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聴いてない 第118回 ボニー・タイラー

「おんなロッド・スチュアート」と呼ばれたハスキー女王、ボニー・タイラー。
日本でどれだけ人気があったのか見当もつきませんが、全然聴いてません。
80年代のシングルを少し聴いた程度なので、聴いてない度は3。

聴いてるのはたぶん以下の曲である。
・Total Eclipse of the Heart(愛のかげり)
・Have You Ever Seen the Rain? (雨を見たかい)
・If You Were a Woman
・Holding Out for a Hero

初めてボニー・タイラーの曲を聴いたのは「愛のかげり」だったと思う。
日本ではたぶんこの曲が一番売れたはずだ。
「Holding Out for a Hero」は「フットルース」のサントラ・アルバムで聴いている。
「雨を見たかい」はご存じクリアデンス・クリアウォーター・リバイバルのカバーである。

なお聴いてる曲はどれも嫌いではない。
女ロッドなド迫力ハスキーボイスもいいと思うし、ロッドより歌はうまいよね。
この声が彼女の最大の魅力だろうが、声帯ポリープが完治しないまま歌い続けてああいう声になったらしい。
容姿は特に好みというわけではないが、今「You Tube」であらためて映像を見るとちょっと化粧が濃いです。

さてボニー・タイラー。
スティーブン・タイラーとは遠い親戚にあたるそうだ。(ウソです)
ちなみにタイラーという姓は「タイル職人」という意味らしい。そのままやん。
結局なんにも知らないので、例によってネットで少し調べました。

最初から勘違い告白ですが、ボニー・タイラーってイギリス(ウェールズ)のヒトなんですね。
勝手にアメリカ南部あたりのワイルドな姉さんかと思っていました。
70年代半ばでデビューし、78年にはヨーロッパやアメリカでヒット曲を出し、82年に「愛のかげり」によって日本でも売れるようになった、というのが大まかな経歴。
「愛のかげり」を収録したアルバム「Faster Than the Speed of Night」は、イギリス本国では初登場1位を記録しており、これが女性シンガーとしては初の快挙で、ギネスブックにも認められているらしい。

日本でヒットしたのはだいたい自分が聴いてる曲だと思うが、ネットでボニー・タイラーを検索するとよく目にするのが、作曲家でもありプロデューサーでもあるジム・スタインマンだ。
「愛のかげり」「Holding Out for a Hero」はいずれもジムの作品だそうだ。
ちなみにジムはエア・サプライの「渚の誓い」の作曲者でもあり、この曲もボニー・タイラーに歌わせている。
あのミート・ローフの「地獄のロック・ライダー」のプロデュースもジムが手がけているとのこと。
言われてみると、「愛のかげり」と「渚の誓い」はピアノから始まるイントロやサビの盛り上げ方など、構成がよく似ている。

個人的な印象だが、80年代半ばくらいまでは、ボニーやアン・ウィルソンやデボラ・ハリーのようなアネゴ系ボーカリストが受けていたのだが、マドンナやシンディ・ローパーの登場でそのあたりの潮流は少し変わったような気がする。
まあデビュー当時は媚びまくりな歌い方だったマドンナも、のちにすっかり姐さん状態になってはいくのだが。

さて「Holding Out for a Hero」は日本ではテレビドラマ「スクール・ウォーズ」の主題歌としてのほうが有名だろう。
麻倉未稀が日本語歌詞で歌っているが、このドラマはほとんど見ていない。
山下真司の代表作であり、70年代青春ドラマのノリをなぜか80年代にも持ち込んでしまい、それでも結構人気があったと言われている。
先生でラグビー部顧問でもある山下真司が泣きながら生徒を順番に殴ったり、生徒で金持ちの娘の伊藤かずえが白馬に乗って不良をムチで退治したり・・という名場面だけは覚えている。
あ、このまま続けると「見ていないシリーズ」のネタをひとつ消化してしまうので、「スクール・ウォーズ」はまたの機会に。
ボニー・タイラーやジム・スタインマンは、この曲が日本で青春ドラマに使われたことは知ってるんだろうか・・・

そんなわけでボニー・タイラー。
一番売れた「Faster Than the Speed of Night」も良さそうだが、95年の「Free Spirit」というアルバムには「渚の誓い」や「明日に架ける橋」が収録されており、これも聴いてみたいと思っている。
それほどアルバムの枚数は多くないようですが、みなさまの思い出の盤があれば教えていただきたいと思います。

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読んでみた 第21回 Newton

今回読んでみたのは科学雑誌「Newton」。
1981年創刊だが、まともに読むのは今回初めてである。

創刊当時の宣伝はわりと記憶に残っている。
ふんだんにイラストを使った新しい科学雑誌としてかなり派手に宣伝していたと思う。
元東大教授で物理学者の竹内均先生が編集長だった。
進化の過程や宇宙の神秘を説くイラストが印象に残っている。
ただ当時は科学にはそれほど強い興味はなく、音楽や女の子ばかり追っていたので、読んだことはなかった。

Newton

今回読んでみたのは4月号、1000円。
書店にどっさり平積みになっていたことにまず驚いたが、価格にもっと驚いた。
140ページ程度でこの値段。高い・・・
版元はニュートンプレス社、発行部数は28万部。
この部数は「SPA!」や「サライ」よりも多い。
実売は不明だが、テーマが科学という学術雑誌なのに、かなりの部数だと思う。
今さらだが何もかも驚きの連続である。
中身も驚きの連続なんだろうか。

・・・・・読んでみた。

今月号の目次はこんな感じである。

・地球の生物を支えている光合成
 CO2を吸収し,太陽光と水を使って「合成」するしくみとは?
・“偵察機”が見た火星
 史上最高画質のデータが続々と到着
・リサイクルは有効か?
 環境への負荷はこれだけかわる
・人はなぜ確率に弱いのか?
 直感と計算の「ズレ」にせまる
・「天からの手紙」を立体的に見る
 電子顕微鏡がとらえた雪の結晶
・身近な“?”の科学
 フグと毒
・メディカル・トピックス
 食品に混入した農薬「メタミドホス」の正体

巻頭特集の光合成からお得意のイラストが全開である。
CGかとも思える精巧な絵だが、おそらくは手で描いたものだ。
しかも特集ページ全てがどかーんと見開きイラストである。
雑誌ではあるが、ノリは子供向け学習図鑑に近い。
実際文章の漢字にはところどころルビがふられていて、小学生から大人まで幅広く科学してみよう!という熱い編集側のテンションがにじみでている誌面である。

光合成なんて文字にふれるのも高校生の頃以来だが、説明そのものよりもイラストのゴージャスさにどうしても目を奪われますな。
はっきり言って光合成そのもののしくみはほとんどアタマに入りません。
あたしがバカなだけでしょうけど、器が豪華すぎて味がわかんない高級料亭の料理に似ています。

実はもっと驚いたのが次の特集ページ「“偵察機”が見た火星」である。
NASAの火星探査機が撮影した火星の地形表面の写真が、これまた見開きでどおおーんと16ページにわたって掲載されている。
しかもその写真が非常に鮮やかで、縮尺も1/2500くらいの寄りなのである。
もし火星の地表面にぷく先輩が寝ていたら、じゅうぶん識別できるくらいの距離です。(ホントかよ)

火星と言えば、子供の頃見た学習図鑑なんかには、荒廃した赤っぽい砂山の想像図くらいしか載ってなかったように思うんだが、この写真は「南米の特殊な地形です」なんて言われても信じてしまうくらい、リアルに地球っぽいのだ。
可視色のままではないと思うが、地表面の色も非常にバラエティに富んでいる。
こんな写真はネットでいくらでも見られるんだろうけど、「Newton」で見るとやはり迫力がある。

「リサイクルは有効か?」という記事も、「Newton」ならではの科学な視点でリサイクルを分析している。
最近製紙業界でも再生紙偽装が問題になったが、古紙を再生する場合、インクの除去にかなり負荷がかかり、しかも新紙のような白さや品質にはなかなか到達できないものらしい。
結局エネルギー換算では古紙からの再生のほうが多くのエネルギーを必要とするため、再生紙が地球にやさしいと言い切れるものではないそうだ。
この記事では「リサイクル(再生)よりもリユース(再使用)、それよりもリデュース(抑制)」と結論づけている。
これがどんな状況にも当てはまるかどうかはわからないが、この問題は混沌とするばかりである。

どんな雑誌でもそうだが、やはり興味のあるテーマとそうでない記事では、理解度や楽しみ度合いが違ってくる。
「Newton」はもともとほとんど興味のわかない科学という分野の雑誌なので、正直おもしろくない・理解できない記事も半分くらいあった。
メタミドホスの話も当然科学としての考証が書かれており、週刊ポストとは明らかに論調が違う。(当然か)
難しくて興味のない記事も我慢して読んだが、眠いし苦痛だった。
全ページ理解できてる小学生がいたとしたら大したものだと純粋に思う。

体裁面はどうだろうか。
長年こうしたテンションで誌面を作ってきただけあって、レイアウトや文字組みのデザインは見事である。
イラストや写真の上に文字を「乗せる」ページが多いが、この処理は全くスキがない。
編集がずさんな雑誌だと、写真と文字の色調に配慮がなく読みづらい部分があるが、「Newton」にはそれがない。

書体や級数はページによって違うが、ゴシックで比較的大きめの文字が多い。
個人的にはルビがややくどい気はしたが、小学生には必要なのだろう。
「Newton」の光合成特集を熱心にルビ追って読む小学生ってのもスゴイと思うけど。

表紙は独特の赤い色にでかいロゴ。
公式サイトでバックナンバーを見ると1998年もデザインはほぼ同じ。
たぶんそれ以前からもずっとこの表紙だろう。
悪くはないが、変えてみてもいいような気もする。

感想。
もっとトンデモなテンションで難しいことがたくさん書いてあるのかと思ってましたが、中身はけっこう直球です。
まあ全ての記事に興味がわいたわけではなかったので、読んでいて退屈だったページも半分くらいありましたが、これは雑誌の内容の批判ではなく、自分の好みの問題ですね。

このページ数で1000円は直感的に高いと思うが、広告も少ないしイラストや写真に編集経費がかかってる背景もあろうかと察するので、まあいたしかたないかも。
ただ毎月買うのは勇気がいる値段です。

そんなわけで読んでみた「Newton」。
イラストや写真は見応え充分ですが、いかんせん偏差値の低い自分にとっては、ハードルが案外高い雑誌です。
突っ込もうにも難しくてどうしていいかわからないというか・・
偶然いっしょにカラオケ行くことになって、普段から謹厳実直なのでいったいどんな曲歌うのかな?と少し期待していたら、「わたしのぉおおおはかのぉまああえでぇえぇぇなかないでぇくださあいいいいぃい」とものすごく上手に歌い始めちゃって、誰も突っ込めなかった大学助教授・・・のような感じ。
こんなの歌われたら、もういっしょにカラオケ行くこともないだろうな・・と思わせるような、知性教養に満ち満ちた雑誌でした。

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聴いてみた 第47回 ザ・フー その3

思い出したように深夜に音楽の話題をふってみた偽装音楽ブロガーのSYUNJIです。
前回の「Who's Next」からだいぶ間があいてしまいましたが、モンスリー師匠のおすすめによりザ・フーのお勉強に久々に取り組むことにしました。(行き当たりばったり)

今回聴いてみたのは「ロックオペラ・トミー」。
ピート・タウンゼンドの構想による現代オペラ映画のサントラ盤で、アナログでは2枚組の大作である。

Tommy

ただし評価については様々なようで、ザ・フーの最高傑作と呼ばれる一方で、退屈・意味不明といった厳しい意見もあり、いろいろな意味で問題作と言える。
なお映画のほうは、V.J.若によると著名なミュージシャンが続々登場する「コスプレ映画」だそうですけど・・・

すでに「My Generation」「Who's Next」でかなりザ・フー用の土台は自分の中にできていると思っているので、それほど不安はない。
特に「Who's Next」はここまで重ねてきた「聴いてみたシリーズ」の中でもトップクラスの内容だと感じているのだ。
いくらピートが腕を回そうがロジャー・ダルトリーが暴れようがキース・ムーンがマウントからタコ殴りをカマそうが、たぶん大丈夫だろう。
ところでドリー・ファンク・ジュニア、67歳で今月引退試合したんだそうです。
まだ引退してなかったのね。
ちなみにドリー、ポール・マッカートニーやジミ・ヘンドリックスと同い年とのことです。

ドリーとはとりあえず何の関係もないザ・フー。
果たしてザ・フー最大の問題作はあたしにどんな関節技をふっかけてくるのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

サウンドの路線は「Who's Next」のそれを継承してきていると思う。
どの曲も音がきれいだ。
ロジャー・ダルトリーという人は、声はそんなに美しいとは思わないが、静かなバラードから派手なシャウトまで器用にこなせるシンガーだと感じる。

いろいろな曲があるが、思ったより似た調子の音が多い。
コーラスを当てた曲がわりと多いが、よく聴くとハーモニーとしてはどれも微妙だ。
ビートルズやビーチ・ボーイズのような精緻なコーラスではなく、ところどころ誰か一人ちょっとだけはずれていたり。
「Christmas」という曲はそのズレをあえて試しているようなところがあり、ふつう「あああああー」となるところを「あっあっあっあっあ」とか「あわあわあわあわあわ」とか妙なハーモニーにしている。
ちょっと変な感じだが、これはこれで味わい深いものがある。

「ピンボールの魔術師」はエルトン・ジョンでしか聴いたことがなかったが、ザ・フー版はちょっと趣が違う。
エルトンのほうがハデに歌っており、はじけた感じなので、むしろザ・フーのほうはややおとなしい印象を受ける。
エンディングがやけに淡泊で短い気がしますが・・・

短いけれどシャープな曲がけっこう多い。
映画を見ていないのでよくわからないが、場面が変わるごとに効果的に使われていたんだろうか。
「Tommy Can You Hear Me?」「Smash The Mirror」「Sensation」あたりの流れはなかなか楽しい。
本領発揮といったところだろうか。

相変わらず印象的なのはドラムだ。
キース・ムーンのドラムにもだいぶ慣れてきたが、このドラムの音は響きとしては絶妙なレベルにあると思う。
実際の生音がいいのかアレンジしてるのか不明なんだけど、「メチャクチャ音デカイ」「すごく強い」「ものすごくハデ」というようには聞こえない。
深みも重さも実はそんなにない音なんだが、楽曲全体を支えるにこれほど存在感のあるドラムもないと思う。
素人なんで全然うまく表現できないのですが、なんつうか合掌造りの日本家屋の中の太い梁のような、ツヤはないけど安心感があるような、そんな質感をおぼえます。
個人的に「てんてん」「こんこん」というような乾いた固いドラム音は好きではないのだが、キースのドラムはそういう音からは対極にあるように思うのだ。

感想。
それぞれの曲の水準が相変わらず高いので、聴いていて退屈とか苦痛とかはあまり感じない。
特に楽器はどのパートもレベルが高い。
このへんがザ・フーのウリであることもだんだんわかってきました。
たださすがに20曲を超えるとちょっと冗漫なところはあるかなぁと思う。
全曲通しで聴かず、アナログでの1枚目と2枚目に分けて、それぞれをゆっくり聴いてもいいのかもしれない。

そんなわけで、聴いてみました「ロックオペラ・トミー」。
今回もザ・フーの水準の高さにうなりました。(ダサイ感想だなぁ・・)
三流なあたしが言うべき話じゃないと思いますが、ここまでレベルの高いバンドが、なぜ日本ではそれほど売れなかったのか、今さらながら不思議な気がします。
荒れるライブが有名な彼らですが、何もムリに暴れて話題を作らずとも、高い技量と楽曲の美しさで全く問題なくビジネスになってたんじゃないでしょうか。
次は「四重人格」にトライしようと思います。

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行ってみた 第3回 石垣島

南の島の逃亡シリーズその3。
ネタがないので1回の旅行で3度も記事を引っ張るというセコイ魂胆です。
西表島竹富島を巡った翌日から、石垣島を本格的に観光することにしました。
相変わらず天気が悪いです。

Kabira

石垣島で一番有名な風景はこの川平湾でしょう。
最初に訪れた日は天気が悪く、せっかくの風景もいまいちだったので、日をあらためて晴れた時にもう一度行きました。
写真だとわかりにくいですが、空が明るいと風景が全然違います。

Glassboat

グラスボートにも乗りました。
海の底はサンゴやクマノミでいっぱいです。
が、あたしが乗り合わせた団体は全員が60代とおぼしき男女だったので、ガイドの人の「ニモがいます」という説明にも無反応でした。

あちこち回ってみてわかりましたが、石垣島はかなり変化に富んだ地形です。
山も川も浜も岬もあり、それが島の中にコンパクトにまとまっているので、風景に飽きることがありません。

サンゴで有名な白保にも行きました。
「さんご村」という環境保護団体の施設がありますが、それ以外は観光施設は全くありません。
集落にも昔ながらの家が残されており、さんご村も地元の人も、サンゴや古い家並みを守るために観光地化してほしくないという主張のようです。

Siraho

白保は我々観光客がイメージするサンゴとは少し違った、どちらかというと地味な海岸で、地元の人がアオサ(ノリ)をとったりしていました。
ここに空港を作る計画があることは知っていましたが、地元の人はみなさん反対しているようです。

島田紳助の店「トムル」にも行ってみました。(ミーハー)

Tomuru1

Tomuru2

等身大の人形がお出迎え。
店内にはこの店を訪れた芸能人の写真や、紳助本人が描いた絵が壁にかけられています。
本人はテレビで自ら「ぼったくり喫茶店」などと言ってますが、食べ物も飲み物もうまかったです。

とある集落におしゃれなカフェのような店があったので入ってみました。

Lunch

なぜか外に札幌ナンバーのクルマがとまっています。
中に入ると、そこにも札幌ナンバーのバイクが置いてありました。
もしかして・・・と思ってマスターにたずねてみたら、やはり札幌の人でした。
いろいろ話を聞いてみたら、実はあたしの母親や叔母と同じ小学校のご出身であることがわかりました。
ここのハヤシライスはとてもおいしかったです。

島をレンタカーで回ると、すれ違うクルマも半分くらいはレンタカーです。
ヴィッツが多いですが、ヒュンダイTBもたくさん走っていました。
これまで全国あちこちでクルマを借りたことがありますが、ヒュンダイのレンタカーは初めて見ました。

さて滞在中、ちょうど千葉ロッテマリーンズがキャンプ中で、島は歓迎ムード一色。
島のあちこちにバレンタイン監督のポスターやのぼりが目につきます。

Lotte

石垣島でプロ野球球団がキャンプを行うのは25年ぶりだそうで、このために公園や球場も改築したようです。
せっかくなのでキャンプを行っているボールパークに行ってみました。

Naruse

ブルペンでは昨年大活躍の「負けない」成瀬が投げていました。
また屋内練習場では地元出身のイケメン大嶺が球拾い。

Imae

外の練習場では3年前の日本シリーズで絶好調だった今江と、星野ジャパンの主力西岡がノックを受けています。

あたしはロッテファンではありませんが、最近あまり球場で野球を見ていないので、久しぶりにプロの選手を間近で見ることができてよかったです。
平日の昼間ですが、かなりのギャラリーがいました。
ほとんど地元の人だと思うんですが、みなさん仕事大丈夫なの?

さて旅も終盤。
会社の連中に大量にみやげを買い込み、ホテルから直接宅配便で送りつけました。
買ったのは「塩ちんすこう」やマリーンズ泡盛、石垣島ラー油など。
ラー油は知る人ぞ知る隠れた名物のようで、作っている店でしか買えないという話でしたので、店まで行って買いました。
貴重品をゲットしたような気分で喜んでいたのですが、翌日空港の売店(JAL側)でもふつうに売っているのを見ました。

戻ってきてからわかったのですが、ラー油は沖縄のそれぞれの島で名前をつけたものが売っているようで、本島や石垣島以外にも久米島や宮古島ラー油というのがあるそうです。
味はどう違うのかわかりませんが。
自分、もともとラー油はそれほど使わないほうで、餃子やシューマイはたいてい生醤油で食べるのですが、石垣島ラー油を買ってからは欠かせなくなりました。
ふつうのラー油よりも辛さは少ないですがスパイシーでうまいです。

ホテルはシーマンズクラブリゾートイースト・チャイナシーに2泊ずつ泊まりましたが、どちらも快適でした。
シーマンズは本格的なリゾートで、館内には図書室があったり、お客を適度に放っておいてくれる感覚が気に入りました。
シーズンオフでお客も少なく、とても静かでした。
浜が目の前で川平湾にも近く、本格的にのんびりしたい人にはおすすめです。

一方イースト・チャイナシーは港の離島ターミナル前にある便利なロケーションです。
ふつうのシティホテルですが、客室に荷造り用ダンボールが3サイズ用意されており、ガムテープや発送用伝票もついていました。
ダンボールは有料ですが、ちょうど帰る前の日にここに泊まったので、荷物を作るのに苦労しないで済みました。
また箱のすきまにつめるために古新聞がないかフロントに聞いたところ、すぐに用意してもらえました。
今回の宿は事前に入念に調べておいたので、タイプはそれぞれ異なりますが、まったくはずれがなく非常に満足でした。

実は石垣島はここ数年経済的には好調だという話を行く前にネットで見ました。
確かにマンションやビルなどは新しい建物が思ったより多く、建築中の物件もけっこう目にしましたので、景気は良いのだと感じました。
本土から移住してくる人も増えているようです。

一週間滞在するとわかりますが、石垣島はとても便利な土地でした。
市街地にいれば食べるところには全然困りませんし、真冬のオフシーズンでもなぜかお店がどこも夜遅くまで開いています。
コンビニもココストアがあちこちにあり、ポークたまごおにぎりという、沖縄ならではのおにぎりが買えます。
島のどこにいても、クルマがあれば市街地まで1時間あれば戻れるので、不便を感じることはあまりありませんでした。
もっともあたしのような軟弱な観光客は、そもそも離島になど来る資格はないかもしれませんけど。

実はあたしは南の島で貝を拾い集めることを趣味としています。
今風に言えばビーチ・コーミングですね。
これまでに沖縄本島や久米島、宮古島、奄美大島で貝を拾ったことがあります。
今回石垣島に来たのも半分はそれが目的でした。
石垣島では米原という海岸に非常に多くの貝があり、非常に満足のいく収穫がありました。

Shell

というわけで、毎日天気が悪かったのは残念でしたが、無事に旅も終了。
石垣島はアウトドアが好きな方も、自分のような軟弱なインドア派も、どちらも楽しめます。
またいつか天気のよい時にぜひ訪れたいと思います。

イーストチャイナシー

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聴いてない 第117回 オジー・オズボーン

昨晩は夜中にいまいち好きになれないニュース番組「NEWS23」をぼんやりながめていました。
すると伊藤政則氏の限定コーナー「Rock23」に、来日中のジミー・ペイジさんが登場しました。
ペイジさんは久しぶりに故郷広島をおとずれ、ご先祖の墓参りをして母方の実家できびなごなどを食べたそうです。
では次のニュース。

・・・はい、全国各地からのツッコミありがとうございます。
ペイジが番組に登場したのはホントですが、その後の話は全部捏造偽装粉飾妄想です。

本日採り上げる方はペイジさんとは関係ありません。
ちょっとマクラの話もネタ枯れ気味で・・

戦慄のメタルミュージシャンでありながら、ビバリーヒルズの豪邸に住む「ゆかいなオズボーン一家」のダメおやじでもある、オジー・オズボーン。
なんだかどういう評価の人なのかよくわからないが、ミュージシャンとしての実績も全く知らない。
1曲も聴いてません。
例によって怖いおじさんだと思って勝手に恐れて遠ざけていたからである。

遠ざけてはいたが、実はオジーの名前を知ったのはかなり早かった。
ツェッペリンパープルサバスを「3大ハードロック・バンド」などと言うらしいが、この中でメンバーの名前を最初に覚えたのは実はサバスのオジーなのだ。
自分の中ではロバート・プラントやジョン・ボーナムやイアン・ギランよりも長いつきあいである。(知り合いかよ)

その昔姉が定期購読していた一流音楽雑誌「ミュージック・ライフ」には、時々オジー・オズボーンの写真が載っていた。
これが自分にとってのオジーの原典資料だ。
最初に見たオジーは、野外のステージで椰子の木のような羽?のついたお面をかぶっており、ミル・マスカラスの入場コスチュームのようでもあった。
(キャプションにもそんな表現があったような気がする)
だいたいこの人の場合は目をひんむいて今にも噛みつきそうなプロレス名鑑的表情の写真が多い気がするのだが、別の号では素顔で舌を出しておどけるオジーが載っていて、あまりのギャップにとまどった記憶がある。
絶対に絶対に支持されない意見だと確信してあえて言うが、その時の素顔のオジーはポール・サイモンを空気入れでふくらませたような面相だった。

ミュージック・ライフを見ていて顔と名前だけ先に覚えたミュージシャンはかなり多い。
その中でもオジー・オズボーンもマイケル・シェンカートッド・ラングレンもデビッド・ヨハンセンも、未だに全く聴いていないのだった。
ちなみに姉がサバスやオジーの曲を聴いていた記憶は全くない。
・・・のだが、最近どうもこのあたりの幼い頃の記憶がアテにならないことが判明。

オジーとは関係ない話になるが、つい先日姉が「ツェッペリンを久しぶりに聴きたいが、CDを持ってるか?」と聞いてきたことがあり、かなり驚いた。
姉がツェッペリンを聴いていた記憶が全くなかったからだ。
「レインボーやパープルばっかでツェッペリンなんて全然聴いてなかったんじゃないの?」と聞いたら「そんなことはない」という返事。
そうだっけ?
カラオケで「Rock'n Roll」なんか歌うらしい。
CD貸したら喜んでたので、どうやらあたしが勝手に「ウチの姉はツェッペリンは聴いてない」と30年くらい勘違いしていたようである。
聴いてないのはオマエだよ。(by姉)

オジー・オズボーンの話に戻るが、「生きたハトやコウモリを食った」だの「ステージから生肉や豚の生首を投げた」だのといった有名な奇行も、ミュージック・ライフで仕入れた情報である。
どこまでがホントなのか知らないけど。
先にそんな恐ろしい情報ばかり知ってしまい、音楽については全く興味もわかず今に至るわけだが、あらためてオジー周辺をネットで調べると、さらに変な情報ばかりである。
ウチは音楽BLOGなので音楽活動についても調べてみた。(今さら)

オジー・オズボーンもハードロックの住人なので、様々な奇行の他に、薬や酒におぼれたりバンドでメンバーともめて脱退したりといった香しい定番行動を通過してきたようだ。
引退を宣言して日本でも最後のツアーを行ったが、翌年何もなかったかのようにまた日本にやってきてスルっと関西でコンサートを開くなど、大仁田みたいなマネも平気でやっていたらしい。
ミュージシャンやレスラーの引退宣言と、紳士服販売店の閉店ってのは、そもそもアテにならないって話ですが・・・
またブラッド・ギルズやカーマイン・アピス、ドン・エイリーなどもオジーのアルバム作成に参加してるとのこと。
これは知りませんでした。

もっと意外だったのはビートルズの熱烈なファンだった、という話。
もちろんビートルズにあこがれたアーチストは非常に多いとは思うが、オジーもまた熱烈なファンだったとは・・・
特にジョン・レノンのファンで、ジョンが亡くなった時のショックは相当なものがあったらしい。

さて近年ゆかいなおっさんオジーの人気を不動のものにしたと言われる例の「The Osbournes」という人気テレビ番組。
映像を見たことはないが、オジーのダメっぷり、特に妻のシャロンにやられまくりなところが全米で大ウケだそうだ。
メタルでやってきた怖いイメージと、実生活のダメさ加減のギャップが大ウケということなんだろう。
どういう経緯でこの番組に出ることになったのかわからないけど、オジー本人はイメージダウンなんか全然気にしてないらしい。
どこまでも変わったおじさんである。

そんなわけで、オジー・オズボーン。
今でも音楽活動は続けていて、つい最近も新しいアルバムを出しており、ツアーも行う現役のアーチストだそうだ。
歌唱力についての評価はイアン・ギランやロバート・プラントほどではないそうだが、まずどんな声を出すのか聴いてみたいと思っている。
最も声が出ていた頃の曲でおすすめがあれば、教えていただきたいと思います。

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