、恐ろしいという感覚はあまりなく、昔の武士道の厳しさ潔さを雄弁に語りかけてくれます。
血天井はこの養源院の他、宝泉院、正伝寺、源光庵、興聖寺にもあるそうです。
ちなみに養源院では、観光客向けの説明をお寺の方がラジカセを持って移動してテープで聞かせてくれるのですが、この説明テープがものすごくふつうの京都弁のおばさんの口調でして、プロのアナウンサーみたいな人が語る説明なんかよりもずうっと心にしみいる感じがします。

養源院
養源院:京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656

この日最後に行ったのが六孫王神社
京都駅八条口から西に歩いて15分、八条大宮の西側にある小さな神社です。

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すぐ脇を新幹線が通るので風情はあまりありませんが、ここの桜もきれいです。
人が少ないので京都の観光客の多さに疲れた方におすすめです。

六孫王神社
六孫王神社:京都府京都市南区壬生通八条角

ちなみにこの日京都は非常に暑く、夕方4時半頃にビルの温度表示を見たら30度でした・・

というわけで、旅はもう1日続きます。

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見ていない 第24回 スクール・ウォーズ

いわゆる青春ドラマは若い頃から苦手だったSYUNJIです。
とにかく我々の世代はクサイものに敏感であり、その「クサイものに夢中になるヤツはダサイ」という図式がかなりハバをきかせていたのです。
今思うとウラを返せば「照れ」でもあり、むしろそのほうが固定観念でもあるのかもしれません。
まあ世代でひとくくりにするのもムリがあるとは思うし、同世代であっても純粋に熱血先生の愛の指導に感極まって感無量に感涙した感受性の高い人もいたでしょう。

で、あたしは当然見ていない「スクール・ウォーズ」。
今さら説明の必要なんかないであろう熱血青春学園ドラマである。
正式名称は「スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~」だそうだ。
山下真司 が高校教師&ラグビー部監督を演じ、熱血指導により不良生徒を更正させ、ラグビー部も全国大会優勝を成し遂げるという、これ以上ない青春ドラマの王道設定。
見てなかったんだけど「これからお前らを殴る!」という名セリフは有名なので知ってはいる。

関東では84年から85年にかけてTBSで土曜の夜9時から放送された。
見なかった理由は「クサイと思っていた」だけで、見てなかったからホントのところはどうなのか実は知らない。
84年といえばあたしはすでにハイスクールは卒業しており、勉強もロクにしないで昼間は世田谷の雀荘、夜は新宿の雀荘にいたりしていた頃である。(だめだこいつ・・)
土曜は夜中に新宿で働く日だったので、この時間はたぶんテレビ自体見ていなかったと思う。

他に出演は岡田奈々・岩崎良美・松村雄基・間下このみ・梅宮辰夫 ・和田アキ子・伊藤かずえなど。
伊藤かずえが馬に乗って登場し、ムチで不良を撃退するシーンは見たことがある。
テーマソングはご存じ「ヒーロー」で歌っているのは麻倉未稀。
ボニー・タイラーの曲を日本語で歌ったもので、映像とセットで覚えている人が多いだろう。
今回調べて初めて知ったんですけど、ザブングルの「くやしいッス!」ってあのセリフ(ギャグ?)、原典はこのドラマにあったんですね。
じゃあ「カッチカチやで!」ってのもこのドラマからなのか?

さらに90年から91年にかけて「スクール・ウォーズ2」が放送され、出演者もかなりかぶっているが、設定は変わっており全く別の作品となっている。
こっちはファーストシリーズに比べてあまり評判はよくないらしい。
また「スクール・ウォーズ」は映画化もされたが、役者は全て入れ替わっており(主演は照英)、さらに評判は悪いそうだ。

金八先生」でも書いたが、先生が主人公の学園ドラマはだいたい熱血教師と不良との衝突と感動をテーマにしがちだ。
これが基本的に自分の育ってきた過程においては決定的にリアリティのない話であり、また求めているものでもなかったので、共感も投影もできない、というのが正直な感覚である。
このトシになればそういうクサイ要素もある程度楽しめたりするとは思うが、まあ誰がどんな熱い教師を演じようと、そっち系の演劇には興味自体がわかなかったのである。

少し話はズレるけど、「昔やんちゃしてた」というセリフが最近テレビなどでわりと肯定的に使われることが多い。
で、そのやんちゃしてた元不良は、大人になって人との絆の大切さなどに気づき、贖罪や恩返しの意味でボランティアやチャリティーに参加したり・・・という、イイ話につながっていく。
もちろんそれ自体はいいことだし、死ぬまで不良してるよりはマシな話だ。
ただしこの手の話はいつもちょっとひっかかる。
「やんちゃしてた」頃に傷つけてしまった人たちに直接謝罪したり償いしたりが優先じゃないの?と思うのだ。
謝罪贖罪しての上でボランティアなら全然OKだけど、実は謝罪なんか全然してなくて「恩返しのつもりでボランティア」ってのは、ちょっとムシが良すぎるんじゃないかなぁ。
あたし自身はやんちゃできるほど純粋ではなかったし、幸いなことに不良のみなさんとは意外に仲良しだったので、傷つけられた思い出はあまりないのですが、「やんちゃ」の運用が少し違うのではないかと感じておるのです。

山下真司 は不思議な役者だ。
メジャーデビューは「太陽にほえろ!」のスニーカー刑事。
その後この「スクール・ウォーズ」でブレイク?し、「男女7人秋物語」では明石家さんまや片岡鶴太郎らと堂々の競演。
ところがそれ以外で思い浮かぶのは「くいしん坊!万才」くらいなのだ。
素でも役でもあまり変わらない感じで、「いろいろこなせる役者」とは違う気がする。

「男女7人秋物語」は全て見たが、さんま・鶴太郎という芸人の向こうを堂々とはっていた山下真司の天然っぽいキャラは、今思うと秀逸なキャスティングだったと思う。
「夏物語」は奥田瑛二が出ていたが、山下真司よりもずうっと器用な役者なのに、このドラマでの印象はむしろ薄いのである。
「秋物語」終了後、メイキング特集のような特番が組まれたのだが、その特番での山下真司の登場のしかたが非常に印象に残っている。
当時まだ明石家さんまと大竹しのぶは結婚前だったのだが、二人はこの特番のMCだった。
そこに山下真司が劇中のセリフ「良介!お前まだこの人とつきあってるのか?」を叫びながら登場。
その直後にさんまと大竹しのぶに「で、つきあってるんですか?」と、いきなりものすごい直球な質問を素でカマし、二人をあわてさせていた。
とにかくこの人は特番でも他の6人に全くひけをとらない存在感だったのだ。

そんなわけで、「スクール・ウォーズ」。
熱血教師山下真司の泣き顔と、テーマソング「ヒーロー」をセットで思い浮かべる方も多いと思います。
当時夢中になっていた元少年少女のみなさま、不良にもなれないノンピュアな中年のあたしに、この番組の魅力を教えていただければと思います。

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聴いてない 第133回 リトル・リバー・バンド

本日採り上げるのはリトル・リバー・バンド。
みなさんはご存じでしょうか?
日本でどれくらいの人が聴いているものなのか、全然想像がつきません。
全然聴いてないのは当然なのだが、実は1曲のうちのほんの一部分だけ知っているという、救いようのない聴いてなさぶり。

あたしの場合、聴いてない度は1.5です。
1曲も聴いてなければ聴いてない度は1、1曲しか聴いてなければ2なのだが、中途半端な1.5。
その昔「Other Guy」という曲だけエアチェックしたことがある。
これが唯一知っている曲だ。
しかしテープが足りず曲の途中で切れてしまい、それっきり。
最初のサビが来るあたりで切れたので、実録音時間は1分もないと思う。
その後二度と彼らの曲にふれることもなかったのである。
あらためて思うが、あまりにも貧相で失礼な鑑賞履歴だ。

リトル・リバー・バンド、まさかリトル・リバーさんという人がリーダーじゃないだろうとは思うが、当然メンバーを誰も知らない。
というよりそもそもどこの国の人たちでどんなジャンルなのか全然知りません。
今回のミッションはまず彼らの素性を知ることから始まる。
(いつもそうだけど)
それではネットで集めた情報を、さも知っていたかのように披露します。

リトル・リバー・バンドは1975年にオーストラリアのメルボルンで結成された。
最初のメンバーはグレアム・ゴーブル、ビーブ・バートルズ、デレク・ペリッシ、グレン・シャロック、リック・フォーモサ、ロジャー・マクラクランの6人。
アメリカに進出後はウエストコースト・サウンドで人気を博し、78年の「追憶の甘い日々」は全米3位を記録する大ヒットとなった。
ちなみに「Other Guy(二人の愛は)」は83年の曲で最高11位。
現在もアメリカでツアー活動はしているそうだ。

ウエストコーストなサウンドが支持された最大の理由だが、実は初めからそういう路線だったわけではないらしい。
というか長い活動の中でけっこう様々な試みを行っていて、西海岸に傾倒していたのは70年代後半の一時期だけのようだ。
アメリカ進出とともに路線を変えて照準を西海岸に合わせて成功した、ということなのだろう。
1分くらいしか聴いてないのだが、「Other Guy」から受けるイメージとしては、やはりイーグルスやドゥービー・ブラザーズのようなサウンドではないかと思う。(違ったらすいません)

多くのサイトやBLOGに書いてあったが、「日本での知名度は驚くほど低い」とのこと。
なんでだろう・・・
でも確かにアルバム名は1枚も知らないし、ジャケットも全く見覚えもない。
ただしミート・ローフのように「日本では全くと言っていいほど人気がない」とは書いてないのである。

まあ自分のような貧困リスナーが知らないのは当然だが、70年代末からふつうにFMを聴いて1000曲以上エアチェックしてきた中で、リトル・リバー・バンドがたった1回しか録音できなかった、という事実は、やはり日本での採り上げられ方があまり多くなかったことを表していると思う。
友人との会話の中でこのバンド名が登場したことも全くない。

音楽ではないが、FM雑誌でリトル・リバー・バンドにふれたことが1度ある。
しかしそれは記事ではなく、カセットのインデックス用写真である。
昔FM雑誌にはカセットテープのインデックスにどうぞ的なページがあり、FMステーションでは鈴木英人のイラストなんかがよく登場していた。
で、たぶん姉が気まぐれに買ったFMファンだったと思うんだが、リトル・リバー・バンドの写真が載っていたのだ。
しかもメンバーの写真ではなく、メンバーの写真を使ったロードサイドの看板を写したものだった。
実はその切り抜きは今でも持ってはいるんだが・・・
これです。

Littleriver2

どうやら「Time Exposure」というアルバムの宣伝看板のようだ。
(偶然にも「Other Guy」が収録されているアルバムである)
日本にはあまりこういう看板はないと思うが、アメリカでは看板になるくらいだからそれなりに人気はあったんだろう。
もしかして看板はオーストラリアのものかもしれませんが・・・
しかし25年くらい前の雑誌の切り抜きを今でも後生大事に持っている自分もどうかと思うが。
もはやカセットテープのインデックスに使うこともないのは明らかだけど、なんかこういうの捨てられないんだよなぁ。

そんなわけで、あまりにも知らないことが多すぎるリトル・リバーバンド。
あたしのことですから、聴くとしたらたぶんベスト盤によろめいてしまうと思うのですが、「実はこれが名盤なんだ」という渋い情報があればお寄せ下さい。

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