聴いてない 第277回 レイ・パーカー・ジュニア

だらだらと適当に続く我が洋楽鑑賞遍歴において、ブラック・ミュージックは壊滅状態なのだが、当該案件についても例外ではない。
・・・まあ壊滅なのはブラックだけじゃなくメタルもプログレもパンクも同じですけど。
で、先日Mを調査していて名前を発見したのがこの方です。
お呼びしましょう、レイ・パーカー・ジュニアの登場です。(大歓声)

レイ・パーカー・ジュニア、聴いたのは2曲。
レイディオ名義の81年の大ヒット曲「A Woman Needs Love」、ソロの83年「Bad Boy」を聴いただけ。
「Bad Boy」は録音中テープが尽きてしまい、厳密には半分程度しか聴いてない。
映画「ゴーストバスターズ」のテーマソングも一応知っているが、エアチェック実績はなく、当時繰り返し流れた映画の予告編CMなんかで覚えてしまったレベル。
従って聴いてない度は2.5くらい。
壊滅してることに変わりはない。

「A Woman Needs Love」はアダルトなムード漂う感じは悪くなかったが、曲の良さを味わえるにはまだ幼かったためか、他の曲も聴いてみようとは思わなかった。
同時に録音したのが「Stars On 45 Medley」やジョージ・ハリスン「All Those Years Ago」、エア・サプライ「The One That You Love」、デュランの「Planet Earth」といった当時のヒット曲。
「A Woman Needs Love」はそれらにはさまれて録音されたので消さずにいただけという、重ね重ね失礼な状態だった。

レイ・パーカー・ジュニアについては、名前と上記3曲、あとは「ゴーストバスターズ」で訴訟問題に発展したことくらいしか知らず、顔もぼんやりとしか記憶に残っていない。
当時の雑誌で記事を見たこともなく、レイディオは何人組で誰がいたのかなど全くわからない。
そこで衆議院解散宣言を受けて総選挙直前にレイ・パーカー・ジュニアについて緊急街頭出口調査開始。

本名レイ・アースキン・パーカー・ジュニア、1954年ミシガン州デトロイト生まれ。
ジュニアと名乗っているが本人は次男で兄はオペルトンという名前。
父親レイ・パーカー・シニアは特に著名人ではないようです。

レイ・パーカー・ジュニアは大学卒業まで地元デトロイトで過ごしたが、高校生の頃には早くもナイトクラブで演奏するバンドのメンバーとして活動開始。
16歳でマーヴィン・ゲイのレコーディングに参加したり、17歳の時にはスティービー・ワンダーやアレサ・フランクリンのバック・バンドで演奏。
ローリング・ストーンズの72年ツアーのオープニングアクトをスティービー・ワンダーが務めたとき、バックバンドでリードギターを弾いたこともあった。

ちなみに最初にスティービー・ワンダーからバンドでの演奏依頼があった時、レイはスティービー本人からの電話をニセモノと思い込み、切ってしまった。
その後も何度もかけてくる相手に怒ってついに「いい加減にしろバカやろう!」と叫んで電話を切ってしまったそうだ。若い・・
それでもスティービーはあきらめずレイに再度電話し、まだ信じないレイに自分の歌(Superstition)を聞かせてようやく信じてもらったとのこと。

その後もカーペンターズ、チャカ・カーン、アレサ・フランクリン、テンプテーションズ、ボズ・スキャッグスのために曲を書き、セッションワークを行うなどの実績を積む。
レイが作った最初のヒット曲は、ファンクバンドのルーファス名義で録音され、R&Bチャートで1位・ポップチャートで11位を記録したチャカ・カーンとの共作「You Got the Love」。

1977年、レイ・パーカー・ジュニアは仲間3人とともにR&Bグループ、レイディオを結成。
翌年シングル「Jack and Jill」がR&Bチャート5位・ポップチャート8位に達し、アルバム「Raydio」もゴールドアルバムを獲得。
なおレイディオ名義のアルバム2枚は長い間CD化もされていなかったが、日本では最近ようやく紙ジャケットで再発されたそうだ。
日本にもレイディオの熱心なファンがかなりいるということだろうか。

80年にグループ名をレイ・パーカー・ジュニア&レイディオに改名。
名実ともにレイはグループのフロントマンとしてセンターに立つことになる。
シングル「Two Places at the Same Time」と同名アルバムともR&Bチャート6位を記録した。
81年にリリースされた最大のヒット曲「A Woman Needs Love (Just Like You Do)」 は、これまた同名アルバムともどもついにR&Bチャート1位を獲得。
この年には初来日してツアーも行われた。

しかしこの大ヒット直後にレイディオは解散。
理由が記されたサイトは見つからなかったが、まあお金回りが急によくなっていろいろグループ内に問題が噴出したんだろう。(違ったらすいません)

83年にレイ・パーカー・ジュニアはソロとしてアルバム「The Other Woman」を発表する。
ただし全米1位の有り余る報酬を惜しみなく投入・・といった派手な転職ではなく、レイ個人の所有するスタジオに一人こもって多重録音という地味なスタートだったそうだ。
堅実な経営が功を奏し、タイトル曲が全米4位の大ヒットを記録した。
じゃあこのアルバムに自分の聴いた「Bad Boy」も入ってんのかと思ったら、このシングルは当時どのアルバムにも収録されなかったそうだ。なんで?

あとシングル「I Still Can't Get Over Loving You」は「I・Still・愛してる」という脱力なダジャレ邦題が付けられたことで有名。
曲は聴いてないけどこの嫌がらせみたいな邦題は当時雑誌で目にしており、こんな邦題で日本市場での売り上げに影響しないのだろうかと心配になった記憶がある。

そんな極東の低偏差値な心配をよそに、この頃レイ・パーカー・ジュニアは他のアーチストにも積極的に曲を提供。
ニュー・エディションの「Mr. Telephone Man」、デニース・ウィリアムス「I Found Love」、ダイアナ・ロス「Love or Loneliness」「Up Front」などはレイの作品である。

そして84年、キャリア最大の問題作「Ghostbusters」が生まれる。
映画も大ヒット、曲も全米1位獲得というドリームな展開だったが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「I Want A New Drug」のパクリである疑惑が浮上。
経緯としては、まず映画のプロデューサーが「I Want A New Drag」を使いたいとヒューイ・ルイスに依頼したが、ヒューイ側は拒否。
拒否の理由は不明だが、困ったプロデューサーはレイ・パーカー・ジュニアに「「I Want A New Drag」っぽい曲を作るよう依頼。

で、レイは実直に似たような感じで「Ghostbusters」を作成した。
元は映画のシーンBGMで長さも1分半程度の予定だったが、映画監督がレイの作った音を気に入り、急遽シングル曲として用意することに変更。
レイは必死でテープをループさせたり歌詞を継ぎ足して、2日あまりでなんとかシングル用の尺を作り上げた。
クライアントのころころ変わるリクエストにムリヤリ応えて作られたもので、じっくり時間をかけて・・とはほど遠い状況だったらしい。

とは言え、簡単に言うとやはりパクリである。
やらせたプロデューサーや依頼内容を変えてきた監督が一番悪いが、真に受けたレイも芸術家としてどうなのかという話だ。
ヒューイ側はレイを訴え、パクリでしたすいませんと認めたレイの代わりに映画会社が和解金を支払うことで決着。

しかし。
和解の条件として「解決金支払いについては互いに公言しないこと」とあったのに、ヒューイ・ルイスが人気テレビ番組「Behind the Music」で勝手に「レイ側から和解金をもらった」と話してしまい、今度はレイがダイアン津田ばりに逆上。
2001年にレイがヒューイ側を訴えるというアメリカっぽい抗争に発展。
中身以上に因縁で名をはせる名曲となったのだった。

たぶん映画と曲がヒットしなければ、こんな訴訟合戦もなかっただろう。
ただしレイ本人は「Ghostbusters」騒動をそれほど負い目に感じていないようで、今でもインタビューで質問されても、イヤな顔もせずおだやかに答えているらしい。
いい人なのか懲りてないのかわかりませんが・・

騒動の影響もあってか、85年以降レイ・パーカー・ジュニアの人気と実績はじわじわ下降。
その後アルバム4枚・シングル6枚ほど発表するも、チャートでは50位にも入らないほど苦戦している。

90年代以降はプロデューサー業や映画音楽制作を中心とした活動に移行。
しかし両親の病気などで一時期音楽活動を休止せざるを得なくなる。
2000年にスティービー・ワンダーやボズ・スキャッグス達とともにレコーディングやライブ活動を再開。
その後方向性はジャズにシフトし、2006年には15年ぶりとなるスタジオ盤の「I'm Free」をリリース。
最近もテレビ番組やライブでも競演するのはジャズミュージシャンが多いそうだ。
2019年1月にも来日しビルボード東京で公演を行い、アルバム「A Woman Needs Love」を全曲まるごと演奏したとのこと。

やはり今回も知ってた話はほとんどなし。
パクリ騒動は知っていたが、レイが後になってヒューイ・ルイスを逆提訴したのは知らなかった。
一番驚いたのが、「A Woman Needs Love」をヒットさせた時、レイ・パーカー・ジュニアはまだ27歳だったこと。
本当?
そんな若さであんな雰囲気を醸し出していたとは・・
すいません、曲聴いた時は40過ぎのダンディなおじさまが歌ってんのかと思ってました・・

なおレイ・パーカー・ジュニアは、ミュージック・ビデオの世界に足を踏み入れた最初の黒人アーティストの1人とされている。
78年にはすでにレイディオの曲の映像を作成しており、テレビや映画でも流れていたそうだ。
それまでの単純な歌番組ステージ風景ではなく、ハロウィンやドラキュラなど欧米の風習や伝説を巧みに採り入れたストーリー仕立ての映像を、しっかり映画監督を起用して制作。
マイケル・ジャクソン以前からミュージック・ビデオを重視していた先進的なアーチストでもあったということになる。
これも非常に意外な話だった。
日本でそう認識していた人はほとんどいないんじゃないかと思う。

というわけで、レイ・パーカー・ジュニア。
当然レイディオ時代の「A Woman Needs Love」、ソロの「The Other Woman」が必修科目と思われますが、話題性なら「Ghostbusters」も対象でしょうか。
他におすすめのアルバムがあればご紹介いただきたいと思います。

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