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エアチェックの夜 15

第15回 人間 2001.8.23


POPS55 1986.12.13

Amanda/Boston
When The Wind Brow/David Bowie
Change Of Heart/Cyndi Lauper
Somebody/Glass Tiger
All I Wanted/Kansas
Hollyanne/Boston
Dancing With My Mirror/Corey Hart
You & The Night/Saga
Human/Human League
We Are Ready/Boston
At This Moment/Billy Vera & The Beaters
Princes Of The Universe/Queen
Typical Male/Tina Turner
Glory Of Love/Peter Cetera
Nikita/Elton John


「事態をあいまいにするのは日本人の悪いクセ」とよく言われる。
納得している日本人も多い。「確かにそうだよね」と多くの日本人は思う。
しかし改まる気配もそれほどないような気がする。
これは日本人独特の宗教観に根ざした傾向だからだ。

生まれた時はお宮参り、死んだ時は寺で葬式。
最近じゃ結婚式は教会でなんてのも全然珍しくない。
多くの日本人は、宗教に関しては悪く言えばいい加減、良く言えば寛容なのだ。
これは実は非常に大切なことで、自分は日本の伝統として守るくらいの扱いでもいいと思っている。
外国から見れば非常に奇異なことなのかもしれないが。

宗教の信仰そのものを否定するつもりはない。
ただし、宗教でも理念でもそうだが、観念が固定すると排他的になる傾向が強い。
世界規模で見れば、宗教の違いは必ず闘争を生んでいる。
(実際の宗教的対立構造は裏に経済問題がからむことが多いのだが。)
これはよくない。
神様を信仰するのは大事なんだろうが、始終それにとらわれて排他的になることもどうかと思う。

人間は普段は神からは自立すべきなのだ。
日本にはそれを言い表す言葉がちゃんとある。
「困った時の神だのみ」。

感謝の心はあってよいが、年がら年中神様にすがるのもよろしくない。
神様を「親」、人間を「子供」に置き換えるとわかりやすい。
親に感謝する気持ちは大切だが、年中親のことばかり考えていては自立できない。

また人間はカミサマじゃないから、必ず過ちやボケたことをしでかす。
そもそもそういうもんなのだ。
もちろん過ち全般を肯定するわけでもなく、正しくありたいのが理想なのもわかる。
しかし「人間常に正しくあるべし」が発展しすぎると不幸に変わることもある。

いつもいつも親切な人がいる。
一般的には「いい人」である。
しかしその親切が迷惑な場合だってある。
でもその人が「いい人」なので、「迷惑です」と言いづらい。
その人が「いい人」だから、これは「タチが悪い」。

いつもいつも正しい人がいる。
いわゆる「正論」を唱えて自信に満ちている。
確かに正しいから、周囲は反論もしないし、従うしかない。
しかし「不平不満」は起こっている。
でもその人は「正しい」から、誰も何も言えない。
結果、「正しい人」は孤立し、連帯は崩壊する。
これも「正しい人」が故に「タチが悪い」。

「農家の婿」という例え話がある。

ある農家に2人姉妹がいた。
父親以外に男手のない家だったが、姉妹それぞれに婿が来た。
姉のほうの婿はよくできた公務員で、朝昼晩仕事の合間に畑を手伝い、両親に気に入られた。
それに対して妹の夫は、普通の人だった。
普通の人だが、姉婿ができた人だったため、どうしても親から見ると比べてしまう。
両親は妹やその婿につらくあたるようになった。
そのため姉妹の仲も悪くなり、また妹夫婦もうまくいかなくなった。
姉婿が「いい人」だったがために、この農家は崩壊した。
姉婿自身、自分が悪いとはみじんも思っていなかった。
もちろん姉婿も妹婿も、どちらが悪いわけでもない。
もしも姉婿が「普通の人」だったら、この農家は壊れなかった。
故に、タチの悪い話である。

「いい人」「できる人」「正しい人」は、それ自体は素晴らしいことだ。
ただそれを他人にも強要し始めると、かなりタチが悪いことになる。
欠点だらけの自分には、言えることではないのかもしれないが、スキのない人はつまらないものだ。
結構しっかりしてそうに見えて、案外スキのある人は魅力的である。
そう、スキのないのはカミサマだけで充分なのだ。

思想や理念や正論は、度がすぎると災いを呼ぶ。
信仰も同じだと思う。
信仰は個人の自由だが、他人に強要しはじめると、それは不幸につながるのだ。

繰り返し言うが、人間はカミサマじゃない。
普段はカミサマのことなんか忘れていていいのである。
困った時、感謝したくなった時に、自分なりの方法でカミサマに伝えればよい。
それが神社だろうとお寺だろうと教会だろうと、全く構わない。
「あいまいな日本の私」は、この適当な日本人の宗教観が好きである。


ヒューマン・リーグは80年代に登場した英国エレポップバンドだ。
86年にその名も「ヒューマン」という名曲を発表する。

 「僕だって人間なんだ/肉や血でできてるんだ
  僕だって人間なんだ/間違うことだってあるさ」

人間は欠点があるから、お互い引かれ合うものだ。
恋愛経験の乏しい自分だが、これだけは言える。
男女間のつきあいにおいて、「相手にスキを見せない」で臨もうとするヤツは、それ自体が間違いなのである。

今日の1曲。特に説明はありません。
ヒューマン・リーグで、「Human」。


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