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聴いてない 第3回 ドゥービー・ブラザーズ

知名度はイーグルスにも引けを取らないドゥービー・ブラザーズだ(と思う)が、聴いてませんねえ。
厳密に言うと、2~3曲は知っている。
時代によってメンバーや音楽性にかなり違いのあることが特徴のようだ。

聴いてない理由を分析してみよう。
・どうやら80年代にあまりヒットしていない(というか80年代はバンドとしては休業状態?)
・マイケル・マクドナルドの歌や声があまり好きではない
・知っている曲が見事に時代がバラバラで、バンドの特徴を把握できなかった(ずいぶん小難しい理屈だ)

70年代が彼らの全盛期で、89年に再結成ということなので、確かにリアルタイムで聴く機会は少なかったかもしれない。
70年代の「Listen To The Music」「Long Train Runnin'」、80年代の「Real Love」、再結成時の「The Doctor」が知っている全曲だと思う。
あとはマイケルのソロを1~2曲知っているだけだ。

メンバーの名前も顔もマイケルしかわからない。
マイケルの歌声はファルセット中心ではあるが、太くしっかりしており、雑誌で彼の写真を見るまで、ずっと黒人だと思っていたくらいだ。
ウェストコーストの代表などと言われてるわりに、なんかジャズというかソウルというか、黒っぽい音だなあ・・と思っていたが、まさしくそれはマイケル時代のドゥービーだったようだ。
マイケルのソロもたまたまエアチェックしただけなのだが、曲から感じる印象がどうも薄暗いというか明るくない気がして、それ以降興味はわかなかった。
ここでいう「薄暗い」印象は、ドアーズの「真っ暗」とも、イーグルスの「哀愁」とも違うけどね。(当たり前ですが)
たぶんこれがなじまなかった一番の理由である。

マイケルは84年にはジェイムス・イングラムとのデュエットをヒットさせたらしいが、全然知らない。
どうしてだろう。これって日本でもヒットしたの?
まあジェイムス・イングラムも、「We Are The World」で初めて知ったくらいですから、ムリもないんですけど。

イーグルスも70年代が全盛期で、80年代には解散していて、再結成は90年代半ばになってからである。
そういう意味では似たような運命?をたどったバンドだろう。
ただ自分のような一般人にとっては、死ぬほど有名な「Hotel California」を持っているイーグルスの方が、当然なじみが深い。
イーグルスもメンバーチェンジを何度かしているが、さほど聴いていないわりにメンバーの名前はほぼ全員あげることができる。
自分はもともとそうしたメンバー情報を調べたり覚えたりが好きなほうだが、なぜかその指向がドゥービーには向かなかった。
「マイケル一人知ってりゃじゅうぶん」と考えていたんだろうか。

さて、もしドゥービー・ブラザーズを勉強し直すとすると、マイケル加入前を押さえないといけないのだろう。
どうやら好みも評価も、マイケル以前か以降かで分かれるようだし。
自分はウェストコースト・サウンドを「懐かしい」と思う世代よりも多少年下なのだが、ボブ・ディランよりはとっつきやすいような気がするなあ。


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続・左利きと自動改札

今回はレフティやすおさんそんちょさんが書かれた、利き手に関する問題についての、右利きであるワタシなりの考えを述べます。

偶然にも同じ時期にココログの中で利き手について書かれた方が、自分以外にもふたりもいて、興味深く読みました。

自分は右利きですが、たまたま自動改札は左手を使います。
で、この話に興味がわいたのも自動改札の話を新聞で見かけたためで、もし内容がはさみや急須だったら、何の関心も持たずそれっきりだったと思います。

利き手に関する問題について、レフティやすおさんの言われる「むしろ右利きの連中に興味を持ってもらいたい」とのご意見はごもっともです。
が、簡単ではないと思います。
当事者でなければ問題についてふれる機会も考える動機も少ないことは、内容に関わらず同じです。
飛躍しますが、「左利き」の部分を「車椅子」や「うつ病」「母子家庭」「ホームレス」といった言葉にかえても、現象は同様ではないでしょうか。

そんちょさんのblogへのレフティやすおさんのコメントに、「右利きは融通がきかない」という表現がありました。
これ、たぶん正解です。
正解なんだけど、寅さん流に言えば「それを言っちゃあおしまいよ」じゃないでしょうか。

もし本当に利き手の問題を右利きの連中に考えてほしいとするなら、こうした意見を表現してしまうことこそが、その目的を遠いものにしてしまう可能性があります。
融通のきかない連中に、「おまえら融通きかないんだから少しはわかれよ」と言って、理解してもらえるかどうか?
右利きで融通のきかないワタシは自信がありません。

自分が自動改札のコラムで「ん?」と思ったのも、筆者が「左利きなんだから自動改札は使いにくい」という「固定した考えでいる」ところにあります。
「左利きだから」じゃなくて「あんたが」使いにくいだけだろ?それを左利き全員を味方につけたような物言いはおかしくねえか?って思ったのですが。

つまるところ利き手と融通のなさ・固定観念には、傾向こそあれ、最終的には個々の問題と思います。
右利きでも柔軟な考えのヤツはいるでしょうし、左利きのわりに頭の固い人も絶対いないというわけではないでしょう。

で、実際の問題として、自動改札に限りますが、左側に通す機械があれば、たぶん自分のような変な右利きにとっても、使いやすいかもしれません。(今は現実には存在しないからわからない)

問題はやはり「左側に通す改札機」が「全然ない」ことでしょうね。
10台あって1台でもそうした機械があれば、だいぶ違ってくる気がします。
高速の料金所の左ハンドル用みたいなもんかな。
数が少ないのはしかたがないけど、「全くない」ってのはやはり不親切なんでしょうね。

また左側改札機は利き手の問題だけでなく、いわゆるバリアフリーにもつながっていくのではないでしょうか?
少し考えたのですが、最近駅には車椅子の通り抜けなどを考慮した、多少間口の広い改札があります。
これを「左右どちらからでも入れられる機械」にすれば、けっこう便利と感じる人は多いんじゃないでしょうかね?
車椅子の人だって左に機械があったほうが使いやすいと思ってる人は必ずいます。
右利きだけど右足が不自由でつえをついてる人や、ワタシのようなひねた右利きも、もちろん左利きで90度カラダひねってる人も、こんな改札があれば便利だと感じるんじゃないでしょうか。

役所や鉄道会社に働きかけるとしても、「左利きのため」だけでなく、「様々な人が左側改札機を望んでいる」という理由をつけた方が、現実的だと感じます。
右利きなりに、こんなことを考えました。いかがでしょうか?

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左利きと自動改札

自分は右利きである。
手も足も目も耳も、全部右だ。
左利きの人にとって、右利き中心にできている世の中では、不便なことが多いようだ。
はさみやカッター、急須やおたまなど、右利きには気づきにくいようなものが、左利きには不便だそうだ。

先日そんなコラムを新聞で目にして、文字通り他人事で申し訳ないけど、「そうかぁ・・大変だなあ」などと思った。
ところが読んでいくうちに、おや?と思わせる記述があった。

コラムの筆者は当然左利きなのだが、「駅の自動改札を通り抜ける際、左手で切符や定期を機械に通すため、からだを90度近くもひねって不自然なかっこうで通り抜けさせられ、不便極まりない」とのことだった。
正直、「バカじゃねえの?」と思ってしまった。
左手で自動改札に切符を入れることが、そんなに不自然な体勢を強いるもんだろうか?

「オマエは右利きだからわからないんだ」と、左利きの方は思われるかもしれない。
しかしだ。聞いてくれ。
自分は右利きだが、自動改札に切符や定期を入れる手は100%左手である。
なぜか。「右手は荷物を持つ」手なのだ。
「左手で荷物を持つ」方が、自分にとっては不自然な体勢である。

通勤で乗り換えも1回あるため、1日合計8回自動改札を通るが、絶対左手だ。
「左手で入れる」ことが不自然だと思ったことはない。
たぶん手ぶらの場合も、左手を使うはずだ。
90度カラダねじったりなんかしない。

はさみや急須が使いにくいのは、わかる。
自分でも左手で使えば不便なことは体感できるからだ。
ただ自動改札に対しては、左手で入れるのがそこまで不満かよ?と、思わざるを得ない。

・・・と思ったところで、左利きと自動改札について、インターネットで検索したら、かなりの数のサイトにヒットした。
「左利き用改札を作ってほしい」はわかるけど、「左利きイジメだ」「後ろ向きに通ろうかと思った」なんて意見もあって、こんなに困った問題だったんですねえ・・ひゃー。

また自分と同じように「右手に荷物、切符は左」という右利きの人もいるらしく、「自動改札は右利き用に作られている」という左利きの方の見方は、実はそうでもなかったりするんじゃないかなあ。
全部左側に入れるように変えた方が、どちらにとっても使いやすくなったりするかもしれない。

結局、個人差があると思う。
左利きでも別に自動改札くらい何とも思わない人だっているはずだ。
件のコラム筆者氏は、カラダがカタイだけなのか、改札通れないくらい腹が出てるのか知らんけど、彼個人の感想を「全国の左利き代表として言わせてもらう」という勘違いな姿勢でいるだけじゃないかと思います。

ちなみに自分はビンの蓋を回して開ける時も、蓋を握るのは100%左手です。
これも別に左利きっぽいわけでもなんでもなく、「握力の強い右手でビンの腹をしっかり掴んで固定するから」なのだ。
「不便」を感じることは全くない。
これって、やっぱ左利きの人からすると、「ビンも右利き用に作りやがって・・」って思うのでしょうか?

実際左利きの人の中で「自動改札は不便だ」と思う人の割合は多いのかもしれないけど、「左利きなんだからな。不便なんだからな。90度カラダねじってんだからな」って言われると、オール右(ただし改札は左手ね)のアタシなんかは「そこまで怒らなくても・・」と思いますが。
どうなんでしょうか?

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聴いてない 第2回 ブライアン・フェリー

さて、今回はブライアン・フェリーである。
聴いてませんね、ほとんど。
ロキシー・ミュージックを含めて、全くと言っていいほど聴いてない。
ジャケットの絵は見覚えがあるアルバムもあるから、リアルタイムでも聴けたはずなんだけど、なぜか聴いてません。

聴いてこなかった理由を分析すると、
・流行っていた当時まだコドモだった(精神的に)
・いわゆる産業ロックの範疇ではないと判断
・1曲エアチェックしたが気に入らなかった
という感じかなあ。

ずいぶん前に、テレビで「Jealous Guy」を歌うブライアンを見たけど、あまり感動もなくそのままぼーっと見ていた。
ただ白いシャツにノーネクタイで歌っていた姿は、印象的で記憶には残っている。

雑誌なんかで見る限り、ブライアン・フェリーって笑顔がほとんどない気がする。
ホントに笑わない人かどうか知らないけど、マスコミの側もそうしたイメージの人!ってのを固定して報道してんじゃないかね。
この人を紹介する時に必ずつきまとう「ダンディ」という形容。
長髪・タバコ・ストライプのシャツ・ゆるめたネクタイなんて小道具が似合いそうな、胃とか肝臓とか悪そうな、そういうイメージの写真ばっかりではないでしょうか。ホントかどうか知らないけど。

バンドとしてのロキシー・ミュージックとはどう違うんだろう?
少し調べてみたら、ブライアン・イーノといっしょにやってたんですね。
関係ないけど、Windowsの起動時の「ちゃん・・・ちゃん・・」ってWAVEファイルは、イーノの作品だそうだが。

結局このダンディなイメージあたりが、なんか自分の好みとは違う、別の世界だと思っていたんだろう。
「The Chosen One」という曲だけ聴いたことがあるが、写真のイメージそのままの曲だった。
今でもそうだが、ブライアン・フェリーを楽しめるほど、自分はオトナじゃないってことだと思う。

さて、ブライアン・フェリーを勉強するにあたっては、どのあたりがよいのだろうか。
オトナのみなさん、ご指導よろしくお願いします。


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聴いてない 第1回 ボブ・ディラン

のっけから大物で非常に恐縮です。
すいません、聴いてません。

もちろん何者かくらいは知ってるつもりだ。
94年頃だったか、デビュー30周年コンサートがテレビで放映された。
その時の音はテープに録ってある。
これもディランに興味があったわけではなく、コンサートに出演した他の人を見たかったからだ。
クラプトン、ジョージ・ハリスン、トム・ペティなど、豪華な顔ぶれだった。
ディランの歌に接したのは、このコンサートと、U.S.A. For Africaと、トラベリング・ウィルベリーズのアルバムしかない。

聴いてこなかった理由は、
・80年代はチャートに登場しなかった(気がする)
・声質があまり好きではない
・目つきがコワイ
あたりだろうか。
「トム・ペティだってそうじゃねえか」と言われそうだけど、トムの場合多少チャートインしてたことと、ジェフ・リンの音が意外にワタシ好きなんですね。
だからトラベリング・ウィルベリーズも聴いてたんですけど。

まあ「聴いてない」に大した理由なんかありません。
ロックやチャートとは少し違う世界のヒトかもしれんが、こうして「聴いてない」ことを宣言するのをやや躊躇するクラスのアーチストだよねえ。
一応今だって現役なんだし。

いい曲作るヒトだということは、少しわかる。
スティービー・ワンダーの歌う「風にふかれて」や、クラプトンの「天国の扉」なんかはいいなあと思う。
「見張り塔からずっと」ってディランの曲だっけ?
これもニール・ヤングやU2が歌うと、いい曲だとわかる。

かなり有名な日本の3人組バンドと、その昔ともに活動していた人が知り合いにいるが、その人曰く、
「ディランは確かに声も変だし歌もうまくない。ただ作る曲はものすごく美しくて、こんなきれいな曲を作る人がいるのか・・と感動したおぼえがある」そうだ。
なるほどねえ。

というわけでボブ・ディラン。
どのあたりから勉強すればよろしいんでしょうか。
お勧めがあればぜひ教えてほしいと思います。


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聴いてない 第0回

80年代を中心に、それなりに長い間数多くの曲(洋楽)をエアチェックして聴いてきた。
テープの本数は130本くらい、曲数は2000以上あるだろうか。
基本的にチャート指向なので、流行っていればたいがい聴いてきたつもりだが、それでもやはり偏りはあって、「そう言えばこのヒトの曲ってほとんど聴いてない・・」というのもある。

有名なアーチストについて、「実は聴いたことないんです」と公開するのは意外に勇気?がいる。
名作と言われる小説を「お恥ずかしいことですが実は読んでません」と言うのと同じような感覚である。
反対の場合もありますけどね。
「お恥ずかしいことですがこんなの聴いてます」ってヤツ。
まあそれはまたの機会に。

世の中に音楽評論は無数にあるが、基本的にはその音楽を聴いて評論する。
当たり前だ。聴いていないものを評論することはできない。
「こんな音楽を聴いてきた」という文章はあるだろうけど、「実はこんな音楽は聴いてない」という文章は、あまりないはず。だから当たり前だって。

で、この度改めて「聴いてない」アーチストや名盤を並べてみて、少し勉強し直そうかと考えている。
「公開する前に聴けよ」って突っ込まれそうですけど、こういうきっかけでもないと、今から勉強しなおしってなかなかできないと思うし。

「聴いてない」ことを公開すると、「これがいいよ」と勧めてくれる人が、やっぱりいるんじゃないかな?
例えば新宿西口で「オレは実はビートルズを聴いたことがない」って宣言したら、1分後にはあちこちからいろんな人がわらわら寄ってきて、「キミそりゃまずいよ。とりあえず赤盤からでいいから聴いた方がいい」なんて言われるような気がする。

もし逆の立場だったら、どうだろうか。
例えば若いリスナーが「ポリスって聴いたことないです。スティングは知ってるけど」なんて言ってるのを見たら、きっと「じゃあポリスのファーストから聴くといいよ」って、つい言ってしまいそうである。

そう、ロックが好きな人って案外そういう場面では親切だったりするのだ。
その昔FROCKLのチャートポップス部屋に参加してたことがあるが、ここの人たちはホント親切だったよ。

誰からも反応ないかもしれないけど、意見やお勧めしてくれる人があれば、素直に耳を傾けてみよう。
いったいどんなことになるのか、どんな勉強ができるのかわからないが、私の「聴いてない」を公開することにします。
バカな企画だなあ。

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エアチェックの夜 28

第28回 MD 2002.6.16


POPS123 1999.1.1

Bandstarter/Brainpool
A Thousand Times/Sophie Zelmani
Celia/Sopia Kallgren
Andas Fritt/Irma
Always You/Sophie Zelmani
Mindre Smakar Mar/Bo Kaspers Orkester
The Power Of Good-bye/Madonna
No Rain/Blind Melon
Come Back Darling/UB40
One Week/Barenaked Ladies
Another One Bites The Dust/WYCLEF JEAN
Because Of You/Dexy's Midnight Runners
Inside Out/Eve6
Fire Escape/Fastball
Lullaby/Shawn Mullins
Kiss The Rain/Billie Myers
Never Ever/All Saints


この曲目リストは、20年かけて作ってきた洋楽オムニバステープの最後のものである。
全123本で、総曲数は1500を超えている。
この後も作ることは可能だが、最後としたのには理由がある。
この年、MDデッキとMDウォークマンを購入したためである。

カセットテープの耐用年数はどれくらいか知らないが、物理的に切れれば寿命である。
123本の中で実際に切れたものはない。
これは繰り返し聴いてきたことが長持ちにつながったと思っている。
また保管にもそれなりに気を使っていたことも、長持ちの一因だろう。
ケースには必ず入れていたし、積み重ねておくようなこともしなかった。
車の中に置いたままということだけはしないようにしていた。

20年はとりあえず持ったが、この先はわからない。
まだ聴けるうちに別のメディアに移しておく必要があると考え、MDを買うことにした。

テープからMDに曲を落とす作業は、思いの外時間がかかった。
単純に計算しても123時間。
連続で行えば5日だが、現実にはそんなにヒマがあるわけでもない。
休日を利用しながら週に1~2本ずつ作っていったが、全部落とすのには2年以上かかった。
それでもその間もテープが切れるようなことはなく、MDに落とした現在もテープ自体は捨てずにとってある。

MDの、メディアとしてのテープに対する優位性はいろいろあるが、編集が可能なことが一番大きい。
テープに一発録りでエアチェックしていた頃は、とにかく編集できないことにいらだちを覚えたものだ。
数曲まとめて録音した場合、途中の曲は気に入らなくても消すこともできない。
MDならどんな曲順にも編集可能だし、気に入らない曲は簡単に消すことができる。
「こんな便利な道具が当時あったら・・」とMDに曲を落としながら何度も思った。

85年6月頃録ったテープ(34本目)には、誤って曲紹介のトークの一部まで録音してしまった箇所があった。
メン・アット・ワークの「Everything I Need」という曲だったのだが、「メン・アット・ワークで」という部分だけ誤ってポーズボタンを解除して録音されてしまい、その後このテープを聴く度にがっかりしたものだ。
MDは曲ごとの消去はもちろん、消去するポイントも0.1秒以下の単位で調整できる。
デッキによって機能は異なるのかもしれないが、買ったデッキではジョグダイヤルで調整が可能だ。
こうなるとメン・アット・ワークだろうが何だろうが、不要な曲やトークは完全に制圧できた。
15年経って「メン・アット・ワークで」をMD上で消すことができた時は、積年の悩みが解消できた感動で、デッキの表示が涙でかすんで見えなくなったものです。(大うそ)

ただ、全てのテープにおいてトークを徹底的に排除してきたわけではない。
この123本のオムニバス作成においては、トーク排除にこだわってきただけである。
ライブ番組や新譜特集などは、解説トークなども録音してあるものも多い。
深夜にタイマーで番組丸ごと録音したヤツはCMまで入っている。
これがたまに聴くと結構なつかしくていいんだよね。

いずれにせよ、皮肉なことにMDというエアチェックに最も適した道具を買った時には、エアチェック自体が自分的にも世間的にもすっかりすたれてしまっていたのだ。
ポーズボタンに神経を集中させたり、テープの残りを気にしながら必死に曲が途切れないよう神様に祈ったりといった苦難があったからこそ、20年も続いたのだろう。
「次のテープはもっと良くなる」ことをいつも期待しながら、いつの間にか100本を超えていたのだ。

元の音源はFMラジオを録音したテープなので、MDに落としても当然音質が悪いものもある。
同じ曲でCD音源がある場合は、CDからMDに録音しなおして差し替えたりもした。
ところが聴いてみるとどうもCD音源になじめない。
ノイズもふらつきもないし、これが本来の音のはずなのだが、耳がラジオとテープのアナログ音源に慣れてしまっているのか、違和感がありまくりなのだ。
MDを電車の中で聴くと、テープ音源の曲の方がCD音源の曲よりも聴きやすいのだ。
「良く聞こえる」「細かい楽器の音も聞き分けられる」気がするのである。
正直、聴力はあまりいい方ではない。
また電車の中は鑑賞するには最悪の環境だ。
(しかもMDウォークマンである)
比較自体にムリがあるのだろうが、この感覚は今でも変わっていない。

同世代であれば、メディアの変遷に驚いているのは異論のないところだろう。
再生メディアではCDがあっという間にアナログディスクを追い越していった。
しかしそれ以上に驚くのは、カセットテープの息の長さではないだろうか?
一般家庭でのオープンリールテープデッキの使用は、70年代後半にはほとんどなくなっていたと思う。
つまり25年以上にわたり録音メディアとして使用されてきているのだ。
その昔「Lカセット」という、カセットより少し大きめのメディアが登場した
ことがあった。
オープンリールとカセットの両方の良い点を備えたメディアとして話題になったが、全く普及しなかった。
他にも高級オーディオ用メディアでDCC・DATなどがあったが、結局一般向けには普及していない。

あとどこかのテープメーカーが発売した、カセットテープのハブの部分だけのヤツ。
カセットの枠の中から、テープをハブごと取り出して差し替えて聴くという、結構大胆なしくみである。
(確か商品名はコロカセだったと思う)
この説明だとわかりにくいが、まあ小さなオープンリールテープのような感じだった。
「場所をとらない」ってふれこみで発売されたのだが、かえってあまりにも小さくて扱いにくく、全然売れなかったようでした。

いずれにせよ、そういった他のメディアの台頭を許さず、究極の汎用磁気テー
プメディアとして、(弱っては来たけど)カセットテープは今も生き続けているのだ。
これってすごくないスか?

それでもMDは便利な機械だ。
今はもうFMラジオから音楽を録音するヤツなんかいないだろうけど、そのうちラジオからMDへのエアチェックをしてみようかと思っている。

最後のテープは、エアチェック(ビデオ音源)とCDから録音した曲がほぼ半分ずつである。
もはやアーチストについての情報もほとんどなく、曲への思い入れも希薄だ。
それでも最後のエアチェックとして、無理矢理紹介してみようと思う。

紹介するのはショーン・マリンズ。
日本でもそれほどなじみのあるアーチストではないだろう。
アトランタ出身で長くインディーズで活躍してきたらしい。
98年、「Lullaby」という曲が全米で大ヒットし、一躍有名になった。
それ以外に何の情報もないのだが、ビデオクリップからテープに音を落としたので、映像は比較的記憶に残っている。
車のライトが行き交う夜の道路のそばで、アロハシャツにギター姿のショーンがスローで歌う。
歌もサビ以外はほとんど低い語りで音程はない。
ビデオクリップにしては照明も不充分だし、これといった演出もなく、ただ演奏するショーン。
夜の暗さがそう思わせるのかもしれないが、何と言うか哀愁に満ちた映像なのだ。
「全てがきっとうまくいく・・」といった意味の歌詞なのだが、「本当かよ?」とつっこみたくなるような、不思議な映像である。
それでも曲は悪くなく、印象に残る、繰り返し聴きたくなる1曲である。

日本で今このクリップを目にすることは少し難しいかもしれません。
機会があればぜひ聴いてみて下さい。
ショーン・マリンズで、「Lullaby」。

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エアチェックの夜 27

第27回 オアシス 2002.3.25


POPS119 1998.1.3

Open Arms/Mariah Carey
Tell Me/Boston
Love Is Strange/Everything But The Girl
Higher Power/Boston
All About Soul/Billy Joel
Love Is A Wonderful Thing/Faitima Rainey
Semi-Charmed Life/Third Eye Blind
I'll Be Missing You/Puff Daddy
To Make You Feel My Love/Billy Joel
Somewhere In The World/Swing Out Sister
Falling In Love/Aerosmith
MMM Bop/Hanson
Bitch/Meredith Brooks
Young Boy/Paul McCartney
Stand By Me/Oasis


90年代になってから、エアチェックもしなくなり、チャートにもついていけなくなった。
つまり新しく「仕込んだ」アーチストというのがほとんどない。
(ちなみに2000年以降その傾向はさらに強まり、先日のグラミー賞受賞者はアリシア・キーズというニュースを聞いて「誰だそれ?」と思ったりしている。)
そんな90年代以降で、その音やグループの動向に興味をひかれる、唯一と言っていいバンドがある。
オアシスである。

はじめて彼らの曲を聴いたのは96年頃だった。
すでにバンドとしての地位を確立しつつあった時期で、曲を聴く前から存在だけは知っていた。
本国イギリスでは国民的人気を得ており、日本でもNIFTYの洋楽フォーラムでは盛んに話題になっていたし、「世界一ふてぶてしいバンド」などといったキャッチで雑誌などで語られていたこともあった。

イギリス(日本でも?)のマスコミはオアシスとそのライバルとしてブラーをとりあげ、「対決」模様を面白おかしく書き立てたようだ。
このあたりは80年代のデュラン・デュランとカルチャー・クラブの対決図式と同じである。
ただ実際にオアシスのリアム・ギャラガーは、ブラーのボーカリストを「一番嫌いなヤツ」と発言するなど、あながちマスコミの脚色だけでもないらしい。

デビューしてしばらくは、ドラッグ・暴力・ライブの中止・解散危機など、メンバーの行動が問題となったこともあったようだ。
まあどこのバンドでもよく聞く話だが、実際今でも解散のウワサは絶えない。
当たり前の話だが、世界に通用するアーチストというのは、たとえドラッグや暴力といった問題行動があっても、根底に音楽に対する誠実さが備わっていることが条件だ。
そうでなければ、楽器や歌の練習をしたり、予定どおりスタジオに集まったりというビジネスの基本を遂行できない。
単なるクスリ好きではダメなのである。
最後に必ず音楽の世界に帰ってくる誠実さが、世界を感動させるアーチストになれる最低の条件だからだ。
エリック・クラプトンはその典型である。

そういう意味ではオアシスも、多くの先輩同様、問題行動はあれど音楽に対しては誠実なヤツらであると言える。
むしろ彼らの問題行動なんか、まだカワイイ方なんだろう。

また常についてまわる解散説の原因には、ノエルとリアムの兄弟に喧嘩が絶えないということがあるらしい。
バンドのメンバーの一部に兄弟がいる例はそれほど珍しくない。
ヴァン・ヘイレン、スティクス、トト、ハートなどがそうだ。
これらのバンドにも解散危機はあった。
ただし兄弟そのものが分裂してバンドは解散、という例はあまり聞かない。
喧嘩をしてもそこは兄弟であり、もし解散しても兄弟であることからは一生逃れられないからだろうか。
多くのファンはそこをわかっているから、絶えない解散危機説にもあまり動じないのかもしれない。
実際ギャラガー兄弟以外のメンバーはかなり入れ替わっている。
兄弟さえいればオアシスはなんとかなるだろうと、ファンはわりと安心して見ているのだろう。

「Roll With It」が最初に聴いた曲である。
MTVを録画したものをカセットテープにダビングしたので、映像も同時に見ることができた。
印象としては、ウワサに聞くほど「ふてぶてしい」という趣ではなく、「普通のあんちゃん」バンドという感じだった。
その後、彼らの根底にあるのはビートルズであり、しかもそれを公言してはばからないことを知った。

70年代以降で、ビートルズの影響を受けていないアーチストはいないだろう。
しかし「ビートルズになりたい」とまで言い、歌詞にビートルズの曲名を使い、音のサンプリングも堂々とやってのけるバンドはオアシスくらいだ。
もちろんラトルズなどのコミック的パクリバンドとは全く違う。
この明らかにビートルズを意識したサウンドが、多くの人を引き付ける魅力のひとつだとよく言われる。
聴いていてどこか安心するような音なのだろう。

それでいて、手を後ろで組んで猫背で歌うリアムの独特なスタイルや、厚みのあるサウンド、単純な歌詞など、意外と個性的な部分も多い。
どれもオアシスの魅力ではある。
それ以外に興味を覚えるのは、彼らの保守的な姿勢である。
簡単に言えば、「破天荒に見えて結構まじめでいいヤツら」といったところだろうか。

3年ほど前、日本のテレビ取材に応じたノエル(たぶん)を見たことがある。
インタビュー嫌いでならした彼だと思っていたので、意外だった。
ビートルズに似ていること、マスコミ嫌いなことなど、けっこうズケズケとした内容をインタビュアーに質問されていた。
ノエルはそんなぶしつけとも思える質問に対し「マスコミに事実でないことを伝えられるのは不本意だ」のような答えをしていた。
至極まともな回答である。
日本語訳のスーパーはその時、ですます調のかたい語調だった。
ロックミュージシャンのインタビューがですます調というのも妙だが、ノエルの神妙な顔つきには、むしろ違和感のない訳のような気がした。

2年前のアルバムのタイトルは「Standing On The Shoulder Of Giants」という。
元々はあの万有引力の法則のニュートンの言葉で、「科学の進歩は偉大なる先人の功績に支えられてこそ成し得ることができる」という意味だそうだ。
オアシスがなぜこんなタイトルをつけたのか、真意のほどはわからない。
まともに受け取れば、「ビートルズらの先人の功績あってのオアシスです」といった謙虚な意味にとれる。
逆にそれは彼ら一流の皮肉で、「昔のスターなど何とも思っちゃいないぜ」なんて考えているのかもしれない。
いずれにしても、とにかく彼らはロックミュージシャンにしては見た目も地味であり、行動や言動のはしっこに木訥で誠実なところが見えたりすることがある。
「カリスマ」という言葉がすっかり陳腐化した昨今だが、オアシスはカリスマではないと思う。
絶大な人気、ドラッグ、暴力、解散危機というロックの必修科目をちゃんとこなしながら、どことなくあか抜けない雰囲気なのである。
たぶんいいヤツらなんだよ、きっと。会ったことないけど。

めったに新譜を買わない自分だが、「Be Here Now」「Standing On The Shoulder Of Giants」は発売直後に買ってしまった。
ミーハーと言われればそれまでだが、やはり気になるバンドなのだ。
ただやはりメンバーの名前を全部おぼえたりはなかなかできない。
もしオアシスが80年代に登場していたら、かなり深い情報まで追っかけていたことだろう。

ビートルズにあこがれて影響を受けたアーチストは、数限りなく存在します。
ただこのバンドは単にパクリをやっているのではなく、自分たちの個性に昇華しながらビートルズを吸収しており、その人気を不動のものにしています。
これって、できそうでなかなかできないことなんじゃないでしょうか?
オアシスで、「Stand By Me」。


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エアチェックの夜 26

第26回 エコロジーの意義2 2002.2.24


POPS111 1997.1.12

Virtual Insanity/Jamiroquai
Mission Impossible/Adam Clayton & Larry Mullen
How You're Not Here/Swing Out Sisiter
Lovefool/Cardigans
Humans Being/Van Halen
Always Be My Baby/Mariah Carey
Because You Loved Me/Celine Dion
Change The World/Eric Clapton
If It Makes You Happy/Sheryl Crow
Ironic/Aranis Morissete
I Love You Always Forever/Donna Lewis
Macarena/Los Del Rio
Sweet Love/Sandy Reed
Survival/Madonna
Games People Play/Inner Circle
Massachusetts/Bee Gees


第23回で割り箸についての新聞の中途半端な報道に疑問を持ったことを書いた。
問題としたのは2つ。
割り箸はいったいどうしたらいいのかが未だに不明なことと、新聞の報道する姿勢自体に疑問があることである。

新聞社に質問のメールを出したが、結局回答はなかった。
新聞社のホームページに、「必要事項が書かれたメールには、できるだけ回答いたします。内容によっては回答できない場合があることをご了承ください。」とある。
回答がないということは、「内容が内容なだけに、当新聞社ではどうしたらいいのかわかりませんので、回答できない場合に該当します。」ということなのだろう。
まあそんなこったろうとは思っていたけどね。
少し腹だたしい気もしているので、名前を出すことにします。
新聞は東京新聞(中日新聞社)、コラムの著者はフォトジャーナリストの大石芳野氏である。

結局コラムの著者も新聞記者も、エコロジーについて実はあまり知識がないのだろう。
しつこいようだけど、地球環境や人体への影響を考えた場合、合成洗剤や煙草の方が割り箸なんかよりずっとタチが悪いことはわかりそうなもんだ。
仮に割り箸が日本の基幹産業で、大手商社が輸入を手がけ、タレントを使って広告まで打つような状態だったら、マスコミの取り扱いは絶対に違うはずだ。

新聞がけっこう偏向した姿勢や方針で編集されていることは、最近では多くの読者もわかっていることだ。
また記事を通じて、記者が案外モノを知らない実態があらわになったり、センスのない文章が相変わらずまかり通る不思議なメディアであることがわかったりする。
皆さん真面目に取材・編集してるんでしょうけど、けっこうワンダーランドな世界なのだ、新聞ってのは。

もう新聞でないと目にすることのない表現なんかもある。
「看護婦さんや~い」「出かけま専科」なんてのがそうだ。
見出し付ける人も、自分のセンスが昭和40年代で止まっちゃってるなんて気にしたこともないんだろうね。
もっとも読んでる側も、そんなもんどうでもいいと思ってるんだろうけど。
(ていうか、こんなこと考えてるのオレだけ?)
そういう意味では、新聞ではないけどAERAのアオリ(例のだじゃれタイトル)は、もはや犯罪の域ですね。
アオリ考えてる人は「我ながらオレのタイトルって毎回いい線いってるな」と思ってるか「今週もオレのタイトルで多くの人がずっこけてる(死語)だろうな」と思ってるか、どっちかでしょう。
後者だったら相当な確信犯だけど。

ちなみに「表現のバーリ・トゥード」我がインターネットの世界では、やっぱりありましたよ、AERAのだじゃれタイトルコレクションが。
興味のある方はどうぞ。

http://www.dajare.com/syakai/AERA/
http://www.t3.rim.or.jp/~s-muraka/aera/aeracon.html

さらに話はズレるけど、新聞の4コマ漫画ってのもどうしてあんなにつまらないんでしょうか?
少年マガジンが数百万部売れる今の時代にあって、新聞漫画だけは本当に昭和40年代からレベルが変わっていない。
若い読者はもう本当に、全く、全然新聞漫画になんにも期待していない(と思う)。
「最近の4コマはつまらないと思う(葛飾区・学生・19才)」なんて投書はないだろ、きっと。
でもそれで本当にいいのでしょうか?
全部の新聞漫画を見ているわけではないけど、知る限りでは、いしいひさいち氏の漫画以外、評価に値する作品はないと思う。

話を割り箸に戻す。
あれからインターネットでいくつか割り箸に関する評論などを調べてみた。
その中で最もわかりやすいと思う理論を展開していたのが、以下のサイトである。

http://www.sanshiro.ne.jp/activity/99/k01/6_18prs1.htm

「環境三四郎」という、東京大学の学生やOBによる環境を考える団体が、99年に発表した評論である。
3年前なので、現状はまた少し違うのかもしれないが、実態の調査と対策の提案が述べられている。
詳細は中身を見ていただくとして、彼らの掲げる解決の方法とは以下の4つである。

1.割ばしそのものの使用量を減らす
2.使用済みの割ばしをリサイクルにまわす
3.規制により、同じ量の割ばしを作るのに切る木の量を減らす
4.低利用木の利用により、同じ量の割ばしを作るのに切る木の量を減らす

厳密には「解決方法」ではなく、「割り箸の環境に与える負荷を減らす方法」とされている。
で、これらを実現するにあたっては、経済や産業の問題も関係してくるため、彼らは「これでいくべき」といった形での性急な結論づけはしていない。
この姿勢は非難されるものではない。
感覚的な意見だけを公器を使って流し、何も成果が生まれていない(あるいは誤っている可能性もある)東京新聞とは全く次元が異なるからだ。

「環境三四郎」がどこの制約も受けず真っ当な意見を述べているのかどうか、本当のところはわからない。
ただしこの割り箸問題を考えるに当たっては、やはり以下の手順が必要だろう。
1.「環境三四郎」のような研究機関が現状を調査研究し、いくつかの解決策を模索
2.マスコミによる解決策の公開
3.市民団体・業界・管轄省庁による検討調整・結論付け
4.マスコミによる結論の公開
5.政府主導による法的根拠・規制に基づいた環境保護実践

ここでいう2と4が最も重要な役割である。
割り箸をどうしたらいいのかを実践するのは主に一般市民であり、1・3・5を結ぶに当たっては、市民に正しい情報を知らしめるために、マスコミのチカラが必要なのである。
「同じ量の割ばしを作るのに切る木の量を減らす」なんてのは市民には実践できない。
ただし、なぜ「割ばしを作るのに切る木の量を減らす」必要があるのかを、市民に正しくマスコミが伝えないと、市民の側が意義を理解できず、続かないおそれがあるのだ。
ボケっとコラムを垂れ流すだけではいかんのである。
だじゃれ見出しを考えてるヒマがあったら、もう少しこの問題について勉強する必要があるのではないでしょうか?
まあAERAと東京新聞は違うんですけどね。
でも東京新聞の見出しも同じようなレベル。

新聞社だって企業だから、営利を追求したり多少偏向したりはあって当然である。
ただそれ以外に、社会に対する役割ってものがあること、センスの欠落した表現で未だによしとしている姿勢体質に問題があるのではないかということ、この2つは(全然次元違うけど)考えてほしいよね。

人はやっぱりまずは自分第一である。
そしてあまり自分本位でありすぎると、お互いに自分のためにもならなくなることに気づく。
社会という「公」の中に「個」として生きているからだ。
心ある人なら、「これはもしかして社会のために良くないのでは?」と気づき、そして変えていこうとする。
その動機付けとなるものに、「公」の表現機関であるマスコミの存在がある。
小さな社会なら、このへんは自治会とか町内会でも機能するだろう。
しかし割り箸問題はすでに国家の枠を超えた地球環境規模にまで発展している可能性があるのだ。

たかが割り箸なんだけど、大石氏も含め「何とかせねば・・」と考えてる人は多いはずだ。
それを具現化していく発端として、マスコミの使命がそこにある。
「ペンは剣より強し」なんてのも死語になって久しい。
でも、剣なんかより弱くたって構わない。
これからは「ペンは海よりも青く、雪よりも白い」存在であってほしい。

牛乳パックはどうしたらいい?プラスチックトレーは?ペットボトルは?
こうした市民の考える小さな疑問が、実は地球環境にとって重要であり、マスコミがとりあげることで世の中が変わっていくことだってあるはずなのだ。


自分はマスコミに籍を置く身ではないが、紙上表現を生業とする、比較的近い業界にいる。
多くの記者は今でも社会への使命感を持って日々取材に臨んでいると信じて、彼らへのエールに代えてこの曲を紹介します。

エリック・クラプトンで、「Change the World」。

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成人式

  【成人式】 せいじん-しき
   日本各地で、絶滅したと思われる「ツッパリ」「ヤンキィ」及び
   その亜種(いずれも害虫)が、精力的に活動する様を見ることが
   できる、一年に一度の風物詩。
   また普段仕事において潤沢な時間の利用で有名な自治体の
   職員が、この日だけは害虫の駆除や鎮静といった肉体労働に
   追われる様を見ることができる。

結局「テレビに映る」ことを期待して暴れる新成人と、「暴れる」ことを期待して撮影するマスコミ側の利害が見事に一致している。
こういうマスコミの姿勢が、来年のバカ成人生産を助成していることに早く気づくべきやね。

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エアチェックの夜 25

第25回 漫画 2002.2.6


POPS105 1996.3.30

Carnival/The Cardigans
Fields Of Gray/Bruse Hornsby
Roll With It/Oasis
You Aughta Know/Alanis Morissete
Scatman/Scatman John
Runaway/Janet Jackson
Sexy Girl/Snow
Waterfalls/TLC
I'll Be There For You/The Rembrandts
Something For The Pain/Bon Jovi
Hey Now/Cyndi Lauper
Thank You/Page & Plant
The Tide Will Rise/Bruce Hornsby
If I Only Knew/Tom Jones
I Love Your Smile/Shanis
Raggamuffin Girl/Appche Indian


先日ある書店関連のホームページに、以下のような意見が提示されていた。
「子供の学力低下は親の責任。親が漫画ばかり見ているようでは、子供の学力向上も望めない」
これを見た時、二重にがっかりした。
学力低下と漫画を結びつけている点、書店関係者が漫画を見下している点の2つである。

漫画雑誌の氾濫は日本独特の文化らしいが、確かにいい歳こいたおっさんが電車の中で朝から少年漫画雑誌をひろげているのは、まあ美しい光景ではないかもしれない。
ただし漫画作品にもいろいろある。
良い作品もあればくだらないものもある。
それは映画や小説でも同じだ。

漫画を良くないものとする人に共通して言えることが2つある。
1つは「漫画=低俗」と言うことで、「ワタクシは低俗ではない」と世間から認められたいという意識がかいま見えること。
もう1つは、良い作品に出会っていないことである。
つまり、そいつは実は「漫画を読んでいない」のだ。

「学力低下は漫画のせい」などと言うのはかなり乱暴だ。
漫画以外にテレビ番組やテレビゲームなども対象にされることが多い。
いつまでたってもこの手の意見はすたれることなく沸いてくる。
漫画全てが良くないものと決めつけること自体、考えが偏向しているとしか思えない。
これだけ漫画が世間に流通していてなお、このような意見が出てくることも不思議だ。
あの宮崎勤が世間を騒がせた時、彼の部屋の様子が繰り返し報道され、漫画やアニメが批判の対象とされたことがあった。
あれだって漫画やアニメが殺人をおこしたのではなく、殺人犯となった宮崎がアニメファンだっただけの話である。

屁理屈を言うようだが、「学力低下は漫画のせい」と言う人は、人を説得するだけの「学力」を持っていないと思う。
親が漫画をやめて文学を読み、子供にそれを勧めて学力を高める、という方針だとしたら、そんな親子の方が信用できない。
漫画の中から「感動する」作品を見つけることも「学力」のうちだと思う。
それは漫画に限らず、文学でも音楽でも同じなんだけど。

もうひとつ気になったのは、この意見が書店関係者から出たことである。
漫画を売って儲けを出している書店が、そういうことを言ってよいのだろうか?
善し悪しはともかく、漫画は立派な産業である。
規模から言えば文学なんか足元にも及ばない。
一切漫画を扱わない覚悟で発言しているなら別だが、漫画のおかげで生活できる人が、そういうことを言ってはいけないのではないでしょうか?

分野としての漫画が好きになれない人は確かにいる。
それは好みの問題なので構わないのだが、自分の価値観だけで子供の学力低下問題にまで結びつける必要はないと思う。

子供のころの自分に「学力」があったとは今でも思わない。
ただしそれは漫画が好きだったためではなく、勉強が好きでなかっただけだ。
学力の定義は難しいが、自分についてはこんなことが言える。

「前門の虎、後門の狼」
「知らぬ顔の半兵衛」
「虎は死して皮を残す」
「一蓮托生」

これらの言葉は小学生の時に覚えたものである。
といって自慢しているわけではない。
学校で教わったものではなく、全部漫画から仕入れたものだ。

小学生の頃、少年ジャンプを愛読していた。
「アストロ球団」という野球漫画が一番好きだった。
9人の超人が相次いで登場し、最後に全員で野球チームを結成するという、野球版八犬伝のようなストーリーである。
今思うとかなり荒唐無稽で、描写や表現に大げさなところがあるのだが、セリフの中にことわざや故事成語をよく使っていた。
上記の言葉は全てこの漫画によって覚えたものである。
小学生の教科書にはまず載っていない。
しかし大人になった今、知っていないと「恥ずかしい」言葉なのではないだろうか。
それを「学力」と言うなら、または「知識」「常識」と置き換えてもよいが、自分が漫画によって得たのは感動だけではなく、「知識」「常識」も仕入れていたのである。
ただし自分は「だから漫画はエライ」と言っているのではない。
知識を仕入れるネタとなったのが、この例ではたまたま漫画だっただけなのだ。

「漫画ばかり読んでいると想像力が低下する」という意見もある。
小説なら場面や人物の心情を想像しながら読むので、想像力がつく、という意味らしい。
くどいようだけど、やはりこういう意見を言う人は「漫画読むのに慣れていない」としか言いようがない。
小説には絵がないんだから、漫画とは読み方が違うのが当然。
その違いすらわからないとなると、そっちの方がずっと問題である。

「学力低下」を懸念するなら、大人がすべきは「漫画をやめる・取り上げる」ことではなく、漫画も含めてあらゆる文化にふれる機会を与えてやることだけだ。
大人が無理強いしなくても、子供はちゃんと自分なりに感動する対象を見つけてくるはずだ。
だって、自分たちがそうだったんだから。
違いますか?大人のみなさん。


レッド・ツェッペリンはビートルズとほぼ入れ違いにイギリスの音楽シーンに登場したバンドである。
今さら言うまでもないが、ロックやブルースを基調に独特の様式を作り上げ、のちのメタルというジャンルの先駆けともなったバンドだ。
当時の保守的な人々から見れば、ビートルズですら騒々しい集団にしか思えなかったのだから、ツェッペリンの登場はさらに衝撃だったに違いない。

残念ながらツェッペリンの活動はほぼ70年代に限って行われており、自分にとってリアルタイムなバンドではない。
同時期に活動したディープ・パープルと、何かにつけて比較されることが多いが、自分の印象としては全く異なるバンドだ。
あくまで印象での話だが、ツェッペリンは芸術家集団であり、パープルは職人集団だと思う。
ツェッペリンの音は、ファンを魅了してやまない点ではパープルと変わらないが、独創的な面ではパープルよりも顕著である。
パープルが激しくメンバーチェンジしてきたのに対し、ツェッペリンは結成から解散までメンバーは不動だった。
これもツェッペリンが独特の様式を追求していった背景でもあったと思う。

そういう意味ではパープルの音の方が大衆的なのだ。
どちらもハードロックの元祖なのだが、日本でCMに使われることが多いのは、今のところパープルである。
「Highway Star」「Smoke On The Water」「Black Night」など、パープルを知らなくても曲を聞いたことがある人は多いだろう。
プラントやペイジのソロ活動に比べ、レインボーやホワイトスネイクの方がチャートイン実績があるのも、パープルがよりポピュラーなものだったことの裏付けだと思う。
(バンドとしての興業実績はどうやらツェッペリンに軍配があがるらしいが。)

どちらがいいとか悪いとか言うつもりはない。
それぞれに名曲があり、バンドとしての実績がある。
音楽産業における彼らの功績は偉大なものだと思う。

ロックもかつては「=不良」の図式をはめられた、不幸な歴史がある。
今でもインテリを自負する一部の人たちにとっては、「教育上よろしくない騒々しい音楽」なのかもしれない。
しかしさすがに今中学・高校生に対して「エレキギター禁止」「ロックコンサート禁止」といった規則をはめる学校は少ないだろう。
それだけ文化として成熟した、ということなのかもしれない。
そこまでに至ったのは、ロックを一つの芸術にまで高めてきたビートルズやツェッペリンやパープルらの活動と、それを支えてきた世界中のファンの存在があったからだ。

ロックを「不良」と断罪する姿勢と、漫画を「低俗」として子供から遠ざけようとする姿勢は、同じようなものだ。
自分の価値観からはずれたものを、子供に勧めるだけの度量がないということだ。
どちらも文化として残していくためにも、ひとりでも多くの人に、名作に出会ってほしいと思う。


ロックが普通に聴ける自由が、今の日本にはあります。
そんなことは当たり前のように思えますが、決して全ての国の常識ではありません。
ここに至るまでには様々な衝突や障害があったはずです。
先人の労苦に感謝し、この曲を捧げたいと思います。
ジミー・ペイジ&ロバート・プラントで、「Thank You」。


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エアチェックの夜 24

第24回 ラジオ 2002.1.21


POPS96 1995.4.29

I Need Your Love/Boston
Lucky One/Amy Grant
Up Where We Belong/Joe Cocker
Aja/Steely Dan
You Better Wait/Steve Perry
Weekend Love/Queen Latifah
With Every Wish/Bruce Springsteen
Herald Angels Sing/Mariah Carey
Everybody's Talkin' /Harry Nilsson
Love Will Keep Us Alive/Eagles
Be My Baby/Vanessa Paradis
Hope Of Deliverance/Paul McCartney
Can't Stop Lovin' You/Van Halen
Desparado/Eagles


ラジオには深夜が似合う。
父親にラジオを買ってもらったのは小学2年生の頃だ。
寝る前に聴くことをしてみた。
真っ暗な部屋でラジオのスイッチだけが光り、沢田研二の「魅せられた夜」がかかっていたことを憶えている。

初めて自分の意志で番組を選んでラジオを聴くようになったのは、1974年、小学4年生の頃である。
「欽ちゃんのドンといってみよう」(欽ドン)をクラスで何人か聴いているヤツがいて、話題についていきたくなったのだ。

欽ドンは関東ではニッポン放送、月曜から金曜の毎晩夜9時35分頃だった。
多少放送時間がブレることがあり、ナイター中継が長引くと中止になったりしたことがあったように思う。
10分番組で、スポンサーは集英社。
当時少年ジャンプを愛読していたこともあって、余計に親近感がわいたもんである。

日替わりでテーマが設定され、全国から寄せられたショートコントのハガキを欽ちゃんが読む。
ウケたレベルで「ノンノ賞」「プレイボーイ賞」「明星賞」などの賞が与えられ、高レベルな作品には「ジャンプ賞」。(これも愛読少年としてはうれしかった)
言うまでもなく、集英社の雑誌名が賞になっていた。
(ただしジャンプ賞以外の各賞の上下関係は不明。誰か覚えてませんか?)
番組の最後に最優秀賞である「欽ドン賞」が発表される。

今でこそ完全に市民権を得てはいるが、「ペンネーム」「キャッチフレーズ」なんて言葉を、この番組から仕入れたヤツは案外多いはずだ。
まあ全国のガキどもに人気があったのだろう、本も出ていたし、その後テレビ番組にもなった。
数あるシリーズの中でも、水曜の「レコード大作戦」が好きだった。

その後、これをきっかけに様々なラジオ番組を聴くことになっていった。
テレビも好きだったが、ラジオの孤独な雰囲気も好きだったのだ。

それ以来高校生のころまで聴いていたAMラジオ番組は、全てニッポン放送系列のものだ。
家ではなぜか文化放送の受信状況が悪く、TBSやラジオ関東(現ラジオ日本)には面白いと思える番組がなかった。
思い出すままに番組名をあげてみます。(時系列はバラバラである)

・日本沈没(月~金9:00~9:10)
小松左京原作のベストセラー小説のラジオドラマ。
あまり長くはなかったが、この後テレビドラマにもなった。
当時小学生だったため、内容はあまりよく理解できなかった。
実は見栄で聴いていたのだ。

・あおい君と佐藤クン(月~金0:00~0:10)
あおい輝彦と佐藤公彦のトーク番組。 
これはかなり長寿番組だったはず。
その後サザンの「桑田君と関口クン」に変わった。

・北炭生のたむたむたいむ(月~金0:10~0:30)
北炭生は「きたずみ・せい」と読む。フォーク歌手である。
このヒトの前は「かぜ耕士のたむたむたいむ」だったのだが、かぜ時代はほとんど聴いていない。
(3歳上の姉はかぜ時代のファンだった)
結局かぜ耕士ほどの人気が出ず、長続きはしなかったようだ。
ただこの番組はかなりまじめに聴いていた。最終回もきっちり聴いた記憶がある。
「30秒発言」という、青年の主張みたいなコーナーがあった。
名曲である古井戸の「さなえちゃん」はこの番組で初めて聴いた。
北炭生サン、今何してるんでしょうか。

・瀬戸龍介のひとりごと(月~金0:10~0:20)
たむたむたいむ終了後、改編でこの番組になった。
素朴な語りがいい雰囲気だったのだが、いまいちクラ目であまり長続きしなかった(と思う。その後永井龍雲に変わった)。

・ベンガル・エルの夜のおふれあい(月~金0:20~0:30)
東京乾電池のベンガルと大橋エリ子の番組。
これもたむたむたいむが無くなった後の番組である。
多少惰性で聴いていたこともあって、あまり記憶にないが・・

・コッキー・ポップ(月~金0:30~1:00)
さらに惰性で大石吾郎の「コッキー・ポップ」を聴いていた。
主にフォーク系の若い歌手中心の音楽番組である。
オープニングに「黙っていては友だちになれない。叫ばなければ消え去ってしまう」というセリフ(くさい)があった。
30分番組なんだけど、最後まで聴いたことはほとんどない。
たいがい途中で寝てしまい、気が付くとオールナイト・ニッポンになっていた。

・オールナイトニッポン(月~土1:00~3:00)
言わずと知れた人気番組。火曜の所ジョージ・水曜のタモリをよく聴いていた。
逆に中島みゆきや松山千春はどうにもなじめず、ほとんど聴かなかった。

・全日空ミュージックスカイホリデー(日曜23:00~0:00)
ソラマメさんこと滝良子の音楽番組。
スポンサーが全日空だったこともあって、オープニングを「テイクオフ」、エンディングを「ナイスランディング」などと呼ぶ、なかなかセンスのある番組だった。
どちらかというと女性向けの番組で、ロックは少なかったが、フォークからシャンソンまで、幅広い音楽を紹介。
オフコースやシャンソンの金子由香利の曲がよくかかった。

AMは流して聴くもの、FMは曲を集めるためのものだった。
FMで音楽をエアチェックするようになってからも、AMをそれなりに楽しんで聴いた。
FMのようにポーズボタンに神経を集中させるようなこともなく、用途を分けてリラックスして聴いていた。


イーグルスは、自分にとって実はほとんどリアルタイムではないバンドである。
初めて聴いたのは言わずと知れた名曲「Hotel Carfornia」、たぶんAMラジオである。
まだ洋楽に目覚める前のことだったが、ヒットしている曲であることは知っていた。
それだけAMでも頻繁にかかっていたのだろう。

だが自分がエアチェックを始めた79年頃、彼らはアルバム「Long Run」を発表し、その後解散してしまう。
当然チャートには新曲も登場しない。
80年代にはドン・ヘンリーやグレン・フライのソロが時々チャートインし、エアチェックもしたが、特に元イーグルスとして意識したこともなかった。
自分にとっては「昔のバンド」という位置づけになってしまった。

知名度や作品の評価については、今さら言うまでもないスーパーグループだ。
全作品をきちんと聴いたわけではないが、メンバーの顔が見えるグループといった印象が強い。
ドンとグレンの2人が核となっていたのは確かだが、ほぼ全員がボーカルのとれるバンドで、それぞれヒット曲を持っている。

1994年、ほぼ15年ぶりに突然彼らは再結成し、アルバム「Hell Freezes Over」を発表する。
ちょうど自分がエアチェックに夢中になっていた間、イーグルスは休止していたことになる。
アルバムは新曲4曲にライブ11曲という構成だが、賛否両論あるようだ。
全新曲としてかつてのファンをがっかりさせるようなリスクを回避し、また単に昔のヒット曲をそのまま収録せず、ライブとして納めている。
これはなかなかうまいやり方だと思う。
大ヒット曲「Hotel Carfornia」も、ここでは当時流行のアンプラグド調のアレンジになっている。
このアルバム発表後、日本公演も行われた。
自分もこのアルバムは気に入っている。(珍しく買いました)

イーグルスの活動と自分のエアチェックがちょうどシンクロせず、有名なわりにはなじみの薄いバンドとなってしまったことは少し残念である。
後からどんなに過去の作品を掘り起こして聴いても、リアルタイムでチャートを追ったバンドとは、自分の中ではなかなか同じ扱いにはならないのである。
FMラジオは、そこまで自分にとって大きな意味を持つ道具だったのだ。


15年ぶりの復活に、ファンの心境も複雑なようです。
ただ美しいハーモニーは15年前と変わりません。
イーグルスで、「Love Will Keep Us Alive」。


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エアチェックの夜 23

第23回 エコロジーの意義 2002.1.6


POPS92 1994.1.8

I'm Every Woman/Whitney Houston
The Right Kind Of Love/Jeremy Jordan
Have I Told You Lately/Rod Stewart
Can't Help Falling In Love/UB40
Runaway Train/Soul Asylum
Dreamlover/Mariah Carey
All That She Wants/Ace Of Base
Again/Janet Jackson
Amazing/Aerosmith
Now And Forever/Richard Marx
I've Got You Under My Skin/Frank Sinatra & Bono
Here Comes The Sun/Geroge Harrison
Can't Let Go/Mariah Carey


今日新聞を見ていたら、コラムにこんな話が載っていた。
筆者は有名なフォトジャーナリストである。

「駅弁に割り箸は欠かせないが、割り箸は箸の代表ではない。
韓国人は割り箸は間伐材を使うからといって使い捨てをしていては環境保護はできないと言う。
日本ではどこでも割り箸を使っている。
日本人ひとり一人の無頓着が文化に対する軽視にもつながっていく。」

主旨は「使い捨てをもうそろそろやめた方がよいのではないか?」という、日本人に対する警告のような内容だと解釈した。
確かにその通りだ。
おむつからコンタクトレンズからカメラまで、使い捨てが巷にはあふれている。
便利ではあるが、ゴミも増えるし、ものを大切にする意識が希薄になっている。
筆者の言いたいことはそういうことなのだろう。
ただ、気になったのは割り箸を引き合いにしたことである。

割り箸は、環境保護問題を語る際、しばしば論争の的になってきた。
「使い捨て用品の最たるもので、国内で消費される本数は、熱帯雨林の○○本分にも相当する」
「割り箸の原料は間伐材や廃材であり、むしろリサイクルとも言える」
といった賛否両論があり、なんだかいつもかみ合わず、結論が出ていないような気がする。

環境保護のために、できることから始める姿勢はとても大切である。
できないことを言っても意味がないし、多くの人に理解してもらわないと続かないからである。
でも、できることから始めたのに、実際には環境保護にあんまりなっていなかったとしたらもっと問題である。
ペットボトル・スーパーのレジ袋・牛乳パックの再利用など、よく引き合いにされるけど、本当に環境保護に役立つほどのことなのだろうか。

気になるのは、割り箸が身近でわかりやすいがために引き合いにされるのではないかという点だ。
割り箸は本当に地球環境にとって悪なのだろうか。
国内で割り箸の使用を全面禁止したら、実際に熱帯雨林保護に少しは貢献できるのだろうか。

国内で木材の使用量として最も多いのは建材だと聞いたことがある。
それも木造建築に使われるのではなく、コンクリートパネルを製造する枠として使用されるものが最も多いという話だ。
事実かどうかはわからない。
しかし割り箸の使用実例よりは多そうである。

割り箸の使い捨てに抵抗があれば、塗り箸を使うことになる。
中には塗り箸を持ち歩いている人もいるようだ。
ではその塗り箸を洗う時、どうしているのだろうか。
合成洗剤を使っている人も多いはずだ。
合成洗剤の使用による排水は、河川や海の汚染原因の最たるものである。
それは環境保護にとって重要ではないのだろうか。
「割り箸をやめて塗り箸にしましょう。塗り箸を洗って川を汚しましょう」では、ホントにシャレにならない。

割り箸なんかより、他に議論すべき話はたくさんあるんじゃないだろうか?
牛乳パックから手すきのハガキなんか作ってるより、家にある合成洗剤を全部やめた方がいいんじゃないの?
政治家の車は全部プリウスにしてみるとか、携帯電話の電源を着脱式太陽電池にする技術開発とか、夏の高校野球は秋にずらすとか、いろいろあるんじゃないの?

日本は今不況でどこも大変なんだけど、オイルショックの時のように節電まではしていない。
やろうと思えばある程度のことはできるのが日本人である。
経済停滞を好機ととらえて、環境保護に直結するような行動にうつせないものだろうか。
割り箸なんかにかまってるより、高校野球を秋にやる方がよほど建設的なんじゃないだろうか。
こんな状態の日本は、不況なんだけどやっぱり平和だと思う。

普通の生活をしていると、資源再利用の現場を目にすることは、実はほとんどない。
びんや缶を分別して捨ててるけど、どんな形で再利用されるのか、リサイクルの実態はあまりよくわからないという人がほとんどではないだろうか。
そんな普通の人々は、新聞に「割り箸はやめよう」などと書いてあれば、「ああそうなのか」と思って割り箸使用をやめてしまうかもしれない。

果たして割り箸は、本当に環境保護の敵なのか?
きちんと結論を出してほしい。
そうでなければ、無意味な表現はやめてほしい。
公器としての新聞の使命は、読者に正しい環境保護のあり方を伝えることである。
そう思ったので、今回新聞社に対して質問のメールを出してみました。
返事が来たら、この場を借りてお伝えしたいと思います。


ソウル・アサイラムの「Runaway Train」という曲のビデオクリップはとても衝撃的である。
全米各地で行方不明になった子供たちが次々と紹介される。
最後に、「もしこの子供を見かけたら、この番号に電話して下さい」というメッセージがあり、電話番号が表示されてクリップは終わる。
日本でも行方不明となっている人はいるが、数ではアメリカの方がだんぜん多いはずだ。

もっと驚いたのは、行方不明となった子供の情報が、アメリカでは牛乳パックに印刷されているという話だ。
日本ではそんな牛乳はたぶん売っていないだろう。
でも今後は出てこないとも限らない。
アメリカではそれがすでに現実なのだ。

行方不明の子供の顔写真のついた牛乳パックを、再生して手すきのハガキなんか作れるだろうか?
とても品のないジョークだ。
こんな話がないだけ、つくづく日本はまだ平和なんだと思う。

重ねて言うが、環境保護のためにできることから始める姿勢は大切である。
ただし効果があってこその話であって、大した意味もなければ、他のことに時間と労力を使った方がいい。
本当に環境保護につながるなら、割り箸の使用は国家レベルで禁止すればよい。
意味がないなら、これ以上勘違いするにわかエコロジストを増やさないためにも、マスコミがきちんと「無意味です」と報道すべきだろう。
そしてすぐに他の課題に取り組むべきだ。
環境保護への勘違いした取り組みは、自覚のない犯罪のように悪質な結果を生んでしまうほど危険だからだ。


アメリカの厳しい現実を伝えるビデオクリップ。
でも彼らは決して希望を捨てていません。
自分たちにできることで少しでも解決に近づくならという想いが、クリップを通して日本の我々にも伝わってきます。
ソウル・アサイラムで、「Runaway Train」。


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エアチェックの夜 22

第22回 エアチェックの終焉 2001.12.22


POPS86 1993.1.6

Beauty And The Beast/Celine Dion
Everything About You/Ugly Kid Joe
Don't Let The Sun Go Down On Me/George Michael
Damn I Wish I Was Your Lover/Sophie B. Hawkins
To Be With You/Mr. Big
Masterpiece/Atlantic Starr
Human Touch/Bruce Springsteen
If You Asked Me To/Celine Dion
This Used To Be My Playground/Madonna
The One/Elton John
Sometimes Love Just Ain't Enough/Patty Smyth
When I Look Into Your Eyes/Firehouse
How Do You Talk To An Angel/Heights
I Will Always Love You/Whitney Houston


79年から洋楽オムニバステープを作り始め、現在までの本数は130本ほどである。
年代順に追っていくと、ある時点から新曲の収録が極端に少なくなっている。
1992年頃だ。

原因はいくつかある。
87年から働き始め、徐々に時間に余裕がなくなってきたこと。
89年に江戸川区から再び相模原に戻ったが、駅前の開発や高層住宅建設の影響で、FMの受信状況がさらに悪化したこと。
(現在自宅周辺はテレビ難視聴区域になっており、テレビ放送は有線化している)
そして洋盤新譜CDのレンタルが1年間禁止されたことである。

80年頃登場した貸しレコード店は、その後レンタルCDショップに形を変え、カネのない自分にとっては非常に有効な産業だった。
91年の新譜レンタル禁止期間設置に伴い、自分も必然的にレンタルCDショップから遠ざかっていった。
新譜を借りたくても、借りられるのは1年後である。
「聴きたきゃ買え」的なこの措置には納得がいかなかった。
(ちなみに国内盤の禁止期間は3週間だった。)

しかたがないので、MTVなどのビデオクリップから好きな曲をテープに録る作業を続けた。
元々シングル志向だったのだが、ますますその傾向は強くなった。
この頃から記憶に残る曲の数やアーチストも極端に少なくなっていく。

レンタル産業の難しさは、商品の価値の再現性が、取り扱うものによって異なる点である。
車やパソコン、重機械、おしぼりなど、レンタルされる商品は様々である。
これらはユーザーの手元にある時だけ使用可能な商品だ。
しかし音楽CDは他の媒体に複製することが可能である。
返却後もユーザーは同じような価値のものを利用することができる。
書籍もそういう面はあるが、現実的には同列には扱えない。
例えば文庫本程度の出版物でも、実際に全ページコピーすることはかなり大変である。

パソコンソフトなどはレンタル以前の問題だ。
日本中のパソコンユーザーの中で、ソフトの不法コピーをしたことのない人はいないんじゃないかと思う。
コピーできてしまう商品を売る側の問題でもあるのだが、コピーガードが厳しい商品だと、それ自体の売上に影響してしまうのが実状なのである。
最近はCD-Rドライブが標準装備されたパソコンが主流となっており、この現象には全く歯止めがかかっていない。

今思うと、新譜CDレンタル禁止措置を設定したことは、正しい判断だったと言える。
あのまま新譜レンタルが全く制限されずどんどん借りることができたとしたら、やはり新譜CDの売上には影響していたはずだ。
現在音楽CDの単価は当時に比べ多少安くなっている。
昔よりもミリオンセラーが増えていることも事実だ。
そういったかなり危ういバランスの上に、音楽産業は成り立っているのだろう。

商品をタダ同然で手に入れられる環境があり、なおかつそれが有償のものと何ら変わらないものを入手できるとしたら、それでもあえて有償でいいと言える人はどれだけいるだろうか?
反対に言えば、その状況にあっても「オレはタダでは音楽は買わないよ」というヤツの方が信用できないと思う。
今でさえCDもめったに定価で買わない自分が、ヤミ音楽配信によって好きな曲が入手できるとしたら?
情けない話だが、それが違法であっても、自分を制する自信は全くない。

消費者の道徳的判断(良心)だけに依存して著作権を守ることは絶対不可能だと思う。
著作権法に限らず、全ての法規制の根拠はここにある。
人間の「良心」に依存した世界はやはり危険だ。
だって、自分自身が全く危険なのだから。

少し話はズレるが、以前参加していたNIFTYの音楽フォーラムは、現在でもいわゆるブート盤に関する発言を規制している。
本来存在してはならないブート盤について、あれこれ論じること自体、アーチストの著作権を侵害する行為に荷担しているのと同然であるという判断からである。
だからと言ってブート盤が根絶されることはないのだが、フォーラムの姿勢は評価してよいと思う。

音楽を愛する者なら、音楽を生み出すアーチストの苦労に配慮して、対価を支払って聴くべきなのだろう。
至極当然のことなのだが、自分自身にとっても未だ難しい話である。


Mr.Bigは自分にとって、「FMエアチェックできなくなった」あたりのバンドである。
デビューは80年代のはずだが、初めて聴いたのは92年頃だ。
人気もあるし、いいバンドなのだろうが、実は残念ながらあまりよく知らない。
MTVや「NOW」系CDでしか聴いたことがなく、今に至る。
これはこの頃以降の他のアーチストも同じような状態だ。
かつてFMエアチェックで集めたアーチストについては、「曲を聴く」以外に、その経歴やメンバー動向の「情報を仕入れる」ことがセットになっていたのだ。
結局この頃を境に、自分の中でエアチェック時代とそれ以降の時代とにアーチストが区分されてしまった。
たまたま92年まで聴いたことのなかったMr.Bigは、このわずかなタイミングで、「後半の人達」になってしまったのだ。

93年以降、FMエアチェックで仕入れた曲は1曲もなかった。
FMラジオは片手間に聴くだけの機械となり、ポーズボタンに神経を集中させることもしなくなった。
同時にFM雑誌も徐々に衰退し、「エアチェック」自体が死語となっていった。
やや大げさだが、ひとつの文化の終焉である。

そのうちに「インターネットで仕入れた頃のバンド」という扱いのアーチストが出てくるのだろうか。
「情報を仕入れる」ならばインターネットは雑誌などの比ではない。
ただ、今後音楽配信の時代が本格的にやってきた時、自分はどのように音楽やアーチストと向き合うことになるのか、正直全くわからない。


さて今週の新曲紹介です。
録音の準備はよろしいでしょうか?
おっと、もうそんな人はいなくなったかな?
Mr.Bigで、「To Be With You」。

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エアチェックの夜 21

第21回 ジョージ・ハリスン 2001.12.2


POPS82 1992.10.14

Achy Breaky Heart/Billy Ray Cyrus
November Rain/Guns & Roses
Save The Best For Last/Vanessa Williams
All I Care For/Gotthard
Book Of Days/Enya
Jam/Michael Jackson
TLC/Liner
Too Fanky/George Michael
Handle With Care/Traveling Wilburys
Without Your Love/Bobby Caldwell
Inside Out/Traveling Wilburys
Tears In Heaven/Eric Clapton
Layra/Eric Clapton
If You Don't Love Me/Prefab Sprout
Hung On In There Baby/Curiocity


ジョージ・ハリスンが亡くなった。
先週の時点で、余命1週間の報道があったため、全く突然というニュースではなかったが、やはり残念に思う。
過去何度かアーチストの死についてふれてきたが、ジョージの死は自分にとってどのようなものとなるのだろうか。

新聞記事によってジョージの死を知ったのは今日(12月1日)のことだ。
なので正直まだ整理がついていないという状態である。
自分が歳をとるにつれて、有名人の死は重くなってくる。
今回もそれを徐々に実感することになるだろう。

以前にも書いたが、自分はおそらくポール派である。
ビートルズの曲の中でもポールの曲を好み、ソロ活動もポールしか追ってこなかった。
ただしそれは結果であって、「オレはポール派だ」と自認しながら聴いてきたわけではない。

「ジョンとポールという2つの個性の衝突の中にあって、ジョージは控えめな存在にならざるを得なかった」
「ビートルズ末期から徐々に頭角を現し、解散後はその才能をいかんなく発揮」
「ディランやクラプトンとも親交が深い」
といったあたりが、マスコミで語られるジョージ像である。

ジョージのソロアルバムはほとんど聴いていない。
記憶に残っているのは81年に発表した「過ぎ去りし日々」である。
ジョンに捧げる曲として、リンゴとポールが参加したことで話題になった。
感じたままを言えば、曲自体の評価はとりたててよいと言えるものではなかった。
ただ「ジョンのことを歌い、リンゴとポールが参加した」と言われ