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エアチェックの夜 10

第10回 父より子へ 2001.5.31


POPS33 1985.6.7

My Father's Chair/Rick Springfield
Bad For You/Rod Stewart
Say Your Wrong/Julina Lennon
We Are The World/U.S.A. For Africa
If Only For The Moment Girl/Steve Perry
Trapped/Bruce Springsteen
Tears Are Not Enough/Northen Lights
4 The Tears In Your Eyes/Prince
Good For Nothing/Chicago
Total Control/Tina Turner
Trouble In Paradise/Huey Lewis & The News
Summer,Highland Falls/Billy Joel
Funky Town/Lips Inc.
Metropolis/Freddie Mercury
Children Anthem/Toto
Georgy Porgy/Toto
God Save The Queen/Queen


若者による殺人事件が起こるたび、当然だがマスコミも世間も大騒ぎである。
その都度教育関係者や心理学者、評論家などが様々な意見を述べ、かえって事態がよくわからなくなったりしている。
結局殺人を犯した若者の心理なんか、そいつ以外わかるはずもない。
「少年の両親は近所でも評判の教育熱心な父親とPTA役員の母親で・・」
「少年は過去に非行歴もなく、成績も中くらいのごく普通の生徒で・・」
という事件が多い(ように思える)から、余計に混乱する。

少年犯罪の中で、特に刃物による殺人は世間に与える衝撃も大きい。
神戸の事件や佐賀バスジャック事件などがそうだ。
殺人をとやかく言う以前に、犯人について言えることがひとつだけある。
彼らは刃物を作る職人の心がわかっていないのだ。

刃物は何のためにあるのだろうか。
この問いに正確に答えられるオトナがどれだけいるだろう。
正解は「心を切るためにある」。
クイズのようだが、こういうことだ。
「モノを切る」のは手段であって目的ではない。
そのモノを切る行為の延長上に、人の心を感動させる結果があるはずなのだ。

優れた料理人による包丁さばきや出来た料理は、食べる客の心を切るがごとく感動させる。
普通の主婦だって包丁(料理)で夫や子供を感動させることができる。
医者のメスは病気を治し、患者とその家族を感動させるはずだ。
大工のノコギリだって、床屋のはさみだって、みんな同じである。
刃物に限らず、道具というのはそういうものだ。
ここが「人を傷つける目的で作られる拳銃」とは決定的に違う。

以前テレビでカスタムナイフの職人の話を聞いたことがある。
彼はジャックナイフ型という、刃を折りたたんで鞘にしまうナイフを作っている。
刃を折りたたむ際、当然「カチッ」と音がする。
その音が気に入らないと、絶対に商品にはしないのだそうだ。
そこまで刃物職人というのはこだわって作っているのである。

そこまでこだわって作られたナイフだと知っていたら、「衝動的に」人を刺したりはできない。
職人の心を思ったら、絶対にできないはずなのだ。
ナイフや刃物で殺人を犯した少年どもには、このことを彼らの父親が絶対教えていないはずだ。
殺人以前に、ここが一番問題だと、自分は思っている。

自分は実は小学生のころから今でもナイフを持ち歩いている。
父親がスイスでみやげに買ってきたアーミーナイフである。
最近は日本でも簡単に手に入る、「十徳ナイフ」などと呼ばれるヤツだ。
今だったら小学生にアーミーナイフ持たせる親なんかいないだろう。
自分でもよく犯罪に使わなかったもんだと、今でも思う。

父親は特にナイフの意味など教えてくれたりはしなかった。
ではどうして自分はナイフで人を傷つけたりしなかったのだろうか。
その勇気?がなかったとも思うが、それだけではない。
父親が自分を「男として」信頼している、と感じていたからだと思う。
もちろん父親がそこまで決意して自分にナイフを渡したのか、今となってはわからない。
しかし父親が息子に刃物をあずけるということに、それだけの意味があってもいいと思う。

刃物にもいろいろあり、実際に犯罪に使われた刃物は、外国の工場で大量生産されたものかもしれない。
また特にナイフが武器として存在してきた事実は否定しない。
それでも、世の父親は息子にナイフの目的を教えるべきだと思う。
ひとつは人の心を切るためにある。
そしてもうひとつは、「最終手段としての武器」であること。
主体的に人を傷つける必要は決してないが、自分と愛する女の身の危険を感じたら、「最終手段として」使うのだ。

父がいなければ母でも周囲の男でもいいから、オトナが伝えるべきだ。
刃物を使って犯罪を犯すことが、どれほど刃物職人の心を踏みにじることなのか、そして己の「男を下げる」ことなのか、伝える必要があると思う。
大げさな言い方だが、刃物は男の魂なのだ。
めったなことで振り回してはならない、大切なものである。

話は音楽に飛ぶが、洋楽には父と息子の情愛を歌ったものが、邦楽に比べて多い気がする。
ジョン・レノンは「Beautiful Boy」で息子をテーマに歌い、最近ではエリック・クラプトンが「My Father's Eyes」で父親への情愛を歌っている。

リック・スプリングフィールドの「My Father's Chair」も同じように父親への情愛を歌った曲である。
アルバム「TAO」のラストに納められた曲だが、あまり知られておらず、隠れた名曲と言えよう。
チャートに登場しなくなって久しいリックだが、この頃は日本でも人気があり、ヒット曲もたくさんあった。

ところがつい最近、そのリックが妻への暴力をはたらいたかどで逮捕されたらしい。
確か新聞の小さな記事だったような気がするが、真相は定かではない。
インターネットで探してみたが、そんな記事は見つからなかった。
名曲にからめて「父より子へ」語りつがれるべき掟のようなものを書きつづったつもりだったが、そんなニュースでなんだかややケチがついた感じである。
もし事実だとしたら非常に皮肉な話になってしまう。

ただし事実がどうあれ、歌に罪はない。
紹介するのに躊躇はしないつもりである。

今夜の「隠れた名曲」を紹介します。
リック・スプリングフィールドで、「My Father's Chair」。


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エアチェックの夜 9

第9回 チャリティー全盛のころ 2001.5.18


POPS32 1985.4.27

Say Say Say/Paul McCartney
Say It Isn't So/Daryl Hall & John Oates
Blue Jean/David Bowie
Borderline/Madonna
Do They Know It's Christmas Time/Band Aid
Wild Heart/Stevie Nicks
One More Night/Phil Collins
Possession Obsession/Daryl Hall & John Oates
Can't Fight This Feeling/REO Speedwagon
Only The Young/Journey
I Want To Know What Love Is/Foreigner
Just A Gigolo~I Ain't Got Nobody/David Lee Roth
Radio Ga Ga/Queen


1984年から85年にかけて、相次いでチャリティー目的のユニット結成やイベントが行われた。
きっかけは言わずと知れた「バンド・エイド」である。

ロックとチャリティーの相関については、特にバンド・エイド以降世界中で数え切れないくらいの論評があるだろう。
いくつか読んだことがあるが、おおむね以下のような内容であることが多い。
 ・本来反体制的なロックが、チャリティーを目的とする違和感
 ・内情はロック産業の宣伝目的であろう
 ・ぶっつけ本番なため、ビッグ・プロジェクトのわりに曲や音が悪い
 ・ダサイ
 ・でも感動した

言われてみるとだいたい自分も同様の感覚である。
ロックが好きなヤツはそもそもヒネてるので、「チャリティー」なんて聞くと、「けっ」とか言ってみたりするのである。
でもやっぱりイベントそのものは、めったに見られない夢の競演であり、感動しちゃったりするのだ。

今までチャリティーについてきちんと考えたことなどなかったが、当時の3つのイベントについて書いてみることにする。

イベント1:バンド・エイド

これを知ったのはNHKの特番だった。
夕方ころの放送で、何げなく見ていたらずいぶんと豪華な顔ぶれが出てくる。
「Do They Know It's Christmas Time?」のメイキング映像だった。
ボブ・ゲルドフが発起人というのも意外だったが、レコーディングの進行役としてミッジ・ユーロが仕切っているのが興味深かった。
日本じゃそんなに売れてないのに、やるじゃんミッジ。
オープニングの録音レベルが小さすぎるのが難点。

印象的だったのは、当時仲が悪いと言われていた、ボーイ・ジョージとサイモン・ル・ボンの共演である。
ボーイはマスコミによる過剰な不仲説をちゃんとわかっていて、録音の合間にカメラを意識しながらサイモンを呼びつけ、大げさに肩を組んで見せた。
「ヘイ、サイモン!不仲のウワサを解消するチャンスだぜ」
いいねえボーイ・ジョージ。
でも明らかにサイモンの方は「オカマに抱きつかれちゃって」困った顔してたなあ。

バンド・エイドのエライところは、クリスマスを歌ったことだ。
毎年世界中でクリスマスになるとこの曲がかかる。
チャリティーとしての効果はともかく、年に1回は思い出してもらえるのだ。
日本ではワム!やジョン・レノンの曲が、もう本当にしつこいほどラジオでもデパートでも流れるが。

イベント2:U.S.A. For Africa

これも日本テレビでメイキングを夜中に延々やっていた。
メンバーは確かにゴージャスだが、結局二番煎じという印象がぬぐえず。
音的にもバンド・エイドほどではなかったと思う。
クインシー・ジョーンズが仕切っていたが、学校の先生のようで「何だかなあ」という印象。

バンド・エイドもそうだが、こうした夢の共演は、実はアーチストの歌手としての力量の差がかなりわかってしまう。
普段好んで聴いていたビリー・ジョエルが、やっぱりレイ・チャールズのうまさに全然かなわない。
もっとも「ヘタ」「うまい」などで片づけられないのがロックの不思議なところだ。
声楽的に分析したら間違いなく「ヘタ」なボブ・ディランだが、登場した時の威圧感や存在感は、本当に他を圧倒するものがある。
まさに「タダものではない」。単に目つきが悪いだけかもしれないけど。

全般的に当時人気の白人アーチスト達が、黒人の歌のうまさに圧倒されていたように思う。
そんな中で、短いパートながらちゃんと自分の持ち味を発揮できていたのはスティーブ・ペリーだ。
この人、もっと評価されるべきなんじゃないだろうか?

夜通し行われた録音で、アーチスト達も疲れていたようだ。
そんな中で、「なあんだ、まだ朝の5時だよ!」などとオヤジな発言をしていたのは、ポール・サイモン。
違った意味で、おもしろかった。
この人、団体行動の中ではけっこう浮いちゃってるんじゃないか?

「We Are The World」は確かに音楽界に波紋を呼んだ。
しかし必ずしも賞賛の声ばかりではなく、厳しい意見もあったようだ。
参加しなかったロバート・パーマーが、ブルース・スプリングスティーンの歌い方に息子が驚いた話を引き合いに出して批判したことや、ダリル・ホールが雑誌でマイケル・ジャクソンの曲は良くなかったと発言したことに、またしてもわくわくしてしまった。

イベント3:ライブ・エイド

上記2つのライブ版ということで、日本ではフジテレビが夜から翌日昼まで「断片的に」放映。
ライブなので確かにいろいろアクシデントがあったようだ。
全編通しで見たわけではないが、記憶に残る映像はいくつかあった。

比較的早めの時間だったと思うが、ジョーン・バエズが「We Are The World」を独唱。
この人が歌うとけっこういい曲に聞こえるから不思議。
少し寝て、夜中に起きて見たらスティングとフィル・コリンズだった。
かなりエコーの強い音だったが、二人はライブでも落ち着いており、まともに聞けた。

翌朝起きて見ると、ペイジ&プラント。
ドラムをフィル・コリンズが叩いていた。
番組の紹介によれば、イギリスのライブを終えて、飛行機でアメリカのライブに駆けつけたとのこと。
やはり洋楽はスケールが違う。
音的にはいまいちなペープラだったが、当時はツェッペリン再結成ということで、不覚にも?感動してしまった。

日本からは矢沢永吉と小田和正が参加ということだったが、二人はライブに参加したわけではない。
ビデオ映像を流しただけで、これで参加と言えるのか?と、洋楽ファンの視聴者全員が思ったはず。
またスタジオでゲストとして登場した小田和正のテンションがあまりに低く、司会の逸見政孝も困っている様子だった。
誰だこんなヤツを呼んだのは!


*****

さて、各イベントのチャリティーとしての効果はどれくらいだったのだろうか。
自分が書いたような、音楽的感想文は世界中にいくらでもあり、誰でも書ける。
別にチャリティーでなくても、好きな音楽なら誰でも語れるからだ。
チャリティーとしての効果(実績)に対する批評なんか、インターネットで探しても全然見つからない。
あるのは動機に対しての批判めいた論調の雑文ばかりだ。

結局どれだけの募金が集まり、実際にそれでどれだけの救援物資や活動が行われたのか、誰も知ろうとしていないのだ。
選挙で投票した候補者の、議員としての活動をきちんと追っている有権者が、日本にはあまりいないのと似ている。
「リサイクル」と称して自治会で廃品を集め、業者に引き取ってもらい「いいことした後は気持ちがいいわねぇ」などと言って打ち上げをしているおばさんと変わらない。
廃棄処分の実態までちゃんと確認したことはあるのか?
その業者が不法投棄していたらどうする!
・・なんて考えたら、気安くリサイクルなんてとてもできやしないが。

誰だって人の役に立ちたい。
自分の出したオカネが、困っている人の助けになると思えば、「いいことをした」という感慨があって当然である。
しかし本当にそれがいいことにつながっていったかどうか、確認するところまでが、「募金する側」の責任ではないだろうか。
(上記3つのイベントに関して、1円のオカネも出していない自分に、そんなこと言う資格がないのは承知の上だが。)

昔、「欽ちゃんの通りゃんせ基金」に募金したことがある。
これは目的と結果がわかりやすいからだ。
自分たちの募金で作られた音の出る信号機が、街で自分の目で確認できる。
比較するのも何だが、同じくラジオ番組でやっていた、谷村新司の「ハンド・イン・ハンド」とかいう基金は、全く目的がわからず興味もわかなかった。

きっとバンド・エイドもライブ・エイドも、その後の総括発表はしたのだろう。
「これだけの募金が集まりました。」
「これだけの人たちを救うことができました。」
これを知ろうとしないリスナーにも問題があるし、主催者側ももっと知らせる手段を考える必要があると思う。

チャリティー一般を非難するつもりはない。
胡散臭い面があるのも承知の上だが、「困っている人たちがいる。」この前提がある限り、しないよりはした方がいいに決まっている。
そういう意味では、これからのチャリティーは、必ず目的に向かっての進捗と、達成報告を求められるものであってほしい。
インターネットを使えば簡単なことだ。すでに実践している人たちもいると思う。

もう一つ言いたいことがある。
チャリティーに参加(募金)しないことを、悪と決めつけることだけはやめた方がいい。
これは「動物が嫌い」「子供が嫌い」を「悪」と決めつけることと同じだ。
「動物好き」「子供好き」「募金好き」(っているのか?)は、それにこしたことはないが、人間の義務ではない。
好きな人から見れば、信じられないことなのかもしれないが、それぞれの事情なのだ。
募金は募るカネであって、税金ではない。
支払う義務なんか、誰にもないはずだ。
「みんなが募金しているのに」と、募金しないヤツを非難するのは非常に危険なことなのだ。

最後に、一連のイベントの中で最もわかりやすかったものについて書く。

Sun City/Artist United Against Apartheid(1985)

チャリティーと言えるかどうかわからないが、ロックだけでなく、ジャズやサルサなど、様々な分野からの参加により作られた、アパルトヘイトに反対する目的のユニットである。
結果論だが、この曲の発表の5年後、アパルトヘイトは廃止された。
もちろん音楽のチカラだけで、アパルトヘイトが廃止されたわけではない。
しかし世界中でこの主張に賛成した人間のチカラは、確実に南アの政治を動かしたのだ。
音としては好きな曲でもないが、結果が出せたことは評価されるべきだと思う。

*****

さて、この曲によって本当に救われた人はどれくらいいるのでしょうか?
ご存じの方はご一報下さい。
バンド・エイドで、「Do They Know It's Christmas Time?」


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エアチェックの夜 8

第8回 クルマ・新宿・アルバイト 2001.4.29


POPS26 1984.1.22

Hero/George Duke
Time Will Reveal/DeBarge
This Time/Block Walsh
The Smlie Has Left Your Eyes/Asia
Magnetic/Earth,Wind & Fire
You Can Still Rock In America/Night Ranger
Bad Boys/Wham!
Karma Chameleon/Culture Club
Cum On Feel The Noize/Quiet Riot
Owner Of A Lonely Heart/Yes
Strange Eyes/Son's Of The Heros
Talking In Your Sleep/The Romantics
Twist Of Fate/Olivia Newton-John
Ask The Lonely/Journey
Jump/Van Halen
Night Bird/Stivie Nicks


1984年、20歳で自動車免許をとり、クルマを買った。
80年型カリーナの4年落ち中古、35万円。
親から金を借り、クルマに詳しい友人の勧めで近所の中古車屋で選んだ。

実は運転はそれほど好きではない。
クルマも嫌いではないが、雑誌を買ったりパーツを変えたりはしない方である。
実際購入した時も、本当は2BOXタイプが好みだったのに、途中で選ぶのが面倒になり、おっさんくさい白のセダンになってしまった。

クルマを買った理由は、単純に女の子を乗せてドライブしたかったからである。
まわりの友人に比べて買ったのは早い方だったので、結構重宝がられ、自慢に思ったりもした。
自分は酒を飲まないので、いつでも運転できる。
友人との飲み会にクルマで出かけ、終電がなくなった後、女の子達を順番に家まで送ったりしたこともあった。
(その後何もなかったけど。)

買った後で気づいたのだが、中古のカリーナにしては後付けのかなり立派なオーディオがあった。
メーカーはパナソニックだが、デッキとチューナーが別になっており、重厚な感じがした。
実際には車内はエンジン音もうるさく、音環境としては大したことはないのだが、スピーカーも立体型のむやみにでかいヤツで、家のどのオーディオよりも音の広がりが違うように感じた。

クルマは持っているだけで駐車場代・保険・税金などカネのかかる道具である。
ガソリン代・有料道路料金など、走ればなおさらカネのかかるしくみだ。
買ったからにはカネがいる。
それまで短期のちっぽけなアルバイトばかりしていたが、ちょうど夏休みなので、少し長く勤めてみようと思い、バイト情報誌で探すことにした。

今でもよく覚えているが、バイト探しでそのとき候補に残ったのは3つである。
 ・ゴルフ練習場の球集め(品川)
 ・飛行機内の清掃(羽田)
 ・雀荘の店員(新宿)
条件を見ると、どれもだいたい夕方5時くらいから夜12時くらいである。
よく考えると、品川も羽田も夜12時に終わると電車がなく家に帰れない。
そこで新宿を選んで連絡し、店で話を聞くことにした。
場所は西口だし、フリー雀荘ではないようなので、あまり不安はなかった。
ヤバそうだったらやめちまえばいい。

店は西口のカメラ屋のあるビルの4階だった。
「実はね、働いてもらう時間帯は、夜11時から朝9時まで」
いきなり話が違う。だって夕方5時から夜12時までって書いてあったじゃん。
「ホントのこと書くとね、情報誌が載せてくんないのよ」

断ろうかとも思ったが、クルマは買ってしまったし、また別の仕事を探すのも面倒である。
ヒマだったこともあり、その店でとりあえず8月の1ヶ月間働くことにした。

自分の他に早稲田と明治の学生バイトが延べ20人ほどおり、サークル仲間が交代で働いているようだった。
自分のような情報誌から見つけて入店したヤツはいなかったが、夜はバイト2人のことが多く、人つきあいの苦手な自分でもそれほど困ることはなかった。

その店ではバイトが客と打つことはまずない。
お茶やおしぼりを出し、注文があればカレーやラーメンなどの食事も作る。
後はタバコを売ったり、パイや卓の掃除がほとんどで、始発が動く時間にはだいたい客は帰るので、ヒマな時間もけっこう長かった。
はっきり言って、ラクなバイトだったのだ。

とはいえ、夜中ずっと起きて働くので、昼間は寝なければカラダが持たない。
クルマなんか乗ってる時間もなくなってしまったのだ。
何のために働いているのか、わからなくなってしまった。

そのころ流行った曲に、ナイト・レンジャーの「You Can Still Rock In America」がある。
この曲はクルマを運転中に聴くと、ついスピードを出したくなるようなサウンドだ。
この「飛ばしたくなる」曲の元祖としては、タイトルもそのままの、パープルの「Highway Star」「Speed King」などがある。
ナイト・レンジャーの音はパープルよりも明らかに「軽い」のだが、この曲の「飛ばしたい」衝動はパープルよりも上だ。
曲のテンポと、エドワード・ヴァン・ヘイレン風の半ばキレちまったツイン・ギター。
のちのボン・ジョヴィやデフ・レパードのようなコーラスのサビ。
だが決して重厚ではなく、メタルでもない。

ナイト・レンジャーはツイン・ギタリストが売りだったり、バラードになるとドラマーがボーカルをとったりする、バラエティに富んだ不思議なバンドだ。
そういった意味では、イーグルスのようなバンドでもある。
シングル・カットもバラードが多い。
アルバム「Midnight Madness」のラストの「Let Him Run」は名曲だと思う。
「飛ばしたい」衝動が強いのはこの「You Can Still Rock In America」1曲だけだ。

当時この曲を含めた「飛ばしたくなる」曲ばかり選んでテープを作り、友人の運転で深夜の首都高速を本当に「飛ばした」こともあった。
クルマを手に入れたばかりの若い男というのは、どいつもこいつも単純にバカなため、同じようなことを考えるものだ。「早いヤツがエライ」。
そして免停になったり、事故を起こすヤツが続出したりして、みんな徐々におとなしくなっていく。

バイトの店には小さなラジカセがあり、客が全員帰った後は、朝まで音楽をかけながらバイト仲間と店の掃除をしたりした。
ときどき真夜中に「You Can Still Rock In America」がかかり、掃除が急にはかどったりするので、大笑いしたこともある。
ダンス音楽とは全く違うのだが、「カラダを早く動かしたくなる」曲なのだ。

クルマを「飛ばす」つもりで聴くはずだった曲を、クルマに乗れず深夜の新宿で聴くことの矛盾。
笑うしかない昼夜逆転生活は8月いっぱい続いた。
31日間で休みは4日だけだった。
バイトと寝ること以外、本当に何もしなかった。

その後バイトも週一に変わり、ようやくクルマにまともに乗れるようになったのは、買ってから2ヶ月後のことだ。
結局大学卒業までこの店で毎週働いた。
カタギの自分にとって、貴重な2年半の体験だったとも言える。

今でも運転中にラジオでこの曲がかかると、「飛ばしたい」衝動と、あのころの深夜の新宿の光景が、交代でアタマの中に押し寄せるのだ。


夜もすっかりふけて参りました。
高速道路を走行中のドライバーのみなさま、この曲には充分ご注意下さい。
ナイト・レンジャーで、「You Can Still Rock In America」。


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エアチェックの夜 7

第7回 カルチャー・クラブ 2001.4.15


POPS21 1983.5.8

Fall In Love/Earth,Wind & Fire
Orainae/George Harrison
Billie Jean/Michael Jackson
One On One/Daryl Hall & John Oates
Mr. Robot/Styx
Do You Really Want To Hurt Me/Culture Club
Change Of Heart/Tom Petty & The Heartbreakers
The Other Guy/Little River Band
Be Good Johnny/Men At Work
Cool Places/Sparks
Cry Boy Cry/Blue Zoo
Little Too Late/Pat Benatar
High Life/Modern Romance
Too Shy/Kajagoogoo
Land Of 1000 Dances/J. Geils Band
Family Man/Daryl Hall & John Oates


自分は実は人と話すのが苦手である。
いわゆる人見知りというヤツだ。
自分を知っている人にきけば、「意外だ」という意見と「その通り」という意見が分かれるはずだ。
一般的にも、相手によって話す態度が異なることは、それほど珍しいことではないだろう。
ただ自分の場合、それがかなり極端なのである。

「誰とでも仲良くなれる」「初対面でも緊張しない」といったことは、自分には全く当てはまらない。
しかし決して人間嫌いではなく、また話すことが嫌いなわけでもない。
むしろ孤独に対しては敏感であり、周囲の自分に対する評価や印象は気にする方だ。
相手が確実に話しやすい人間であることがわかると、かなり饒舌になってしまうことがある。
ただしこういうことはあまり多くない。
わかりにくい性格である。

初対面の場合、まず相手が何者なのかを判断してから接触するのが自分のパターンだ。
相手のことをよく知らない場合、趣味で判断することが多いと思う。
好きな音楽、ひいきの球団、乗っているクルマなど、そいつを判断するのに材料となるのが「趣味」ということだ。
互いに洋楽が好きとわかり、それがきっかけで友人となったこともある。
これも一般的にはよくある話だろう。

学生時代、この性格の難しさに若さも手伝って、周囲からかなり奇異に見られていたと思う。
高校では学級委員のようなことをしていたのだが、受験や家の事情でのイライラもあって、かなり独善的にクラス運営を進めていた。
運営というと大げさだが、クラスの行事や席替えなんかの決定を、ほとんど独断で進めていたのだった。
当然多くの女子生徒から反発もあり、一時孤立したような状態になったことがある。
本当はみんなから「愛される学級委員」でありたかったのだが、かなり意固地になっていたため、事態は一向に改善しなかった。

理解してくれる友人もいたが、それは自分の「饒舌で人を笑わすのが好きな性格」を「見せている」相手に限ったことで、大半の同級生にとっては、「いつも怒っているイヤなヤツ」としか映らなかったはずである。
今もこの性格は対して変わっていないが、さすがにそれだけでやっていけるほど日本の社会は甘くはない。あまりにも単純な話だが、自分も若い頃はただの「Angry Young Man」だったのだ。

さて、このころ登場したバンドにカルチャー・クラブがある。
ボーカルのボーイ・ジョージの中性的キャラクターのイメージが先行し、イロモノバンドのように扱われることも多いが、音楽的センスとしては秀逸なベースを持っていたと思う。
レゲエやダンス・ミュージックを土台としたサウンドや、また準メンバーのヘレン・テリーのコーラスなどはけっこう気にいっていた。
どちらかというと女性に人気があり、今で言う「ビジュアル系」「プロモ・ビデオ」のハシリだった存在が、カルチャー・クラブなのだ。

そしてこのころから洋楽界は映像を加えた売り方が台頭してくるようになる。
それがプロモーション・ビデオである。
かなり以前からプロモ・ビデオはあったが、単純に演奏風景を撮したものや、口パクの「歌う天気予報」的なものが多かった。
しかし82年頃から、ストーリーを持った映像や、特撮によってアーチストや曲を演出した映像が作られるようになった。マイケル・ジャクソンの「スリラー」もこの年の作品である。

話は高校の頃に戻る。
相変わらず「怒れる若者」だった自分と、クラスのある女子生徒は、カルチャー・クラブをきっかけに氷解することになるのだ。
ボーイのファンだった彼女は、下敷きにボーイの切り抜きを入れて使っていた。
たまたまそばを通りかかった自分が、それを見て何気なく「あ、ボーイ・ジョージだ」と口にしたのだ。
彼女は自分の顔を見上げ、「カルチャー・クラブなんか知ってるんだ・・」と、とても驚いた様子だった。やはりそんな音楽を聴くようには見えなかったらしい。
それまでお互いほとんど口をきくこともなかったが、自分がカルチャー・クラブを聴くことを知ってから、彼女はおだやかな対応をしてくれるようになった。

それからまもなく高校も卒業し、結局大半の女子生徒からは奇異な目で見られたままだったと思う。
しかしボーイのファンだった彼女は、卒業後もたまに街中で会ったりした時には、笑顔で話しかけてくれたりした。

今でも人見知りする性格は変わることはない。
また音楽も、他人に理解されるために聴いているわけではない。
しかし、音楽が自分を理解してもらえる要素であるなら、これからも誇りを持って聴いていくつもりだ。
取っつきにくいと思っていた相手との距離を、一気に縮めるだけの力を、音楽は持っている。
こんな性格の自分にとっては、やはりなくてはならないものなのだ。


今日は少し変わったバンドの紹介です。
イギリスから登場した、中性的ボーカルが印象的な、カルチャー・クラブのデビュー曲、
「Do You Really Want To Hurt Me(君は完璧さ)」。


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エアチェックの夜 6

第6回 アバ 2001.3.31

POPS14 1982.3.14

Waiting For A Girl Like You/Foreigner
Let's Go/Cars
One Of Us/Abba
Leather And Lace/Stievie Nicks
Comin' In And Out Of Your Life/Barbra Streisand
Keep On Loving You/REO Speedwagon
Scissors Cut/Art Garfunkel
I Can't Go For That/Daryl Hall & John Oates
Move On Me/Olivia Newton-John
Steal The Night/Stievie Woods
Little Tenderness/Sheena Easton
Love Is Alright Tonight/Rick Springfield
Los Angelenos/Billy Joel
Sweet Dreams/Air Supply
Tonight I'm Yours/Rod Stwert
Oh Pretty Woman/Van Halen
Don't Stop Believin'/Journey


若い頃の趣味や嗜好を振り返ると、驚くほど純粋だったり、恥ずかしくなるくらい悪趣味だったりすることは誰にでもあることだ。
音楽でも「昔聴いていた」ことを他人には少し言いにくい、そんな存在が誰にでもあるだろう。
それはある人にとってはベイシティ・ローラーズだったり、またレイフ・ギャレットだったり、エア・サプライだったりする。
その「恥ずかしい」存在が、最近思わぬところでトレンドになっていることを知った。
アバである。

先日まで放映していたドラマの主題歌として、アバの曲が使われた。
そのせいか、FMでも最近よくかかるようになった。
そして、昔のファンには懐かしく、若い世代には新鮮に受け止められ、ベスト盤が好評らしい。
アバくらいになると、ベスト盤もいろいろある。
驚いたことに、自分はそのいろいろあるベスト盤の収録曲のほとんどを知っている。
結構聴いていたのだ。

ビートルズで洋楽の入門を果たした自分が、次に選択したのがアバだった。
聴き始めたのは中学生の頃だが、当時はアバを聴いていることを自慢に思ったりしていた。
「まわりのガキどもはまだ歌謡曲などを聴いているのに比べ、オレ様はすでにアバ」といった、今考えると力いっぱい勘違いなのだが、そんな思いで聴いていた。

エアチェックしたテープの中で、最も古いのは実はビートルズではなくアバのものだ。
しかも音源はAMラジオである。
23年ほど前の音だが、ゆがんだりもせず、意外にノイズもなくまともに聞こえる。

82年頃まで、アバはリアルタイムだった。
しかし83年以降は流行の音楽シーン、つまりチャートに登場してこなくなった。
若者は流行に敏感であり、かつ流行を過ぎたものには冷たい。
自分も例外ではなかった。
もはや誰も聴かないアバなど、「聴いていた」ことすら恥ずかしく、「ダサイ」存在になっていった。本当は音として聴いていて飽きないのだが、友人から「お前まだアバなんて聴いてんの?」と言われることを恐れるようにすらなった。(少し大げさだが。)

その後アバのレコードを借りることもなく、テープは1本きりで増えることもなかった。
しかし決してテープを消したり、他の音を上書きするようなことはしなかった。
ファンと言うほど真面目ではないが、捨てることもしなかったのだ。

84年にクルマを買った。
友人の間では比較的クルマの購入は早い方だった。
中古車のわりには立派なデッキが付いており、自慢のエアチェックコレクションをかけて、用もないのに友人を乗せて横浜あたりを走ったりした。
ただ、やはりアバだけは他人に聴かせることもなかった。
おそらく同じ世代の当時の若者にとって、つまりアバとはそんな存在だったはずなのだ。

アバは元々はビョルンとベニーの男性デュオに、アグネタとフリーダの二人が加わって、それぞれ夫婦となったグループである。
結局は二組とも離婚してしまったが、オトコ所帯でもめたり解散したりといったロックバンドとは、いわば対局にあるようなグループだったと思う。
ハートやブロンディやプリテンダーズなど、女性がボーカルをとるバンドは当時他にもあったが、アバとは雰囲気は全く違う。
これらのバンドは、それぞれウィルソン姉妹やデボラ・ハリー、クリッシー・ハインドといった、強烈なキャラクターを持つ女性が男どもを従えて登場、という売り方だったのだ。
アバにはそんな雰囲気は全くなく、文字どおりファミリーなイメージだ。
まあ比較するのは無理があるかもしれない。

アバはたぶん「ロックバンド」ではないし、それよりアバを「バンド」とはあまり言わない。
親しみやすいメロディやコーラスは、正直今聴いても飽きない。
思いの外バラエティに富んでおり、ちゃんとロックナンバーもある。
例えて言うなら、アバとは「NHKでも放映できる」音楽なのだ。

ロックの魅力に離合集散がある、と前回書いたが、アバにそんなものを求めるヤツはいないだろう。
矛盾するようだが、アバはただ流行っていて楽しかったから聴いていたのだ。

アバが世界中で受けたのは、もちろん音や詩の良さ、コーラスや歌のうまさなどが理由だろう。
それとは別に、自分にとってはアバにはたぶん「安心」があったのだと思う。
「まわりのガキどもに差をつけた」つもりで、革新的に聴いていたはずのアバが、いつの間にか自分にとって「こころが安定する音楽」になっていた。
夫婦という「家族」の営む音楽に、おそらくは無意識のうちに、「他人」同士がもめあうロックバンドにはない「安定」を感じていたのだ。

「家族」は居心地のよい反面、気恥ずかしいものだ。
例えば他人に自分の親を紹介する時、なぜか恥ずかしさを覚えることがある。
「アバを聴いていた」ことの恥ずかしさとは、また別の感覚なのだが、通じるものがあると思うのは自分だけだろうか?

そして最近、またアバはトレンドである。
ただ、もうドラマは終わってしまったし、いつまでトレンドでいられるかはわからない。
若い世代にはすぐに忘れられてしまうかもしれない。

ちょうどドラマが放映されていた頃、CDショップで、数人の女子高生がアバのベスト盤を買っているのを見た。
もちろん彼女らと自分では、アバを聴く動機は全く別のはずだ。
でも若い世代がCDを買っているのを見た時、こちらも「安心」するのがアバなのだ。
数年前までは長いこと自分にとって「恥ずかしい」存在だったアバが、その時だけは少し「誇らしい」存在になっていた。


それでは今週最後の曲。
昔懐かしいあのアバのナンバーから、
「One Of Us」。


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エアチェックの夜 5

第5回 離合集散 2001.3.14

POPS12 81.10.11

For Your Eyes Only/Sheena Easton
Lady/Commodores
Fire And Ice/Pat Benatar
Night Games/Glaham Bonet
Hold On Tight/ELO
Backfired/Deborah Harry
Urgent/Foreigner
Here I Am/Air Supply
Who's Crying Now/Journey
Jessie's Girl/Rick Springfield
Hard To Say/Dan Fogelberg
Girls On Film/Duran Duran
Tryin' To Live My Life Without You/Bob Seger
Going Downtown/Stray Cats
Cantero' Per Te/I Pooh


1. ジャズ・落語
2. メタル・アニメ
3. ロック・プロレス

上記3つは、趣味としてのジャンルの組み合わせである。
組み合わせの前者は音楽のジャンルだが、後者は音楽と何の関係もない。
また各3パターン間にも特に関係はない。

統計をとったわけではないし、根拠は何もない。
だが、自分にはこの組み合わせを趣味とする知り合いが複数いるのである。

ジャズと落語の組み合わせは、意外に多いのではないかと思う。
自分の知り合いには4人いる。中学の同級生2人、会社の元同僚2人である。
自分はジャズも落語も守備範囲外なので、何が共通するのかはわからない。
しかし、この4人とも、ジャズ・落語の組み合わせの存在を認めている。

メタルとアニメも、組み合わせとして「そう言えばいる」というところではないだろうか。
最近では、アニメ主題歌をメタル調にアレンジした「アニメタル」というタイトルでCDも出ている。
ただし、これも自分は守備範囲外である。

ではロックとプロレスの組み合わせはどうだろう。
まず自分自身はこれに該当する。(両方ともあまりまじめなマニアではないが。)
周囲に1人くらいは、両者を趣味とするヤツがいるのではないか。

ハードなロックナンバーは、レスラーのイメージに合うし、テーマソングに使われることもある。
エリック・クラプトンがかなりの格闘技通であることはよく知られている。

最近になって、両者にはある魅力的な共通項があることに気づいた。
それほど説得力のある話ではないかもしれないが、「離合集散」である。
つまりロックバンドの解散・脱退・再結成と、プロレス団体の解散・脱退・再結成・引退後の復帰などが、ジャンルの特徴のひとつとして似ているということである。
そして、こういったモメネタが自分は大好きなのだ。

人間同士の集団なので、初めは目的を同じとして集まり、やがて意見を違え離散していき、再び集まったりする。
宗教や企業・政党などにも同じ現象はよく起こる。
しかしロックとプロレスには、その様子を伝える専門のマスコミの存在がある。
それがファンの目を引き、ニュースとなり、宣伝効果を発揮し、時にはジャンルの魅力になったりするのである。
ロックファンというのは、バンドメンバーの動向を意外に追っているものだ。
プロレスファンも、レスラーがどの団体を経て今に至るか、かなり詳しく知っている。

離合集散がロックの魅力だというのは、かなり暴論かもしれない。
本来はエンターテインメントなものであり、音楽や詩が評価されてしかるべきものだ。
バンドの解散や、バンドの顔だったメンバーの脱退は、ファンにとってもダメージとなることも多い。
しかし、バンド解散やメンバー脱退が、アルバムの帯にアオリ文句として書かれるのはロックの特徴でもある。
もちろんジャズの世界にも落語の団体にも、同じ様な事態は起こっているのだろう。
しかしジャズや落語を語る時、離合集散がジャンルの魅力にまではなっていないと思う。
「さらばコージー・パウエル!」なんて文句は、ジャズのアルバム帯にはないだろう。

メンバー本人達にとっては迷惑な話かもしれないが、離合集散がひとつの売りのようになってしまっているバンドもある。
ディープ・パープルは代表格である。「パープル・ファミリー」という言葉もあるくらいだ。

また離合集散の中で、時にスーパーユニットと呼ばれるほどのグループが結成されることがある。
ブラインド・フェイス、ハニー・ドリッパーズ、エイジア、トラベリング・ウィルベリーズなどがそうだ。
これはロックファンにとってもプラスに作用する例なのである。
ただしスーパーユニットは、不思議なほど長続きしない。


フォリナーは1976年に結成された英米混成バンドである。
元々は6人編成だったが、81年に4枚目のアルバム「4」を発表し、その名のとおり4人組となった。
イアン・マクドナルド、アル・グリーンウッドという2人が脱退したのである。
脱退だけなら、どこのバンドにもよくある話だ。
しかしフォリナーの場合、真実かどうかは不明だが、2人脱退のウラ話として実に印象深いものが記憶に残っているのだ。

その話とはこうだ。
リーダーであるミック・ジョーンズは、イアンとアルの2人と意見が合わず、バンド解散まで考えていたが、バンドが自分のものであるという自負もあった。
そこでミックを含む4人は、イアンとアルにスタジオ集合時間を伝え、自分たちはその時間にはスタジオに行かないという行動に出たのである。
何度か繰り返すうち、イアンもアルも、「これはどうやら俺達をはずしたがっている」ことに気づき、脱退してしまったというのである。
しかも思惑どおり2人の脱退を成し遂げた4人は、2人の作ったテープをゴミ箱に捨ててしまった。

繰り返すが、この話は真実かどうか定かではない。
自分は雑誌とラジオでこの話を知ったのだが、あまりにも人間くさい内容に、不謹慎ながらわくわくした覚えがある。
これが理由でフォリナーを嫌いになったりすることは全くなかった。
純粋にロックの音や詩を追求しているファンから見れば、自分の感覚はすこぶる邪道なものだろう。
しかし、こういう楽しみ方もあることも、また「ロックならでは」なのである。

本来ロックとは反体制的な存在である。
離合集散は宿命のようなものであり、言い換えれば人間の業である。
かいま見える人間同士の思いのぶつかり合いが、ロックそのものであり、そしてそこから生まれる音楽は、時として平常心で作られたそれよりも大きな感動を呼ぶことがあるのだ。
ビートルズの「アビー・ロード」が名盤である理由もそこにある。

4人となったフォリナーは、アルバム「4」が大ヒットし、皮肉にも2人の脱退が成功に発展していった。
世界中をこれだけ感動させる素晴らしい音楽を作る人たちが、中学生のイジメのような行動をとってもめている・・
考えただけでも、おもしろくてしかたがないと思いませんか?


それでは今週の新曲。
タイトルどおり4人となったフォリナーの「4」から、
「Urgent」。


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エアチェックの夜 4

第4回 ジョン・レノン 2001.2.24

POPS8 1980.11.30

All About Love/Air Supply
More Than I Can Say/Leo Sayer
All Over The World/ELO
Never Knew Love Like This Before/Stephanie Mills
Don't Stand So Cross To Me/Police
Gotta Pull My Self Together/Nolans
Tunnel Of Love/Dire Straits
Stop This Game/Cheap Trick
Starting Over/John Lennon
Morning Man/Rupert Holmes
Hotel Carfornia/Eagles
Hungry Heart/Bruce Springsteen
Go Through It/Blondie
Bermuda Triangle/Barry Manilow
Woman In Love/Barbra Streisand


上記は8本目のオムニバステープの収録曲である。
ジョン・レノンの死ぬ10日ほど前に作ったテープだ。(今気づいた。)
「新曲」としての「Starting Over」が収録されている。

1980年はビートルズが解散して10年たった年でもある。
この年の初めに、ポールは日本に大麻を持ち込んで捕まり、そしてジョンが年末に亡くなった。
二人のビートルは10年後に再び大きく世間を揺るがすことになったのだ。

ジョンが死んだ日、学校から家に帰ると夕方テレビでニュースが流れ、事件を知った。
正直、ショックはさほどなかった。
ビートルズはもちろん聴いていたが、リアルタイムではなく、またジョンのソロにはあまり興味はなかったためかもしれない。

翌日学校に行く途中、同じ放送部のMが話しかけてきた。
「ジョン・レノン死んじゃったなあ」
「・・うん」
相づちをうっていると、彼はこう言った。
「夕べは一晩中ジョンのレコードを聴いていたよ」
これにははっきり言って驚いた。
同い年なのに、ここまで深い反応をするヤツもいるのか・・と思った。

学校でもかなりの人数がジョンの話題を口にした。
当時すでに自分が洋楽オタク化していたことは、親しい友人には知れていたので、本当は大したショックなんぞなかったのだが、それなりに衝撃を受けたフリをしていた。

ラジオでも頻繁にジョンの曲がかかった。
エアチェックしていろいろ聴いてみたが、結局「ジョン・レノン」としての1本のテープを作るまではしなかった。
最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」も、貸しレコード屋にたくさん入荷されたが、借りなかった。このアルバムは結局いまだに聴いていない。

自分は明らかにポール派なのだろう。
そう意識したことはあまりないが、70年代のウイングス時代の曲はたくさん聴いた。
世界中の論評であまりにも明らかなことだが、ジョンとポールの曲は全く違う。
ジョンは一または二人称の詞が多く、ポールが作るような架空の物語風な詞はない。
ジョンの音はブルージーで芸術性が強く、ポールのようなエンターテイメント性は少ない。
こういったいわゆるステレオタイプな論評に、異を唱える人もいるが、基本的に自分はこのとおりだと思っている。
そしてポールのバラエティに富んだ、楽しそうな音を好んで聴いてきた。

死後年月が経つにつれ、ジョンの生前の活躍を様々なメディアで知ることになる。
曲もあらためて聴いてみた。
しかし「これはいい曲だ」と思うことはあっても、「ジョン・レノンはいいな」とまではならなかった。これは今でもそうだ。
「Stand By Me」が好きだとジョン好きの友人に言ったら、「それはカバーだろうが」と叱られたことさえある。

ジョンの死そのものは、さほどショックではなかったが、周囲や世間の反応は不思議なほどよく憶えている。
それだけでかいニュースだったことくらいは、自分にもわかった。
その後も様々な有名人の死をニュースとして知っていくことになるが、最近気づいたことがある。
自分が年齢を重ねるごとに、有名人の死の衝撃度合いが大きくなってくることだ。

ジョンが死んだ当時の自分には、死というものの意味がまだよく理解できなかったのだろう。
その後自分の成長とともに肉親の死を経験し、死というものがどういうものなのかわかってきたため、有名人の死を知り、その周囲や世間の反応に自分の体験を重ねて考えたりするようになったのだ。

最近知ったミュージシャンの死で衝撃だったのは、ベンジャミン・オールである。
カーズのベーシストだ。この人の名を憶えているなら、かなりの洋楽通だと思う。
自分は実はそれほど真面目にカーズを聴いていたわけではない。
ただどちらかと言えば、奇人変人的なリック・オケイセクの歌よりも、ベンのボーカルである「Let's Go」「Drive」といった曲が好きだった。

新聞の小さな記事でベンの死を知ったときは、かなりショックだった。
自分にとってはジョン・レノンの死よりベン・オールの死の方が衝撃だったのだ。
そんなヤツは世界中にもそう多くはいないだろう。
ただ、もし仮にジョンが射殺されたのが2001年の今だったとしたら?
おそらくベンの死よりもずっと衝撃は大きかったのかもしれない。
「若いから多感である」という理屈が、通用しない場合もあるのだ。

何年か前、ジョンのベスト盤CDを買ってみた。
ベスト盤でも、やはり全部は受け入れられなかった。
「ガキにはジョンは難しい」とは友人の名言だが、自分には「今でも難しい」ジョン・レノン。
ジョンが死んだ年齢まで、自分に残された時間は意外なほど少なくなっている。


それでは今日の新曲。
ジョン・レノン久々のニューアルバムから、
「Starting Over」。


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エアチェックの夜 3

第3回 Born In 1964 2001.2.12

POPS6  1980.8

Lost In Love/Air Supply
Price On Love/Knack
Ride Like The Wind/Christopher Cross
Anyway You Want It/Journey
Second That Emotion/Japan
Call Me/Blondie
I'm Alive/ELO
Pilot Of The Airwaves/Charlie Dore
We Live For Love/Pat Benatar
Killer Queen/Queen
Shandi/Kiss
Clones (We're All)/Alice Cooper
Play The Game/Queen
Day Tripper/Cheap Trick
New Romance/Spider
You May Be Right/Billy Joel
Good Times Bad Times/Cheap Trick
China Town/Thin Lizzy


自分は1964年生まれである。

1964年は東京オリンピック開催と東海道新幹線開通があった年である。
日本の歴史の中ではかなり大きなイベントのようだ。
テレビは生まれる前からあった。
オリンピックの記憶は札幌・ミュンヘンからである。
長嶋茂雄の現役にはかろうじて間に合い、アポロ12号の月面着陸もかすかに憶えている、そんな世代である。

各界にはこんな同い年がいる。
薬師丸ひろ子、野々村真、内村光良、高島礼子、山口智子、ヒロミ。
斎藤雅樹(巨人)、石井浩郎(近鉄-巨人-ロッテ)、ジャン・アレジ、ブラッド・ピッド、アンディ・フグ。

世代としての特徴は、当事者としてさほど感じるものはないのだが、マスコミではボーダーライン世代として引き合いに出されることがままあるようだ。
ボーダーラインとは、新しい機械やメディア・技術などに反応する割合がちょうど半分くらいだという意味らしい。
具体的には、パソコン・携帯電話・電子メール・インターネット・ゲーム機などを指し、よく使う人とほとんど使わない人がちょうど半分ということだ。
下の世代は当然使う側の割合が多く、上の世代はその逆である。
どんな統計に基づくものかわからないが、思い当たるところは確かにある。

それはなぜだろうか。
育ってきた過程において、音楽メディアが革命的発展を遂げているからだ。
1979年、ソニーのウォークマンが登場した。中学生の頃だ。
そして1982年にコンパクト・ディスクが登場する。

同世代なら、CDの初期の頃の価格を憶えているだろう。
普通のアルバムが3200円。当然LPより高かった。
こんな値段では普及するはずがないと、多くの人が思っていた。
しかしその後の展開は想像以上に急激だった。

我々はこういった技術やメディアの転換に、年齢的に反応しやすい最後の世代なのだ。
すでに生まれた時からCDがあったり、音楽を聴き始めた頃にはCDが普及していた、下の世代。
LPからCDへ移行した頃には、すでに社会人となって働いており、音楽から少しずつ遠ざかってしまっていた上の世代。
ちょうどその間に、1964年生まれを中心とした我々の世代がいるのである。

* * * * *
 
自分はLPレコードすら満足に買えない状態だったので、もっぱらエアチェックばかりしていたのだが、1980年頃、素晴らしい商売が登場した。
貸しレコード店である。

近所に初めて貸しレコード店ができてから、頻繁に通うようになった。
商店街の、炉端焼き屋がつぶれた後にできた「ブラウン」という店だった。
店の雰囲気は、今思うと西新宿のブート盤屋に似ていた。
店に出入りする若者の中では、かなり若い方だった気がする。
なにしろLPが1泊2日で300円程度である。先を争って新譜を借りた。

エアチェックは徹底して受け身だ。
しかし貸しレコード店登場により、能動的に音楽を選択するようになった。
エアチェックではやりのシングルを聴き、気に入ったら貸しレコード店でアルバムを借り、さらに気に入ったら昔のアルバムもチェックする。そういった順序でコレクションしていった。

100本を超えるオムニバステープの中で、最も収録曲数が多いアーチストはクイーンである。
そしてもっとも多くのアルバムを「借りた」アーチストでもあるのだ。
「戦慄の女王」から「ザ・ワークス」までは全部「借りた」。
ちなみに現在CDで持っているのは「華麗なるレース」だけだ。(安かったから。)
クイーンが絶頂期を迎え、全米ナンバーワンを獲得し、次々とヒット曲を飛ばした時期。
ウォークマンが登場し、いつでも音楽を持ち歩ける時代になった時。
貸しレコード店の登場で、新譜から昔の名盤までを聴くことが可能になった時。
これらが全部シンクロしたのが1980年なのだ。
16歳だった。

マニアの間では評価の高い、クイーンのセカンド・アルバム。
サイドホワイト・サイドブラックという、A面B面を利用したコンセプト。
CDになった時、その魅力は少し希薄になったとよく言われる。
ビートルズの「アビー・ロード」のB面もそうだ。
あれはLPだったからこそ、意味のある、味わいのあるものなのだろう。

1980年の、クイーンの「ザ・ゲーム」。
最も興行的に成功したアルバムであり、またシンセサイザー使用を解禁したという、クイーンにとっては転換期のアルバムである。それゆえ、ファンの間では意外に評価は分かれるようだ。
しかし自分にとっては、数ある名盤の中でも思い入れのあるアルバムである。
2曲目の「ドラゴン・アタック」と3曲目の「地獄へ道連れ」の、ほとんど間をおかない流れ。
そしてB面1曲目の「ロック・イット」のイントロを待つ、緊張した瞬間。
これらはやはり、LPならではのものだ。

* * * * *

1964年に生まれ、エアチェック・ウォークマン・貸しレコードという文化に染まりながら、1980年代に音楽に(偏向はしたが)傾倒したことは、ある意味幸福だと思っている。

かつて「新人類」と呼ばれ、上下の世代から奇異に見られたことは比較的よく憶えている。
「近頃の若い者は・・」という言葉は、古代ローマ時代からあったらしい。
マスコミでも連日「恐るべき17歳」「荒れる成人式」などの文字が踊っている。
確かに1964年生まれの自分でも、荒れた成人式を見れば「バカだなあ」とは思う。
ただし20歳がバカなのではなく、クラッカーを鳴らしたヤツがたまたま20歳だっただけだ。
「世代の評価」に何の意味もないことなど、実は「我々の世代」はとっくの昔に気づいていたのだ。

これから音楽配信の時代がやってくる。
この配信時代に、10代の多感な頃を過ごした世代が、音楽をどんな風に感じていくのか、今とても興味がある。

それでは今週の第1位。
全米1位を獲得したクイーンの「ザ・ゲーム」から、
「Play The Game」。


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エアチェックの夜 2

第2回 唯一のライブ 2001.1.30

POPS2 1979.10

I Want Your Love/Chic
Tragedy/Bee Gees
Sultans Of Swing/Dire Straits
Don't Stop Me Now/Queen
Honesty/Billy Joel
Precious Love/Bob Welch
I Was Mode For Dancin'/Leif Garrett
Feelin' Satisfied/Boston
Heaven Knows/Donna Summer
Roxanne/Police
Goodnight Tonight/Paul McCartney
In The Navy/Village People
Heart Of Glass/Blondie
Speak Now/Cheep Trick
Love Of My Life/Queen
Love You Inside Out/Bee Gees


エアチェックでオムニバステープを作り始めて2本目で、あるバンドを知った。
ポリスである。

幸運なことにデビューからリアルタイムで聴くことができた。
気に入った曲があると、雑誌などでアーチストの素性や経歴などを調べるのがとても好きだ。
自分は「音楽は人から入る」のである。
さっそくポリスについて調べてみた。ソースはもちろん「ミュージック・ライフ」である。
イギリスの3人組で、ボーカルはスティングという名のベーシスト、他ギターのアンディ・サマーズ、ドラムスのスチュアート・コープランドというメンバーであることがわかった。

初期のポリスはレゲエ・パンク色を帯びたサウンドで、「ニューウェーブ」などと呼ばれたこともあった。
日本でも意外にデビュー当時から人気が出て、80年には来日公演が行われた。
そして翌81年、3枚目の「ゼニヤッタ・モンダッタ」という妙なタイトルのアルバムを発表し、再度日本公演が行われた。
この81年の日本武道館公演が、自分にとって初めて、しかも唯一のライブ鑑賞となる。

初めて見る日本武道館の大きさ、客の多さ、ダフ屋のガラ悪さに驚きつつ、友人と入場した。
東側2階席。決していい席ではなかったが、双眼鏡で3人の表情ははっきりわかった。
スティングがでかいウッドベースを持って登場。これは意外だった。
「高校教師」からスタートし、次々と演奏する3人。
途中スチュアートは何度かスティックを折り、その都度折れたスティックを客席に投げた。
アンコールは2回。2度目の登場の際、アンディがトンボを切った。
スティング以外の2人がかなり自分を主張しているように見え、カッコよかった。

その後ポリスはバンドとしては開店休業状態となり、スティングのソロ活動だけが目立つ。
バンドにとって解散・脱退・再結成などは宿命のようなものだ。
だが、ジャズに傾倒したスティングのソロサウンドはなじめなかった。
自分が好きなのはあくまでポリスのサウンドなのだ。

以後、ライブに行かなかったのは、ポリスのライブが気に入らなかったわけではない。
カネがないのも大きな理由だった。
そしてそれ以上に、ライブを見ている自分に、何か違和感を感じたのである。目の前にあこがれのアーチストがいて、まわりの観客とともに歓声をあげている自分。その姿をもう一人の自分が客観的に眺めているような、そんな感覚である。

そう、ライブを見ている自分のことを、ましてやライブ中に他人が見ているはずがない。
「こんなノリしてる自分はどっか間違ってるんじゃなかろうか」などと考える方がばかげている。
自意識過剰というやつだ。
だが、「ここは自分のいる場所ではない。」
意識のかなり底のあたりにそう感じたのだろうか。
以後どんなに魅力的なアーチストが来日しても、ライブに足を運ばなかった。

簡単に言うと「ライブが好きではない」ということになるのかもしれない。「そういうことともまた違う」と否定したくなる気もするが、とにかくエアチェックと雑誌のチェックが好きだっただけだ。
結果的にひたすら孤独にエアチェックを続けた自分は、いわば「音楽的引きこもり」状態となる。

正しく言えば、その前の年にポール・マッカートニー&ウィングスの日本公演を見に行くはずだった。
しかし公演はマボロシとなり、「チケット購入と払い戻しで電車賃損したなあ」という、つくづく貧乏な思い出が残った。
「行かれなくて残念だった」という感覚は、不思議と起こらなかった。

世間では本当の意味での若者の引きこもりが問題となっているらしい。
実際にヒッキーとなった経験はないので、確かなことは言えないが、引きこもりしてるヤツの半分は意地になっていると思う。
引きこもりをやめて外に出た時、家族や友人から「あれ?引きこもりやめたの?」と反応されることが、ヒッキーにとって最も恥ずかしいことなのだ。
自分が引きこもりをしようがやめようが、世界は関係なく回っている。
その現実をおだやかに受け止め、自意識の呪縛から解放されることが、ヒッキー脱退のポイントだと思う。

ポリスに話を戻す。
もう10年以上前だが、「ベストヒットUSA」というTV番組にアンディがゲスト出演したことがある。
小林克也の「この次の来日はぜひ3人で」という問いに、アンディは「そうしたいね」と答えた。

ハタから見れば「ライブ嫌い」にしか見えない自分だが、もし今ポリスが再結成されて日本に来るなら、行こうと思っている。
それは「行きたい」という希望ではなく、「行かなければならない」義務感のような感覚である。
このバンドは、自分にとってデビューと同時に自発的に好きになった初めてのバンドなのだ。
他人に勧められて好きになったのではない。俗に言う「自分で開拓した」バンドなのである。
それなりに年をとった3人を見ながら、また軽い違和感を覚えながら、ライブを楽しむことができると思う。
つくづくひねた感覚だと思うし、そんなヤツが見に来てもポリスも迷惑かもしれないが・・

あれから20年。
いつかポリスが再結成される日を待ちわびながら、引きこもりの日々は続いている。

それでは今日最後の曲。
ポリスで、「Roxanne」。


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エアチェックの夜

この「エアチェックの夜」はもともと友人の音楽サイトに、自分から志願して2001年1月から1年半の間、28回にわたり掲載させてもらった文章です。
なんてださいタイトルなんでしょうか。
その友人と違って自分は楽器や歌をやらないのですが、昔から洋楽が好きで、またミーハーな割にひねた感覚でアプローチしていたので、それを表現したらおもしろいかなと思ったのがきっかけでした。
当時の文章は一部訂正しましたが、大半は当時の作成そのままです。


第1回 エアチェックの夜 2001.1.13

POPS1 1979.5

A Man I'll Never Be/Boston
September/Earth,Wind&Fire
Hold The Line/Toto
Blue Morning,Blue Day/Foreigner
Shake Is/Ian Matthews
Chiquitita/Abba
Tragedy/Bee Gees
Le Freak/Chic
Cafe/D.D.Sound
Hammer Horror/Kate Bush
Too Much Heaven/Bee Gees
Californiaman/Cheap Trick
Reds In My Bed/10cc
One Last Kiss/J.Geils Band
Silver Lining/Player
Cercami /I Pooh


1979年から、洋楽オムニバステープを作成すべく、エアチェックを始めた。
上記は、その1本目の収録曲である。
エアチェックというのは正しい英語なのかどうかは知らない。
主にFMラジオの放送をテープに録音することの意味で使っていた。
動機はありがちなものだった。
同級生に洋楽を聴いているヤツが出始め、たいがいそういうヤツはマセたガキだった。
また3才上の姉はすでに洋楽にはまっており、部屋にはロニー時代のレインボーやキッスのポスターが貼ってあった。(今思うとビジュアル的にはあまりいい趣味とは言えない)
そんな環境に影響され、ビートルズ・アバを経てオムニバスに突入した。

エアチェックを続けたのはカネがなかったからだ。
当時レコードはLP1枚2500円程度。これは現在のCD新譜相場より高い。
前年の78年、当時はやっていた「ラテカセ」を父親に買ってもらった。
ラジカセにモノクロのテレビがついた、アレである。

エアチェックに主に使っていたのは以下の番組である。
・サンスイ・ベストリクエスト FM東京
・リクエスト・コーナー NHK-FM
・マイサウンド・グラフィティ FM東京
・クロスオーバー・イレブン NHK-FM

テープ作成にあたって、自分なりに決めていたことがあった。
 ・60分テープを使う
 ・トークを入れない
「トークを入れない」ようにするには、かなり神経を使う。
MDと違い、アナログテープは編集が容易ではない。
ダブルデッキが登場するのは3年ほど先である。
従って必然的に、曲紹介に耳を集中させ、メモをとり、曲が始まる直前にポーズボタンを解除する。
失敗したこともあった。ラジオの前で一喜一憂していた。

あれから21年。気が付くとオムニバステープは100本を超えていた。
さすがに後半はFMからのエアチェックはしなくなり、代わってMTVからのダビングやCDからの録音をするようになった。

エアチェックという行為も言葉ももはや絶滅し、メディアはレコードからCD、そして最近はネット配信と変化している。
「洋楽」というカテゴリーや言葉自体、若いヒトには無意味になっている。
最近の洋楽が良くないと言うつもりはない。オアシスやサードアイ・ブラインドはいいバンドだ。
ただ、当時たくさんあったはずのFM雑誌も、今はほとんど廃刊となった。
ラテカセを買ってくれた父親ももうとっくにこの世にいない。

昔からずっと、「趣味は何?」と聞かれたとき「ロック」と答えてきた。
そして必ず意外な顔をされた。ロックが趣味であるように見えないらしい。
確かに真実とは言い難いかもしれない。
楽器も歌もやらないし、楽譜も読めない。
歌詞の意味もわからないし、ライブもめったに行かない。
それでもやはり、ロックが好きだ。趣味である。
こういうアプローチのしかたも、あっていいと勝手に思う。

根性のない自分は、幼いころから続けてきた稽古事やスポーツというものが何ひとつない。
しかし21年前のこのテープは、今でもデッキに入れるとそれなりの音を出してくれる。
これからも、このひん曲がった勝手な解釈でロックを趣味として続けるつもりだ。
原点は、ひざをかかえてラジオに集中する「エアチェックの夜」。
これこそまさに、ロジャー・テイラーの「Radio Ga Ga」の世界だ。

それでは今日の1曲目。
ボストンの「A Man I'll Never Be」。


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塩ラーメンの予感

最近になって気づいたのだが、自分は実はラーメンがあまり好きではないらしい。
「らしい」というのは、意識したことがなかったからだ。
別に嫌いというわけではないが、有名店に並んでまで食べることはしない。
どう考えてもカレーや寿司のほうが食べる機会が多い。
まあラーメンも含めて、食べることにさほど興味が強いほうではない。

こんな自分だが、実は生涯忘れられないラーメンに出会ったことがある。
もう10年近く前になるが、夫婦で北海道を旅行中、室蘭の町中で小さなラーメン屋に入った。
おかみさんがひとりで作っているようで、客はほとんどいなかった。
カウンターに座り、ホタテラーメンを注文した。

ところがこれが倒れそうなくらいうまかった。
ホタテのだしがきいていて、汁も全部飲んでしまった。
あまりにうまかったので、おかみさんといろいろ話をし、最後に妻は店の外でおかみさんと記念写真まで撮った。

店の人と話をすること自体、自分としては非常にまれなことである。
だいたい寿司にしても「カウンターで注文しながら店のオヤジと会話を楽しむ」なんてことはできない。
自分は実は回転寿司が好きである。
理由としては値段が安いこともあるが、黙って食えることが結構重要なファクターだったりするのだ。
そんな自分が思わず店の人と口をきいてしまう。
それほどこの時のラーメンは圧倒される味だった。

食べてから気づいたのだが、ホタテラーメンは塩ラーメンだった。
それまでラーメンと言えばほぼ決まってしょうゆを食べていた。
(味噌は香りがダメで好きになれない。)
ヤバイくらいにうまかったホタテラーメンのせいで、それ以降塩ラーメンを食べるようになった。

残念ながらそれ以降室蘭には行く機会もなく、店もどうやらなくなったようだ。
ネットで何度か検索してみたが、探し当てることはできないままだ。
そしてあの味に匹敵するようなうまい塩ラーメンにも未だに出会っていない。

世の中にラーメン好きな人は多く、有名な店もたくさんある。
しかし人気のラーメンはたいがい味噌かしょうゆで、塩で人気の店は驚くほど少ない。
ネットでもラーメンサイトは山ほどあるが、塩専門に食べ歩いているような人のサイトは見たことがない。
(あったらぜひ教えて下さい)

歪んだ見解を承知で言うなら、今のラーメン業界は、こだわりの過ぎた「プロ客」によって塩が隅に追いやられているのだ。
もうそろそろ味噌やしょうゆにも皆飽きてくる。
脂ぎった暑苦しいラーメンばっかじゃ、健康にもいいはずがない。

そこで今、塩ラーメンである。
そう、2004年以降は塩の予感なのだ。
別に根拠ないけど。
なかなかうまい塩ラーメンに巡り会わず、なんとなくラーメン屋から足が遠のいている人も、きっと全国にたくさんいるんじゃないでしょうか。
店の側も各地で果てしなく続く激戦の中で、勝ち残るためにはもう塩で勝負しかありませんぜ。
だしはもちろんホタテやハマグリ、鰹や昆布といった海系のもの。
そう、あっさり塩味がこれからのトレンド。
「こってりしてないと物足りない」ってのはわかるけど、あっさり塩味が「嫌い」って人は、実はそんなにいないのではないでしょうかね?

ラーメンはマニアだけの食べ物ではない。
我々市民のものであり、塩が邪道などと決めつける資格など誰にもないのだ。
塩ラーメンを我等に!

・・・こうしてホントにネットから塩ラーメンブームが起こったりしたら、スゴイと思う。
流行りゃしめたもの。うまい塩ラーメンが食えりゃいいんです。

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男女混合出席番号

男女混合出席番号というのが、全国の学校で広まりつつあるらしい。
男子が先というのが差別の現れであり、それをあらためるところから男女は平等であ
るという認識を、学校側も生徒側も持つようにする、というのが目的のようだ。
目的自体否定はしないし、効果のほどはわからないけど、必要なら実施すればいいだ
ろう。

ただしこの話を聞いて思うのは、「出席番号が若いことで得することは実は少ない」
という実運用上の問題である。
なぜそう思うのか。
それは自分が常に若い番号だったからだ。
自分は「イ」で始まる姓なので、どうしたって若い番号にしかならなかった。
今でもよく覚えているので、示してみます。

小学校:
1年1組4番
2年2組1番
3年4組1番
4年4組1番
5年7組1番
6年2組1番

中学校:
1年1組2番
2年12組2番
3年13組4番

高校:
1年1組1番
2年4組1番
3年5組2番

どうです。9年間で6回の1番。すごいでしょう。
これが成績順位だったらよかったのだが、残念ながらただの出席番号である。

出席番号が1番だった時、最もイヤだったのが、テストやら発表やらの公式行事で、
最初に指名されてしまうことである。
特に体育や音楽のように、クラス全員の前で一発芸?を演じるテストがかなりつらい。

誰だってテストは緊張する。
それを全員が注目する中、まだ客席もあったまってない中、最初に演じなければなら
ないプレッシャー。
しかもそれが毎回、出席番号が1番というだけで強いられるのである。
その度に自分も「スドウ」とか「タニグチ」とか、あたりさわりのない位置になるよ
うな家に生まれたかったと、自分の運命を呪ったもんである。

要するに出席番号が最初だから得したって記憶は、実はあまりない。
給食が出席番号順にもらえた記憶はないし、尿検査提出だって最初に出さなきゃなん
ないし、はっきり言って「ロクなことない」のである。

男女混合名簿、大いに結構です。
ただし今までの男子が先の出席番号順に、そんなに男子有利な条件があったとはとて
も思えない。
そんなに最初に呼ばれるのが栄光なら、いくらでも譲って差し上げます。

混合にする目的と自分の主張がずれてるのは百も承知である。
が、今でも全国の気の小さいアオキ君やアイカワ君の苦悩は、変わっていないのでは
ないだろうか?
昇順降順でも「どっちだって同じ」と思ってのほほんとしてる全国のナカタとかハシ
モトに、「向こう1年オマエが1番だ!」と抜き打ちで宣告してやりたい気分である。

たかが出席番号。
でもそれを男女混合にしたところで、平等を教育することにつながるのか、自分とし
ては非常に疑問だ。

そういう意味では、「出席番号ルーレット制」を本気で文部科学省に提案したいとこ
ろである。
真の平等って、そういうことなんじゃないの?
誰も言わないけど。

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ビッグイシュー日本版

ビッグイシュー日本版を買った。

ホームレスしか売ることのできない、ホームレスの自立を目的とした雑誌である。
イギリスで創刊され、世界中で発行されているらしい。
日本でも関西で販売が始まり、先月から東京でも売られるようになった。
東京での販売開始を知ったのは新聞記事である。

ネットで調べると新宿南口で販売とあった。
その日たまたま東京ドームでK-1を見る予定だったので、新宿に寄ってみた。
南口では拾った雑誌を集めて売るという違法な露店が、相変わらず派手に営業中であ
る。
当然そこでは売っていない。
少し探すと、いかにも人の良さそうな感じの初老の夫婦が、一人の男とにこやかに話
しているのが見えた。
男は夫婦に雑誌を渡している。
あれだ。間違いない。
夫婦はその男に励ますような言葉をかけてその場を去っていった。

夫婦が離れたのを確認して、その男に近寄ってみると、そばに雑誌の束が置いてある。
「ビッグイシューですか?」と声をかけてみた。
男は立て続けに客がきたので少し驚いた様子だったが、「はい」と答えてくれた。
「買います、買います」
思わず2回も言ってしまった。
200円を払い、1冊受け取る。
何か言おうかとも思ったが、「がんばってね」というのもなんかエラソーな気がして、
そのまま何も言わずにその場を離れた。

内容についてはいろいろな意見があるようだが、率直な感想を言えば「きちんと作っ
てあるな」という印象だ。
オールカラーだし、絵や写真、レイアウトも普通の雑誌と遜色ない。
記事内容も結構バラエティに富んでいる。
ビョークのインタビューまであった。
「これ、ビョークはノーギャラかなあ」などと下品なことを考えた。

売り方が変わっているだけに、社会性の強い機関誌系のようなものを多少想像してい
たのだが、そうではないようだ。
デパートやCD店のフリーペーパーに近い感じである。
この内容であれば、「雑誌として買う」ことだけ考えても、抵抗は全くない。

社会的に困っている人を支援するしくみや団体はたくさんある。
しかし弱者救済を掲げながら、反体制色が強すぎる怪しい団体など、そのやり方にな
かなか賛同しづらい場合もある。
目的に対して手段が支持されなければ、行動する意味もないと思うのだが、取り上げ
る問題には難しい面が多く、なかなか簡単ではないのだろう。

そういう意味では、ビッグイシューが世界中で販売されてきた理由も、紙面を見て多
少わかった気がする。
目的のためには、この雑誌がやはり売れなければダメなのだ。
つまんない雑誌ではリピーターが確保できない。
見栄や流行で買うヤツがいたって構わないと思う。
売れればそれだけ目的に近づくのだ。

自分はなぜビッグイシューを買う気になったのだろうか。
ホームレス自立を支援したい。
その気持ちが全くなかったわけではない。
しかしながら「支援する自分」の姿に実は多少酔っているのも否定しない。
またホームレスしか売ることができないという、販売形態自体に好奇心がわいたこと
も事実だ。
以前オウム真理教が世間を騒がせた頃、有楽町で信者が広報誌のようなものを路上で
配っていたが、自分はわざわざ道路を横断して受け取りにいったこともある。
全くもって弱者支援などという崇高な行いとは、チカラいっぱい縁遠い下世話な人間
なのだ。
関係者の方からすれば迷惑な話かもしれない。
そんな乱れた心理の中、吸い寄せられるように買いに行ったのである。

ともあれ東京でも始まった、ビッグイシュー販売。
雑誌としてもおもしろいし、買うことでホームレスの自立に協力したという達成感?
もある。

また次も買ってみたい気になった。
次回も同じ人から買えるだろうか。
なぜだかよくわからないが、少しだけ新宿が楽しくなってきた。

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