聴いてない 第347回 ブレッド
以前も書いた話だが、86年頃「アメリカン・ポップスDJ」と題されたFM特別番組を丸ごと録音したことがある。
70年代のアメリカのヒット曲を集めた特番で、シカゴの「長い夜」やモンキーズ「恋の終列車」、CCRの「雨を見たかい」やスリー・ドッグ・ナイトの「An Old Fashioned Love Song」などがオンエアされたが、この番組で知ったのがブレッド「Make It With You(二人の架け橋)」だった。
当時すでに懐かしの曲だったので当然後追いだったが、以来他の曲にふれることも昔の曲を掘り起こして聴くこともなく、ブレッドがどんなバンドなのか今も全然知らない。
活動はほぼ70年代限定とのことで、聴いてない度はCCRやスリー・ドッグ・ナイト同様に2である。
高級食パンブームもすっかり終わった今、ブレッドについて覆面調査開始。
ブレッドは68年にロサンゼルスで結成されたソフトロック・バンドである。
結成当時のメンバーはデビッド・ゲイツ(Vo・G)、ジェイムス・アーサー(ジミー)・グリフィン(Vo・G・K)、ロブ・ロイヤー(B)の3人。
出会ったのはロサンゼルスだが、ロス出身はロブ・ロイヤーだけで、デビッドはオクラホマ州、ジミーはテネシー州出身である。
バンド名を考えていた時に、パンを運ぶトラックがやってきたのでブレッドにしたそうだ。
そんな安直な由来だったの?
本人たちはビートルズやビージーズみたいにBで始まる名前なので気に入っていたらしい。
ブレッドは69年1月にエレクトラ・レコードと契約し、6月にシングル「Dismal Day」、9月にデビューアルバム「Bread」をリリース。
楽曲制作は3人で均等に分担したが、ドラマーがいなかったため、当時セッションミュージシャンだったジム・ゴードンとロン・エドガーがドラムでバンドをサポートした。
デビューアルバムは全米チャートで127位にとどまり、それほど順調なスタートでもなかったようだ。
バンドはジム・ゴードンを正式にドラマーに迎え、ハリウッドで初めてコンサートを行ったが、その後のジムのスケジュールが合わず、代わりにマイク・ボッツがドラマーとして加入する。
ちなみにブレッドとしてはほぼ実績なしに終わったジム・ゴードンだが、実はものすごいキャリアを持ち、壮絶な人生を送った人でもあった。
ブレッド加入前にはビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」「Smiley Smile」やバーズの「The Notorious Byrd Brothers」に参加しており、その後もジョーン・バエズやジャクソン・ブラウン、カーペンターズやシェールなど数多くのアーチストの作品に参加。
エリック・クラプトンのソロアルバムやツアーに参加した後、デレク&ドミノスとしてクラプトンと名曲「Layla」を共作。
さらにはジョージ・ハリスン「All Things Must Pass」「Living in the Material World」やジョン・レノンの「Power to the People」などの名盤名曲でも演奏している。
他にもジョー・コッカーやフランク・ザッパ、アート・ガーファンクルやスティーリー・ダンなどの大物芸人の作品に呼ばれ、信頼と実績を重ねていた。
だが栄光の経歴の一方でジム・ゴードンは精神を病み、次第に演奏にも支障をきたすようになる。
ジョー・コッカーとのツアー中に、ジムはホテルの廊下で当時の恋人リタ・クーリッジを殴り、これが原因でリタはジムとの関係を終わらせたと言われている。
そしてジムの人生は破滅に向かう。
83年6月、ジムは71歳の母親をハンマーで襲い包丁で刺して殺害した。
殺人罪で終身刑の判決を受け、2023年に獄中で死亡している。
仮定は無意味だが、もしジム・ゴードンがそのままブレッドのメンバーとして活動していたら、ジムは破滅しなかったかもしれないし、逆にブレッドは彼に翻弄されたかもしれない。
話はブレッドに戻る。
70年にシングル「Make It with You(二人の架け橋)」が全米1位となり、セカンドアルバム「On The Waters」も全米12位を記録した。
結果的にバンド史上唯一のナンバーワンヒットとなった「二人の架け橋」だが、実は録音に参加したのはデビッド・ゲイツとマイク・ボッツだけだった。(作ったのはデビッド)
次のシングルとして、ブレッドはファーストアルバムに収録されていたデビッドの曲「It Don't Matter to Me」を再録音してリリースした。
このシングルも全米10位のヒットとなった。
3枚目のアルバム「Manna」は71年に発売され、全米21位を記録。
前作同様に作曲クレジットは3人で均等に分けられているが、シングル「Let Your Love Go」と「If」はいずれもデビッドの作品である。
ブレッドは結成以来3人の作品を均等にアルバムに収録していた民主的なバンドだったはずだが、デビッドの作品が真っ先に売れたことでバンド内のパワーバランスが微妙に変化したと思われる。
ロブ・ロイヤーはブレッドをシングル曲メインのバンドとして売ろうとするレコード会社の戦略がイヤになり、他のメンバーとも衝突し始め、71年夏に脱退する。
ロブの後任には、ビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」やサイモン&ガーファンクルのシングル「明日に架ける橋」でピアノやチェンバロを演奏したラリー・クネクテルが加入した。
ラリー加入後ブレッドは71年10月にシングル「Baby I'm a Want You(愛のわかれ道)」を先行リリースし、翌年1月に同名アルバム「Baby I'm a Want You」を発表する。
「Baby I'm-A Want You」はシングル・アルバムとも全米3位を記録し、シングル「Everything I Own」「Diary」もトップ20入りを果たした。
この実績によりブレッドは73年のグラミー賞でベスト・エンジニア・レコーディング部門とベスト・ポップ・ボーカル・グループ部門にノミネートされている。
次のアルバム「Guitar Man」は前作から1年も経たない10か月後にリリースされ、全米18位を記録した。
収録曲「The Guitar Man」「Sweet Surrender」「Aubrey 」がトップ20入りを果たしたが、短期間でヒット曲量産を強いるレコード会社の圧力によりメンバーは疲弊し、バンド内の摩擦も深刻なものになっていた。
ここまでのヒットシングル11曲はすべてデビッドの作品で、当然レコード会社はデビッドの曲をシングルA面に選んでいたが、ジミーはこれも気に入らず、アルバム収録曲構成にも不満があった。
73年6月のソルトレイクシティのコンサート前に、トラック事故で機材と楽器が壊れる事件が発生。
事故は偶発的なものだったが、これでメンバーの結束や意欲の糸は切れてしまい、コンサート中にデビッドが突然ブレッド解散を発表する。
解散直前の3月にリリースされたベスト盤「The Best of Bread」は全米2位を記録し、2年以上チャートインし続けた。
だがブレッドは意外に早く活動を再開。
76年にレコード会社がアルバム制作をメンバーに打診すると、メンバーはスタジオに集まりレコーディングを開始する。
ただしレコード会社の要請は「アルバム1枚限りの再結成」だったらしい。
なのでメンバーによる純粋自主的な活動再開ではなく、レコード会社の要請に従ったビジネスとしての復活だったようだ。
復活アルバム「Lost Without Your Love」は翌年1月にリリースされ、全米26位まで上昇。
タイトル曲はデビッドが作詞作曲し歌い、全米9位を記録したが、やはりバンドにとって最後のアルバム&シングルとなる。
メンバーは「Lost Without Your Love」のプロモーションのため春からツアーを開始したが、夏頃になるとジミーの薬物乱用が悪化し、デビッドはジミーのツアー参加をあきらめた。
イギリスでは国内限定で発売されたベスト盤「Sound of Bread」が大ヒットし、全英アルバムチャートで1位を獲得。
77年のゴールドディスクにも認定されたが、授賞式にはジミーは出席しなかった。
解散後にデビッド・ゲイツは78年にソロとしてシングル「Goodbye Girl」「Took the Last Train」をヒットさせる。
その後マイク・ボッツとラリー・クネクテルを従えた「ほぼブレッド」の「デビッド・ゲイツ&ブレッド」としてツアーやテレビ出演を続けた。
この行動にジミーは怒り、バンド名の使用をめぐってデビッド相手に訴訟を起こす紛争に発展。
紛争中は双方ともブレッドというバンド名を使えず、84年まで解決しなかったそうだ。(どっちが勝ったの?)
ジミー・グリフィンもブレッド解散後はソロアルバムを3枚ほど発表したが、あまり売れなかった。
その後ジミーはカントリーにシフトする。
82年には元ホリーズのテリー・シルベスターと組んでアルバム「Griffin & Sylvester」を出したり、85年にはランディ・マイズナーとビリー・スワンと共にブラック・タイというカントリーバンドを結成しアルバム「When The Night Falls」をリリースした。
ブラック・タイ解散後はまたカントリーバンドのザ・レミントンズを立ち上げ、2枚のアルバムを発表している。
デビッドとジミーの決裂によりブレッド復活はもうない・・と誰もが思っていたが、96年にメンバーはなぜか恩讐を超えて集結。
約2年間にわたり全米や南米、ヨーロッパ、オセアニア、南アフリカ、東南アジアを巡る結成25周年記念ワールドツアーを行った。
来日公演も予定されていたが直前でキャンセルされたそうだ。
だがツアー終了後、ブレッドが再び揃うことはなく、2005年にジミー・グリフィンとマイク・ボッツはともに61歳で癌により死去。
2009年にはラリー・クネヒテルも69歳で心臓発作により亡くなり、ブレッド再結成は永遠に不可能となった。
デビッド・ゲイツは芸能界から引退し、ロブ・ロイヤーは自身とジミー・グリフィンが共作した曲でジミーへのトリビュート・アルバムを2010年にリリースしている。
以上がブレッドの輝かしく儚い歴史である。
知ってた話は微塵もない。
ソフトロックというジャンルに区分され、おだやかなバラードを得意としていたブレッドも、内紛で解散して訴訟というロックバンドのハードな標準モメ事コースをたどっていた。
モメ事の真相は親戚でもない自分にはわかるはずもないが、デビッド・ゲイツの曲だけ売れてしまい、レコード会社もそれに同調したことで、ジミー・グリフィンやロブ・ロイヤーの不満がたまっていった、という図式は間違いなさそうだ。
「二人の架け橋」しか知らないが、他のヒット曲も似たような路線であれば、それほど構えずに聴けそうな気はする。
根拠はありませんけど・・・
ちなみにブレッドの楽曲を忠実に再現して全米各地でコンサートを行っている公式トリビュートバンドが存在するそうだ。
その名も「トースト」。
トーストの公式サイトを見ると来年3月までライブ予定がぎっしり組まれていて、全米各都市の他にイギリスやアイルランドやフィリピンでもコンサートがあるらしい。
というわけで、ブレッド。
聴くとしたら「二人の架け橋」収録の「On The Waters」からと思われますが、他にもおすすめのアルバムがあるようでしたら教えていただけたらと思います。
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