« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年の終わりに

三流ブロガーのSYUNJIです。
BLOGを始めて丸4年が過ぎた。
すでにエントリは200回を超え、ありがたいことに今年もほぼ全てのエントリにコメントがついた。
しかしながら今年になって自分は特に何かが変わったわけでもなく、相変わらず生涯永久初心者リスナーのままなのだが、今年起こったBLOG関連のできごとの中で印象に残るものをあげてみようと思う。
・・・って文章の形が毎年末ほぼ同じなんですけど。

ちなみに番号は時系列順序であって、順位ではありませんので、あしからず。

1.ぷくちゃんとの会見
あたしのBLOGの常連コメンテーターであり、またご自身のBLOGで数々の名企画を画策し、音楽BLOG界で常にトップを走り続ける、巨匠ぷく先輩。(大ヨイショ)
その先輩と渋谷でお会いすることができました。
音楽関連でのネット上の知り合いの方と実際にお会いしたのは、ぷく先輩が2人目です。

さてあれだけのお笑い企画で人気を博している人気ブロガーぷく先輩、いったいどんな方なのかしら・・・と期待と不安と恐怖で前夜は眠れませんでしたが、実際の先輩はもの静かで博識でシャイな印象でした。
酒は豪快に飲んでましたが、特に暴れたり店員殴ったり隣席の女性をナンパしたりとかそういうこともなく(ふつうねえよ)、とてもおだやかに渋谷の音楽談義は進んだのでありました。
まさか今年再度先輩にお会いすることになろうとは、この時は思っておりませんでしたが・・・

2.カナさんとの会見
そのぷく先輩との衝撃のファーストタイムからわずか2週間後、今度はあたしが名古屋に行くことになり、カナさんにお会いできないかお問い合わせしてみました。
BLOGでのやりとりの中で、カナさんが書店勤務、あたしは版元の人間であることはお互いわかっていたので、ぜひお会いしたいと思っていたのです。
突然の勝手なお願いにも関わらず、カナさんは快く応じて下さいました。
サカエチカの喫茶店で2時間ほどお話させていただいたのですが、音楽から業界の話までいろいろ聞けて実に楽しく有意義でした。
特に書店の方とプライベートで会うことは実はほとんどないので、カナさんの業界話はとてもためになりました。
またこれは今年お会いした方みなさん共通ですが、ホントにたくさん音楽を聴いておられるなぁとつくづく思いました。

3.ロック検定3級取得
初めは冗談のつもりだったロック検定、締め切り直前になって発作的に申し込んでしまいました。
まあBLOGのネタもすっかり枯れてしまい、存亡の危機に立たされていたことも理由のひとつです。
「不合格だったらBLOGも引退」などとつまんないことをほざいていましたが、実際合格の自信は半分くらいしかありませんでした。
しかしながらみなさまのおかげでなんとか合格でき、ほっとしました。
合格できたから言える話ですけど、受験の雰囲気は結構楽しめました。
ただ2級以上に挑戦する気はもうありませんけど・・・

4.モンスリー師匠との会見
師匠との会見も3度目ですが、今回はほぼ1日、大阪梅田界隈の中古CD店巡りというテーマを持って臨みました。
結果的には2枚しか買わないという失礼な有様でしたが、やはり中古CD店巡りは楽しいものですね。
またうまいお好み焼きやそばも師匠のご案内でいただくことができ、大変満足でした。
次回はぜひ渋谷か西新宿をあたしがご案内したいです。

5.ルドルフ編集長との会見&富士宮焼きそばツアー敢行
あたしにとってのBLOG関連の今年最大のイベントが、この富士宮焼きそばツアーでした。
だいまつ親分からじゃじゃ麺の存在を教えてもらい、たまたま近所にじゃじゃ麺屋があったので食べに行き、調子に乗って「食べてみたシリーズ」なんぞ始めてしまったのですが、そこにぷく先輩が強引に「だったら富士宮焼きそばを食いに来い!」という命令を下したのです。
無視したろうかとも思いましたが(ウソです)、そこに参加表明したのがルドルフ編集長でした。
詳細は記事のとおりですが、ルドルフさんもおだやかで博識な方でした。
最初の出会いが焼きそばという冗談みたいな展開でしたが、おかげで楽しい1日を過ごすことができました。
ぷく先輩的には焼きそばの味に不満が残ったようですが・・・

ということで、自分のような人見知りでヒッキーでロクに音楽も聴いてないような偏差値の低い人間が、ネットで知り合った方々と1年間に4人も実際にお会いできたということは非常に画期的な体験でした。
お会いできたみなさまに感謝するとともに、来年もまた新たな出会いがあることを願って、本年の締めくくりといたします。
たぶん来年も再来年も三流リスナーのままだと思いますが、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
みなさまよいお年を。

| | | コメント (18) | トラックバック (0)

観てみた PEACE BED

こんばんは、文化の香りが全くしないブロガーのSYUNJIといいます。
BLOGを始めて丸4年になりますが、映画の記事を書くのは初めてです。
自分は映画をめったに観ません。
最後に観たのがいつだったのかはっきりと思い出せないくらいですが、観た映画のストーリーも実はかなり忘れるほうです。
「嫌い」という感覚は持っていないつもりですが、テレビで映画公開のニュースや宣伝を見ても「あ、観に行こう」とはまず思わないのです。

そんな映画嫌い?のあたしですが、この映画は新聞の広告を見て久しぶりに「観たい」と思いました。
PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」。
ビートルズ解散前後から死に至るまでの10年間の中で、ジョンが平和を求めて活動することで、アメリカという国家権力と戦わざるを得なかった過程を描いたドキュメンタリー映画です。

John

ドキュメンタリーなのであまりこだわる必要はないかもしれませんが、映画の記事を書くときのエチケットを一応なぞってみます。
これより先は映画の内容に多少ふれておりますので、未鑑賞の方はご注意下さい。

公開中の映画館が新宿にあったので行ってみました。
400席ある館内はガラガラ。
観客はせいぜい30人程度でしょうか。
年末の平日の夕方でしたので、そんなものかもしれませんが、みなさんあまりジョン・レノンに関心がないのでしょうか。
(あたしもそれほど関心があったわけではないのですが)

さてこの映画、ドキュメンタリーなのでストーリー展開やミュージカルな演出はもちろんありません。
ベトナム戦争が泥沼化する中で、平和運動を展開し、アメリカの若い世代にも強い影響力を持つジョンは、アメリカ国家にとって脅威となっていました。
アメリカ当局やFBIはジョンに様々な圧力をかけ、過去のマリファナ所持歴を理由に国外退去命令まで出します。
平和運動と並行して行われたこのアメリカとの戦いについて、ジョンの数々のインタビューやライブでの発言がジョンの曲とともにコラージュされ、ヨーコをはじめ友人・ジャーナリスト・活動家・作家・元FBI監察官などの人々の証言が続きます。
NHK特集などで見られるドキュメンタリー番組と、基本的な構成は同じです。

この経緯は以前読んだ「ジョン・レノン アメリカでの日々」などでおおむね知ってはいました。
ただ映像はもちろん見たことのないものがほとんどでした。
ジョンの発言や周辺の人々の証言は時系列に沿って登場するため、同じ証言者が何度も出てきます。
ドキュメンタリーとして優れていると思ったのは、ジョン寄りの証言者だけでなく元FBI監察官など「アメリカ側」の証言者が登場したことでした。
元体制側の人間であっても、当時の体制側の方針やジョンに対する圧力は「良くなかった」というニュアンスの証言をしています。

ジョンの曲が映像とともに効果的に使われますが、大半はBGMで、歌うジョンが映るのは「ベッド・イン」での「Give Peace A Chance」など3曲くらいでした。
また流れるのはどの曲も一部です。
残念なことに自分はジョンの曲をあまり知らず、半分くらいしかわかりませんでした。
ビートルズ時代の映像はほとんどありません。
もちろんテーマが「アメリカVSジョン」なので当然なのですが。
この点は少し物足りなかったと勝手なことを思いました。

終盤の展開は非常に淡泊です。
ショーンが生まれ親バカとなったジョンを数分紹介し、ヨーコや友人の証言があり、家族3人で食事を楽しむ映像が流れ、唐突に銃声が4回。
暗転後はニューヨークに集まり悲しみにくれる群衆の映像です。
この日自分とともに映画を観ていた全員が、間違いなくジョンがどんな死をとげたのか知っているはずですが、「ここから先はもういいよね」と、製作側が言っているような感じです。
その後ヨーコが「ジョンはもういませんが、メッセージは残っています」のような証言をし、「インスタント・カーマ」が流れる中、エンドロールとなります。
それにしてもこんなエンディングを観てしまうと、ジョンが本当に単なるストーカーまがいの一ファンに射殺されただけだったのか、非常に疑り深くなってしまいます。

正直、「おもしろい」「楽しい」という感想はありませんし、そういう性質の映画ではないと思います。
自分は70年代のジョンは全くリアルタイムではありません。
未だに作品の大半は未聴です。
当時の映像、特にジョンの発言を映像で見られたことは良かったと思いました。
本で読んだ話と基本的に違いはありませんでしたが、「ジョンが話しているのを見て聞けた」ことで、当時のジョンが何を考えどう行動していたか、自分の中でより鮮明になってきたと感じました。

自分は米軍施設から歩いて1分のところに40年以上住んでいます。
家の上空を戦闘機が通過することは全く珍しくもなんともありません。
平日は米軍のスクールバスを普通に見かけ、休日ともなれば近所にはEナンバーの車がたくさん走っている、いわば「国境の町」に暮らしています。
延々続く鉄条網を見る度、正直「ジャマだ」とは思いますが、ではどうしたらいいのか、未だにわかりません。
ベトナム戦争がどういったものだったのか、あまりよくわかっていませんが、ここ10年くらいのアメリカは当時と似たような状況だと思います。
ヨーコの証言のとおりジョンのメッセージは世界中に残っていますが、現在も決してジョンが望んでいた世界になっていないことだけは確かです。

さて。
反戦運動とは全然次元が違いますが、世界中の様々な紛争のニュースをテレビで見る度、こんな自分ですが最近ぼんやりと思うことがあります。
自分は関東の人間なのですが、あえて関西弁のほうが説得力があるような気がしますので、使わせていただきます。

「もう、せんでええことはせんでええやないか?」

どんな人間でも必ず死にます。
これは自然の摂理で逃れることはできません。
生きている人間だけがいろいろなことができる。
だとすれば、どうせ誰だってほっといてもそのうち死ぬんだから、生きてる間はお互いのためになるようなことをすれば、生きてるコストに対するパフォーマンスが上がるってことですよね。
だから戦争とか殺人とか強盗とか虐待とか、人間の生産性が下がるような、せんでええことはせんでええのと違いますかね?
国連の総会とかで、大阪のおばちゃんにこんな風に言ってもらったら、意外に世界が変わるんじゃないかなぁ?

ジョン・レノンの映画を観てきた人間としてはあまりにも偏差値の低い話でホントに申し訳ないんですけど、そんなことを考えました。

| | | コメント (6) | トラックバック (2)

聴いてない 第114回 ロイ・オービソン

自分のような素人リスナーでは聴いてなくて当然のロイ・オービソン。
アルバムは1枚も聴いていないし、シングルとしても2曲しか知らない。
「プリティ・ウーマン」「クライング」が聴いてる2曲だが、「プリティ・ウーマン」を聴いたのはヴァン・ヘイレンよりもずうっと後になってからである。

そもそもロイの名前を知ったのは、トラベリング・ウィルベリーズ結成時だった。
たぶんそれ以前から名前くらいは知っていたとは思うが、実際に声や顔を認識したのはこの覆面バンド結成の頃である。
自分と同じような形でロイを知ることになった人も案外多いのではないだろうか。

さて、そのトラベリング・ウィルベリーズは88年に結成された。
当時の雑誌やFMでもかなり話題になっていたと思う。
なんせメンバーはボブ・ディランジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、トム・ペティにロイ・オービソンである。
こんなメンツのバンドなら話題にならないほうがおかしい。
雑誌で見た時はアルバム発表直前だったため、メンバーの実名紹介はなく、「兄弟ということですが、さて?」などとクイズのような記事になっていた。
ジャケットの一部が掲載されていたのだが、全員サングラス姿ではあったがロイ以外の4人はすぐにわかった。
で、「この人は誰だろう?」と思っていたら、別の雑誌でメンバー全員の実名が書いてあり、ロイ・オービソンを知ることになったのである。

バンド結成を知った時も、ロイ以外の4人の関係は雑誌などで知っていたので、特に異色の組み合わせだとは思わなかった。
ボブ・ディランとジョージ・ハリソンはもともと仲がいいし、ジェフ・リンはジョージとトムのソロをそれぞれプロデュースした間柄である。
とするとロイをメンバーに誘ったのは誰なんだろう?
ロイが参加することになった経緯はどういうものだったのだろうか?

彼らが偽名?を用いてアルバムを作った理由は、どうやら契約上の制約があったためらしい。
これだけ5人とも知名度の高い人たちだと、やはりそう簡単に「バンドやろうぜ」というわけにはいかないのだろう。
ただこの偽名覆面がかえって話題を呼び、アルバム売り上げに充分貢献したのではないかと思う。
そういえばプログレやハードロックの人たちはしょっちゅうメンバーを入れ替えてグループ結成するけど、そういう場合の契約上の面倒な手続きってのは誰がやってるんでしょうかね。

ロイがどんだけ偉大な人なのか全然知らないので、少し調べてみました。
1936年テキサス生まれ、デビューは1955年。
「プリティ・ウーマン」は1964年のヒットだそうだ。
独特の声はベルベット・ボイスとも呼ばれ、あのブルース・スプリングスティーンはロックの殿堂入りを果たした時のスピーチで、「ボブ・ディランのような歌詞と、フィル・スペクターのようなサウンドを作りたかった。そしてロイ・オービソンのように歌いたかった」と発言している。
その独特の声が災いしてか、どの曲も同じに聞こえるという批判もあったらしい。
70年代以降はヒットにも恵まれなかったが、80年代にトラベリング・ウィルベリーズで再び話題の人となった。

うーん・・そうだったんですか。
ボスがスピーチで名前を出すくらい尊敬していた、というのも少し意外な気がしますが、それだけアメリカでは偉大なスターだったんでしょうね。

こうして聴いてないアーチストをいろいろ調べていていつも驚いてばっかなんですけど、トラベリング・ウィルベリーズのアルバムって2枚とも一度廃盤になってるんですね。
最近カップリング盤として再発されたらしいのだが、日本じゃそんなに人気なかったのかなあ。
聴いてない自慢の長いあたしですが、それでもウィルベリーズは2枚ともレンタルで聴いてるんですけど。
2枚しかないのだがタイトルは「VOL.1」と「VOL.3」。
「VOL.3」を借りた時「VOL.2」はどうしたのかと思ったら、そもそも2枚目が「VOL.3」なのだった。
「VOL.2」作成時にメンバーに加わったデル・シャノンという人が自殺してお蔵入りになったから、という理由らしいが・・
90年代のビートルズ再結成の直後だったと思うが、ポール・マッカートニーを加えてウィルベリーズの新作が出るという話をFMで聴いた記憶がある。
実現しないままジョージも亡くなったので、話はガセだったのかどうか今もわからない。

で、さらに驚いたのはロイ・オービソンのオリジナルアルバムCDってのは、日本では最近まで全く発売されていなかったということ。
「プリティ・ウーマン」なんて映画もヒットしていたし、てっきりたくさんCDが発売されてるもんだと思っていた。
ということは、ロイの作品を丁寧に聴いたり集めたりしてる人は実は相当コアなファンなのだろうか?

そんなわけで結局さっぱり聴いてないロイ・オービソン。
どのくらい偉大なアーチストなのか未だにきちんと理解できていませんが、おすすめのアルバムなどご紹介いただければと思います。

| | | コメント (11) | トラックバック (0)

受けてみた 脳ドック

虚弱体質自慢中年のSYUNJIです。
最近どうもめまいがするし、もともと頭痛持ちだし、目も悪くなってきたし(それは老眼)、目つきも悪いし(それは元から)・・・ということでいろいろ心配な年頃なので検査を受けることにしました。
脳ドックという、脳みそ専門の検査を実施している病院が近所にあり、申し込むことにした。

まずは病院のサイトからメールで申し込む。
数日後病院から電話があり、希望日は予約でいっぱいなので1ヶ月ほど待てとのこと。
そんなに脳ドック人気があるのか・・・
その1ヶ月の間に脳が破裂して倒れたらどうしよう・・・
などと小さな脳みそで一瞬思い悩みましたが、しかたがないので1ヶ月後に予約を入れました。
で、先日ようやく受けることができた。

・・・・・受けてみた。

その病院は初めて行ってみたのだが、土曜なのに結構人が来ている。
脳ドックはふつうの外来での診察ではないので、別室に案内された。
ドック待合室は外来の待合室とは少し雰囲気が違い、古い喫茶店のようなサロンのような、病院ではないような変わった部屋である。
同じ日に脳ドックを受ける人は自分以外に2人いるようだ。

まずドック着?に着替える。
よくテレビドラマなんかで見る人間ドックのシーンでは、役者がジンベエみたいな半袖半ズボン姿になってるけど、ここでのドック着はそれとは全然違う。
ホテルにあるバスローブそのものである。
色は白。
これでグラスワインなんか持ってたりするとホントに外国映画のワンシーンのようである。

で、バスローブ姿で院内を移動。
かなり変な絵である。
別室で身長と体重と血圧を測定し、血液検査を受ける。
当日は朝から絶食なので徐々に空腹がこたえるようになってきた。

いったんサロン風待合室に戻る。
折しも部屋のテレビでは「脳外科医が不足して深刻な問題に」というニュース。
確かに脳溢血とか脳出血は起きたら一刻を争う病気なので、医師側にも全く時間に余裕がない状態であることがほとんどらしい。
なので若い医学生は脳外科医や産科医にはなりたがらない、という話のようだ。
これから脳外科に世話になろうとしてる矢先に、暗いニュースを見てしまいテンションが下がる。
検査でテンション上がるのも変ですけど。

しばらく待った後、また別室に呼ばれ、いよいよMRI検査である。
磁気を利用した頭の断層写真撮影装置だが、もちろん受けるのも見るのも初めてだ。
装置は筒状になっていて、ベッドに寝た人間がその穴にじわじわずぶずぶと押し込まれて脳が撮影される、という仕組みである。

ベッドに寝かされてレモン型のスイッチを握らされる。
装置はかなりうるさい音がするので、何かあったらこれを押して係員を呼べとのこと。
たまに閉所恐怖などで気分が悪くなる人もいるらしいが、MRI自体かなり大きな音がするので、係りの人に声が届かないため、このレモンが必要なんだそうだ。

「時間は20分から30分くらいです」と言われ、目のあたりにヘルメットのようなシェードをかぶせられる。
これで視界はきかなくなる。
さすがに不安になるが、いろいろ見えると目や首がつい動いてしまい、うまく撮影できないので、目隠しが必要らしい。
聞いていた話ではMRI検査の前には点滴で造影剤を入れられるということだったが、今回は何も入れられずそのまま検査である。
耳栓もヘッドホンもなし。
脳ドックなのでアタマにいろいろ付けてると撮影に影響するのだろう。

なんとなく周りが暗くなったので、装置の中にアタマが入ったようだ。
いったいどんなことになるのだろうか。

・・・・・突然アタマの上のほうでやたらでかい音が鳴りだした。

ぶぶーぶぶぶ・・ばばーばばば・・・
かんかんかん・・・がんがんがんぶぶぶー
ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ・・・んばばばばば

うるさい。
規則正しいが短い小節でいろいろな音がなんとなく交互に鳴る。
ステレオではなくあちこちから聞こえる感じだ。
リズムや休符はずっと同じパターンではなく、音も様々である。

ばばばばばば・・・どたどたどたどたどただだだらら・・・
ああーうるせえ・・・こんなの30分もやるのかよ・・・
早くも後悔。
こりゃあ気分が悪くなる人がいてもおかしくないなぁ。
なんかヘッタクソなアマチュアのプログレバンドの演奏を狭いライブハウスの最前列でムリヤリ聞かされてる感じ。
MRIというのがどんだけ優れた技術なのかわからないが、この音については改良の余地大アリである。

あああーうるせえ。
3分くらいでこの音にも飽きてしまい、まともにつきあって聞いてあげてるとホントに気分が悪くなりそうなので、アタマの中で音楽を再生することにした。
この時あたしの脳内MP3プレイヤーはクイーンの「ブライトン・ロック」を選曲。

この作戦は意外に功を奏し、脳内で再生されるブライアンのギターで騒音もあまり気にならなくなった。
おだやかなバラードなんかではこの騒音に太刀打ちできない。
もしこれからMRI検査を受ける方がおられたら、脳内再生は「アキレス最後の戦い」とか「幻惑されて」とか「Long Live Rock 'N' Roll」など、音がデカ目の選曲がおすすめです。
ノリにノってつい首や口が動いたら叱られますけど。

「ブライトン・ロック」を丁寧に2回くらい再生してたら案外早く終わりになった。
感覚的には20分くらいだろうか。
30分は経っていないと思うが、正確にはどれくらいだったのかわからない。

待合室に戻りバスローブを脱いで着替えるとお弁当が出てきた。
あまり期待してなかったのだが、けっこうまともな弁当である。

Obentou

食った後にMRIの結果が出て、別室に通される。
担当の医師が画像を見ながら説明。

Nou

今のところ画像でわかるような異常は見られないとのこと。
それは良かったのだが、なんかこの医者の物腰や口調が変だ。
どこか芝居がかったようなオネエっぽいしぐさのような、青島広志センセイのような感じ。
大事な話なんだからふつうに言えよ・・・

というわけで脳ドックも無事終了。
半日がかりで疲れてしまった。
自分の場合遺伝的な要因も注意する必要があるので、3年に1回は受けたほうがいいそうです。
3年後にはMRIの中で好きな音楽を流せるような改良が施されることを期待してやみません。

| | | コメント (16) | トラックバック (0)

聴いてみた 第46回 アイアン・メイデン

「・・・メイデン、いいスよ」
先日焼きそばを食った後立ち寄ったアウトレット・モールで低い声でルドルフ編集長にすすめられ、聴いてみることにしたアイアン・メイデン
あたしも若い頃は通ぶって「メイデン」とかケツ上げで言ってきたものの、実は全然聴いたことがないのでした。
もはや残りの人生全てを音楽鑑賞に捧げたところで、ルドルフさんやぷく先輩の知識や実績には全く追いつけないのは明白です。
ここはひとつメタルに手を出し、ぷく先輩とは別の道を歩むという差別化を図らねばなりません。(なんで?)

今回聴いてみたのは、メイデンのデビューアルバム「Iron Maiden」。

Ironmaiden

メイデンもメタリカもジューダスも全然聴いてない自分にとっては、どれを聴いてもきっと新鮮に聞こえるだろう。
ルドルフさんによれば、「今聴いてみると実はそんなに激しいものでもないスよ」とのこと。
メイデンは今後のあたしの人生に、どのような影響をもたらすのでしょうか。

・・・・・聴いてみた。

1.Prowler
Junkさんも絶賛のこの曲、どこかで聴いたことがある。
イントロやリフ、ボーカルの声にも聴き覚えがあります。
最初の曲から少々意外な展開。
こんな自分でもどこかで聴いてたってことは、かなり流行ったということだろうか。
曲自体はハードロックの標準的構成で、今聴いてみると確かにメタルという感覚はあまりない。

2.Remember Tomorrow
悲しげなスローバラード。
だが途中でテンポアップしたギターリフ(たぶんツイン)が「きょーんきょきょんきょーんきょろろろろ」という音で聴ける。
この転調もハードロック・バンドではよく使われる手法だ。

3.Running Free
跳ねるようなリズムのロック。
この曲の雰囲気は何かに似ている・・・と考えて思い当たったのはキッスである。

4.Phantom Of The Opera
小刻みなリフがキツ目に詰め込まれた曲。
途中ところどころ転調があるが、全体の雰囲気は大きくは変わらない。
アイアン・メイデン、思ったよりマジメです。
ただリフは少しくどいし、この曲は7分半とやや長い。
ギターはインギーの音にも少し似ていると思う。

5.Transylvania
これもイントロに小刻みなリフ。
ボーカルはなく、ただひたすらにギターが疾走するインストである。
ここまで聴いて思うのは、アイアン・メイデンってのはギターがメインだということ。
他の楽器の音にはそれほど強い印象はない。

6.Strange World
前の曲から切れ目なくつながっている。
路線はスローなバラード。
ボーカルはポール・ディアノという人だが、この人バラードのほうがうまいと思います。
曲の雰囲気はライオットに似てると思う。(ライオットもほとんど聴いてませんけど・・)

7.Charlotte The Harlot
驚いたことにこの曲にも聴き覚えがある。
サビのシャウトやリズムは確実にどこかで聴いている。
そうかこれがメイデンだったんだ・・・
この曲は出だしが目いっぱいハードで、転調してスローバラード、でもって再度ハードという、他の曲とは反対の展開だ。
でもやっぱりボーカルはバラードのほうがいいですね。

8.Iron Maiden
ラストはアルバム名でもありバンド名でもある「アイアン・メイデン」。
ということは彼らの代表曲ということだろうか。
スピード感ありありの、ここまでの展開を全て再履修してるお手本課題曲のようである。
ただこの曲は3分半と短い。
もう体力が持たなかったんでしょうか。

トータルな印象としては「実はすごくマジメな人たち」。
もっとデタラメにデカイドラムとかノイズだらけのギターとかクスリっぽい絶叫ボーカルとかダイビング・ヘッドバットとかツームストーン・パイルドライバーとか、そういうのばっかな世界だと勝手に思ってましたが、全然違いますね。
演奏や歌は確かにハードなんだけど、ステージ降りたらプロデューサーに全員最敬礼で「あざーす!」とか言ってそうな、そんな感じ。(ホントかよ)

ジャケットから漂う危険でホラーな香りと、サウンドの誠実さは正直とまどいを感じる。
逆さに言うと思ったよりヒネリが少ない。
ボーカルのポール・ディアノも思ったより声も細く、切れ味もそれほど鋭くはない。
ギターリフやエンディングのバシッとした終わり方など、他のハードロック・バンドに比べるととてもまともに聞こえるけど。
このノリがもっとミーハーになるとナイト・レンジャーとかになるような気がする。

アイアン・メイデンってスタジオにこもっていろいろアレンジしたろとか、そういう指向はあまりないんじゃないだろうか。
他のアルバムではそんなことはないのかな?
なんせメタルなんだから目を合わせたら絶対サーベルでどつかれたり凶器シューズでキックされたりするだろうな・・みたいな印象で遠ざけてたんですけど、これ全然マトモですね。
ルドルフさんの言われる「実はそれほど激しくもない」というのが少しわかった気がする。

比較すること自体あまり意味はないのだが、そう考えるとやはりツェッペリンてのはすごいバンドなのだなと思う。
メイデン聴いてツェッペリンをなぜほめる?と思われるかもしれませんが、メタルというジャンルが確立されるよりはるか前から、もんのすごいボーカルとドラムとギターとアレンジを実行してきたのがツェッペリンですよね。
こういう人たちを超える存在ってのは21世紀の今も見あたらないと思う。

そういうわけでアイアン・メイデン。
確かに思ったほど暴力的ではなく聴きやすかったとは思いますが、ヒネリのなさは案外物足りなさも感じました。(贅沢?)
この次はできればポール・ディアノじゃない人のボーカルも聴いてみたいと思います。

| | | コメント (13) | トラックバック (1)

見ていない 第19回 キン肉マン

テレビアニメの多くは漫画を原作として後追いで放送が開始され、キャラクターグッズなども含めて大流行というパターンが多いと思われる。
今回採り上げる「キン肉マン」もまさにそういう経緯で人気を博したアニメだが、残念ながら全く見ていない。

アニメ「キン肉マン」は1983年から86年にかけて日本テレビ系列で放送された。
この頃すでに大学生で麻雀ばっかしていたので放送時間に家にいなかったこともあるが、見ていない最大の理由は「漫画も読んでいなかった」ためである。

「キン肉マン」が少年ジャンプに連載されていたのは79年から87年までである。
自分は76年に「アストロ球団」の連載が終了した時点でジャンプの定期購読に対する意欲が急激にうすれてしまい、それまで近所の酒屋で友人と先を争ってジャンプを毎号買ってその足で公園に行って読む、ということをすっぱりやめてしまった。(何やってんだか)
従ってこれ以降に連載が開始された「キン肉マン」はほとんど読んでいないのである。
ちなみに79年当時はサンデーやマガジンを読んでました。
「がんばれ元気」「男組」「野球狂の詩」の頃ですね。

原作の漫画も全然読んでいなかったので、当然ながらアニメ「キン肉マン」が放送開始されても全然興味もわかず、一話通して見たことは一度もない。
まあ何度も白状してる話だが、そもそも男の子向けのアニメを見る習慣が身に付かないまま成長したクソガキなので、こんなことになってるんですけど。
当時「キン肉マン」の話題で女子大生の興味を引くことはできないと思ってましたし。(ウソ)
自分がもう少し若かったら、連載当時や放送当時小学生だったら、おそらく違っていたとは思う。

さてストーリーとしては、漫画とアニメでいろいろ違いはあるらしいが、基本的には超人キン肉マンが様々なプロレス技を駆使して敵と戦う・・というものだと認識している。
ロクに読んだことも見たこともない自分だが、テリーマンやラーメンマンくらいはわかる。
もともとプロレス好き少年だったので、見ればハマる要素は充分あったかもしれない。

様々な超人が出てきてプロレスで戦う・・という時点でかなり荒唐無稽な内容だとは思うが、アニメとしては比較的まじめなストーリーだったのか、ギャグとして作られていたのかはよく知らない。
漫画のほうは初めの頃はギャグ漫画だったが、そのうちに割とシリアスな展開になり、それが読者を引きつけていたそうだ。
「キン肉マン」というネーミングや、作者であるゆでたまごの描く絵(顔など)は、いまいち自分の好みではなかったのも、見ていない理由のひとつでもある。
その昔ネットでアイコラが流行った時、アイドルグループ「SPEED」のメンバーの新垣仁絵だけキン肉マンの顔に書き換えたアイコラがあったなぁ。

さて二次的に流行したと言われるのがキン肉マン消しゴムである。
通称「キン消し」、実体は消しゴムでもなんでもないのは周知の事実であり、同じノリでこれより少し前に流行ったのが「スーパーカー消しゴム」だ。
こっちの流行の源流は漫画「サーキットの狼」である。
これももちろん消しゴムの機能は全然なく、本気で消そうとするとかえって紙がものすごく黒くなるという、始末の悪いものだった。
このスーパーカー消しゴムをBOXYのボールペンではじいて遊ぶ行為が、当時子供の間で全国的に流行したはずだ。
中にはスーパーカー消しゴムにホチキスの玉(針の固まり)を打ち込んで動摩擦係数を減らしたり、BOXYのボールペンのバネを二重にして強化したりといった工夫を重ねるヤツもいた。
いずれも「反則行為」と見なされ嫌われましたけど。
でも当時の子供たちって、こういうことへの意欲は本業のお勉強への意欲の数百倍はあったんじゃないかなぁ。
キン肉マン消しゴムの主な用途がどういうものなのかは知らないですけど。
レアな超人の消しゴムは今でもネットオークションで高値で取引されたりするんだろうか?

そんなわけで「キン肉マン」、扱いが非常に冷たくなってしまいました。
おそらく自分よりも若い世代では夢中になっていた方も多いと思われますが、自分の知らない見所などありましたらご披露いただけるとありがたいです。

| | | コメント (15) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »