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エアチェックの夜 21

第21回 ジョージ・ハリスン 2001.12.2


POPS82 1992.10.14

Achy Breaky Heart/Billy Ray Cyrus
November Rain/Guns & Roses
Save The Best For Last/Vanessa Williams
All I Care For/Gotthard
Book Of Days/Enya
Jam/Michael Jackson
TLC/Liner
Too Fanky/George Michael
Handle With Care/Traveling Wilburys
Without Your Love/Bobby Caldwell
Inside Out/Traveling Wilburys
Tears In Heaven/Eric Clapton
Layra/Eric Clapton
If You Don't Love Me/Prefab Sprout
Hung On In There Baby/Curiocity


ジョージ・ハリスンが亡くなった。
先週の時点で、余命1週間の報道があったため、全く突然というニュースではなかったが、やはり残念に思う。
過去何度かアーチストの死についてふれてきたが、ジョージの死は自分にとってどのようなものとなるのだろうか。

新聞記事によってジョージの死を知ったのは今日(12月1日)のことだ。
なので正直まだ整理がついていないという状態である。
自分が歳をとるにつれて、有名人の死は重くなってくる。
今回もそれを徐々に実感することになるだろう。

以前にも書いたが、自分はおそらくポール派である。
ビートルズの曲の中でもポールの曲を好み、ソロ活動もポールしか追ってこなかった。
ただしそれは結果であって、「オレはポール派だ」と自認しながら聴いてきたわけではない。

「ジョンとポールという2つの個性の衝突の中にあって、ジョージは控えめな存在にならざるを得なかった」
「ビートルズ末期から徐々に頭角を現し、解散後はその才能をいかんなく発揮」
「ディランやクラプトンとも親交が深い」
といったあたりが、マスコミで語られるジョージ像である。

ジョージのソロアルバムはほとんど聴いていない。
記憶に残っているのは81年に発表した「過ぎ去りし日々」である。
ジョンに捧げる曲として、リンゴとポールが参加したことで話題になった。
感じたままを言えば、曲自体の評価はとりたててよいと言えるものではなかった。
ただ「ジョンのことを歌い、リンゴとポールが参加した」と言われれば、当時の洋楽ファンとしては、押さえておかなければいけない曲だったのだ。

次にジョージが音楽シーンに登場してくるのは87年頃である。
「セット・オン・ユー」というカバー曲でチャート入りし、ラジオでも「なかなか元気なジョージ」と紹介していた。

自分の記憶にあるジョージの曲はこの程度である。
70年代のジョージを聴いてみることは結局しなかった。
これはジョンも同様である。
やはり自分は、チャートにそれなりにランク入りする、わかりやすいポールを好んで聴いてきたのだ。

90年代のジョージの活動のキーワードは「友人」だったと思う。
トラベリング・ウィルベリーズの結成。
クラプトンを従えての来日公演。
ディランデビュー30周年コンサートの出演。
ビートルズ再結成。
いずれもジョージの交友関係がもたらした成果だ。

ポールがウィングスを結成したのは「交友」とは少し違うと思うし、ジョンのヨーコとの活動とも異なる気がする。
ジョージやリンゴは、自分たちが前に出てどんどん新曲を作っていくことをせず、友人達と楽しくやっていくことを選んだのだと思う。

ジョージは彼の友人達について、雑誌か何かでこう語っていた。
「彼らはボクを元ビートルズとしてでなく、ジョージ・ハリスンとして見てくれている」
ポールもジョンも、解散後には同じ思いがあったかもしれない。
だた、ビートルズの存在を彼ら二人の中に見ないで接するのは、相当に難しいことなのだろう。

ビートルズが3人で再結成され新曲を発表した際、やはり批判的な声もあったらしい。
それに対してポールはこう言っている。
「天下のビートルズだぜ。黙れってんだ」
これはジョージからはたぶん出てこない発言だ。

人は集団で行動する際、それぞれに役割ができる。
それは自然にそうなる場合もあるし、上意下達で固められる場合もある。
個々の性格と相互の相性が、役割を作っていくのだ。
アーチストとしての実績では、ジョージよりもポールの方が上なのは間違いない。
しかしジョージは彼の持つ個性と人柄で、ポールとは異なった豊かな交友関係を築いていったのだ。

今後彼の死を悼む行事が世界中で行われ、追悼アルバムなども発表されるだろう。
おそらくポールやディランやクラプトンをはじめ、ジェフ・リン、トム・ペティ、リンゴ・スター、ポール・サイモンなど、豪華なメンバーによって、何かの行動が起こるに違いない。
それは本来間違いなく天才でありスーパースターのジョージをカリスマ視しての行動ではなく、等身大のジョージを知る、良き友人達による哀悼の表れになるはずだ。

死のあり方を自分で決めることは難しい。
運命というものがあるからだ。
カリスマであるジョンは射殺という伝説的な死をとげた。
ジョージは妻や友人に見守られながら、病院で息をひきとったという。
本人達の意志はまた違ったのかもしれないが、「第三の男」は最期までジョージらしかったと思う。

ジョージの死が伝えられた今日、ある有名なCDショップに行ってみた。
「ジョージの追悼コーナーをビートルズのコーナーに設置しました」と張り紙があった。
ところが店員の書いたコメントのようなものはあったが、それはコーナーと言うほどの規模ではなく、ビートルズのCDとともにソロアルバムが3点ほど並べられていただけだった。
他でもないジョージ・ハリスンの死である。
死の翌日だったためかもしれないが、この扱いは不満だった。

ジョージのアルバムをほとんど聴いていない自分が、彼の死を語るのはおこがましいかもしれない。
だが、やはり、やはり彼の死は残念である。


謎の兄弟によるグループがデビューしました。
ジャケットを見るとどうやら無名の新人ではないようですが、果たして?
トラベリング・ウィルベリーズで、「Handle With Care」。


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