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ありえない

言葉は生き物であり、常に変化している。
最近、まさにその変化の過程にあると認識した言葉がある。
「ありえない」。

本来は「可能性を強く否定する」場合に使う言葉で、否定を強調したり断言する時に用いるはずだ。
ところが最近のヤング(死語)の間では、驚きや非難、脱力の意味で使われているようだ。
実際CMでも、携帯を会社に置いてきた男に女が「ありえない!」といって去っていく、といったものがある。
どうやら肯定的には使わないみたいですね。

これは少なくとも数年前まではなかった使い方だ。
どこが起源なのかわからないが、世間ではまだ違和感や嫌悪感を覚える方もおられるであろう。
自分もやはり違和感はあり、実際に「驚き・非難」の意味で使うことは、今のところしていない。

「乱れている」と言えばその通りだろうが、勘違いから来る誤用の蔓延ではなさそうだ。
(なので余計にタチが悪いという指摘もありそうですけど)

この現象については、「乱れを遺憾に思う」ことよりも、「今変化の過程にある」という実感の方が大きい。
感動というわけではないのだが、今までに実感したことのない現象ではないか?貴重な体験ではないか?とも思う。
単なる流行語で終わる可能性ももちろんあるのだが、もしかするとこのまま辞書に載ってしまうほど一般化してしまうかもしれないのだ。(本当か?)

これまでの流行語と少し違うのは、言葉そのものの新規発生ではなく、運用のしかたの変化だという点である。
少し考えたのだが、我々の世代でもこれと似たようなことをしてきたのではないか?と思う言葉があった。
「あせった」という言葉である。

言うまでもなく「あせる」の過去形ですけど、「あせる」は余裕がなくなってあわてるとかいらつくとか、そういう「気が急く」状態を言うと思うのだが、我々の世代(80年代のヤング)ではその昔「驚いた」の意味で通用していたのだ。
「目の前で交通事故が起こってあせったよ」
「片思いの人に街でバッタリ会ってあせった」
・・・という使い方。
予期せぬ事態に気が動転した、という場合に使っていたわけですね。
本来の「余裕がなくなってあわてた」というのとは少し違う。
これって、今のヤング(死語。しつこい)はあまり使わないかもしれないけど、どうでしょう?

で、「ありえない」の変化は、こんな「あせった」をはるかに超えていると思う。
「おかしい」「あわれ」だって何百年もたったら意味は変わったのである。
百年後の日本では「ありえない」だってすっかり変わってるかもしれないのだ。

そういう意味で、「まさに今変化しようとしている」「やっぱ言葉って生きてるんだなあ」という実感がわく言葉なのだ。
(とてもバカな感想ですが。)
古くさい言い回しだが、「動向を見守りたい」気分なのである。

・・・・そんなことは、「ありえない」?

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