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聴いてない 第9回 ニルヴァーナ

ということで、バンド名の意味も売れた理由もよくわからないニルヴァーナ。
訳すと涅槃。もっとわかんねえ。
沖雅也のおかげで仏教用語がワイドショー用語になってしまったが、正しい意味を理解している日本人は少ないと思います。

80年代にロック界はすっかり多様化し、象徴的なアーチストもいないまま90年代に突入。
ニルヴァーナは90年代初めに登場し、ほんの数年しか活動していないにも関わらず、「90年代を代表する」という形容詞がついてまわる、不思議なバンドである。

正確にはリアルタイムで「聴いてみた」です。
アルバム「Nevermind」は当時日本でも売れていて、聴く前からジャケットは印象的だと感じてはいた。
当時FMラジオからのエアチェックはもうやめており、代わりにMTVなどでPVをビデオに録画し、その音声をカセットテープにダビングという変なことをしていた。
で、ある日ニルヴァーナの曲に出会ったのである。

それは一番売れた「Smells Like Teen Spirit」ではなく「Come As You Are」という曲だった。
ジャケットの絵柄から、楽しいコミックバンドかさわやか系を想像していたのだが、全く違う音だった。
「なんか変な曲だなあ」というのが感想。
リズムも音程も抑揚がないし、サビがどこだかわからないような曲だった。

自分の感想とは反比例するように、その後も「Nevermind」は売れ続けた。
知り合いの女性がCDを貸してくれた。
とりあえず全曲聴いたが、なんかこれまでのロックとは違う。
アコースティックな曲もあるが、バラードではない。
楽しい音があまりないアルバムだった。
なんでこんなのが売れてるんだ?

雑誌などでニルヴァーナは「グランジ」「オルタナ」などという言葉で紹介されていた。
意味もよくわからないうちに、ファッションなどにもこれが台頭し、大きなムーブメントになっていった。
「まあアメリカも病んでるから、マニアが聴いてるんだろ」くらいにしか考えてなかったのだが、自分の周りにニルヴァーナを気に入って聴き始めた人(しかも若い女性)が数人現れたのにはホントに驚いた。

ニルヴァーナを聴いたのはそれだけである。
CDからダビングしたカセットも消してしまった。
MTVからエアチェックした2~3曲だけが残っている。

その後カート・コバーンは自殺し、バンドは解散。
あまりにもそのままの展開である。
だからといって聴き直す気にはならなかったが。

よく考えるととても不思議だ。
個性的ではあるが、反体制・怒りといったロックの骨格を全然踏襲せず、退廃・やる気なし・破滅といった音や歌詞を殺伐と表現して、しかもそれが大ブレイク。
個人の好みの問題なんで、正直どうでもいいことなのだが、「感動」「楽しみ」などと無縁とも思われるこの人達の音楽が、なんでこんなに支持されたのか、未だにナゾだ。

・・・・ニルヴァーナ聴いていた方、楽しかったスか?


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聴いてない 第8回 マイケル・シェンカー・グループ

ロックの世界で「神」と呼ばれるのは、エリック・クラプトンとマイケル・シェンカーの2人だという話を聞いたことがある。
で、マイケル神のほうなんですけど、全っ然聴いてません。
今までいろいろ聴いてないアーチストを並べてきたんですけど、この人の曲については、UFO時代も含めてホントに1曲も知らない。

今回はとうとう聴いてない理由が思いつかなかった。
ハードロック全般にそれほど深い入れ込みをしてたわけではないし、確かにACDCやスコーピオンズ、アイアン・メイデン、ブラック・サバスなども全く聴いていない。
このあたりのバンドになると、バンドに関する知識そのものがほとんどないので、「聴いてない」より「知らない」アーチストになってしまうのだ。
ACDCはアンガス・ヤングの名前とケツ出すことしか知らないし、アイアン・メイデンに至ってはメンバーを一人も知らない。

じゃあマイケル・シェンカーはどうなのか?
というと、「知ってはいる」のだ。
MSGにはコージー・パウエルやグラハム・ボネットが参加していたことも知っているし、「フライングV」なるギターを武器に活躍していたことも知ってはいる。

基本的に「脱退加入ネタ」が好きなので、コージーやグラハムがうろうろしてる話は結構楽しかった。
しかしコージーって人はホントにビッグネームが好きなようで、最後まで有名なバンドを渡り歩いていたみたいですね。

マイケル・シェンカーが活躍していたのは80年代初めからである。
当時姉があの「ミュージック・ライフ」を購読していたのだが、ある号の付録にマイケルのポスターが付いていた。
自分はそれを学校に持っていき、教室のドアに貼っておいた。
別にファンでもなんでもないのだが、ギターを手に叫んでいるマイケルの姿はなかなかカッコよく、文字どおり絵になる人だと思った。

・・・ちなみに今でも中学校高校の教室って、アイドルやスターのポスター貼ってたりするんでしょうか?
確かウチのクラスではマイケルの他に松本伊代とか松田聖子とかも貼ってましたが。

ところがポスターまで貼っておきながら、どういうわけか曲を聴く気にもならず、キング・クリムゾンのように聴かせてくれる友人もおらず、全く聴く機会のないまま今に至ってしまっている。
手始めに聴くとしたら、やはりコージーやグラハムが参加してたあたりの曲になるのだろうか。

実際、マイケル・シェンカーを聴いてた人はどのくらいいるんでしょうかね?
通好みってわけでもないと思うのだが、当時の若者への浸透度合いってのがどのくらいなのか、全くわからないアーチストだ。
これまで「聴いてない」アーチストについては、「勉強し直す」つもりで書いてきたのだが、ここに来てマイケル・シェンカーを勉強し直す情動というものが、まだイマイチわき上がってこないのである。

・・・・ミもフタもない聞き方ですけど、マイケル・シェンカーって、どうよ?


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聴いてない 第7回 ジャパン

今回はだいぶ系統が違って、ジャパン。
一応リアルタイムで聴くことができたはずのグループなのだが、全然聴いてません。
それほどビッグな存在でもなかったとは思うが、80年代を聴いてきた人ならみんな知っている、というくらいのバンドではないだろうか。
メンバーで自分が知っているのはデビット・シルヴィアンとミック・カーンの2人だ。
聴いてないわりには当時の雑誌に相当露出していたのだろう、いつの間にか覚えてしまった。

聴いてない理由。
・見た目が強烈過ぎてひいてしまった
ジャパンと言えばあの髪の毛の色である。
今見るとそれほどでもないのだが、当時あんなアタマのヤツは日本にはおらず、自分も10代のくせに「なんちゅう色だ・・」とジジイのような感想をもらしていた。
別に髪で歌うわけでもないのだが、どうも生きてる人間つーよりマネキンのように見えて、「こいつらホントに歌えんのか?」と、やや批判めいた感情を抱いていました。

・1曲聴いたがイマイチだった
で、その後「I Second That Emotion」という曲をエアチェックで仕入れたのだが、イマイチ好きになれない音だった。
ロックという音ではないし、ボーカルもねばねばしたオクラ(野菜)のような感じで、あまり楽しい曲ではなかったのです。

デュラン・デュランもそうだが、英国エレポバンドってどっちかっつうと女の子に人気があった。
まあ今で言うイケメン揃いだし、文字どおりサウンドよりビジュアルで人気を獲得してたような感じだ。
ジャパンの場合イケメンというよりは中性的な魅力で人気があった、という方が正しいのかな。

ジャパンは「知ってるけど聴いてない」って人は結構多いんじゃないでしょうかね?
当時の男子高校生でジャパンを丁寧に聴いてたヤツは、そんなにいなかったような気がする。

たぶん今居酒屋で「オレさあ、実はジャパンって聴いたことないんだ・・」って低い声でつぶやいても、そんなに周りが反応しないんじゃないかと思います。「それで?」って感じ。
これが「実はボブ・ディランって・・」って言ってしまうと、ヘタすりゃ説教されんじゃねえか?というくらい、違ってくるのではないでしょうかね。

ただアルバムジャケットは、今見てもなかなかオシャレである。
比較すんのもナンだが、カルチャー・クラブのバラバラなセンスのジャケットとはエライ違いだ。
「錻力の太鼓」のジャケットは、毛沢東の写真がかかっている部屋なのだが、これは非常に印象的で発売当時からよく憶えている。(聴いてませんが)
曲やアルバムのタイトルも「苦悩の旋律」「孤独な影」「奇しい絆」といった、なにやら難しそうな内容を思わせる表現が続く。
レコード会社の人の苦労がしのばれますね。

感覚的には、「ビジュアル系プログレ」という表現になるのだろうか・・
デビッド・シルヴィアンとロバート・フリップって共演したこともあるそうだし。
ビジュアルもプログレもどっちもよくわかってないんで、当たってないかもしれませんが。

21世紀になってから改めてジャパンを聴いてみるってのは、結構勇気のいることなのだが、意外にイケてるかもしれませんね。
むしろ今の若い人から支持されてもおかしくないかもしれない。
根拠はないけど、そんな気がする。


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聴いてない 第6回 ジミ・ヘンドリックス

伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックス。
あのエリック・クラプトンも絶賛し、ピート・タウンゼントはジミヘンのあまりの才能に、職を失うことまで心配したと言われる。
・・・などとすらすら書いてますが、全く聴いてません。1曲も知らない。
この連載を続けてると、つくづく自分はいわゆる名作名盤を聴いてないことがよくわかるのですが、ジミヘンまで全然聴いてないって、こんなのバラしちゃって大丈夫なんだろうか。
学歴詐称って、こんな感覚かしら。(違うって)

まあ嘘を言っても始まらん。
聴いてない理由も少しはあるのだ。

・時代が少し前のヒトである
これは後から付けた理由ですが、ジミヘンって70年にはもう死んでるんですね。
もっと後の話かと思ってたのだが、活躍した期間も人生そのものも非常に短かったんだねえ。
自分にとっては、やはり昔の人になってしまうのでした。

・ジミヘンの映像に感動しなかった
80年代半ばだったと思うが、テレビでジミヘンのステージの模様を見たことがある。
深夜だったから「ベストヒットUSA」だったと思う。
曲は忘れたが、ジミヘンは演奏の後ひざまずいてギターに火を着けた。
(これってたぶん有名な映像なんでしょ?)

その時の自分の感想は「もったいない・・・」だった。
当時ハタチくらいだったのだが、そんなバアさんのような感想しか出てこなかったのだ。
だってさあ、ギターだって買えば何十万とかするでしょ?
学食の300円にも躊躇するくらい貧しかったから、高価なギターに火を着けるなんて、「バチあたりな人だ・・」と本気で思いましたね。
もう全然ロックを楽しむ資格ゼロである。

ジミヘンがアクロバットな持ち方でギター弾いたり、歯で弾いたりしてる写真は雑誌でも見たが、「すげえ・・かっこいい」とは思わなかった。
この時音を聴いていれば少しは違ったかもしれない。

根が貧乏で小心者がゆえ、こうした破壊的なアーチストにはいささか臆するところがあるのも事実だとは思う。
パープルのコンサートで、リッチーがテレビカメラに向かってギターネックをずぼずぼと突き刺すシーンも見たことがあるけど、この時も感想は「あーあーあーギターもカメラも壊しちゃって・・」でした。
まあパープルやレインボーは一応聴いてますけどね。

ギタリストがギター壊すパフォーマンスは、もはや珍しくもなんともないが(最近はむしろ珍しいか?)、少なくともブライアン・メイは絶対やらないだろうなあ。
やっぱモノは大切にしなきゃ。

80年代のゆるい音に慣れきってる自分にとって、ジミヘンを学ぶことはかなりハードなことと想像するのだが、どうだろうか?
とにかく聴いてないわけだから、聴いてみればジミヘンがなぜ火を着けたのか、わかるかもしれないし。
(わかんねぇって)
「しまった・・もっと早く聴いていれば」となることを多少期待して、いつの日かジミヘンに臨むことにします。


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1万円からお預かりします

「1万円からお預かりします」
「コーヒーのほうお持ちしました」
「こちらサラダになります」

こうした言い回しがいつから定着しているのか、よくわからない。
ファミレスやコンビニで若い店員が使うことが多いようで、「ファミレス敬語」「コンビニ敬語」などと呼ぶそうだ。
少し驚いたのは、こうしたファミレス敬語に違和感や嫌悪感を抱く人が意外と多いことだった。
やはり正しくはない言い方だから気にはなるのだろう。

「1万円からお預かりします」は、会計を仕事にしない人は口にしない言葉である。
日常会話では使われない。
だからこそ、普通の(=正しい)日本語表現とは少し違う形にしてもいいのではないかと思う。
意味は通じるわけだから、このまま使っていっていいのではないでしょうか。
客側も「この表現はプロ仕様」と考えればいいのだと思いますけど。
「1万円から」はあくまでプロがお客様からお金を受け取る時の言い方。
「間違い」「乱れ」とは次元が違うような気がする。

「こちらサラダになります」は正しくかつ丁寧に言うと「サラダでございます」になるのでしょうかね。
気になる方の中には「はぁ?いつかこれがサラダに変化するってぇのかよ」などと突っ込みたくなる人もいらっしゃるようですが。

ではどうして「サラダになります」なのか?
別に「これからサラダに変化します」って言ってるわけではない。(当然ですけど)
思うに、「サラダでございます」は、確かに丁寧語なのだが、語感としては濁点が多くて、音声として美しく聞こえにくい、というのがあったんじゃないでしょうか。
そこで「デゴザイマス」よりも音声的にやわらかく、かつ「サラダです」という言い切り口調でもない表現として、「サラダになります」が開発された、と。
違うかなあ?

「日本語が乱れている」という指摘は、まあごもっともではある。
が、そういう指摘をする人は、「食べれる」「見れる」「来れる」などを使っていない自信はあるんだろうか。
もっと言うと「役不足」「帽子をアミダにかぶる」「確信犯」などの正しい意味をわかって使えているんだろうか。

飲食店で会計する時「お姉さん、おあいそ」と言うオヤジがよくいるけど、自分はこの方がずっと気になる。
これは誤用。客が口にする言葉ではなく、お店側が言う言葉だ。
店に入って客が自分で「いらっしゃい」って言うのと同じレベルですね。

・・・まあ話がそれた。元に戻そう。
「1万円から」「コーヒーのほう」といった言い回しは、慣れると無意識になっている部分はあるが、使う側が実は正しい言い方をわかっていながら、あえて使っているのである。
ここが「見れる」「お姉さん、おあいそ」とは違う点だ。
さらに言えば、その工夫は決して自己満足的な意図から発生したものではないと思う。
お客様との間の空気を少しでも柔らかくできるとしたら・・という苦心が読み取れませんか?
まあ実際マニュアルに沿って使ってる店員に、そこまでの意識があるかどうかは不明だが。

例えば日本語には「お茶が入りました」という表現がある。
よく考えればおかしな表現だ。
お茶が勝手に湯飲みに入るはずもない。
英語だと「あんたのために私はお茶を入れた」とかになるんだろうか。
ここをあえて「おまえのためにおれは」などと恩着せがましいことを言わず、お茶のほうから自然と入ったような言い方をすることで、お互いに心やわらぐ時間を共有しませんか?という意味が込められているのだ。
なんて素晴らしい表現なんだろう。
こういう奥ゆかしい表現が残っていることはとても大事だ。
このくらいのゆとりを持って日本語を運用したいものである。

最近になって店(企業)側でも、ファミレス敬語を禁止する動きも出てきているようだ。
客から指摘をたびたび受けてきた店(企業)側が改善を考えたものらしいが、指摘してる客側の傲慢さが透けて見えて、自分としてはそっちの「ほう」がイヤなのである。

どうもこのファミレス敬語を嫌う人の多くは、ファミレスやコンビニで働く若者を見下してるように思える。
これは自分だけがそう思ってるのかもしれないけど、長く続く不況の中で、特に飲食店関係で働く若者の姿はとてもしっかりしていると感じている。
きっと安い給料で働かされているだろうに、きちんとしてないとすぐクビになるからだろう、その割には客への応対が非常にまともだ。
「最近のファミレスやコンビニの店員はなっとらん」と言われる方は、いったいどこを見てそう思っておられるのだろうか。

最後に、どうしても書いておきたいことがある。
ある週刊誌の連載コラムで、このファミレス敬語がとりあげられていた。
筆者はこのおかしな日本語には非常に厳しく、ひとつひとつ突っ込みをいれながら、乱れを指摘していた。
それは別に構わないのだが、結びの部分で「こうした言葉を使う若者は、育ちが悪いってことでしょうね」という表現があった。

これはダメである。
もちろん筆者氏が言いたいのは「親や周りの大人の指導しつけがなっとらん」ということなのだろう。
それを言い表すのに「育ちが悪い」という下品な言葉を、出版物上で使ってしまう品のなさがとてもイヤだ。
今時の若者の言葉が気に入らないなら、「我々大人が正しく指導してやるべきだ」で結論付けすれば済むことだ。

例えば一般人がネット上の掲示板で使うとか、居酒屋で酒飲みながら口にするとか、そういう場面ならばまあ許される範疇だとは思うよ。
でも金もらって週刊誌に文章寄せる時に、「育ちが悪い」は品がなさ過ぎだろう。
筆者氏本人はさぞかし痛快なのかもしれないけど、こんなの「1万円からお預かり」よりずうっとタチが悪い。
他にも「親の顔が見たい」「お里が知れる」といった、本人の出自までもを問うような表現を、公の出版物で使用することは良くないと思うけど、いかがでしょうか?

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聴いてない 第5回 ジェフ・ベック

ヤードバーズというグループに在籍していた歴代のギタリストを、よく3大ギタリストなどと言う。
参加した順番にクラプトン、ベック、ペイジだそうだが、この中で自分がもっとも聴いてないのがジェフ・ベックである。

今回は理由を考えようにも、なかなか思いつかないのだが、強いて言えばこんなところだ。
・基本的にインストよりもボーカルのある曲が好き

とすると、歌うクラプトンは聴くけど、歌わないベックは聴かない、となるのだが、ペイジだって歌わないよなぁ。
ベックの曲全てがインストってわけじゃないし。

クラプトンのソロは何曲か知っており、クリームのベスト盤も持っている。
ツェッペリンはCDは一応持っているし、初期の作品は割と好きだ。
ペイジのソロやファームは聴いてないが、カバーデイル・ペイジやペイジ&プラントといった90年代のペイジ系ユニットは聴いている。
でもベックのものはなぜかあまり聴いていない。

自分が一番ベックに接近したのは80年代半ばである。
(こう書くと実際にベック本人と会ったりしてるような感じだが、もちろんそんなことはあり得ません)
「Flash」というアルバム(確かナイル・ロジャースがプロデュース)を発表したころで、「People Get Ready」はチャート上位に登場した。
この曲はロッド・スチュアートのボーカルなのだが、二人が仲良く出演していたプロモ・ビデオを憶えている方も多いと思う。
同じ頃ロッド・スチュアートの「Infatuation」という曲にもギターで参加していた。

この「Flash」発表当時、エアチェックマニアの必須アイテム雑誌「FMステーション」に、ベックのインタビュー記事が載っていた。
久々のリリースに、記者が理由をたずねると「銀行の残高が少なくなったからさ」と冗談を言っていた。
「案外おもろい人やん」と思った記憶がある。

またFMステーションには「3大ギタリストのファミリーツリー」が載っていて、こういう情報集めが大好きなワタシは早速切り抜きにして保存した。(今も持ってます)
で、そのツリーを見て、かつてベックはコージー・パウエルやヤン・ハマーといったメンバーと活動したり、ハニードリッパーズのようなスーパーユニットを組んだりしていることを知った。
「ジェフ・ベックはスゴイ(よくわからんけど)」と思ったりした。

また86年だったと思うが、カルロス・サンタナとスティーブ・ルカサー、ベックの3人が日本で野外公演を行ったことがある。
この模様はテレビで見た。(確か放送は深夜だった)
ビッグ・ネーム3人の夢の共演にそれなりに興奮もしたのだが、いかんせんベックの曲を知らない。
サンタナの曲も知らないから、「知ってる曲がない・・」と寂しい想いもした。
(そう感じたならとっとと聴けってか)

こうして80年代にポップな方面にアプローチしてきたジェフ・ベックについて、ファミリーツリーで勉強はしたにも関わらず、「では昔の作品を聴いてみましょう」という気にはならなかった。

自分が次にベックに接近したのは90年代末である。
「オーディオ・フェア」というイベントをご存じだろうか。
日本オーディオ協会主催の音響製品展示会なのだが、以前は廃盤即売会が同時開催されていたのだ。
(現在は「A&Vフェスタ」と名を変え、廃盤即売もなくなった。非常に残念。何とかしろよ)

そこでベックのアルバム「ワイアード」を仕入れたのです。
しかもCDでもLPでもなくMDなのだが。
廃盤即売会で仕入れたので、たぶんもう売ってません。
で、1回聴いたのだが、「う~ん・・」という感じで、「おおこれはいい」とは思わなかった。
やはりボーカルのあるアルバムから入らなかったのが、良くなかったのかもしれない。

自分のベックに対する取り組み?は以上です。
やっぱり全然聴いてねぇな・・・すいません。

ロックの世界にすばらしいギタリストはたくさんいるけど、一人で客を呼べる人はそう多くない。
クラプトンやジェフ・ベックは間違いなく一人で客を呼べるギタリストだろう。
(ペイジは違うような気がする)
またグループやユニットとしての交友にしても、むしろベックこそが最も多くのアーチストとともに作品を作ってきたのではないか?
そう思うと、別に3人を同列に扱う必要はないが、なんだかベックだけ聴いてないことが、損しているような気がしてきましたね。
できればボーカルのある曲から勉強してみたいと思います。


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聴いてない 第4回 キング・クリムゾン

プログレ界の大物バンド、キング・クリムゾン。
ところが実は1曲も知らない。
そもそもプログレという分野自体にあまり明るくないのですが、キング・クリムゾンについてはホントに聴いてません。
何をもってプログレと言うのか、定義すらよくわかってないのだが、それでもイエスやELPなら1曲は知っているし、ピンク・フロイドはベスト盤だけどCDは持っている。
だがキング・クリムゾンだけはなぜかずうっと聴かないままで今に至っている。

聴いてこなかった理由その1。
・ジャケットがこわい
なにせ聴いてないんだから、印象と言えばアルバムジャケットしかない。
「クリムゾン・キングの宮殿」というジャケットの絵は、2ちゃんねるじゃないけど「うわぁぁぁぁぁぁぁ」っていう絵だよね。
曲名もなんだかすごいしなあ。

理由その2。
・友人の勧誘に共感を覚えなかった
かなり昔のことだが、実は「聴かされた」ことはあるのだ。
プログレが好きな友人の家に遊びに行った時、友人はイエスやらELPやらを次々とかけた。
その中にキング・クリムゾンもあったはずだ。
「この壮大な感じの組曲がいい」
「この曲のこのパートがいい」
「この音はグレッグ・レイク」
などといろいろ解説をまじえて勧めてくれるのだが、どうも自分の好みの音とは違うよなあ・・・と思った。
(どんな音だったのか、もはや思い出せませんが。)

友人「この曲の、ここがいいよ。ここ。ここ聴いてここ」
・・・・・ぺん・・・・・
(注:弦をはじく音)

友人「な?いいだろここ。な?」
自分「・・・・・・」
などといったかみ合わない会話?が続いたのだが、結局最後まで興味はわかなかった。
「プログレって、難しそう」と思った。

かと言ってプログレ全般を遠ざけていたわけでもなかった。
ピンク・フロイドのCDを買ったのは、「吹けよ風、呼べよ嵐」を知っていたからだ。
知っている人は知っているが、この曲はブッチャーのテーマソングである。
イエスは「Owner Of A Lonely Heart」だけは知っている。チャートに登場したからだ。
エイジアは初期の3作目まではアルバムはかなり聴いた。
(エイジアをプログレに含めることに抵抗がある方もおられると思いますが。)
ヒットしたからというのもあるけど、ジョン・ウェットンのボーカルがわりと好きなこともある。
基本的にはチャートに沿ってミーハーに聴いていたのだ。

ネットでキング・クリムゾンを検索すると、ファンが作るサイトがたくさん出てくる。
ファンサイトはどれもかなり凝っており、全曲解説や活動記録を綿々と綴ったものなんかも珍しくない。
コアなファンが多いということでしょうね。
ただ女性ファンは少ないような気がするけど。

グループについての知識と言えば、ロバート・フリップが中心人物であること、イアン・マクドナルドやグレッグ・レイクがいたことくらいは押さえてある。
活動期間より休止期間の方が長いという話だが、メンバーチェンジも激しいらしくて、人物考察としてなら、相当おもしろい話がたくさんありそうだ。

イメージとしては難解で重く暗い音が延々続く、といった感じなのだが、実際そうなんでしょうか?
少なくともデートの時にクルマで聴く音楽ではなさそうだ。
聴くのに「ある程度の学力を必要とする」ような、そんな感じ。

ということで、聴いてないキング・クリムゾン。
聴くとしたら、体調の良い日を選んでトライしてみます。


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箸と説得力

先日日テレの「バンキシャ!」という番組で、早稲田実業初等部のいわゆるお受験がとりあげられた。
寄付金350万円を学校側が親にあからさまにもちかけたとか、あの話である。
大して興味もない話題だったので、ぼんやり画面をながめていた。

番組では実際の受験問題を出演者に体験してもらうという展開になった。
皿に入ったビーズのようなものを、制限時間内に箸を使って別の皿に移すという、なんだかTVチャンピオンみたいな問題である。
菊川怜は大騒ぎしながらもなんとか移し終えた。
ゲストの2人はうまくできなかったようだった。

「ワセダもくだらないことさせるなあ・・」と思いながら見ていたが、あることに気がついた。
ゲストの桐島洋子の箸の持ち方が、明らかにおかしいのだ。
要するにヘタクソな持ち方の見本なのである。
あれじゃあビーズなんか掴めるはずもない。

制限時間が来て、福沢アナが「どうですか?桐島さん」とコメントを求めた。
桐島洋子は「ワタシは指で掴むやり方で評価したいですねえ」というようなコメントを返した。
意味不明だ。全然コメントにチカラがなかった。
桐島洋子は明らかに動揺しているように見えた。
彼女は「実は箸をうまく使えない」ことを自覚しているに違いなかった。

菊川怜は「こんなのやって何になるんですかねえ?手先の器用さを見るんですか?」などと言い、テストの意図がわからないようだった。
妻は画面を見ながら言った。
「あれは手先の器用さを見るんじゃなくて、親がきちんとしつけているかどうかを見るんだよ」
その通りである。
時間内に全てのビーズを移し終えるかどうかは、あまり重要ではない。
きちんと箸が使えているかどうか、親がそれを子供に教えているかどうか、そこがテストのポイントなのだ。

桐島洋子がどういう人なのか、あまりよく知らない。
が、評論家・ジャーナリストといった紹介のされ方で通っている人物のはずだ。
ましてや今回の番組でとりあげられる話題は教育問題であり、だからこそ局側は桐島洋子を呼んだのである。
桐島洋子自身も出演する以前に当然わかっていたはずだ。

その映像の前後をきちんと見ていなかったので、今回の放映での桐島洋子の役割はよくわからない。
が、教育問題を評論する場面において、その評論家が箸も満足に使えないとは・・・
どんな考えをお持ちの方かは知らないけど、どれだけ高尚な意見を述べても、この箸の持ち方で説得力は半分以下になってしまうような気がした。

特別な事情でもない限り、箸の持ち方がおかしい場合は、矯正すべきだと思っている。
「食えりゃいいじゃん」「個人の自由でしょ」は言い訳である。
正しい持ち方でなければ箸として機能しないし、落としたりこぼしたりで食べ物を粗末にすることになる。
何より美しくない。
「親のしつけがなってない」のは理由のひとつだが、それは子供の話。
大人になっても正しく持てない場合、それは本人の問題である。
「直そうとする意志がない」だけだ。

かくいう自分も、実は中学生のころ矯正したクチである。
我が家はどうも親が無関心だったらしく、姉は未だに桐島洋子型だ。
自分の場合は、友人が見かねて矯正したのだ。
それまでは桐島洋子よりもずうっとヘタクソな持ち方だったのだが、一週間くらいで案外簡単に矯正できた。

そう、「正しい持ち方」は「最も使いやすい持ち方」でもあるのだ。(当然ですね)
その気になればどんな年齢の人でも、矯正は可能だと思う。

桐島先生、今からでも全然遅くありません。
今すぐ正しい持ち方に直した方がいいですよ。

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