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見ていない 第13回 俺たちの旅

数ある青春ドラマの中でも名作との評判が高い「俺たちの旅」。
残念ながら全然見ていません。
似たようなタイトルや設定のドラマが他にもあったと思うが、どれもあまり区別がつかない。

「俺たちの旅」は75年秋から1年間日本テレビ系列で放送され、10年目・20年目という節目にも特番が制作された。
中村雅俊・秋野大作・田中健・森川正太らが学生と社会人の間あたりで様々な問題にぶつかり、それを克服しながら互いの友情や人とのふれあいについて学んでいく・・・といった、青春ドラマの教科書のようなストーリー。
毎回サブタイトルがついており、第1話の「男はみんな淋しいのです」から、「男はどこか馬鹿なのです」「男はいつか歩き出すのです」・・・といった芳谷圭児調の題名が最終回「男の旅はいつまでも続きます」まで延々と続くのれす。
全然関係ないが、80年代に「○○どぇーす」という言い方が流行ってたけど、今書くとさすがにやっぱり疲労感。
なんでこんなの流行ったんだろうなぁ。

最初のシリーズが1年間しか放送していなかったのは少し意外だった。
こんな自分でもタイトルや役者の名前くらいは知っていたので、もう少し長い間放送してたもんだと思っていたのだ。
99年にはV6のメンバーによるリメイクも放送されたらしい。
ワカメ役はチューヤンだったそうだ。
でも、いずれも全然見ていない。

いわゆる青春ドラマの類についてだが、自分は世代としては微妙に乗れずにいたクチではないかと思う。
「俺たちの旅」が放送されていた時期は小学生であり、青春を体感するには少し早かった。
姉がこのドラマにチャンネルを合わせていた記憶は全くない。
中村雅俊も田中健も特に姉の趣味ではなかったらしい。
自分が見ていない理由もそのあたりにあるかもしれない。

で、自分がいざ高校に入る頃にはすでに「青春ドラマ=クサイ」という嘲りな図式が定着してしまっており、この手のドラマも急速にすたれていったと思う。
まあ中にはその後も王道路線を踏襲して人気を呼んだ「スクール・ウォーズ」なんてのもあったようですけど。
一応解説するが、この場合の「クサイ」は「わざとらしい」「ベタな演技」「暑苦しい」「鬱陶しい」あたりを意味します。
青春ドラマで純粋に感動する・・・なんてことは、自分がその年頃になってた時期にはとてーもダサイことだと評価されてしまっていたわけですね。

青春ドラマと呼んでいいかどうか不明だが、「スチュワーデス物語」という歴史に残る名作ドラマがあった。
堀ちえみの出世作であり、あえてクサイという評価を徹底して受けることを前提としていたフシがある。
堀ちえみ自身も当時のバラエティ番組で「わたしが演じるとどんな役でもどうしてもクサくなってしまう」という発言をしており、このドラマによるクサイ役者イメージの強固な定着は自覚していたようだ。
こんなドラマが登場した80年代、つくづく軽薄な時代だったと思います。
今はスチュワーデスとは言わないから、もしリメイクするとしたら「キャビンアテンダント物語」になるんだろうか。

さて中学生の頃、英語の若い教師(女性)のアダ名が「ワカメ」だった。
顔が森川正太に似ていたからだが、番組を見ていなかった自分はなぜそう呼ばれているのかよくわからず、サザエさんの妹のワカメから来ているのかと思っていた。
今思うと確かに森川正太そっくりな人だったんですけど。
ちなみに森川正太はトウモロコシが大嫌いなはずである。
昔見た旅番組で、トウモロコシが嫌いだと言っていた記憶がある。

主役の中村雅俊は、百鬼夜行な芸能界(失礼)にあって、ほとんど立ち位置を崩すことなく年齢を重ねている珍しい俳優である。
「真夜中に路上でキス」「実の妹が事務所の金を持ち逃げ」「息子が薬物中毒に」「不倫は文化」などといった大きなスキャンダルにみまわれたりすることもなかったと思うし、演じる役柄も熱血教師や誠実な刑事や敏腕弁護士といったあたりが多いんじゃないだろうか。
実際ヒモとかパチプロとかゴト師とかポン引きといった妙な役は、この人にはあまり回ってこないだろう。
「夜逃げ屋」って役柄はあったと思うけど、あんましダーティーな感じじゃなかったし。
貴重な人材ではあるが、役者としてはなんか物足りない気はしますけど。

そんなわけで中年なのに今更見てどうする、って感じな「俺たちの旅」。
他の青春ドラマも含め、みなさまなりの青春ドラマ観を存分に語っていただければと思います。


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聴いてみた 第39回 グランド・ファンク・レイルロード

グランド・ファンク・レイルロード。
ローリング・クラッチ・ホールドに似ていなくもない(似てねえよ)この長ったらしい名前だけは知っていたが、これまでの生涯で全く接触することもなかったバンドである。
グレイトフル・デッド同様、曲もメンバーも全く知らず、という状態。
実はグレイトフル・デッドとの違いすらよくわかっておらず、前回デッドのCD買う時も「どっちでもいいや」と思っていた。
たまたまそん時はデッドのほうが安かったので、デッドを先に聴いてみただけである。

で、グランド・ファンクのほうだが、1月にぷく先輩とともに渋谷の中古CD屋を物色した時に、「ああそういえば次はグランド・ファンク買うんだった」と思い出し、比較的すんなりと購入。
買ったのは「グランド・ファンク」(通称レッド・アルバム)である。

Grandfunk

その後居酒屋でぷく先輩に購入を報告したのだが、先輩の中では自分とグランド・ファンクの結びつけができなかったようで、「こいつこんなの買ってる・・」と、かなり驚いていた(ように見えた)。
もちろんセリフはあたしの勝手な想像です。でもたぶん当たり。
まあぷく先輩とはなにしろ当日初めて会ったばかりだし、こっちもそもそもグランド・ファンクなんか全然知らないので、結びつかなくて当然なのだが。

70年代に活躍した彼ら、伝え聞くのは「正統アメリカン・ロック」「世界一の大音量バンド」「伝説の後楽園球場ライブ」などの勇ましい修飾語である。
何が正統で伝説なのかよくわからないが、とにかく聴いてみることにした。

・・・・・聴いてみた。

基本的にサウンドを支配しているのはベースだと思う。
ドラムは意外に軽くパタパタした音だし、ギターもアレンジがあまりなく、ふつうにエレキの音である。
アップテンポの曲が多いが、聴いているとけっこう(わずかな場合もあるが)リズムの変化がある。
特に変わった印象ではなく、この頃から現在に至るまでロックではふつうに行われる技法だと思う。
スタジオ盤だが、どの曲もシンプルな楽器の音なので、セッションやライブのような臨場感はある。

全般としてはブルース色の濃い曲調が多い。
明るく楽しい曲や美しいバラードやアコースティックはこのアルバムにはないようだ。
感覚的には「やや硬派でオトコくさいサウンド」である。
ただ、想像していた以上にボーカルが甲高い。
「世界で最も大音量なバンド」と評されてるらしいが、生演奏を聴いてるわけじゃないので、そこまではわからなかった。
「Paranoid」という曲はセミのようなギターとゆがんだサウンドが延々続き、ラストは赤ん坊の泣き声が聞こえる怪しいサウンドである。
プログレのようでもあり、ツェッペリンのようでもあるが、その割には単調で聴いていてけっこう退屈する。

自分の乏しい鑑賞履歴の中で、サウンドが似ていると感じたバンドがあった。
クリームである。
マーク・ファーナーのボーカルは、キーは少し違うがジャック・ブルースに似ていると思う。
(もっと似ていると思ったのはエリック・マーティンだ。)
このボーカルに少しどろんとしたベース、スピードのわりにけっこう軽めなドラム、そしてブルースなコード進行がセットされると、自分としてはクリームに近いものを感じるのだ。
「In Need」「Winter And My Soul」という曲には少し長いギターソロがあるが、音の種類はそれほどでもなく、このあたりギターはさすがにクラプトンの技にはかなわないようだけど。
クリームに似てはいるが、自分としてはクリームのほうが好みである。

感想。
どの曲でもシンプルなサウンドがゆえに、全体としてはやや冗漫で少し飽きが来る。
時代を考えればそんなものかもしれないが、このあたりはやはりアメリカのバンドだからだろうか、クリームやツェッペリンのようなヒネリが少ない。
言ってしまえば「どの曲も同じように聞こえる」というところなのだ。
だからと言って転調が好きというわけではないんですけどね。
まあバラードやアコースティックなんかもあって、時々違う人も歌って・・・という、わりとお買い得感のあるアルバムが自分は好きなんでしょう。

アルバムジャケットはメンバーの演奏姿を濃い赤の単色で表した写真(絵?)である。
この色がゆえに「レッド・アルバム」と呼ばれるそうだ。
特にシブイとかダサイという感想はないが、なんとなくパルコとかアトレなどファッションビルのバーゲンポスター調のようだと感じる。
このジャケットの下に「グランバザール!!」なんて書いてみると案外しっくり来ます。

その後の彼らのアルバムには、あのトッド・ラングレンがプロデュースしたポップなシリーズもあるそうだ。
こちらはどんな音がするのか、ちょっとだけ興味があります。
次回聴くとしたらこのあたりをねらってみようと思います。

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聴いてない 第104回 リンダ・ロンシュタット

LAのプレイガール、リンダ・ロンシュタット。
だっさいキャッチで申し訳ないが、70年代の雑誌にはこう書いてあったりしました。
誰もが知っているアーチストではあるんだろうけど、聴いてません。
アルバムは1枚も聴いてないので、聴いてない度は3。

自分がまめに洋楽を聴いていたのはほぼ80年代なので、リアルタイムで聴いたことがあるのは「How Do I Make You(お願いだから)」「Get Closer」「What's New」「Somewhere Out There」など。
それ以前の曲で知っているのは「It's So Easy」くらいである。
でも「It's So Easy」はバディ・ホリーのカバーだそうだ。(今初めて知りました)
「Get Closer」のプロモ・ビデオはスカートをぶんぶん振り回して歌うリンダのシルエットだったと思う。
それほど興味もなく今に至るのだが、彼女のバックバンドのメンバーが後にイーグルスを結成した話や、J.D.サウザーやミック・ジャガーと恋仲にあったという話は知っている。

「How Do I Make You」「Get Closer」の頃は、パット・ベネターとかジョーン・ジェットなどと同じような路線の人だと思っていた。
「What's New」「Somewhere Out There」を聴いたときでさえ、「たまにはバラードも歌うんだな」くらいにしか思っていなかったのだ。
だが調べてみるとハードロックだけではなく、カントリーやスタンダード、メキシカン、そして90年代以降はジャズなど様々な分野の音楽で活躍しているようだ。
大変失礼ながらもうすっかり表舞台からは消えてしまった人だと勝手に思ってましたが、全然そんなことはなくアルバムもかなりコンスタントに出ているようです。

ネットで調べてみるとわかるが、彼女の容姿に関する評価がかなりバラバラである。
「当時は珍しかった美人シンガー」などと驚くほど持ち上げたサイトもあれば、「LA版天地真理」「ロック界の金沢明子」なんて表現もあった。
その昔自分が見た雑誌ではホットパンツ(死語)にローラースケートをはいたリンダの写真が載っていた。
同じページには対照的で清楚なイメージのオリビア・ニュートンジョンが掲載され、当時のメディアが彼女ら二人を対比させたがっていたことがわかる。
その後オリビアのほうはディスコやアダルト路線に転換し、なぜか大ブレイクしていくのですが。
そのオリビアとスティービー・ニックスとで「三大美女」とも呼ばれた時期もあったようだけど、個人的にはイマイチ同意しかねるところだ。
オリビアは確かに若い頃は美人だったと思うが、3人とも自分の好みの顔ではないし。(あ、聞いてない?)
ジョーン・ジェットのほうがやっぱ美人じゃないスか?
でもやはりあたしはデボラ・ハリーがいいです。

リンダとは何の関係もないが、その昔ガールスクールという短命女性バンドがあったけど、ボーカル以外はがっかりするような面相の方々ばっかで、ミュージック・ライフにも読者からは「ガールスクーる・・・ブスばかり集まる」などとヒドイ造語が投稿されたりしていた。(同感でしたけど)

そんなわけでいまひとつ食指の動かないリンダ・ロンシュタット。
聴いてみるとしたらやはりロック色の強い頃の作品という選択が自分にとっては無難なようですが、他のジャンルでのおすすめなどあればご指示いただきたいと思います。

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読んでみた 第12回 一個人

世の中で起こっている現象の中で、今ひとつ理解できないのが「行列のできるラーメン屋」である。
自分は実はラーメンがあまり好きではない。
嫌いではないが、人気のラーメン屋に並んで食べるほどの情熱はないし、店で食べる頻度から言えばカレーや回転寿司のほうが圧倒的に多い。
ひいきにしていた渋谷の塩ラーメン店は別の食堂になってしまい、いっそう食べる機会が減った。

そんな自分が今回読んでみたのは「一個人」。
40代以上の男性を対象にした「生き方を楽しむマガジン」だそうだが、仕事やライフスタイルを根本から語る雑誌ではなく、基本的には旅行・グルメ・温泉などの余暇情報誌である。
これで「生き方を楽しむ」とまで言うのは少し大げさだと思うけど。

買ったのは3月号
書店で立ち読みしたことはあるが、買ったのは初めてだ。
版元はKKベストセラーズ
判型はA4、発行部数は20万部、定価は580円である。

Ikkojin

今回「保存版特集」として「大人のラーメン グランプリ198杯」が組まれている。
この特集タイトルが表紙にかなりでかい文字で書かれていて、編集のチカラの入れようがうかがえる。
だがこの特集にひかれて買ったわけではなく、表紙の米倉涼子に釣られただけである。
(ダメな消費者・・)

残念ながら米倉涼子特集ではなく、実はあまり好きではないラーメンの特集だ。
自分にとってこの雑誌を語るには若干マイナスな材料になる可能性もあるが、とりあえず見てみよう。

・・・・・読んでみた。

今月号の目次は以下のような感じである。

○2007年度 大人のラーメングランプリ198杯
 ・2007年のラーメン新潮流トレンド大予測
 ・発表!首都圏ラーメン大賞
 ・「二郎」「東池袋大勝軒」「武蔵」の3大系図を徹底解剖
 ・ラーメン王国北海道の3大ラーメンを食べ尽くし!
 ・大ブレーク!進化する京都ラーメンを食べ比べ!
 ・列島縦断!ご当地ラーメン選手権
○ショートプレミアムな箱根週末の旅
○銀座で知る佐賀の味
○和歌山県ではじめる田舎暮らし
○信州・別所温泉をたずねて
○大人の週末ドライブ

まず驚いたのが特集のページ数。
全150ページ程度の雑誌なのだが、ラーメン特集だけで100ページくらい使っている。
3分の2がラーメン。
ここまでやるんだったら別冊もので出版しても良かったんじゃないかと思う量だ。
ただ切り口は案外ふつう。
ラーメン評論家4人に最新トレンドを語らせたり、豚骨・味噌・しょう油・塩の味別にランキングで店を紹介。
最近テレビでもラーメン特集はしょっちゅうなので、テレビで見覚えのある店や店主がたくさん掲載されている。
記事内容も変なこだわりや押しつけのようなものはなく、どの店についてもマイナスな評価はほとんどない。
取材させてもらっている手前、あからさまに非難もできないからだろうが、このあたりは「大人の週末」とは編集方針がだいぶ異なるようだ。

なので「そこそこラーメン好き」な人にとっては、かなり使える便利な特集だろう。
あまりラーメンを食べない自分でも、紹介されている塩ラーメン店に行ってみたいと思ったりした。
逆に「それなりにこだわりを持つラーメン好き」な人からすると、ランキングや評価に不満が生じるかもしれない。

ただ少し気になったのはページデザインだ。
評論家によると最新の潮流は唐辛子やトマトなど赤い食材だそうだが、それを意識してか文字や地の色に赤が多い。
あとは麺のイメージからか、黄色もかなり使われている。
ラーメンなんだからイメージカラーは赤や黄でいいじゃん、とは思うし、青や緑だともっとヘンだろう。
でもなんとなくこのデザインは少しうるさく感じるのだ。
赤と黄はあまり良い組み合わせではないと思う。

ラーメンという食材は実は被写体としてはけっこう難しいらしい。
スープや麺は色調がけっこう暗くて美しくはなく、また基本的に深い器に入れて食べる料理なので、スープの中に隠れている具が写らず、どうしても単調な表現になってしまう。
さらに自分のような「それほどラーメンが好きではない」人間からすると、写真を見ても「うまそうだ」と思うことが案外少ないのである。
それはそうと、この雑誌ってどことなく印刷の色が濃い気がするんですけど・・
自分が買ったヤツだけか?

あと、ある店をランキングでは3位なのに記事や写真で2位と紹介しちゃったり、店の住所が神奈川県町田市だったり、北海道ラーメンのページに函館ラーメンが1件もなかったり、ランキングにのるような店でも名前とエリア名だけで地図がなくて場所が全然わかんなかったりといった、小さなササクレのような不満があちこちにありました。
ちなみに北海道3大ラーメンは札幌・旭川・釧路となっている。
・・・釧路?

テレビで採り上げられることが多い超有名店に、実は数軒だが行ったことがある。
残念ながらいずれも自分にはそれほどうまい味だとは思えなかった。
期待が大きすぎたという面もあるんだろうが、まずくはないけど次回も並んでまで食べるかと問われればもういいやという、そんな店だった。
ところで自分はカレーが結構好きだが、行列のできるカレー屋というのはあまり聞かない。
なんでだろう?

特集以外のページはどれも短くて淡泊だ。
この雑誌はとにかく特集に全力を注ぐ方針なのかもしれない。
広告は思ったより少なく、興味のあるものが特集記事になっていれば読みごたえはあるだろう。

表紙は「おとなのOFF」同様毎回妙齢の女性タレントだが、バックナンバーを見るとびっくりするくらい古くさいセンスの号もあったりする。
ねらってやっているフシもあるが、「おとなのOFF」ほどの湿り気はないようだ。

というわけで内容はしっかりしてるけど編集センスがいまひとつ自分にはしっくりこなかった「一個人」。
今回はラーメン特集だったのでやはりそういう評価になったが、それなりにチカラのある雑誌だと思うので、カレーの特集でもやってもらえたらかなり期待できそうである。

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聴いてみた 第38回 レッド・ツェッペリン 「コーダ」

中高年ロック赤点補習シリーズ、今日はツェッペリンのラストアルバム「コーダ(最終楽章)」を聴いてみました。
順番からいくと本当は「フィジカル・グラフィティ」なんだが、たまたまCDが安かったんで買ってみた。

Coda_1

ツェッペリンはボンゾの死後まもなく解散表明している。
「コーダ」はボンゾの追悼盤でもある。
数ある彼らの楽曲の中から、ボンゾとの思い出がつまったヤツをペイジが選んで多少のアレンジを加えてリリースしたとのことだ。
ツェッペリンの場合、活動中に発表した各アルバムの評価がむやみに高いため、雑誌やネットなどで見ても「コーダ」の評価は相対的には低くなっていることが多い。
今回はモンスリー師匠の「コーダは悪くありません」という啓示をたよりに聴いてみる気になったのである。

ツェッペリンの最後のアルバムだが、末期の曲を集めたわけではなく、録音時期は曲ごとにバラバラらしい。
なるべくドラムの音に注意して聴くつもりだが、果たしてうまくいくのだろうか。

・・・・・聴いてみた。

1. We're Gonna Groove
この曲はプラントの声がまともなので前期のものだろう。
ドラムのシャリシャリとしたサウンドが印象的だ。
好みと言えるかどうかちょっと微妙だが、短いので物足りない。

2. Poor Tom
イントロのドラムが非常にいい。
ペイジのアコースティックなギター、特に半音ずつ下がってくるあたりが実に怪しい雰囲気だ。
この曲もプラントの声がまともでありがたい。

3. I Can't Quit You Baby (君から離れられない)
この曲はデビューアルバムにも収録されているが、重いブルースでややガサツで投げやりな感じがして、それほど好みではない。
ただ「コーダ」ではライブなので、臨場感や迫力が増している分楽しめる気はする。
エンディングのボンゾのドラムはすさまじい迫力だ。
ペイジがこのテイクを選んだのもわかるような気がする。

4.Walter's Walk
スピード感あふれるロック。
ドラムとギターのかみ合いが結構いい感じだ。
この曲に限ってはプラントの声が前期のものか後期なのかがわからない。
聴いた感覚ではたぶん前期のものではないと思うが、それほど濁りを感じない。

5.Ozone Baby
初めて聴く曲だが、楽曲としては意外にポップで悪くない。
途中リズムが複雑にタイミングがずれたりして聴きどころも多い。
しかしながらやはりプラントの声はかなり濁っていて悲しくなる。
その悲哀も含めて楽しむのが真のツェッペリン・マニアなのかもしれないけど・・・

6. Darlene
この曲も初めて聴く。
ドラムもピアノもデカイ音で悪くないのだが、プラントは濁った声で同じセリフを繰り返すので、聴いていて痛い。
前半はロックだが後半は少しリズムが変わり、オールディーズのような雰囲気だ。

7.Bonzo's Montreux (モントルーのボンゾ)
ボンゾによるドラムとパーカッションのインスト。
パーカッションには80年代テクノ風アレンジが施されているが、企画として「最終楽章」にあえて必要だったのかは少し疑問だ。
もっとボンゾの迫力が伝わる音源もたくさんあったんじゃないかと思うのだが。

8.Wearing and Tearing
アップテンポでペイジのリフやタメが聴けて悪くない。
ボンゾのドラムも休むことなく続き、疾走感に満ちている。
・・・のだが、やっぱプラントがダメだ・・
唐突にエンディングをむかえ、これでツェッペリンが終わったのかと思うと、わびしい気持ちだ。
少し物足りない。
もうちょっとドラマチックな演出でもあると良かったのに。

感想。
LPで言うA面とB面で出来が違うような気がする。
プラントの声でだいたいわかるんだが、おそらくA面が前期、B面が後期の曲(録音)のはずだ。
自分はどうしても後期のプラントのボーカルになじめないので、B面のほうはどうも聴きづらい。
そこをあえて気にせず、ドラムの音に注意して聴いてみようとしたのだが、「モントルーのボンゾ」も、期待したほどのチカラ強さはない。
これだったら他にもっと魅力的なドラミングが聴ける曲はたくさんあるだろう。
まあ聴くだけの我々リスナーにはわからない、ペイジなりの理由があっての選曲だとは思うが。

さすがに現役活動中の創造性にあふれたアルバムと比べては、若干水準が低いとされてもしかたないのかもしれない。
クイーンのラストもそうだが、「これで終わりなんだ」という聴く側の想いこそが、むしろこのアルバムの付加価値である。
もしボンゾが存命のまま、このアルバムをふつうのリリース盤として発表していたら、果たして評価はどうだったろうか?
・・・と、多少意地悪な見方をしてしまうような、そんなことを思わせるアルバムだ。
曲数も8曲では企画モノとしてもちょっと少ない。
ただ、それぞれの楽曲は思ったよりも良かったです。

ツェッペリンは「すでに大スター」ペイジと、「すでに実力者」ジョーンジー、「当時は無名」のプラント・ボンゾが集まったバンドで、4人のパワーバランスは均等ではなかったはずだ。
にもかかわらず解散までメンバーチェンジがなかった珍しいケースである。(あたしとしては物足りないけど)
そんな仲良し集団の中にあって、ボンゾを失った時のペイジの心境は我々リスナーには知る由もないが、「コーダ」の編集中、去来する様々な思い出にミキサーを前に大泣きするペイジ・・・なんてこともあったんでしょうか。
(あまりイメージはわきませんが・・)

というわけで、仮免の前に路上で検定をうけるようなマネをしてしまいましたが、とりあえず「コーダ」、聴いてみました。
ツェッペリン未履修、残るは「フィジカル・グラフィティ」「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」の2枚ですが、いずれもいろんな意味で問題作らしいんで、ココロして聴くことにします。

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