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読んでみた 第5回 「音楽ライターが、書けなかった話」

今回ご紹介するのは雑誌ではなく新書です。
非常におもしろかったので、あえてこのシリーズで採り上げることにしました。

読んだのは新潮新書の「音楽ライターが、書けなかった話」。

Sincho

680円。
初版2005年7月発行。
著者は音楽ライターの神舘和典氏。
氏が取材を通して多くのミュージシャンに接した中で、これまでどの雑誌や書籍でもあえて書かなかった話をまとめたものである。
登場するのはジャズの人たちが多いが、ロックミュージシャンもたくさん出てくる。
しかもありがたいことに、ロックのほうはこんな自分でも一応聴いていたミュージシャンばかりだった。

この本、週刊ポストを思わせるような、どこか猥雑な雰囲気に満ちたタイトルだが(考えすぎ?)、実際にはいわゆるゴシップや色恋沙汰や犯罪行為を暴き立てるといった内容ではない。
「そのミュージシャンのイメージからすると少し意外な話」がたくさん綴られている、という内容だ。
あまりここで詳細に紹介するのは避けたいと思うが、自分が興味深く読んだのはこんな文章だった。

・U2の追っかけとなった大物女優
これはミュージシャンではなく、ファンとしての日本の女優の話。 彼女はU2の大ファンで、実際にロンドンでボノに会うためにバックステージパスを手に入れたり、歌詞についてインタビューの時間をオーバーしてまで熱く語ったり、という気合いの入れようだが、確かにこの人のイメージからはU2を聴いてることもボノに会うためにロンドンまで行ってしまうことも、なかなか想像できない。
90年代にトレンディドラマで人気女優となり、現在はある人気コメディアンの夫人である。 あえて名前は明かしませんので、実際に本を読んでみて下さい。
・シカゴのロゴマークは、コカ・コーラの真似だった
この話はご存じの方も多いのではないだろうか。
彼らのアルバムはほとんどロゴがデザインされていて、自分としてはどれも同じように思えて退屈だったりするのだが、なぜそうなったのか、メンバーの話によってそれが明らかにされている。
しかもこの時のインタビューは撮影を兼ねたものだったが、彼らのやんちゃぶり?に辟易する神舘氏の心境がつぶさに表されていて非常におもしろい。
シカゴと言えばAORを歌うオトナのブラスロック・バンドのはずなのだが、案外しょーもないおっさん達のようです。
・客席に黒人が一人もいなかったクラプトンMSG公演
これはクラプトン本人の意外な一面ではなく、彼に対するアメリカ人リスナーの扱いの意外さを書いたものだ。
ブルースにあこがれてミュージシャンとなり、神と呼ばれるほどの大スターになった今でも、その姿勢は変わっていないクラプトン。
日本人の我々には感覚的にわかりにくい話だが、ニューヨークでのクラプトンのコンサートでは客席に黒人が全然いないそうだ。
また同じニューヨーク(MSG)で行われるコンサートでも、1日しかやらないクラプトン公演よりも、12回もあるブルース・スプリングスティーン公演のほうがはるかにチケットが取りづらい、という話もちょいと驚きである。
いくらアメリカではボスの人気が高くても、またクラプトンがイギリス人とはいえ、このあたりのニューヨークでの評価や人気の差というのは、やはりわからない。
確かにこんな話は今まで雑誌でも読んだことはないよね。
・「黒い黒人」フィリップ・ベイリー
これはフィリップやアースの目指す音楽性が、特に日本人が彼らに対して思い描くディスコやダンスミュージックとは少し異なる、という神舘氏の発見と確信の話。
氏はフィリップ・ベイリーにインタビューする前にアースの曲を聴き込み、実はアースの音楽はディスコでもダンスミュージックでもなく、壮大なシンフォニーであることを感じとる。
果たしてフィリップに聞いたところ、答えはその通りだった。
アースの音楽はもともとジャズやゴスペルを基盤とした、多彩なコードチェンジと確かなリズムを持つ音楽であり、ディスコサウンドを意識したものではない、というのがフィリップの答え。
アースに関してはド素人のあたしですが、それでもこれ読んでみて「へぇーっ」と思いましたね。
リズムがしっかりしていて踊りやすく、結果ディスコサウンドとしてヒットしちゃったんで、多少そっちも意識せざるを得なくなったようではあるけど、根底には少し別のものが流れていたということですね。

あまりにおもしろかったんで、全部引き写しかねない勢いになってしまいそうだが、最後にもうひとつ。

マイルス・デイビスがTOTOのアルバムに1曲だけ参加しているのだが、その経緯が紹介されている。
自分はもちろんマイルスは全然聴いたことがないが、TOTOのアルバムに参加したことは知っている。
彼らの6枚目のアルバム「ファーレンハイト」の「Don't Stop Me Now」というインストナンバーである。
このアルバムは発売当時に(例によって)貸しレコード屋で借りて聴いており、マイルス参加もライナーに書いてあるので知っていたのだが、マイルスがどのくらいスゴイ人物なのか、実は今でもあまりよくわかっておらず、従ってこの曲にも当時からほとんど興味はなかった。

マイルス参加の経緯自体はそれほど突飛な話ではない。
が、こうした経緯を知ると、あの曲をあらためて聴き直してみたくなるから不思議だ。
TOTOのアルバムの中では実はそれほど好きではなく、当時カセットテープに録音したきりでもう何年も再生していないが、あとで聴いてみることにしよう。

ちなみにこの本では「ファーレンハイト」がTOTOの5枚目と紹介されているが、これは神舘氏の間違いである。
(5枚目は「アイソレーション」。)

さてこの本、内容からすると雑誌に書いたほうがいいと思うのだが、なぜか新書である。
実は今新書はけっこう業界ではブームで、各出版社が書店の棚を確保するべくシノギを削る状態なのだ。
「バカの壁」「国家の品格」なんてベストセラーが新書から生まれているので、どの版元も必死である。
だが、新書の体裁や仕様は未だに古くさいものが多い。
新書後発の版元だと、分野ごとに装丁を大胆に色分けしたりしていろいろ試みているようだ。
が、多くの新書は単調なデザインの表紙に、どの本も同じ書体のタイトル文字、白い背、本文は明朝縦書き、口絵しかカラー写真を使わない、など、根本的には昭和の時代からそう変わらない。

新書にふさわしい分野や内容があることはわかる。
前述の「バカの壁」「国家の品格」なんかはそうだろう。
しかしこの神舘氏の文章はそうではない。
新書のほうが編集や製本の経費が安いのも、雑誌にすれば広告をとってこないといけないのも、わかる。
でも、少なくともロックを語るのに新書はないんじゃないか?
これはもう少し版元が考えるべきである。

勝手な想像だけど、例えばシンコーがB5判でこの本を出したら、書店で「レコード・コレクターズ」「ストレンジ・デイズ」と並べて置いたら、申し訳ないが新潮新書よりも絶対に売れると思う。
ヴィレッジ・ヴァンガードでは、新書であってもこの本はそういう置き方をしてくれるとは思うけどね。

ということで、あんまし書かないつもりがけっこう書いてしまった。
しかも最後は言いたい放題になってしまいましたが、とにかくこの本はジャズやロックを聴く方にはおすすめです。
ぜひ読んでいただきたいと思います。

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読んでみた 第4回 クーリエ・ジャポン

読んでみたシリーズ、まだ今回で4回目ですが早くも行き詰まりを感じています。
だいたい普段からそんなに雑誌読む習慣なんかないので、行き詰まって当然なのですが。
慣れないことはするもんじゃない。
そんな後悔の念を抱きながら、会社の近所のすすけた書店で購入してみたのが、「クーリエ・ジャポン」。

Courrier

月2回発行、版元は講談社。
発行部数は不明。
今回買ったのは6月15日号(014)、480円。
フランスのニュース雑誌「クーリエ・アンテルナショナル」の日本版で、世界中の1000ものメディアから様々な記事を選んで紹介する、「地球サイズのニュースマガジン」である。

この雑誌もこれまで一度も開いたことがなかった。
公式サイトによれば2005年11月創刊とある。
まだ1年も経っていない。
しかも創刊当時は「アメリカだけが世界じゃない」などといったテレビCMまでやってたらしい。
・・・全然知らなかった。

今週号の記事見出しはこんな感じである。

・ワールドカップの舞台裏
・結婚が広げる格差社会
・アメリカ“最後のタブー”、イスラエル・ロビー『陰の権力』
・世界が見たニッポン
 「デパ地下」グルメ戦争をフランスの覆面記者がレポート
 マツイ骨折で”失業”寸前の日本人番記者

硬軟様々なジャンルがあるが、全体としては各国の一般紙や経済情報誌からの記事なので、ややカタ目である。
アサヒ芸能の見出しとはだいぶ趣が違うし、巻頭グラビアに若槻千夏が載ってることももちろんない。当然か。
海外雑誌の日本版という点では「News Week」あたりに近い雰囲気だ。
趣味や余暇を充実させる情報雑誌ではない。

・・・・読んでみた。

今回の記事内容が、自分にとってそれほど興味のない分野が多かったせいか、読んでみてそれほどおもしろいと感じなかったのが正直なところである。
オカネにまみれたワールドカップのウラ話も、本来嫌いな話ではないのだが、ある程度予想できることでもあり、いまひとつインパクトがないと感じた。
アメリカにおけるイスラエル・ロビーの記事は、2人の学者の「ユダヤ・ロビー」に関する批判が全米で大きな話題になっているという内容だが、自分のようなアメリカの政治経済にうとい日本人には、どうもなじみが薄く理解しづらい話題である。

報道誌なので、表現がユルかったり軽薄なノリだったりということは全くない。
もちろんそれでいいはずだし、軽いノリでは記事の信頼性や説得力が落ちるだろう。
ただしだ。
記事すべてが新聞コラム調でいいんだという姿勢も、なんとなくそれでいいのだろうか・・とも思う。
あくまで個人的な感覚だが、どのページも木村太郎が書いてるような、そういう印象なのだ。
内容は鋭く革新的なはずなのに、語調や表現はむしろ保守的な新聞のそれと変わらない。
雑誌に編集した時点で、もう少しそうした点を変えていってもいいのでは?と思う。
レイアウトや書体級数もそれほどパターンはない。
全ページオールカラーだし、写真もけっこう使っている。
しかも見開き全面写真のページもある。
やはり物足りないのは文章表現だ。
翻訳なので難しいとは思うのだが、スポーツや生活など比較的ライトな話題の場合、文章はもっと大胆にくだけてもいいんじゃないかなぁ。

判型はB4、ページ数は80程度なので、軽く読みやすい。
写真掲載を意識してか、紙はけっこうきめの細かいものを使っているようだ。
コート紙ではないが、ザラつきがなくしっとりした感触である。
これは読む人それぞれで好き嫌いが分かれるかもしれない。
(あたしは好きです)

今週号の表紙はロシアの風刺画家によるものらしいが、これもどこか古くさいニオイのする、昭和の新聞のノリになってしまっている気がする。
バックナンバーの表紙はサイトで見ることができるが、並べてみてもあまりシリーズ感はなく、絵だったり写真だったりである。
これもどうもイケてない気がするのは自分だけだろうか?

クーリエ・ジャポン、どこか似ている・・・と思わせたのは、ビッグ・イシューである。
ビッグ・イシューはコンセプトも内容も全く違う雑誌だが、比較的カタくて革新的な内容が、「似ている」と思わせたのかもしれない。
ただ編集センスの点では、自分の評価はビッグ・イシューの方が上である。

というわけで、雑誌としては結構辛い採点になってしまったクーリエ・ジャポン。
自分はこういう雑誌を読むガラじゃない、というのが改めてわかってしまった。
記事は元々世界中で評価されている様々なメディアから持ってきているので、手軽に世界情勢をつまんで読むには便利だと感じました。
ネットでも同じことは可能でしょうけど、日本語しかわからない自分は、こういう雑誌の存在は歓迎しないといけないんでしょうね。
気になる特集でも組まれれば、また読んでみようと思います。

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聴いてない 第91回 フランク・ザッパ

元祖変態系ギタリスト、フランク・ザッパ。
この人は業界では「師匠」と呼ばれることが多いみたいですが、実はアルバムは一度も聴いたことがないし、シングルも1曲も知らない。
誰かのアルバムに参加してるのを聴いたことはあるかもしれないが、「ああこれザッパの音だ」などとわかって聴いたことはもちろんなし。
いずれにせよ全滅です。
聴いてない度はハードに1。

ザッパに関しては知識も非常に乏しい。
フランク・ザッパ&マザーズというバンドでモントレーに行ってコンサートをやっていたら、どっかのバカが会場に火を放ち、湖上の煙~火の粉がパチパチ・・・という話を知っているくらいだ。(しかも王様の歌詞で知った)
なのでザッパ本人がどんだけエライのかすばらしいのか、全くわかっておりません。
あとは行きつけの床屋のマスターがザッパに似てるくらいですかね。(関係ねえよ)

というわけで、まさに聴いてない・知らない・書けないの闘魂三銃士なわけですが、さすがにこのままでは引け目を感じるので、せめて一般教養くらいは学んでおこう・・と思って、例によってネットで調べてみました。
つくづく便利な世の中だよなぁ。

さて。
ネットでザッパを検索したら、当然ですが非常に多くのサイトにヒットしました。
その数たるやブルース・ウーリーなど比べものになりません。
さすがはザッパ師匠なわけですが、まず驚くのはアルバムがやたら多いということ。
今発売してるCDだけでも70枚以上あり、関わった他人名義アルバムも入れると100枚以上という話。
とにかく多作なアーチストらしい。
またジャンルもロックからジャズからクラシックからドゥーワップやアバンギャルドなんてのもあって、ものすごく間口の広い人だそうだ。

他にも政治色の強いメッセージアルバムや、フロイドやビートルズのパロディなど、ありとあらゆる企画に挑戦し続けた、戦うアーチストでもあるザッパ。
歌詞も過激で、ホモ・カトリックの寄宿舎・資産家・田舎者といった様々なターゲットを定めて、きっつい表現で罵倒するという内容になっているとのこと。
こういう話を聞くと、やってることはある意味パンクでアナーキーな感じがするし、平たく言えば奇人変人なのだろうが、そのわりにドラッグは大嫌いで、レーガン政権の不条理にもまっこうから反対の姿勢をとるなど、硬派なおっさんでもあったようだ。

いやあ、そうだったんですか、ザッパ。
今更ですが全然知りませんでした。
「ちょっと偏屈なギタリスト」くらいのイメージしかなかったのですが、とてもそんな表現ではザッパを語ってはいけませんね。
アルバムや曲のタイトルの邦題もときどきむちゃくちゃで、「いま、納豆はいらない」とか「あ、いかん、風呂むせて脳わやや」「ハエ・ハエ・カカカ・ザッパ・パ」なんてのまであるらしい。
・・・これ金鳥との間でもめたりしなかったんでしょうか。
邦題については、ザッパ本人の意向はどれだけ反映されていたのだろう。
本当にその時納豆はいらないと思っていたのか?ザッパ。

ザッパは90年代前半に亡くなっている。
故人ということは知っていたが、いつ亡くなったのかまでは知らなかった。
当時のニュースなどの記憶は全くないので、全然興味がなかったのだろう。
ロックは音よりも人から入る自分ですが、なぜか人間ザッパに関する情報は全然持ち合わせていませんでした。
ザッパって名前も、ミュージシャン関係ではこの人しか聞いたことがないですね。
まあそんなのはクラプトンもブラックモアも同じですが。
これ本名なの?どこの国がルーツなんだろう?

さてミュージックとしてザッパ作品にふれるとすると、好きなジャンルから聴いていけばいいということになるんでしょうか。そういう意味では便利なアーチストだ。(本当か?)
実際ジャンル別ガイドラインでザッパのアルバムを紹介しているサイトはたくさんある。
自分の場合ジャズやドゥーワップからのアプローチはやめたほうがいいような気がするのですが、初心者でも安心して聴ける「お一人様からでも遊べますアルバム」があれば、ぜひ教えていただきたいと思います。

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聴いてみた 第29回 イングウェイ・マルムスティーン

先日FM横浜から流れるアルカトラスの「ヒロシマ・モナムール」を聴いて思い出した、イングウェイ・マルムスティーン
そういや聴いてなかったっけ程度にしか考えていなかったのだが、図書館にたまたまインギーのCDが置いてあるのを発見。
予定ではツェッペリンの「プレゼンス」を聴くはずだったんですけど、図書館になかったしディスクユニオンの紙ジャケはバカみたいに高いし・・
ということで代わりといったらインギーに失礼ですが、借りてみました。
インギーってペイジのことボロクソに言ってるみたいなんで、本人に「ツェッペリンの代わりに聴いてみたよ」なんて言ったらホントに怒られそうである。

借りたのは「Inspiration」というカバー集である。

Yngwie

パープルレインボージミヘンのほか、スコーピオンズやUKやカンサスの曲もある。
リストをちらっと見たらいくつか知ってる曲もあるし、ジョー・リン・ターナーも参加してるみたいなので、素人インギー入門編としては問題なかろう。
当然だけどツェッペリンの曲はない。
このアルバム、インギーに言わせると「これはカバーじゃない。インスピレーションだ!」とのこと。
・・・なんか言ってることが中西学というか美濃輪育久というか、かなりヘブンな気もするが。大丈夫か?インギー。
そういやインギーって人は今風に言うと「むちゃくちゃジコチュー」という噂もあるようですが。

リッチーイズム最後の継承者インギーの速弾き、果たしてどんな音なのでしょうか。

・・・・聴いてみた。

原曲を知ってるのは以下である。
「Carry On Wayward Son(伝承)」 (カンサス)
「Demon's Eye」 (ディープ・パープル)
「Child In Time」 (ディープ・パープル)

この3曲に限って言うと、全体的にはオリジナルをわりと忠実に再現しているが、ギターソロはさすがにインギーが突き抜けまくり。
オリジナルを超越していると言って差し支えない、噂にたがわぬ速弾きである。

インギーのギターはやはりリッチーイズムに満ちあふれているように聞こえる。
パープルの曲でなくとも、出している音はリッチーのものに近いと感じる。
インギー流のアレンジもメロディライン自体はそれほど凝ったものではないのだが、オリジナルの倍以上の音がつまっている感じだ。
リッチーのギターサウンドを機械処理でもうワンステップいじったような音である。

さてインギー講座もうひとつの宿題、エドワード・ヴァン・ヘイレンと比較するとどうでしょうか。
あたしゃギター弾けないんで専門的なことは何ひとつわからないが、エドワードの音は少し歩幅が広い印象だ。
ネックの端から端まで縦横無尽に(しかも余裕で)使っていそうなのがエドの音なのだが、インギーの場合ある一定のスペースにとどまってその中で限界まで多くの音を出したる、という感じ。
エドも速弾きだけど、音がかなりあっちこっち行きますよね。振り幅もエドのほうが少し大きいように思う。
インギーは結構細かい小刻みな振り回しが好きですね。
モワァアァアァとかワウワウワウとか粘りけのある音と速弾きを交互に展開する、そーいう音です。
ぽりぽりぽりぽり(速弾き)、もわぁあぁあぁあぁわぅわぅわぅ(振り回し)。
文字にするとすんごい陳腐だなぁ。でもこう聞こえる。
ファンの方すいません。

聴いた限りではさすがにすごい速弾きだと思うが、好みで言うとやはりリッチーやエドの音のほうがいいかな?という感じだ。
インギーの「Child In Time」は悪くない。
が、オリジナルから20年以上経ってるせいもあるけど、「あー兄さん、ちょいとやりすぎじゃねえか・・?」と思う部分も少しある。
でもリッチーでもやってないリフをぶりぶりカマすインギー、やはりただ者ではありませんね。

インギー以外の聴きどころとして、ジョー・リン・ターナーのボーカルにも期待して聴いてみたのだが、こっちはどうもイマイチ。
さすがにジョーもだいぶ歳とったなぁ・・というのが正直な印象。
レインボーの頃の少し哀れな声は結構好きだったんですけどね。
マーク・ボールズという人のボーカルはかなりいいです。
これは収穫。
インギーの他のアルバムでも歌ってる人だそうです。

初めて聴いてみたイングウェイ・マルムスティーン、噂どおりのギターサウンドでかなり良かったです。
こうなるとやはりアルカトラスを聴いてみなければいけませんね。
あとマーク・ボールズのボーカルも結構気に入ったんで、他のマーク参加のアルバムも聴いてみようと思っています。

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聴いてない 第90回 ジャクソン・ブラウン

70年代を代表する詩人タリエシン・・じゃなかったジャクソン・ブラウン。
全然聴いてないのは当然なんですが、実は過去に聴いてないシリーズで一度採り上げようと試みたことがあります。
しかし書きはじめてから「聴いてないこと以外に書くことがない」ことに気づき、できあがった原稿、あたしにしてはとてーも短い文章になってしまいました。
しかも内容があまりにも薄くつまんなくて、とても公開する勇気もなく、ボツ。
急遽REOスピードワゴンに差し替えました。
その時の原稿(テキストファイル)はすでに破棄してしまいましたが、今日はあらためてジャクソン・ブラウンについて書きなおしてみようと思います。
でも依然として聴いてないんですけど。

ジャクソン・ブラウン、聴いたことのある曲はたぶん3曲。
「誰かが彼女を見つめている」「あふれ出る涙」「フォー・アメリカ」が全てだと思う。
アルバムは全く聴いてないので、聴いてない度は3。
実はこの3曲はどれも嫌いではない。
ただアルバムを聴く意欲をかき立てるまでには至らなかった。

「フォー・アメリカ」の頃、アメリカではブルース・スプリングスティーンを筆頭に曲名に「U.S.A.」「America」をつけたものが流行っていた。
レーガノミックスに象徴される「強いアメリカ」が、政治だけでなく音楽や文化にまで波及してきた頃の話だ。
もちろん曲によってテーマやメッセージは様々で、全てが強いアメリカを肯定していたわけではないだろう。
ジャクソン・ブラウンがこの曲で何を語りたかったのか、自分はよくわかっていない。
ファンサイトをいろいろ見てみたが、この曲が彼を代表する曲だと紹介しているサイトはあまりなかった。
素人の自分からすると少し意外。
昔からのファンにとってはそれほど評価は高くないのだろうか?

それ以前にとにかくジャクソン・ブラウンに関する情報があまりにも不足しているあたし。
ジェームス・テイラーやJ.D.サウザーと混同してしまった時期もあったくらい、この人についてはド素人である。
で、今回ネットで少し調べて初めて知ったのが、イーグルスの「Take It Easy」を作ったのがジャクソンだということ。
グレン・フライがひとりで作ったんじゃなかったのか・・
こんなのファンにとっては鉄板で基本でしょうけど、あたしの知的レベルはこんなもんです。

いくつかのサイトに書いてあった話ですが、ジャクソン・ブラウンはこの曲で強盗を降伏させたこともあるそうです。
レコード会社に銃を持って押し入った強盗、実はこの会社をクビになった元社員で、自分が手がけたトラックの返却を求めて人質をタテに籠城。
そこにジャクソン・ブラウン自らがリクエストした「Take It Easy」がFMを通じて流れ、犯人はこの曲の良さや思い入れに心打たれ、銃を降ろして人質を解放し降伏したそうな。
なんだか「太陽にほえろ!」のようなストーリーですが、それくらい人々の心にしみる名曲だと評価されとるわけですね。

そんなジャクソン・ブラウン、本人の人生は決しておだやかだったわけではないそうで、妻が自殺したり親しい友人が死んだりして、そうしたしんどい心境が当時の作品にも影響しているとのこと。
さすがにモメ事の好きなあたしでも、そこまできっつい身の上話にはあまり興味はわきませんが、それでもなんだか人として聴いてみないといけないような気もしてきました。(なんだよそれ?)

キャリアの長いジャクソン・ブラウン、今も活動していて、最近はアコースティックに傾倒したアルバムもあるらしい。
元々暴れたり絶叫したりギターでメンバー殴ったりといったワイルドな話題はない人だと思うので、聴くならまじめに曲に向き合わないといけないと思ったりしています。

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見ていない 第5回 渡る世間は鬼ばかり

お茶の間(死語)の人気を集める「橋田壽賀子ドラマ  渡る世間は鬼ばかり」。
こんだけ有名なドラマでありながら大変申し訳ありませんが、一度も見たことがありません。
いわゆるホームドラマにも最近全く興味がないので見ていなくて当然なのだが、関東では木曜9時放送ってことは、「とんねるずのみなさんのおかげでした」のウラってことですよね。
この時間に家にいればとんねるず見てるんで・・・
あ、コドモの頃はそれなりに見てましたよ、ホームドラマ。
「ありがとう」とか「池中源太80キロ」とか、人並みに見ていたと思います。
今よりずっとホームドラマの数も多かった頃の話。

「渡鬼」と呼ばれるこのドラマ、初回放送が1990年と聞いてちょっと驚き。
もう少し昔からやってるもんだと思っていました。
16年間ずっと連続して放送してたわけではなく、シリーズが断続的に放送されているとのこと。
視聴率はシリーズによって違うようだが、平均20%代を維持する人気番組らしい。
ということは、きっとネットにもファンの方々が作るサイトがたくさんあるはずだ。
そう思って、少し調べることにした。

だが。
見ていくとどのサイトもなんとなく意外な記述が多い。
シリーズごとのあらすじや登場人物を事細かに追っているデータベース様式なサイトはもちろんあるが、けっこうツッコミどころもあったりするようで、ファンサイトとはいえ手放しで絶賛するものばかりというわけではないらしい。
「無計画に脚本を書き続けているせいで、登場人物が不自然に死んだりいなくなったりする」
「登場人物の性格が突然変わる」
「嫁姑の確執・離婚といった家庭不和が繰り返されすぎ」
「セリフ回しが長すぎて、その間他の出演者は黙っていることが多く、日常会話としては変」
「同じセリフが多い」
「とにかく登場人物が多すぎる」
「泉ピン子が出すぎ」・・・など。
スゴイ番組だ・・・

そもそも岡倉家の5人姉妹って時点で設定としてはかなり大家族だけど、それぞれの嫁ぎ先にまたいろいろな人がいて、複雑な人間模様を展開している・・・というのが、むしろこのドラマの見所でもあるらしい。
というわけでどのファンサイトも登場人物紹介にかなりチカラが入っている。
登場人物とその相関をきちんと(ツッコミも含め)把握する、というところにファンならではの楽しみがあるのだろう。
パープル・ファミリーを追っかけるのがとても楽しいのと原理は同じだ。(本当か?)

演じる役者は「橋田ファミリー」としてカテゴライズされることが多いが、このファミリーへの加入や脱退についても、ワイドショーや週刊誌でわりと採り上げられてますよね。
本来ドラマの内容とは関係ない話のはずだが、ファミリーへの加入脱退がシナリオを変えるほどの事態にまで発展したこともあったようで。
こんな話を聞くとあたしなんかすぐプロレスやパープルやブラック・サバスを思い浮かべてしまいますが。

初めの頃は5人姉妹のエピソード比較的均等に作られていたが、橋田センセイの泉ピン子かわいさのあまり最近は「幸楽」が舞台となる話がかなり多い、なんてことも書いてある。
どこまでホントの話なのかわかりませんが。
・・・つうか「幸楽」が物語の中心てわけじゃなかったのね。
あたしも泉ピン子が主役なのかと思ってました。

最近のシリーズでは岡倉のお父さん役が藤岡琢也から宇津井健に変わったらしい。
でもこの二人はだいぶ雰囲気が違うんですけど、いいんでしょうか?
あとこれまでけっこう意外な役者が登場してるんですね。
神田正輝・上戸彩・少年隊の3人・山口良一・愛川欽也なんて人も出演実績があるそうだ。
まあ設定が変わったり役者が変わったりは他のドラマや映画シリーズでもよくあることだが、このドラマに関しては「おもしろければ少しくらい設定が変わってもいい」という大胆な発想のもと、橋田センセイがずんずんと脚本を書いて突き進んでいる、ということなんでしょうかね。
で、今シリーズでは長らく泉ピン子をいびり続けていた赤木春江がいなくなり、代わってしばらく橋田センセイから干されていた(どのサイトでもこう書いてある)沢田雅美がピン子をいびる役で久々に登場、だそうです。
えなりかずきは大学生になり株式投資にも興味を持ち始める・・といった、トレンドなのかありえねーよなのかわからない展開にもなってるそうで、なんだか人気番組がゆえに橋田センセイもかなりムリしてるような気もしますが。

というわけで「渡鬼」、DVDも出てるようなんで今からでも鑑賞は可能なのだが、どうなのかなぁ・・・
実際悪役?のヒドイ仕打ちに本気で腹立てて見てる人も多いらしいんで、思い切って正面から登場人物に感情移入するか、ツッコミ入れながらハスに構えてふんぞり返って見るか、どっちかなんでしょうね。
過去のシリーズ中、「この時はおもしろかった」というものがあれば、教えていただきたいと思います。

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